加藤智大死刑囚の現在や生い立ち!秋葉原通り魔事件の真相とは?

2008年歩行者天国を一瞬で地獄に変えた秋葉原通り魔事件。犯人加藤智大の特殊な生い立ちが注目されますが、起こした事件は決して許されないものです。7人が亡くなり、10人が重軽傷を追った秋葉原通り魔事件の真相、そして、加藤智大の現在の様子をお伝えします。

加藤智大死刑囚の現在や生い立ち!秋葉原通り魔事件の真相とは?のイメージ

目次

  1. 1秋葉原通り魔事件とは?
  2. 2加藤智大の人柄や経歴!生活に不満を持っていた?
  3. 3秋葉原通り魔事件のきっかけとなったのは?
  4. 4加藤智大が秋葉原を犯行場所に選んだ理由は?
  5. 5加藤智大の母親について【秋葉原通り魔事件】
  6. 6秋葉原通り魔事件・加害者家族のその後
  7. 7秋葉原通り魔事件の後追い事件
  8. 8秋葉原通り魔事件の真相はなんだったのか

秋葉原通り魔事件とは?

2008年6月8日、歩行者天国で賑わう秋葉原の交差点で起こった想定外の悪夢。目撃者も一瞬ドラマの撮影ではないかと目を疑う光景でした。平和な日常を一瞬にして奪う自己中心的な殺人鬼、加藤智大の出現に、現場は凍りつきました。事件の概要をみていきましょう。

死亡者7名・負傷者10名の残虐な通り魔事件

通り魔事件と呼ばれていますが、犯人の加藤智大は、2トントラックで突っ込んで5人をはねました。その後加藤智大は、騒然とした交差点内に歩いて戻り、ダガーナイフを使って、はねられて倒れている男性の左背中を刺し、その場に居合わせた人12名に次々に切りつけました。

わずか2分程度の間に被害者17名、そのうち7人が亡くなり10人が重軽傷を負う惨事を加藤智大は起こしました。要請に応じて救急車が到着したものの1台では全く足りず、救急隊員も呆然としてしまうほどでした。加藤智大一人が殺傷するには、あまりにも多い被害者数でした。

秋葉原の現場に居合わせた医師が救急外来の経験を持っており、的確な応急処置を全力で行いましたがすべての命を救うことはできませんでした。突然、事件に巻き込まれ、加藤智大に命を奪われたり、後遺症を負わされた被害者家族の悲しみや怒りは、10年経った現在も消えていません。

社会を不安にした無差別殺人

平成になってから、無差別の通り魔殺人事件が複数起こっており、現代社会の歪みや、ストレスなどが社会問題として取り上げられることが増えていました。しかし、加藤智大の生い立ちがどうであれ、関係のない相手を被害者にする加藤智大の行為は卑劣で、反社会的です。

秋葉原通り魔事件犯人の加藤智大は、レンタカーを用意した上、なんの関わりもない人々を標的にしました。加藤智大にはただの群衆としか思えていなかったのでしょうか。白昼堂々、加藤智大による殺戮(さくりく)が実行されてしまったことが大きな問題となり、危機管理に対する議論がされ、歩行者天国も取りやめになっています。

また、秋葉原通り魔事件が起こる7年前の同じ日、偶然にも2001年の6月8日に大阪教育大附属池田小学校での無差別殺傷事件が起きています。犯人の加藤智大は、2005年4月『仙台アーケード街トラック暴走事件』、2008年3月『土浦連続殺傷事件』を参考にしたと証言。事件が加藤智大を刺激したようです。

狂気に満ちた犯罪が立て続けに発生しており、秋葉原通り魔事件の真相、加藤智大の生い立ちや異常性を分析することで、犯罪抑止に繋げなければならないとして世間の注目があつまりました。加藤智大の人柄や生い立ち、派遣労働増加などの加藤智大に影響を与えた社会背景を分析することが真相解明につながるでしょう。

加藤智大の人柄や経歴!生活に不満を持っていた?

