オウム真理教・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚ら7人の死刑が執行!

地下鉄サリン事件など、テロ事件の首謀格であった麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚と、オウム真理教幹部である6名の死刑囚が死刑執行されました。地下鉄サリン事件裁判の開始から20年。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が教祖であるオウム真理教の事件は区切りを迎えたのでしょうか。

オウム真理教・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚ら7人の死刑が執行!のイメージ

目次

  1. 12018年7月6日松本智津夫死刑囚ら7人の死刑が執行
  2. 2麻原彰晃(本名:松本智津夫) 死刑囚について
  3. 3麻原彰晃(松本智津夫) 死刑囚によって殺害された被害者
  4. 4死刑が執行された7人の死刑囚(オウム真理教元幹部)
  5. 5麻原彰晃(松本智津夫)ら7名の死刑執行までの経緯
  6. 6東京拘置所の独居房での麻原彰晃(松本智津夫)
  7. 7オウム真理教地下鉄サリン事件の節目
  8. 8オウム真理教による一連の事件は日本最大のテロ事件でした

2018年7月6日松本智津夫死刑囚ら7人の死刑が執行

2018年7月6日、オウム真理教元教祖麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら7人の死刑が執行されました。7人同日に死刑が執行されることは前代未聞であり、国内外で大きな波紋を呼んでいます。

この死刑執行で、現在に至るまで日本国内最大のテロ集団であるオウム真理教の一連の事件に一区切りがついたという見方がある一方、アレフをはじめとする後継団体の動きに警戒が強まっています。

地下鉄サリン事件など13事件で27名を死亡させた

7人の死刑囚は地下鉄サリン事件をはじめとする、オウム真理教による13事件で指揮・実行に直接関わっています。死亡者は27名に上り、その中にはオウム真理教の信者の内部粛清や巻き込まれた無関係の住人、報復された関係者などが含まれています。

死亡者以外にも関連した冤罪事件なども発生しており、逆にオウム真理教幹部で一連の事件の主要な実行犯の村井秀夫は、地下鉄サリン事件の直後刺殺されています。

オウム真理教による一連の事件は今でも日本列島最大のテロ事件として語り継がれています。

麻原彰晃(本名:松本智津夫) 死刑囚について

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚はカルト教団であるオウム真理教の教祖であり数々の殺人事件の首謀者でした。信者たちに絶大な権力を振るいマインドコントロールすることによって、犯罪に手を染めさせ自分の意にそぐわない人物を殺害していきました。

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚がオウム真理教を過激な団体に仕上げた背景には、ヴァジラヤーナと言われる「人間社会を武力によって破壊し作り直すことによって世界をあるべきバランスに整える」という過激なテロ思想がありました。

麻原彰晃(松本智津夫) 死刑囚の経歴

松本智津夫死刑囚はいかにして教祖麻原彰晃へ変貌したのか。ここではその歴史を追っていきましょう。

松本智津夫死刑囚は1955年に熊本県八代市で生まれます。先天性の緑内障のため左目がほとんど見えず、そのため盲学校に通うことになります。兄は全盲であり、この兄弟の視覚障害の原因は水俣病でないかと言われています。

しかし、右目の視力は1.0とよく見えたため、松本智津夫自身は普通の学校へ通いたかったようです。松本智津夫の実家は非常に貧しく、盲学校であれば学費がかからないための処置だったとも考えられています。

松本智津夫死刑囚は盲学校では目が見えたこともあり、ガキ大将的な存在でした。そして、中学・高校あたりになると東大を卒業して田中角栄のような指導者になりたいと考えるようになります。

