麻原彰晃(松本智津夫)の妻「松本知子」と子供の現在!名前は改名した?

麻原彰晃の妻である松本知子は現在松本明香里に改名しています。娘も名前が明らかになっているのは松本麗華のみ、他の子供は名前不明か仮名です。死刑が執行された麻原彰晃こと松本智津夫の妻である松本知子や娘や息子など子供達は現在どこでどのように生活しているのでしょうか。

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目次

  1. 1オウム真理教の麻原彰晃と地下鉄サリン事件
  2. 2オウム真理教の麻原彰晃
  3. 3麻原彰晃の妻・松本知子について
  4. 4麻原彰晃と妻・松本知子の子供6名
  5. 5松本知子以外にも妻と子供が?麻原彰晃の愛人たち
  6. 6松本知子と子供の現在は?
  7. 7娘達の出版物
  8. 8オウム事件は一つの区切りを迎えたのでしょうか

オウム真理教の麻原彰晃と地下鉄サリン事件

オウム真理教による地下鉄サリン事件は1995年3月20日に東京の地下鉄でサリンがまかれ13人が死亡、負傷者が6,000人を超えるという現在まで最大規模の、宗教団体によるテロ事件でした。

サリン事件以外にも坂本弁護士一家殺人事件など数多くの刑事事件を引き起こしており、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫をはじめとする教団幹部は多数死刑が言い渡されました。その後教団の中心人物たちはどうなったのでしょうか。

教団の中心人物には妻の松本知子(松本明香里に改名)や4人の娘達が挙げられます。特に露出が多い三女の松本麗華や、他他の家族との対立が噂される四女の松本聡香など、子供達と妻の現在の境遇を追ってみました。
 

麻原彰晃(本名:松本智津夫)の死刑執行

オウム真理教教祖の麻原彰晃こと松本智津夫被告は、2018年7月6日死刑が執行されました。

この死刑執行でついては、まだオウム真理教が引き起こした事件の全貌が明らかになっていない部分があること、また松本智津夫被告の精神状態が崩壊しており刑罰を受けるにあたっての能力が無いことを理由に批判もあります。

麻原彰晃の妻・松本知子と子供のその後は?

麻原彰晃の妻や子供達など近親者は事件後どうなったのでしょうか。

麻原彰晃の妻である松本知子は地下鉄サリン事件以前の1993年に発生していた薬剤師リンチ殺人事件に関わっていた容疑で逮捕されています。2002年に出所後は松本明香里に改名しています。

松本智津夫とその妻松本知子の間には長女、次女、三女、四女、長男、次男の計6人の子供が生まれました。この中で三女の松本麗華は頻繁にマスコミに登場しており、オウム真理教の教祖の子供であるということについて、語る機会が多いです。

オウム真理教の麻原彰晃

死刑執行された麻原彰晃こと松本智津夫被告はいかにしてオウム真理教の麻原彰晃となったのか。そしてどのようにしてカルト教団を作っていったのでしょうか。

麻原彰晃(本名:松本智津夫)の経歴

松本智津夫は1955年に熊本県八代市で生まれました。先天性緑内障のため左目がほとんど見えませんでしたが、右目の視力はありました。実兄は全盲であり、水俣病の影響では無いかと疑われています。

実家は非常に貧しく、両親は片目の視力はある松本智津夫を学費のかからない盲学校に入れました。盲学校では目が見えることから、他の生徒の親分のような存在になっていたようです。この頃から松本智津夫の権力への執着が見え始めます。

その後上京し東大受験を試みますが3度失敗。代々木ゼミナールで出会った松本知子と結婚し千葉の船橋市で鍼灸院と漢方薬局を開院します。

その後、「病気の人を完治させることはできない。無駄なことをしているのでは無いか」と悩むようになり宗教に傾倒していきます。

松本智津夫は1983年に鳳凰慶林館という超能力開発道場を渋谷に解説しますが、この頃から麻原彰晃を名乗り始めています。その後ヨガ道場「オウムの会」に名称を変更、さらに宗教団体「オウム神仙の会」になります。

1987年32際の時にオウム真理教に改称。その後は積極的な広告戦略やダライラマとの対談、衆議院選挙への出馬などを通して宣伝を行い大量の信者を獲得していきます。

同時に、麻原彰晃自身は社会を救済するためには殺人もやむを得ないというような破壊的な考え方に傾倒していき、教団全体がカルト化します。教団は武器や化学兵器の製造を活発に行い、武装化したテロリスト集団となります。

男性信者殺害事件、坂本弁護士一家殺人事件、薬剤師リンチ殺人事件など殺人事件への麻原彰晃こと松本智津夫の関与が疑われる中、1995年3月20日に地下鉄サリン事件を起こし、5月16日に逮捕。

17の事件への関与により2004年2月27日に死刑判決が言い渡されます。その後再審請求を行うが却下、獄中の松本智津夫自身が廃人状態であり責任能力がないため刑の執行について審議がされていましたが、2018年7月6日死刑施行されました。