無差別殺人により多くの被害者を出し、その場で犯人の加藤智大は逮捕され、死刑囚となり、現在も収監されています。加藤智大死刑囚の生い立ちや人間性は、事件の真相に深く関わっています。加藤智大は、心に闇を抱えていた、生い立ちがやばい、母親からスパルタ教育を受けていたことが事件発生当時、話題になりました。

加藤智大は精神鑑定で責任能力ありと判定されたものの、社会に受け入れられ難い価値観を持っていました。秋葉原通り魔事件を起こした加藤智大死刑囚の経歴や犯行に至った精神状態など、真相に迫る内容について詳しくみていきましょう。

加藤智大の経歴について

秋葉原通り魔事件犯人の加藤智大は、1982年青森県五所川原市に生まれ、圏内随一の進学校『県立青森高校』、2001年『中日本自動車短期大学』に進学。2003年同校を卒業し、仙台市の警備会社に就職。2年で退職し、埼玉県上尾市の自動車工場に契約社員として入るものの、1年で退職しました。

次に加藤智大は、茨城県つくば市の住宅メーカー工場に勤務しましたが、3ヶ月で退職。青森に戻り、大型免許を取得し地元の運送会社で運転手として働き、正社員になりますが、2週間の旅行休暇が認められなかったことをきっかけに退職します。

その後、静岡裾野市の自動車メーカーの工場に就職。2008年の犯行当時、加藤智大がこの工場を辞めた直後でした。

加藤智大の経歴・生い立ちを追っていくと、県内一の進学校を卒業、母親への反抗心から4年生大学には進学せず、自動車短期大学に進学、学業怠勤で整備士資格は取れないまま卒業…と、何をしても満足できず迷走している様子が伺えます。職を点々とし、不安定な派遣労働者として加藤智大は不満を抱えていました。

しかも、嫌なことがあると無断欠勤など無言の抗議で行うなど、加藤智大は、社会との接点を自らたち切るやり方で退職していました。いつも自分がなにかに邪魔されている、不当な扱いを受けているという思いが加藤智大の中には蓄積していきました。

社会人ならば、現状を変えるにはどうすべきか上司や友人に相談したり、気持ちを吐き出すことで適応していくものです。特異な生い立ちが歪んだ価値観を持った加藤智大。加藤智大が、加藤智大自身の歪んだ心と向き合うきっかけを与えられる人物と出会っていたら、現在の加藤智大は変わっていたかもしれません。

加藤智大の交流関係・理解者はいなかったのか

加藤智大の誤った執着を解いてくれる理解者がいたら、秋葉原の雑踏を狙った秋葉原通り魔事件はおきなかったのではないかと考えると悔やまれます。加藤智大は引きこもりでもなく友人がいました。しかし、加藤智大の理解者となると、クセの強い加藤智大の性格から難しかったようです。加藤智大の交流関係や理解者についてみていきましょう。

掲示板に居場所を求めた加藤智大

人間関係が上手くいかず、職場を転々としていた加藤智大死刑囚。加藤智大は、家族との関係も破綻していました。尾上市の自動車工場の寮で過ごしているころから、加藤智大はネット上の掲示板に入り浸るようになっていきます。

加藤智大は、イケている友人とつるんでいても、消耗するほど相手に合わせなければ関係が作れませんでした。こだわりが強い『加藤智大』を受け止めてくれる相手はなく、本来の『加藤智大』を殺して、ウケの良い『加藤智大』を演じて社会に溶け込むストレスを抱えていました。そんな加藤智大でも、携帯掲示板では自由に発言できたのです。

加藤智大は、掲示板サイトで知り合った友人との関係に執着し、携帯サイトでトラブルになると自殺を考えるほどでした。加藤智大が旅行休暇が認められず退職したことがあり、旅行の目的は、加藤智大が掲示板で知り合った相手と合うためでした。加藤智大の行動の真相には、ネット掲示板への執着が色濃く関わっていたのです。