そして上京し代々木ゼミナールで浪人生活を送りますが、3度受験に失敗して諦めます。この際に代々木ゼミナールで隣の席だった松本知子と知り合い結婚。

千葉の船橋市に引っ越し、鍼灸治療院と漢方薬局を開業しますが生活が困窮したり、薬事法違反で逮捕されたりとトラブルも起こします。

松本智津夫死刑囚は「病気を治すよりも、魂の救済を考えたほうが世のためになるのではないか」と考え始め徐々に宗教世界に傾倒していくようになります。

1980年に新興宗教団体阿含宗に入信しますが、教義に矛盾を感じ1982年に脱退。1983年には超能力研究の道場「鳳凰慶林館」を渋谷に開設します。これがオウム真理教の走りです。松本智津夫死刑囚はこの頃から麻原彰晃を名乗り始めています。

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オウム真理教・教団元代表の麻原彰晃(松本智津夫)

さて、鳳凰慶林館は開設から1年した1984年に「オウムの会」に変更し活動内容もヨガ道場となります。この時点では麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は「中性的なヨガの先生」といった感じだったそうです。教室自体は割と評判がよかったという話も残っています。

翌年1985年に三浦海岸での修行中に悟りを得たと言います。よく目にする麻原彰晃の空中浮遊の写真がこの年にオカルト雑誌「ムー」に掲載され、宗教家として注目され始めます。

さらに翌年1986年には「オウムの会」を宗教団体「オウム神仙の会」に改称。この頃にはすでに世界を武力で救うというような発言も出始めていたようです。そして、1987年宗教団体「オウム真理教」が発足。オウム真理教教祖「麻原彰晃」が誕生したのです。

その後はオカルト雑誌での広告や、積極的な勧誘で信者を増やしていきます。また、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚と幹部達は衆議院選挙へ出馬もし、世間への認知度を高めていきます。

オウム真理教には新興宗教団体としては比較的高学歴の信者が多く、若い女性信者が複数で大学内で入信へ勧誘活動をするなどして男性信者を増やした結果と言われています。

また、今回処刑された死刑囚達はもともと精神世界やオカルト、宗教的回心への興味や素養、適性が強い人物が多く、それが麻原彰晃のカリスマ性、神秘性にうまくはまってしまったという側面があるようです。

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は実際自分が言っていることをどこまで真実と思っていたのかという議論がありますが、脳科学者によると麻原彰晃自身が弟子に語る宗教体験や幻覚は実際に見えていたのではないかと言います。

しかしそれは悟りの結果というものではなく、遺伝等による脳疾患による可能性がある、または「脳梅毒」だったのではないかという説があります。実際に診断がされていないので不明です。

しかし、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の実家では親族に脳疾患での死亡者が出ていたり、松本智津夫を含め視覚障害の乳児が生まれているので、可能性はあるかもしれません。

さて、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は教団内で孤高のカリスマとして絶大に崇められるようになり、権力者として力を振るい始めます。

教団内でスパイを疑われる者の殺害、教団を糾弾する人物の殺害、ヴァジラヤーナに基づく社会の破壊活動。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は、理系の大学や大学院出身の幹部に兵器の製造を行わせ、様々な殺人事件の実行犯として担当させます。

1990年に麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は衆院議員選挙に出馬しますが惨敗し落選。ますますヴァジラヤーナとしてのテロ活動の方針を強め、ついに1995年に日本最悪のテロ事件、地下鉄サリン事件を起こします。

麻原彰晃(松本智津夫) 死刑囚によって殺害された被害者

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は実際の殺人の実行犯ではありません。しかし事件全ての指示を出し、テロリストの首班として関わっていました。殺人被害者数は総勢27人。いったいどのような事件を引き起こしたのでしょうか。

【オウム真理教在家信者死亡事件】被害者:田口修二さん(当時21歳)

1988年9月22日に発生した殺人事件です。殺人被害者はオウム真理教元信徒の田口修二さん(当時21歳)です。

事件の発端は、100日修行と言われる過酷な修行の最中に精神錯乱を起こした信者、真島照之さんの頭を冷やそうと、全身に水をかけたり浴槽に頭からつけたりしているうちに真島輝之さんは死亡してしまったことです。

当時オウム真理教は宗教法人の認可申請中だったため、影響が出ることを恐れた麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は事件を隠蔽することを指示。真島照之さんの遺体を焼却したあとバラバラに砕いて精進湖に廃棄します。