麻原彰晃の妻・松本知子について

麻原彰晃の妻である松本知子(改名し松本明香里)はどのような人物だったのでしょう。教団への関与や影響力はあったのでしょうか。

妻・松本知子の経歴

松本知子(改名し松本明香里)は代々木ゼミナールで松本智津夫と知り合い結婚します。その後は松本智津夫の鍼灸院や漢方薬局を一緒に経営していました。3人の娘を出産して生活は貧しかったということです。

松本智津夫が麻原彰晃になり、オウム真理教が発足すると妻の松本知子は教団内で郵政省大臣隣、事実上の教団NO.2に任命されます。オウム真理教時代にさらに娘1名と息子2名を出産します。子供達も教団内で高位を与えられます。

松本知子は薬剤師リンチ殺人事件への関わった容疑で逮捕。出所後は松本明香里と改名しています。オウム真理教の後継団体アーレフの運営に関わっていることが疑われ続けています。

松本知子の性格は?

松本知子(改名し松本明香里)はヒステリックな側面があったようで、船橋で鍼灸院を営んでいた時代にも、よく松本智津夫被告と口論になり家出をすることがありました。娘の松本麗華は、他の子がついていかないからという理由で、何度か同行したそうです。

オウム真理教時代に記した自著では20代で許容量を超えるストレスを受け続けたことで、精神のバランスを崩したということを語っています。

また、娘の松本麗華が語るところによると、口論で感情的になりまともに話ができないようなことがままあるということです。

麻原彰晃と妻・松本知子の子供6名

それでは麻原彰晃と妻の松本知子(改名し松本明香里)の間に設けられた子供6名について紹介していきます。情報がほとんど出ていない子供もいます。

教団内での子供達の最終的な地位は四女の松本聡香が最も高く、このことが事件後も一族内で争う原因の一つになっているようです。

名前不明【長女】

1978年生まれ。名前は不明です。ホーリネームはドゥルガー。教団での地位は正悟師なので、麻原彰晃の妻である松本知子や3女の松本麗華、4女の松本聡香よりも低い地位になっています。スーパーで万引き事件を起こしたことがあります。

役職は流通監視省大臣でした。現在の動向は不明です。子供達の中では最も情報が露出していません。

松本宇未【次女】

1981年生まれ。松本宇未は仮名です。ホーリネームはカーリー 。2015年からそれまでも露出が多かった三女松本麗華の活動に協調するような形でブログやTwitterでの発信を開始しています。

子供達の中では三女・長男派閥のようです。

松本麗華【三女】

1983年生まれ。松本麗華は本名です。ホーリーネームはアーチャリー。教団での地位は正大師なので、麻原彰晃の妻である松本知子や、石井久子と同じく教団トップ2です。

教祖一族の中では最もメディアへの露出が多く、マスコミの取材にも数多く応じています。また、大学から松本智津夫の娘であることを理由に入学拒否を2回起こされており、裁判を起こしました。

松本智津夫の娘であることがわかってからバイトをクビになったなど、加害者家族の社会生活を赤裸々に語っています。また四女の松本聡香とは対立しており、双方に批判を続ける等、家族中は崩壊しています。

松本聡香に対しては、松本智津夫から受けた位階が正悟師という教祖に次ぐ最高位であることをいいことに、アーレフや他のオウム信者への影響力を強めようとしていると批判しています。

次女・長男と一緒に暮らしており、三女派と報じたメディアもありました。

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松本聡香【四女】

1989年生まれ。松本聡香は仮名です。教団での地位は正報師。これは麻原彰晃の妻である松本知子や三女よりも上の地位になります。地下鉄サリン事件当時はまだ幼児でした。

その後、教団を飛び出し野宿生活を送るなど、他の家族とは一線を画した行動をとります。松本聡香は家出後にジャーナリストの江川紹子氏に後見人を頼みますが、のちに江川紹子氏は辞任しています。

次女、三女、長男と異なり、松本聡香は明確に父親松本智津夫の死刑執行を主張しています。また松本麗華が出版した書物の内容は嘘だらけであるなど批判を続けています。

また、松本聡香は、幼児であることをいいことに競技を無理やり教え込まれるなど虐待を受けたので、両親である松本智津夫と松本知子を相続人から外すように訴えを起こし、認められています。

名前不明【長男】

1992年生まれ。名前は不明です。皇子の称号を与えられていました。学校に通うこともでき、子供達の中では比較的まともな社会生活を送ることができたようです。現在では次女・三女と一緒に暮らしています。

2014年にアーレフが自身の名前と写真を無断で教団活動に使用したことに対しての訴えを起こしますが、敗訴します。これは教祖でなければできない儀式に参加しており、教団の関わりや影響力がないとは言えないというものでした。