家族関係は破綻していた

加藤智大死刑囚は、家族との関係が救いになることもありませんでした。スパルタ教育に燃える母親、それを放置する存在感の薄い父親、加藤智大より3歳年下の弟、加藤優次がいましたが、加藤智大と支え合う関係は生まれませんでした。加藤智大と家族の関係は破綻していました。

子供時代の加藤智大死刑囚が、母親から激しい叱責を受けるときにも、父親や弟の加藤優次は黙認しており、後のインタビューで弟の加藤優次は、兄である加藤智大を『アレ』と呼んでいます。加藤智大の家族は、気持ちがすれ違い、暖かい家庭を築けない関係だったのです。加藤智大は心を育むチャンスに恵まれませんでした。

絶対君主の母親と無関心な父親

また、加藤智大死刑囚は進学校に入学を果たしたものの、優秀な学生の中に埋没。「母親は期待通りの姿にはなれなかった加藤智大を見捨てて弟、加藤優次に愛情をかけている」と加藤智大は感じていました。加藤智大が暴力を振るうことがありましたが、父親は止められませんでした。

子供の頃から続いた母親からの抑圧、劣等感や無力感が加藤智大の異常な思考を作っていきました。加藤智大異常性は虐待が原因だと同情する声も聞かれますが、母親の暴走を止めず、加藤智大に親として関われなかった父親にも責任があるでしょう。教育心理的にも、思春期に父親など将来像のモデルになる人物が身近にいることはとても重要です。

いつも自分は絶対だという態度を取っていた母に反発していた加藤智大。がんこで執着を捨てられない部分は母から受け継いでしまったようです。加藤智大は、今までの理不尽な扱いに対する恨みに執着し、他人が出来ない大きな犯罪の実行を宣言することで世の中にインパクトを与えられると信じていたのかもしれません。

他人はモブキャラ~自分中心の思考

コミックスやアニメの中には、その他大勢のモブキャラが登場しますが、加藤智大にとって自分以外の人間は、『加藤智大のストリー』に登場するモブキャラでしかなかったのでしょうか。

加藤智大には、標的となった秋葉原を通行中だった被害者に対して、それぞれ人生があり家族があるという思考が欠落していました。犯行はためらいなく、相手に命があることを無視したように冷徹です。加藤智大は不遇なことを嘆いて社会を攻撃したと言いたげですが、破滅的な行為に無関係の人を被害者として巻き込む卑劣な犯罪を犯したのです。

加藤智大の現在

2018年現在も加藤智大は、死刑囚が収監されることの多い、東京拘置所に収監されています。秋葉原通り魔事件の後、加藤智大の父親と母親は離婚、加藤智大の弟、加藤優次は自殺し、加藤智大の家族はバラバラになりました。最高裁での訂正申立などを経て2015年2月17日に、加藤智大の死刑が確定しました。

死で罪を償うという考えから、加藤智大死刑囚は、決まった労働作業をしていません。加藤智大は自由な時間を、イラスト製作、執筆活動などに充てています。『死刑囚表現展2017』で加藤智大の作品は入賞しています。加藤智大が描いたのは、鬱という文字でドットを埋めて描いたものでした。

事件の再発防止や、贖罪(しょくざい)を目的として、『解』(2012年)、『解+』(2013年)、『東拘永夜抄』、『殺人予防』(2014年)など、秋葉原通り魔事件と生い立ちについての書籍を、加藤智大は出版しています。加藤智大は、現在もナルシストで自分中心な思考に執着していることがわかります。

加藤智大の起こした事件被害者やその家族の気持ちを考えると、弟、加藤優次が自殺した現在も、秋葉原通り魔事件を起こした実行犯の加藤智大死刑囚が生きているというのは複雑な気持ちになります。加藤智大に突然人生に幕を引かれた被害者の生きる権利が軽んじられているように感じられてしまいます。

死刑囚の死刑執行までの平均的な収監年数はおよそ7年、最短でも2年。記憶に新しい2018年7月6日に死刑執行されたオウム真理教麻原死刑囚で死刑確定から12年かかっています。現在、加藤智大死刑囚は、東京拘置所で規則正しい生活を送りながら、死刑の執行を待っています。

秋葉原通り魔事件のきっかけとなったのは?