田口修二さんは焼却などの作業に参加しますが、教団のやり方についていけないと感じ脱会を申し出ます。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は「外に出て事件を漏らされたら困るからポアしろ」と指示し、田口修二さんをロープで絞殺後焼却処分しました。

【坂本堤弁護士一家殺害事件】被害者:坂本堤(当時33歳)、その妻、長男(当時1歳)

坂本堤弁護士一家殺害事件は1989年11月4日に発生しました。オウム真理教が起こした殺人事件の中でも、代表的な事件として語られることが多い事件です。

坂本堤弁護士は、オウム真理教信者の家族からいわゆる「家族脱会」の相談をされることが多くなっていました。その後「オウム真理教被害者の会」を組織するなどオウム批判の急先鋒として活動していました。

坂本堤弁護士の活動の結果、サンデー毎日やTBSなどでオウム真理教はインチキでカルトであるとする特集が組まれます。

これに危機感を覚えた教団は出版物の差し止め、番組放映の中止を求めますが交渉は決裂します。同じタイミングで坂本堤弁護士はオウム真理教の宗教法人の認可取り消しを求める民事訴訟の準備に入りました。

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は関連人物をポアすることを決めます。当初はサンデー毎日の編集長だった牧太郎を帰宅中に拉致し殺害する予定でしたが、雑誌編集者ということで時間が読めず襲撃計画が立ちづらいことからポアの対象は坂本堤弁護士になりました。

この殺害計画以前にはサンデー毎日の出版元であった毎日新聞本社を爆破する計画もありましたが、これは中止されています。

さて、実行犯である岡崎一明・村井秀夫・新実智光・早川紀代秀・中川智正・端本悟は殺害に使われる予定だった薬物の塩化カリウムを準備し、カツラやスーツなどで変装し、計画を決行します。

当初は洋光台駅付近で車で拉致後、塩化カリウムを注射して殺害予定でしたが、坂本堤弁護士が現れなかったため自宅へ向かいます。自宅には鍵がかかっておらず、坂本堤弁護士は家族と一緒にすでに就寝していました。

このため家族をどうするか早川紀代秀が麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚に電話で確認したところ、一家全員の殺害を指示されたため、坂本堤弁護士一家は全員絞殺されました。塩化カリウムは打つのに手間取っため死因とはなりませんでした。

この事件では神奈川県警の対応が問題となりました。オウムの関与は強く疑われていましたが、リークされ教団に逃げられることを恐れた県警は「坂本弁護士は大金を持ったままにげた」「内ゲバに巻き込まれた」など嘘の情報をマスコミに流しています。

坂本堤弁護士は共産党系の弁護士会に所属しており、労組関係の案件を多く担当しており、国家権力からそもそもよく思われていなかったという話があります。この坂本堤弁護士一家殺人事件は当時未解決事件となり、オウム真理教幹部は逮捕されませんでした。

【松本サリン事件】被害者:住民7人が死亡 2008年に冤罪被害者河野義行さんの妻も死亡

1994年6月27日に発生した松本サリン事件は、オウム真理教によるテロ事件です。この事件は、その後の地下鉄サリン事件につながる実験的な趣旨があったようです。

実行犯は村井秀夫・新実智光・端本悟・中村昇・中川智正・富田隆・遠藤誠一・渡部和実・藤永孝三。6月27日22時頃、長野裁判所宿舎付近で50分間に渡りサリンを噴霧します。この事件で近隣の住民7人が死亡。

当初警察は第一通報者の農家河野義行さんを犯人として逮捕しますが、地下鉄サリン事件が発生し冤罪であることが判明。河野義行さんの妻は松本サリン事件の被害者で、ずっと植物状態でしたが2008年に死亡します。

 

【薬剤師リンチ殺害事件】被害者:落田耕太郎さん(当時29歳)