また、テレビ東京に対しても、松本智津夫の後継者のように報じたという内容で訴訟を起こしますが2018年3月15日に敗訴しています。

名前不明【次男】

1994年生まれ。名前は不明です。皇子、猊下の称号を与えられていました。現在では母親と一緒に暮らしています。

春日部共栄中学に合格後、学校から麻原彰晃の息子という理由で入学拒否を受け損害賠償請求を起こしています。

松本知子以外にも妻と子供が?麻原彰晃の愛人たち

麻原彰晃こと松本智津夫はオウム真理教教団内で、教祖という立場を利用して妻以外の多数の女性と肉体関係を持っていました。その数は100人を超えていたようです。

イニシエーションという宗教儀式の一環として信者の女性とセックスを行い、子供も生まれていました。

妻以外に複数の女性信者と関係していた

さて、妻以外の100人の女性信者と関係を持っていた麻原彰晃こと松本智津夫ですが、その中でも特に関係が深いと言われるのが石井久子です。

石井久子は教団での地位も正妻の松本知子と同じ正大師まで上り詰め、麻原彰晃の一番のお気に入りだったと言われています。

正妻である松本知子とはライバル関係にあり、石井久子と麻原彰晃のイニシエーション中は、部屋の前を正妻の松本知子がウロウロしていたと言われています。

子供の人数や名前は?

さて、麻原彰晃こと松本智津夫は正妻の松本知子(改名し松本明香里)との間に6名の子供をもうけていますが、それ以外に石井久子との間に3名、木田裕貴子との間に1名の子供をもうけています。

しかし、娘の松本麗華はその著書の中で「麻原彰晃は正妻の松本知子を含む4人の女性に、合計15人の子供を産ませた」と語っています。つまりもう一人女性がいてその方は子供5人生んでいる計算になります。

子供達の名前や現在の境遇は明らかになっていません。

松本知子と子供の現在は?

麻原彰晃の妻である松本知子(改名し松本明香里)とその子供達は現在どのように生活しているのでしょうか。子供達も松本麗華と松本聡香の対立などあり、家族は完全に分裂。安定した家族生活とは言えなそうです。

松本知子は松本明香里に改名

麻原彰晃の妻である松本知子は薬剤師リンチ殺人事件の出所後、松本明香里に改名しました。後継教団との関係は薄いと言われていましたが、アーレフから生活費の提供を受けていたことが明らかになります。

これは松本知子が書いた絵画の使用料として月々40万円をアーレフが支払っていたというもので、アーレフの上祐史浩氏もこれが松本知子とその娘達に対する実質的な生活援助だったことを認めています。

また、教団の運営についてアーレフが松本知子と三女にお伺いの文書を出していたことなども明らかになり、いまだにオウム関係の教団への影響力は失われていないという見方があります。

子供の進学先・就職先は?

麻原彰晃こと松本智津夫と、妻である松本知子の間に生まれた子供の進学先について、具体的にわかっているのは三女と次男です。

三女の松本麗華は中学校は小学校中学校は満足に通えませんでしたが、高校は日出高等学校の通信科を卒業。その後和光大学に合格するも入学拒否にあい提訴し勝訴。文教大学の人間科学部臨床心理学科に入学し、心理学を専攻。

その後はアルバイトをして生計を立てようとするが、松本智津夫の娘ということがわかるたびにクビになるなど社会生活は困難を極めます。現在ではオウム真理教の教祖家族としてのメディアでの活動、クリニックでの勤務で生計を立てているということです。

次男は春日部共栄中学校の入学試験に合格しますが入学拒否にあい提訴。その後の裁判がどうなったのかは不明です。ソースが探しても出てこないことを見ると示談になった可能性が高いのでしょう。

娘達の出版物

三女の松本麗華は「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」を出版し、オウム真理教の実態や人間麻原彰晃、そしてアーチャリーとして育てられた自分について語っています。少女の目を通して語られるオウム真理教像、麻原彰晃像です。

また、四女の松本聡香は「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか: 地下鉄サリン事件から15年目の告白」を出版しています。これは松本智津夫の娘で生まれてしまったがために、いじめにあったり社会に迫害された事実が綴られています。

どちらの書籍も、犯罪加害者の家族の告白本として重要な意味を持っています。

オウム事件は一つの区切りを迎えたのでしょうか

松本智津夫死刑囚の刑が執行され、事件は一つの区切りを迎えたかに見えます。しかし来年には新天皇即位が控えており、今年中に執行しないと恩赦になる可能性があるため、法務省側もかなり急いで執行に踏み切ったというのが一つの真実のようです。

また、この死刑という現実や、被害者遺族からの批判にさらされながら。松本智津夫の家族がどのように生きていくのか…。あまり語られることはありませんが加害者家族のその後をどのように考えるかという意味でも、注目していかなければなりません。

妻である松本明香里、子供の松本麗華、松本聡香などのキーマンの発言や動向に今後も目が離せません。
 

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