犯人の加藤智大死刑囚は、秋葉原通り魔事件当日、携帯電話の掲示板サイトに殺人予告の書き込みを行いました。リアルな世界に理解者を見いだせなかった加藤智大死刑囚にとって、掲示板サイトは特別な場所だったのです。

秋葉原通り魔事件を誘発した出来事に、掲示板でのなりすまし書き込み、つなぎ紛失事件があります。なりすまし犯への憎しみ、自分は否定され認められていない存在だと突きつけられる思いを加藤智大は強くし、無差別殺人を決意しました。加藤智大が起こした秋葉原通り魔事件の真相を詳しくみていきましょう。

携帯サイトの掲示板でのなりすまし書き込みが原因か

携帯サイトの掲示板では、加藤智大死刑囚はブサイクやオタクなど自虐ネタとも言える書き込みをしていました。掲示板ウケしそうな内容を加藤智大は書き込み、反応を得ることで加藤智大自身の存在意義を感じていたので、なりすまし犯人に対して、異常なまでの怒りを覚えています。

そして、とうとう2008年2月に、加藤智大は秋葉原での殺人予告を書き込んでしまいます。6月8日、秋葉原通り魔事件が起きた当日には、ドラマの主人公『加藤智大』にでもなったように、事件予告から実行直前までを、加藤智大は掲示板に書き込み続けました。

後に、「書き込んだことで追い詰められ秋葉原通り魔事件を実行した」という意味のことを加藤智大は言っており、事件を起こしたのは、自分のせいではないと主張しているかのようです。

「注目を集める方法で仕返しがしたい」という加藤智大の身勝手な欲求を満たすために、前代未聞の秋葉原通り魔事件を起こしたというのが真相ならば、生い立ちの特異性が加藤智大にあったとしても、加藤智大の身勝手な犯行であり、被害者やその家族があまりにも気の毒です。

雇用形態に不満があったのか【つなぎ紛失事件】

犯行当時、加藤智大の直前の勤め先は、静岡県裾野市の自動車メーカーの工場でした。嫌がらせだったのか、真相はわかりませんが、この工場でロッカーに入れてあったはずの加藤智大死刑囚のつなぎがなくなりました。

気づいた加藤智大死刑囚は異様な叫び声をあげ、持っていた缶コーヒーを壁に投げつけてキレてしまいます。加藤智大著書の『解』の中でもそのことに触れ、嫌がらせを受けたので怒りに任せて職場放棄したと書いています。そこにはキレやすい加藤智大の姿がありました。

岐阜県中日本自動車短期大学卒業後、加藤智大は職場を転々としていますが、ほとんど契約社員でした。「派遣はだまっていろ」と黙殺されたり、安い給料で、いつ契約が打ち切りになるかもわからない不安定な待遇に加藤智大は不満を持ち、存在を認められないことへの怒りを溜め込んでいたようにも思えます。

いつも何かが自分の邪魔をする

秋葉原通り魔事件の犯行当日も、携帯サイトへの加藤智大の書き込みは続いています。「いつも何かが自分の邪魔をしているようだ」という書き込みが、加藤智大の人生観を物語っています。自分が思い描いていることが実現できないのは、他人や社会のせいだと加藤智大は考えていました。

中学生までは、明るい優等生を演じ、加藤智大の評判は悪くありませんでした。良い子を演じて相手を騙せた…と加藤智大が言っているように、コミュニケーション能力は高く、加藤智大は引きこもりではありませんでした。