薬剤師リンチ殺人事件は1994年1月30日に元信者の薬剤師落田耕太郎さんが殺害された事件です。事の発端は脱会した落田耕太郎さんが、信者の保田英明の母親でパーキンソン病を患っている女性信者の救出を計画した事でした。

落田耕太郎さんと保田英明、保田英明の父親とその弟計4名は、女性信者が暮らしている山梨県上九一色村の第6サティアンに向かいます。

落田耕太郎さんと保田英明の2名は潜入し女性信者を連れ出そうとしますが、途中で見つかり、第二サティアンの麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の部屋に連行されます。

そこで麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚、新実智光死刑囚、井上嘉浩死刑囚、松本智津夫死刑囚の妻松本知子ら教団幹部は「ポアするしかない」と結論を下します。

命乞いをする保田英明に対して、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は「落田耕太郎を殺したら、お前の命は助けてやる」と言います。保田英明は拘束された落田耕太郎さんを催涙ガスおよび絞殺という手段で殺害します。

その後、保田英明は週1日は必ず道場に顔を出すことを条件に返されますが、身に危険を感じ逃亡。秋田県に潜伏しているという情報を得た教団は麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の指示で拉致し殺害を試みますが、すでに逃亡した後でした。

その後アメリカに2年間潜伏するなどしましたが、その後逮捕。オウムによる一連の事件の裁判で保田英明は懲役3年執行猶予5年の判決を受けます。この事件は麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が唯一被害者の死亡に立ち会った事件と言われています。

【冨田俊男リンチ殺害事件】被害者:冨田俊男さん(当時27歳)

冨田俊男リンチ殺害事件は1994年7月8日に信者の冨田俊男さんが殺害された事件です。実行犯は新実智光、杉本繁郎、中村昇、他1名。事の発端は施設の浴槽にオウム真理教が開発した猛毒のイペリットが漏れ、女性信者が意識不明の重体になったことです。

村井秀夫は教団内にいるスパイの仕業とし、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は「教団が毒ガス攻撃の被害者だ」ということを宣伝するために犯人探しをします。

そして、根拠薄弱なスパイ調査が行われた結果、冨田俊男さんがスパイとして疑われ拷問を受けます。殺害方法はマイクロウェーブ焼却装置で生きたまま焼くことが予定されていましたが、抵抗したため失敗し、冨田俊男さんは絞殺され焼却後、川に投棄されました。

【会社員VX殺害事件】被害者:浜口忠仁さん(当時28歳)

1994年12月28日、大阪の会社員浜口忠仁さんは、オウム真理教からVXガスの攻撃を受け死亡します。これは世界でも初の、個人を狙ったVXガス殺人となりました。

浜口忠仁さんはオウム信者ではなく、女性信者からオウムの勧誘を受けていましたが教団とは関係ありませんでした。しかしオウムから分派しようとする一派や警察との関連を疑われ、スパイだと決めつけられ、ジョギング中に殺害されました。

実行犯は井上嘉浩、新実智光、中川智正、山形明、平田悟、高橋克也。

 

【公証人役場事務長逮捕監禁致死事件】被害者:仮谷清志さん(当時68歳)

1995年2月28日、目黒公証人役場事務長の仮谷清志さんは、大崎の路上で拉致され、上九一色村の第二サティアンで拷問中に死亡し、遺体焼却粉砕後、本栖湖に投棄されました。

オウム信者であった仮谷清志さんの妹は教団に数千万円の寄付をしていました。しかし、目黒公証役場の土地建物を含めた全財産時価2億7千万を教団に布施するように強要され逃亡。兄である仮谷清志さんに匿われます。

教団は妹の行方を探るため仮谷清志さんを拉致し、尋問することに決めます。実行犯は井上嘉浩、中川智正、中村昇、高橋克也、平田悟、平田信、松本剛、井田喜広。

拷問は麻酔薬のチオペンタールを自白剤として使うという教団内でよく使われた方法でしたが、失敗。過剰投与で仮谷清志さんは死亡します。この拷問には中川智正、林郁夫が参加しました。
 

