瞑想の危険性は?危険と言われる理由ややり方・理解しておきべき事を紹介

瞑想というと何やら抹香臭く、かつ危険な匂いもします。前者は時代遅れの迷信としての仏教であり、後者はうさん臭さプンプンの自己啓発や新興宗教が思いつきます。まっとうな社会人たるものの赴くところではない、危険なイメージ。しかし、今新しい瞑想が注目されています。

瞑想の危険性は?危険と言われる理由ややり方・理解しておきべき事を紹介のイメージ

目次

  1. 1瞑想って本当は危険なものなの?
  2. 2瞑想が危険だと言われる理由とは?
  3. 3瞑想で危険な目に遭わないために理解しておくべき事
  4. 4危険を回避する正しい瞑想のやり方
  5. 5瞑想をすることで得られるメリット
  6. 6瞑想をする上で危険性が高くなってしまう注意点
  7. 7ビジネスと瞑想
  8. 8ところで、メソッドってなに?

瞑想って本当は危険なものなの?

なぜ、瞑想が危険なのでしょう。宗教は現代日本人にとって、葬式仏教・婚礼キリスト教・発育めでたい神道といった具合に、人生の節目の催物としてしか機能せず、それ以外を認めていません。かつて、これほど政教分離に成功し、社会主義国面目丸つぶれの平等を謳歌した国はありませんでした(あくまで過去形)。

それへ、寝耳に水をぶちまけたのがオウム真理教でした。無関心が警戒心へ、それを知らない世代への世代交代を経て、またスピリチュアルが再燃してきているといわれます。一方、ネット界隈では、昨今、めっきりオカルト番組がなくなったともいいます。

しかし、それは錯覚です。90年代から今に至るまで、よく見れば、オカルト番組やブームはいっこうに廃れてはいないのです。

瞑想が危険だと言われる理由とは?

瞑想が危険だと言われる理由には、偏見と事実の両面があります。以下からは、具体的側面と心理的側面、それに社会的側面を合わせてみていきましょう。

危険な無自覚「科学は、とば口」

マインドフルネスという瞑想法があります。アメリカなどで、ストレスの緩和、成績・生産性の向上などの効果が認められ、広く普及しました。しかし、科学は、人の心のありようを全て解明し尽くしたわけではありません。まだまだ、無意識の領域は未知のままです。

人の深層心理を研究したユングは、人生の途上における必然か、探求のため深い入りしずきたためか、危険な状況に陥った経緯があります。かつて、臨床心理士の河合隼雄は、そのような西洋近代が最近発見した深層心理より、仏教の唯識における阿頼耶識や密教のイマージュの活用法など、その洞察と歴史を、より高く評価していました。

科学はあくまで、無意識の入門編といったところ。しかし、それだけでも十分といえるほどのデータが認められているのも事実です。生活に活かさない手はありません。

危険な誘い

もはや、オウム真理教は生々しい記憶ではなく、過去の記述となってしまったのでしょうか。そのオウムがヨガ教室という、健康ヲタク的なライトなアプローチを持っていたことを忘れがちです。

超能力開発・超常体験などの、ちょっとした好奇心から、病気、孤立、生末への憂いなど、様々な不安の処方箋として、人の心の隙間につけ入ったり、自ら進んで足を運んだりして、信者を獲得していきました。

いずれも、軽い気持ちで立ち寄ったのが、加害者・被害者、双方の不運の始まりでした。誰だって、最所から空中浮揚など信じやしません。わずかな期待を糸口に、手練手管で、じょじょに危険意識を解いていくのです。

我流の危険

仏教は瞑想に対する長い歴史と深い洞察を持ちますが、必ず師についてそれは行われます。我流の危険を熟知しているからです。もともと、瞑想に関心を持つ人、機会を得たいと望む人は、その時点で迷い人である可能性が高いのです。

そうでなくとも、興味本位で無意識を覗くことは危険なことです。不遜、不健康といって差し支えないでしょう。『善悪の彼岸』のニーチェは、「怪物と闘うものは、その過程で自ら怪物とならぬよう心せよ。汝が長く深淵を覗けば、深淵もまた等しく汝を見返すであろう」と警告しています。

瞑想で危険な目に遭わないために理解しておくべき事

上記を踏まえた上で、以下からは、そのような危険な目に合わぬ具体的方策をみていきたいと思います。総じていえることは上記の裏返しであり、「君子危うきに近寄らず」といったところでしょうか。