自分の気持を抑え込んで人より優位にある、必要とされる人間だと思い込むことで、加藤智大は精神バランスを取っていた印象を受けます。

加藤智大は、弟、加藤優次に母の期待が寄せられること、学業に打ち込めず進路が迷走したこと、派遣先で認めてもらえないこと、彼女ができないこと、本当に必要としてくれる相手ができないこと、すべての原因は社会や他人にあると考え、被害者は加藤智大自身だとでも言いたげな価値観を持っています。

加藤智大は携帯サイトに居場所を見つけ、掲示板で友人や彼女を作ろうとしていました。しかし、好意を持っていた女性に彼氏がいた事、一番親しかった友人に彼女ができるなど加藤智大にショックを与える出来事が続きました。

他人を信じることができない心理状態になった加藤智大は、世間に復讐し驚かせることで、加藤智大という人間の凄さを見せつけてやろうと犯罪を計画したというのが真相に近いかもしれません。

秋葉原通り魔事件の犯行3日前のなりすまし事件、つなぎ紛失事件が、加藤智大死刑囚の特異な生い立ちで形成された鬱積を決壊させ、『破滅的な行為で社会に影響を与えたい』というドス黒い思考で支配した…これが、動機の真相となるのではないでしょうか。

加藤智大が秋葉原を犯行場所に選んだ理由は?

加藤智大は、携帯サイトではオタクキャラを演じ、埼玉県上尾市で働いているときには、秋葉原に出向くこともあったと言います。

『携帯サイトに集まるのはオタクが多い』と考えると、オタクの聖地とも言える秋葉原は、世間の注目を集めやすく、携帯サイトの荒らし行為への不満を表明するのに好都合だと加藤智大は考え、秋葉原を犯行の舞台に選びました。事件の状況から真相に迫っていきましょう。

自殺ではなく他殺を選んだ加藤智大

加藤智大死刑囚は、自殺未遂の経験があります。2006年3月、青森のバイパスでトラックで対向車線に突っ込もうとしましたが、縁石にぶつけて走行不能になり自殺は失敗に終わりました。携帯サイトでトラブルがあり居場所を失ったのがきっかけでした。さすがに死を意識したとき怖くなったのではないでしょうか。

犯行2日前、加藤智大は携帯サイトに『やりたい事…殺人』、『夢…ワイドショー独占』と書き込んでいます。自分の不遇を嘆いて自殺するのではなく、破滅的な方法で復讐しようとした加藤智大死刑囚。死にたいから死刑になる犯罪を犯した他の犯罪者とは少し違っているように感じられます。

存在意義を否定され続けた加藤死刑囚は、ひっそり自殺するよりも、派手にたくさんの被害者を巻き込んで、今までにない犯罪を起こすことを選んでしまったのです。犯人を特定できない携帯サイトのなりすまし犯への仕返しだと加藤智大は主張しており、全く身勝手な犯行です。

日曜日の歩行者天国に2tトラックで突っ込む

オタクの聖地秋葉原で無差別な通り魔事件をおこせば、掲示板になりすましの投稿をした奴らをはじめ、社会に恐怖を与えられると加藤智大は考えていました。2005年4月『仙台アーケード街トラック暴走事件』、2008年3月『土浦連続殺傷事件』を参考にしたことがわかっています。

結果的に2トントラックでの犯行となったのは、4トントラックを借りるつもりが出払っていたからです。大型免許をもち、トラック運転手の経験が加藤智大にあったことを考えると、『誰にでもできない大型車を使った犯行』というところにこだわりを感じていたのかもしれません。

いずれにせよ、加藤智大が行った、たくさんの歩行者がいる歩行者天国に、ジグザグ走行で突っ込み、人を跳ね飛ばすなど、人を人と思わない極悪な行為です。

所持していたナイフは8本

犯行に使われたのはダガーナイフ。兵士が肉弾戦に使う用途で作られた形状をしています。これは犯行2日前、福井県の量販店で加藤智大が購入したものです。このとき5本のナイフを一度に買っており、加藤智大は犯行時に、8本のナイフを所有していました。