東京の地下鉄車内でサリンを発散・12人を殺害

そして、1995年3月20日午前8時頃、オウム真理教は日本最悪のテロ事件「地下鉄サリン事件」を引き起こします。

実行犯は村井秀夫・井上嘉浩・林郁夫・新実智光・広瀬健一・北村浩一・横山真人・外崎清隆・豊田亨・高橋克也・林泰男・杉本繁郎・土谷正実・遠藤誠一・中川智正ほか女性信者2名。

死亡者13名、負傷者6000名以上。現場は地下鉄の車両内で千代田線、丸ノ内線、日比谷線。500〜600gのサリン溶液の入った袋を傘でつついて穴を開けるという散布方法がとられました。

この地下鉄サリン事件は、目前に迫っていたと言われる教団への強制捜査を撹乱する目的だったと言われています。同年1月には阪神淡路大震災が発生しており教団への操作が取りやめになっています。

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚と幹部は、大きな事件が起これば強制捜査のタイミングをずらせると考えていたようです。

死刑が執行された7人の死刑囚(オウム真理教元幹部)

2018年7月6日にオウム真理教教祖麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚および幹部の計7名は死刑が執行され死亡しました。死刑が確定した幹部たちはどのような人物でどのような犯罪で逮捕されたのでしょうか。

麻原彰晃(松本智津夫) 死刑囚

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は日本史上最大のテロリストです。犯罪は非常に多岐に渡ると見られていますが、起訴された案件は最終的に13案件まで絞られました。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚はその全てに対して無罪を主張しますが、死刑判決が下されます。


裁判中麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は、いわゆる「不規則発言」を繰り返します。突如英語で話し始めたり、意味不明の発言をしたり…。裁判の進行を遅らせるのと、精神障害による責任能力がない状態という判決を狙ってと見られています。

2004年2月27日に死刑判決が出た後も控訴を行いますが、2006年9月15日に最高裁により死刑が確定します。

その後、面会に訪れた親族らによって、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚は拘禁症で赤ん坊のような精神状態になっており、責任能力がないという主張がありました。

詐病だったのではないかという話もありますが、拘置所の職員が明らかにしないため、拘置所内での麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が本当に精神病だったのか詐病だったのかは明らかになっていません。

しかし、死刑の前に遺体の引き渡し先を四女にするように刑務官に伝えたという話があり、そうなると精神状態がしっかりしていたと言えます。最も法務省関係者が四女にするように誘導したという説もあり、真実はまだ不明です。

中川智正死刑囚

中川智正死刑囚は京都府立医科大学を卒業し医師免許を持っていました。教団が起こした事件ではまず坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯、その後サリン製造の製造と、松本サリン事件及び地下鉄サリン事件の実行犯として関わりました。

最終的には逃亡中に爆弾を製造し、都庁に送りつける「都庁小包爆弾事件」を引き起こします。1995年5月17日に逮捕。2003年10月29日に死刑判決が下されます。判決後控訴しますが2011年11月18日死刑が確定します。


裁判では11件25人の殺害に関わっていたとされ、オウムの一連の事件を通して首謀者として麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚から重用されています。パーソナリティーとしては優柔不断で操られやすい性格でした。洗脳は裁判のわりと早い段階で解けていたようです。

死刑判決後、アメリカ毒物学者アンソニー=トゥーとの交流がスタート。民間で初めてVXやサリンなどを殺人に使用した経緯を記録し研究するためという趣旨でした。2018年には、このアンソニート=トゥーと連名でVXガスに関しての論文発表を行っています。

金正男がクアラルンプール空港で暗殺された際には、VXガスで死亡したのではないかという推測を、アンソニー=トゥーにいち早く手紙で送っています。金正男暗殺について記した中川智正死刑囚の論文が2018年7月に公開される予定だそうです。