なぜなら、危険接近への動機の根底には、自信喪失が隠れているからです。慎みとは、自己の尊厳の一つではないでしょうか。

我流を避ける

良い指導者を見つけましょう。見極め方は簡単です。断言しない、過剰な自信を持たない、持たせようとしない、いつまでたっても普通のことしか言わない人、などです。

少しでも、話しが非現実的な方面へいったら、授業料などケチらず、さっさと見切りをつけましょう。ちなみに、画像は光岡自動車の「GALUE」です。

自己批判は正しいとは限らない

盲点として、自己放棄があります。自己を軽んじているんだから正しいに決まっている、という単純な思想未満の美徳です。謙虚好きな日本人なら、なおさらでしょう。残念ながら、他者への無償の奉仕はなく、隠されたエゴは肥大化します。それを踏まえた上での利他しかありません。

もっとも、気づきづらいのが仲間との一体感です。気づいた時には、抜き差しならぬ関係性が構築されてしまった後。ここで裏切るべきは、過去にそれを選択した自分なのです。この受け要れ難い自己批判こそ、真の自己批判といえます。

他人や言い方を変えたドグマを妄信しない

かつて、スペインの新聞人オルテガは、その『大衆の反逆』において、科学者をも愚昧な大衆に含めました。理由は、彼がいわゆる専門バカだからです。彼が微に入り細を穿ち知悉していることを外れれば、とたんに害のある群衆の人と同じになるからです。

ダライ・ラマは日本に来たとき、こう言いました。私は人を癒せる力があるという人を信じません。私自身が、自分の鼻にある「おでき」を治せないからです。また、ブッタは当時の人としては長生きしましたが、最期は激しい下痢の末、死にました。誰しも、人間である条件を離れることはできません。

科学であれ、メソッドであれ、異なる意匠を巧みに駆使しようが、ドグマはドグマ。神ならざる、人間のつくったものに変わりありません。

危険を回避する正しい瞑想のやり方

瞑想の頻度としておすすめは、毎日5〜10分くらいが目安です。それ以上、数時間やっても構いませんが、初心者には負担にしかなりません。5〜10分くらいの瞑想でも効果は充分。まずは始めること、継続は力なりです。

また、予め場所と時間を決めておきましょう。習慣は切り替えを素早く滑からにします。無理して局時局所的に行うより、なにげない日々の蓄積が効果を倍増させます。

ルーチン

やり方は簡単です。まず、静かな場所を選びましょう。ゆったりと座ったら、目をつぶり、呼吸に注意を向けます。すると、当然ですが人間ですから、何かしらモヤモヤ考えが浮かんでくるはずです。それを当面の杭、足がかりとします。

気づき息づき

自分は○○を考えているな、と思ったら、すかさず呼吸に注意を向けます。想念が認知とならぬよう手前で引き返し、それに全面的に囚われないようにします。水底から気泡のようにユラユラ浮びあがる想念を感じたら、呼吸に関心を向け、また、別の想念が浮かんだら呼吸へと退避します。この繰り返し。

次第に、余計な雑念が浮かんで来なくなります。最新の科学的根拠に基づいた方法ですが、仏教では、とうの昔にヨガの基礎である瑜伽(ゆが)として確立された手法です。

呼吸に意識を向ける、呼吸している肉体へ回帰させつつ、また心へ舞い戻るのです。ともすれば、考え事で満ちてしまう我をカラにしていく方法です。

眠たくなればしめたもの

眠くなるかもしれませんが、それは良い兆候です。なんなら寝てください。睡眠、下手な健康法よりしくはなしです。また、世界中の宗教には、瞑想を覚醒と睡眠の中間とする派が数多くあります。

瞑想から睡眠までの半覚醒時に、脳波がアルファ波やシータ波となり自律神経が整われます。瞑想の副産物によって、もたらされた質の良い深い眠りは、あらゆる不健康、ストレス、不眠などには百薬の長となるでしょう。

慣れれば、目を覚ましながら半覚醒状態である瞑想へ、すんなり移行できます。

Dust my broom

瞑想は朝がオススメです。慣れるまでは、賑やかすぎる所は避けたほうがいいでしょう。うるさすぎず、静かすぎず、寒すぎず、暑すぎない、他者に煩わされない、心身の自ずと溶け出すような環境。身体と世界の区別のつかないような室内が最適です。

呼吸へ、呼吸している肉体へ、その感覚へ注意を向ける、といっても、マインドフルネスの瞑想法では、その対象は何でもありです。ようは、エゴの外に注意をさし向けることが大事なのです。