秋葉原通り魔事件を教訓に、殺傷能力の高い刃物の取扱、販売ルールが変更されました。銃刀法の改正により、現在、刃渡り5.5センチ以上の刃物所持は銃刀法違反になることがあります。

加藤智大の母親について【秋葉原通り魔事件】

加藤智大死刑囚の歪んだ人格を語るとき、その母親のスパルタ教育ぶりが虐待だったとして取り上げられています。一体どんな仕打ちを息子の加藤智大に行っていたのか、弟、加藤優次も同じ目にあっていたのかなど、母親との関係をみていきましょう。

教育熱心な母親!虐待が行われていた

・九九が覚えられないと浴槽に頭をつけられる
・雪で靴を濡らしたときには寒空のなか裸足で屋外に出される
・食べ物を新聞紙の上にばらまかれたべさせる
・泣くとタオルを口につめガムテープで止め屋根裏に閉じ込める
・見て良いテレビはドラえもんと日本昔ばなしだけ

加藤智大の生い立ちに関するエピソードは虐待と言われても仕方ないものばかりです。作文のときには教師受けのする内容に書き換えさせ、質問のあと10秒カウントダウンが始まり、答えられないとビンタが飛んできます。

母親は、息子加藤智大を出来の悪い子と言っていました。教育熱心で、母親の目指す良い子を作るために、加藤智大に能力以上の努力を無理強いしていたのです。本来男の子は、母親と距離を取るべき時期がありますが、加藤智大は、母親の過干渉から自然な成長を歪めてしまっていたのです。

加藤智大が中学生になり、体格的にも対抗できる様になってくると、家庭内で暴れるようになり、壁に穴を開けたり、母親に殴りかかるなどの問題行動が表出します。弟の加藤優次が高校へいけず引きこもりになり、母親の熱意が家族を幸せにするものではなかったことに、母親自身も気づいていたでしょう。

「兄が母のコピー1号なら僕はコピー2号」

加藤智大は母親に絶対服従の中で育ち、「加藤智大は母親のコピー」と発言しています。弟の加藤優次は、加藤智大がコピー1号なら弟の自分はコピー2号だが、犯罪者にはならないし、加藤智大のようにはならないと言っています。

加藤優次は、怪物のコピーとしてマスコミに追われ、平穏な生活を奪われました。事件があった当日から職場や住居に取材が押しかけました。あれ程の犯罪を起こした加藤智大の弟が何を語るのか、そしてどんな暮らしをしているのか、何か贖罪(しょくざい)をするのかなど、注目を集め追い詰められていきました。

父親も弟も加藤智大への虐待に無関心だった

加藤智大死刑囚は、母親から虐待と呼べるような扱いを受けていました。新聞紙に食事がばらまかれたときにも、弟の加藤優次と父親は、横目でその光景を見ながら食事を続けていました。かばったり、母親の行動をたしなめる言葉をかけても通じないと諦めていたのか、無関心でした。

一番殺したいのは母親、二番目に殺したいのは父親だと加藤智大は思うようになっていきました。家族は安らぎや心の支えではなく、思い通りにならない人生を送る羽目になった原因を作った加藤智大が恨むべき対象となってしまったのです。

拘置所収監後、現在まで、加藤智大は、父親や弟が面会しようとしても決して会うことはありませんでした。

秋葉原通り魔事件・加害者家族のその後

7人の死者、10人乗重軽傷者を出した秋葉原通り魔事件。加藤智大死刑囚の母親、父親、弟の加藤優次との関係、生い立ちが凶行に走らせたと言う世論に、家族は苦しみました。事件後から現在までの加藤智大の家族の様子について紹介します。

父親は離婚後に実家へ

加藤智大死刑囚が暴力的になったり職を転々としたりする状況や、弟の加藤優次が引きこもりを経験するなど、家族としてこのままやっていくことは難しいと力尽きたように、離婚を決意します。離婚が決まったのは、加藤智大死刑囚が青森に戻り、家族とのやり直しができるのではと期待したタイミングでした。