新実智光死刑囚

新実智光死刑囚は「日本語のわかるドーベルマン」「ミニ麻原彰晃」「最も血なまぐさい男」などの異名があります。数々の残忍な犯罪に関わりました。地下鉄サリン事件後は「グル(麻原彰晃)の意思を達成できてよかった」とコメントしていたそうです。

前述の殺人事件の中で関与していなかったのは公証人役場事務長逮捕監禁致死事件のみ。26人の殺人に関わりました。1995年4月12日逮捕。

死刑執行まで麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚からの洗脳は解けず、獄中からもアレフ信者への指導を手紙で続けていました。2010年2月16日に死刑が確定します。

井上嘉浩死刑囚

井上嘉浩死刑囚は、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚から「死神をも騙す」と言われたほどの嘘つきだったと言われています。残忍な性格でもあり、殺人の際には断末魔を面白がったり殺人を楽しむ様子があったと、同じく死刑になった幹部連中からも評されています。


公証人役場事務長逮捕監禁致死事件の実行犯や、地下鉄サリン事件の首謀者として教団内でも権力があった幹部です。勧誘が得意で、女性信者に人気がありプレイボーイだったようです。1995年5月15日逮捕。

2000年6月6日に無期懲役判決を受けますが、検察が控訴し、その後信者や同僚幹部の証言などで旗色が悪くなります。2004年9月28日に最高裁で死刑判決が言い渡されます。井上嘉浩死刑囚も判決後控訴しますが棄却。2010年10月12日に死刑が確定しました。

早川紀代秀死刑囚

早川紀代秀死刑囚は他の幹部よりも年長で、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚よりも年上だったため、裏のトップと言われ教団に君臨していました。

坂本堤弁護士一家殺害事件に実行犯として参加、サリン製造のプラント造りにも関与しています。後年はロシアを頻繁に訪れ、ロシア高官とのパイプづくりを主な任務としていました。1995年4月19日逮捕。2009年7月17日死刑が確定します。

裁判が進行するにあたって帰依していた麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚に幻滅するような事実が次々と判明し、洗脳が溶けます。性格的には根本的に、単なる精神世界好きなおじさんだったと言われています。

土谷正実死刑囚

1995年4月26日逮捕。土谷正実死刑囚は実行犯としては犯罪に関与していませんが、テロに用いられたサリン製造に成功し、無差別大量殺人を可能にした罪で2004年1月30日死刑判決が出ています。判決後控訴しますが2011年2月15日に死刑が確定。

土谷正実死刑囚は筑波大学大学院出身で、修士課程の最中に土谷正実死刑囚をオウムから脱会させようとする家族と、奪い返そうという教団の攻防の的になりました。最終的には家族から逃亡しオウムの出家信者となり、サリン製造を受け持つことになります。

裁判の中で麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が、自分だけ助かろうとしているのではないかという不信感が芽生え、精神状態がおかしいという話を聞いた際に詐病だと確信したことから洗脳が解けます。その後は後継団体アレフとの関係も絶っています。

裁判中は検察や裁判官に挑みかかるような姿が多く見られましたが、洗脳が解けた後は遺族に申し訳ないと反省する姿が見られたようです。2009年に以前から交流のあった女性と獄中結婚しています。

遠藤誠一死刑囚

遠藤誠一死刑囚は殺人事件だと松本サリン事件、地下鉄サリン事件の実行犯です。テロ生物化学兵器担当として他にも多くの未遂事件に関わっています。帯広畜産大学卒業。


同じく幹部である土谷正実死刑囚とは犬猿の仲でした。遠藤誠一死刑囚の作った生物兵器はことごとく失敗しており、土谷正実死刑囚の作ったサリンは成功していたためです。1995年5月15日逮捕。

裁判では当初罪状をすべて認めて反省する姿を見せていましたが、途中から弁護人を変え無罪を主張し始めます。死刑を回避するためだったと見られており、土谷正実死刑囚からは「嘘つき」「遠藤と村井秀夫がいたから教団崩壊した」と言われました。