結論をいえば、瞑想とは我に凝り固まった心の掃除なのです。効用は後から自ずとついてきます。

瞑想をすることで得られるメリット

マインドフルネス=瞑想とは、アメリカの脳医学博士ジョン・カバットジン氏の考案したものです。脳画像研究の技術が発達するとともに、その中で瞑想は科学的に効果があると証明されました。

マインドフルネスは科学的根拠に基づいたものであり、いわゆるスピリチュアルとは一線を画しています。その効果は立証済みですし、今や、アメリカでにおける、ありふれた治療の選択肢の一つとなっています。

成績アップ

集中力と生産性が上がります。ある研究報告では、マインドフルネスにより、児童の成績が向上したというものがあります。

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州立校で、99人の9歳前後の児童を対象にした研究があります。瞑想を毎日、3分、3回、4ヶ月間実践させました。被験グループと、そうでないグループの、算数の成績に変化が顕れました。前者の方が約15%高い結果となったのです。

開かれる社会の窓

成績だけに留まらず、瞑想を実践した児童らのグループに別の変化がみられました。社会性が向上したのです。広く間口を取った行動が24%上昇、攻撃性が24%低下しました。また、認知や感情を司る力、肯定的思考、配慮、ストレス減少など、いずれも良い数値を示しました。

元気があれば何でもできる

瞑想には、不眠、不安、うつ病やなどを緩和する効果もあります。実は、これらは考え過ぎることから来る現代病なのです。文明の発達とともに生活は便利となる一方、その性急さ複雑さは、人を置いてけぼりにしています。

瞑想とは、それらの桎梏(しつこく)を一瞬たりとでも外し、リセットする試みといえます。それにより、副交感神経が優位となり、心身ともに落ち着きを取り戻すことができるのです。

また、他の効用として、加齢防止、競技者の運動能力向上による好成績などのデータも挙げられています。

脳内革命?

瞑想は脳自体を変えます。睡眠中でも脳はデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる活動をしています。これこそが、よくいう「休んだのに疲れがとれない」原因とされています。

その脳の通常運転を、瞑想によって一旦、鎮めることができるのです。また、記憶に関わる海馬など、脳の空き容量がアチコチで増えるということも分かってきています。

さらに、ストレス時に分泌されるコレチゾールが減少し、幸せを感じるオキシトシンという幸福ホルモンが分泌されたりします。

瞑想をする上で危険性が高くなってしまう注意点

瞑想は良い点ばかりが目立ちますが、すべてデータで立証されていることなのです。しかし、このような研究発表は、成果が求められるせいか、人間に都合のよいことばかり報告されがちです。

実際、1990年代にこのような事例がありました。不安が強かった人が瞑想を行ったところ、パニックになってしまった。というのです。ただ、それは極わずかな事例にすぎません。大半の人にとって、瞑想は良い結果が圧倒的しているのです。

妄想を飼ってる人

先のような人は、もともと妄想的想念を持ち続けていた人のように思われます。そのような人が自己流でやった結果が、自らの内なる猛獣を肥大化させてしまったのではないでしょうか。やはり、最初は専門家による手ほどきが必要なのです。

ツンデレ厳禁

瞑想とは囚われない心への導入部なのです。そのために必要なことは、自ずと沸き起こるイマージュを無視せず、呼吸を軸にして、常に肉体へ立ち還る往還運動にその妙があります。無視ほど気を遣うものはありませんから。

ビジネスと瞑想

現在、アメリカでは瞑想産業の市場は4兆円にのぼるといわれていくす。その規模は日に日に大きくなっています。『サイコロジー・トゥディ』など、一般的な書店にも心理学の雑誌が並び、マインドフルネスやメディテーション(瞑想の英訳)等の言葉を頻繁にみかけるようになりました。あのGoogle社も瞑想を導入しているほどです。

ところで、メソッドってなに?

以上、新しい瞑想であるマインドフルネスのメソッドを中心に、瞑想とその危険性についてお伝えしてきました。ところで、今さらですが「メソッド」って何? むろん英語ですが、wikiによればこう書かれています。
 

メソッド、メソード (method) とは、方法・方式のこと。特定の分野や固有名詞では日本語に訳されず、カタカナのまま運用される。

メソッドは様々な分野で使われていますが、要するに、方法や方法論のことと言い切ってよさそうです。ところで、今巷では、ロックダウン、クラスター、オーバーシュート、インバウンド、リポ払いなど、聞きなれない言葉が飛び交っています。

どうも最近の横文字の反乱には、都合の悪いことを隠したいような、いかがわしさが見え隠れします。瞑想にも若干そのような面が無きにしも非ず。言い方はなんであれ、結局、それを扱う人次第といったところでしょうか。

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