秋葉原通り魔事件後、父親と母親はそろって謝罪会見を行い、息子の加藤智大の罪を誤りきれないと頭を下げています。その後、父親は会社にいられなくなり退職。現在も加藤智大の父親は、実家に一人でひっそりと暮らしています。加藤智洋とも面会していません。

母親は精神病院へ

加藤智大の母親が行った虐待とも言えるスパルタ教育は、世間から非難の的になりました。地域の教育アドバイザーを務めるなど加藤智大の教育に熱心でしたが、行き過ぎた行動は異常なレベルでした。心血を注いで育てた息子の加藤智大が、期待通りの姿にならずに焦るほど、事態が悪化していくようでした。

秋葉原通り魔事件を加藤智大死刑囚が起こしてしまった後は、精神のバランスを崩し、精神病院に入院しました。退院後、実家に身を寄せていましたが、実母が亡くなるなど不幸に見舞われました。現在は、青森市内の質素なアパートに引きこもって生活しています。加藤智大とも面会していません。

弟は自殺

兄の加藤智大とは違うと言いながら、マスコミ・世間の目に追い詰められていった弟の加藤優次。自殺に至るまでの流れを整理してみましょう。

転職・引越し後もマスコミの追従で疲労

秋葉原通り魔事件を知った加藤智大の弟、加藤優次は、すぐに退職届を出し、マスコミ取材が落ち着くのを見計らって引っ越しました。しかし、あの秋葉原通り魔事件の犯人の弟だという事実が消すことが出来ず、マスコミの追従をうけていました。

職場を変えても、家族の話題に触れることが出来ず、人付き合いも制限しなければなりませんでした。世論では、おぞましい犯罪者、加藤智大の弟なのだから苦しんでも当然、家族として責任を取れという意見にもさらされました。

加害者家族を理由に結婚を断られる

秋葉原通り魔事件から1年ほどして、加藤優次には交際相手が出来ました。打ち明けるかかなり迷ったものの加藤智大との関係を告白。彼女は、彼が凶悪事件の加害者家族であることを受け入れてくれました。ところが、結婚を考える頃になると、事態は一変します。

『家族すべてが異常だ』と、加害者家族であることを理由に去っていきました。あの加藤智大の弟ということは、あの母親に育てられ、凶悪犯罪者の血が流れているということです。幸せな結婚生活が続けられるか不安になって当然です。この交際相手との別れは、加藤優司にとって大きな心の傷となりました。

どこまでも、兄の加藤智大の影響を引きずって生きるしかない弟。同じ家庭で育ったことは消せない事実です。加藤智大とは関係ないところでいきられない事実に苦しんでいました。

加藤智大から面会を拒否されていた

子供は生まれてくる家庭を選ぶことが出来ないのですから、加藤優次の生い立ちには同情すべき点があったかもしれません。いつも母親に辛く当たられる兄、加藤智大の姿を見せられ、母親に絶対服従しなければならない生活と、兄、加藤智大はダメなやつと刷り込まれていきました。

交際相手に家族すべてが異常だと別れを告げられ、兄、加藤智大とは違うことを会って確かめたかったといいます。『死ぬ理由に勝る、生きる理由がない』と250ページに渡る手記をしたため、2014年、加藤優次は自殺してしまいます。

秋葉原通り魔事件の後追い事件

2008年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件は、テレビカメラが現行犯逮捕される加藤智大を捉えていた事もあって、よりセンセーショナルに報道され、多くの人に衝撃を与えました。被害者側からするととんでもない事件ですが、社会に不満を持つ者の中には、加藤智大に共感を覚える人間もおり、触発されて起きた事件もありました。

マツダ本社工場連続殺傷事件

2010年6月22日午前7時35分、湯治歳の元期間従業員、引寺利明が広島県のマツダ本社敷地内をおよそ10分に渡ってデミオで暴走。1人が亡くなり、11がはねられたり、ショルダーバックを引っ掛けられるなどして重軽傷を負わせました。被害者12名は全員マツダの従業員で、労災認定が下されています。