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚からの洗脳は最後まで解けませんでした。2002年10月11日に死刑判決。判決後控訴しますが棄却され2011年11月21日に死刑が確定します。

麻原彰晃(松本智津夫)ら7名の死刑執行までの経緯

麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚や幹部7名が死刑を執行されるまでには、逮捕から20年かかりました。死刑判決が出ていない他の被告人の裁判や、被告人自体が他の裁判の証人として有用だったため、刑がなかなか執行されませんでした。

 

東京拘置所の独居房での麻原彰晃(松本智津夫)

東京拘置所においての麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の様子は各種異論があります。まず、精神崩壊しており一人で食事ができない、糞便をたれ流す、言葉を発せない、知ってる人が来てもわからない、娘の前でオナニーするなどというものです。

しかし、これを詐病であると捉える声は多いです。責任能力のなさをアピールするための行動であるというわけです。となると、人が見ていないところでは正常に行動できていることになりますが、これについては報告がされていないのでわかりません。

「自身の遺体の引き取り手」は四女と伝えたと言われていますが、これがどのような方法で伝わったのかによって、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚がどのような状況だったのかがわかるでしょう。今のところまだ不明です。

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オウム真理教地下鉄サリン事件の節目

地下鉄サリン事件は麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚をはじめとする7名の主犯の死刑執行によって、一応の区切りがついたという風潮ですが実際どうなのでしょう。オウム真理教の後継の宗教団体アレフの動きはどうなのでしょうか。

地下鉄事件から23年後の節目!異例の死刑執行?

今回の死刑執行は異例のスピード感で行われました。最後に死刑囚らが関わる裁判が終わったのが2018年1月25日の高橋克也被告の無期懲役が確定した案件ですから、そこからわずか半年のしかも同日というのはこれまで例がありません。

理由としてよく言われるのが来年新天皇即位が控えており、恩赦の可能性があるためです。実際は凶悪犯の場合恩赦を適用する義務はないようですが、平成から新元号へ切り替わり、天皇即位のおめでたい年に7人もの死刑を執行するのは好ましくないでしょう。

ですので、今年の死刑執行を逃すと再来年以降の執行になってしまう可能性を危惧した法務省が、異例のスピード執行に踏み切ったと言われています。

テロの危険性?後継団体アレフからの報復の可能性は?

さて、今回死刑が執行されたことに当たって懸念されているのが、オウム真理教の後継宗教団体アレフをはじめとする信者たちの報復です。

事実、アレフは死刑執行すれば災いが起こるというような警告を発表しています。西日本豪雨が麻原彰晃の祟りであると言うような風潮がアレフ信者の間で広がっており、アレフ等の後継宗教団体にとっては絶好の布教機会、既存の信者の帰依を深める機会です。

また、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の遺骨がどうなるかも問題になっています。アレフとの付き合いがあると考えられている妻および次男に渡すとアレフの聖遺物にされることは確実です。また三女派(三女、次女、長男)に渡すのもアレフとの関係が不透明。

そうなると、相続人も放棄しアレフなどのオウム関連の団体との関連がないと言われている四女に渡すしかない…ということで、法務省が遺骨の受取人を四女に指定したのではないかという説があります。

この後アレフなどオウムの後継宗教団体の間で聖遺物争奪戦が始まるのか、もし麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の墓の場所などがわかったらアレフなどの宗教団体の聖地とされてしまうのではないかなど、懸念が広がっています。

オウム真理教による一連の事件は日本最大のテロ事件でした

いかがでしたでしょうか。今回はオウム真理教の幹部7人の死刑執行についてお伝えしました。

地下鉄サリン事件は新興宗教団体によるテロとして日本や世界を揺るがし、またその犯罪の多さや複雑さから裁判をして判決が確定するまで15年以上近く、刑の執行までは20年以上かかりました。死刑になった被告以外にも非常に多くの逮捕者を出しています。

今後はアレフなど、後継宗教団体がテロ活動を行わないか、同じような悲劇を繰り返さないためにもしっかり監視していく必要があります。

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