引寺利明は、地元工業高校を卒業後、派遣社員としてマツダと取引のある会社などを転々とし、2010年3月にマツダが直接雇用する期間従業員として採用されました。「仕事中自宅に侵入された」、「ロッカーの中の配置が変わっている」など周囲への不信感を強めていました。

2008年5月には自己破産を経験しており、派遣の不安定な雇用形態や、社会への不満をつのらせ、6月に発生した秋葉原通り魔事件、犯人加藤智大に共感を覚えていました。マツダ本社工場連続殺傷事件を起こしたときには、犯行に使ったデミオから刃渡り18センチの包丁も見つかっています。

宇都宮市連続爆発事件

2016年10月23日、午前11時33~40分頃にかけて、栃木県で3つの爆破事件(コインパーキング、宇都宮城址公園、容疑者宅)が連続的に発生。犯人の栗原敏勝(当時72歳)はネットに秋葉原通り魔事件のような犯罪を起こしたいと書き込み、加藤智大に共感していました。

宇都宮市内のコインパーキングでの爆発から6分後、宇都宮城址(じょうし)公園で人が燃えているのが発見され、同時刻頃に、容疑者宅の屋根が吹き飛び騒然となりました。宇都宮城址公園で燃えていたのは、犯人の栗原敏勝で、死亡が確認されました。犯人以外の被害者は、近くを通りかかった中学生など3名でした。

栗原敏勝は元自衛官で、家庭の不和に悩んでいました。娘が統合失調症になり、治療とため妻が宗教にのめり込み、退職金の2000万円をつぎ込んでしまうなど、絶望的な状況に追い込まれていたとブログに書き込んでいました。犯人の妄想だと妻は主張しており、真相はわかりません。

現代の派遣労働者や家族のあり方が事件を生んだのか

秋葉原通り魔事件が起こる以前にも、無差別殺人が社会問題になっていました。対人関係の中で恨みを持っている個人に対してではなく、加藤智大のように社会や秋葉原にいる群衆など、特定した個人ではない対象に向けられており、被害者にとって理不尽以外の何物でもありません。

加藤智大は、世の中の何もかもが嫌になって、めちゃめちゃになればいいと秋葉原通り魔事件を起こしました。加藤智大のように気持ちが病んでくると、加藤智大が自分の代弁者だと感じるケースがでてきます。加藤智大のような自暴自棄と、幸せそうな人々に苦痛を与えてやりたいという間違った考えに取り憑かれてしまうのです。

悲しむ家族や友人の顔や、自分が大切にしてきたものへの誇りを失っても良いのかという、人間なら持ち合わせているはずのブレーキが加藤智大にはなかったようです。極端な自己中心的な加藤智大の人間性がどのように作られたのか、加藤智大が事件を起こした真相を明らかにし、今後の犯罪抑止に生かしていくべきでしょう。

秋葉原通り魔事件の真相はなんだったのか

秋葉原通り魔事件から10年が過ぎました。2015年に加藤智大の死刑が確定し、死刑は未執行です。加藤智大が自分の人生の理不尽を訴えたかったのだとすれば、突然、なんの関係もない加藤智大に命を奪われた7人、後遺症によりその後の人生が大きく変わってしまった被害者とその家族にやりきれなさが残ります。

加藤智大の生い立ちに同情的な意見を言ったり、現代の人間関係が希薄なことが原因とされることもありますが、加藤智大はとんでもない犯罪を身勝手な価値観で実行してしまったのですから、正当化できるものではありません。

両親は離婚、弟、加藤優次は自殺、マスコミの加熱報道を避難する人もいますが、家族を大事に思う気持ちがあれば、こんな事件を起こさなかったでしょう。加藤智大は間違いを犯したことを猛省し、加藤智大死刑囚として刑が執行されるのを待つ現在を送っています。二度とこうした犯罪が怒らないことを祈るばかりです。

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