天才たちの伝説エピソード!凡人には理解不能な逸話を紹介!

天才とバカは紙一重と言われるように、天才と呼ばれる人々の歴史には、凡人には思いつきもしない、変人とも思える理解不能なエピソードがたくさん隠されています。この記事では、天才たちの歴史から、彼らの成功の一端が垣間見れる伝説エピソードをご紹介します。

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目次

  1. 1天才たちには伝説エピソードがつきもの
  2. 2天才の理解不能な逸話【勉強方法編】
  3. 3天才の理解不能な逸話【変人の行動編】
  4. 4天才の理解不能な逸話【アスリート編】
  5. 5天才の理解不能な逸話【経営者編】
  6. 6天才は努力でつくられている

天才たちには伝説エピソードがつきもの

天才には、一歩間違うと変人といわれかねない伝説がたくさんあります。ここでは、彼らの逸話の数々をご紹介していきます。凡人にも見習える話がきっとあるに違いありません。

天才の理解不能な逸話【勉強方法編】

天才たちはどのように勉強をしていたのでしょうか?ここでは、3人の天才の勉強方法にまつわるエピソードをご紹介します。

実験大好きなトーマス・エジソン

トーマス・エジソンは、生涯で1000を超える特許を取得したアメリカの有名な発明王です。「天才は1%のひらめきと99%の努力である」という有名な言葉を残した彼は、どのような勉強をしていたのでしょう?

トーマス・エジソンの伝説エピソード①実験しすぎて小学校退学

トーマス・エジソンは小さいころから好奇心が強く、とことん実験をして真理を追究したので、変人だと思われていました。しかし、彼にとっては、実験が勉強そのものだったのです。

小学校でも、物が燃える仕組みを知りたくて、ワラを燃やす実験をして火事騒ぎを起こし、3か月で小学校を退学になってしまったという逸話が残っています。

トーマス・エジソンの伝説エピソード②母がすごい

小学校を退学になったエジソンを助けたのは、元小学校教師の彼の母親でした。彼に勉強を教え、科学の原理に興味があるとわかると、自宅の地下に実験室や実験のための薬品などの用意し、徹底的にサポートしたのです。

「母がいなければ、発明家になっていなかったろう」とトーマス・エジソンが語ったという逸話が残されています。

超努力家な野口英世

野口英世は有名な日本の細菌学者です。貧しい家に生まれ、手に障害を持ちながらも、努力を重ね、6か国語をあやつり、ノーベル賞の候補に3回もなった天才でした。彼の勉強方法にまつわる逸話をご紹介します。

野口英世の伝説エピソード①並外れた集中力

野口英世の勉強方法のコツは、並外れた集中力でした。語学は全て独学で勉強し、たった3か月で1つの言語の原書を読むことができるレベルにまで達しました。

集中して勉強するので、一度辞書で調べた言葉はすぐに暗記し、当時難関といわれていた医術開業試験にも、たった1回で合格しています。

野口英世の伝説エピソード②睡眠は3時間

野口英世の名言に「努力だ。勉強だ。それが天才だ。誰よりも3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。」という言葉があります。

アメリカでの研究所時代、「日本人は2日に1回眠るだけ。」と揶揄されるくらい、彼は睡眠時間を削って研究に没頭しました。1日3時間しか眠らなかったというエピソードもあるほどです。

読書が大好きなウォーレン・バフェット

ウォーレン・バフェットは、アメリカでもっとも成功した天才投資家で、資産総額が8兆を超える大富豪です。ここでは、彼の勉強にまつわるエピソードをご紹介します。

ウォーレン・バフェットの伝説エピソード①1日の8割は読書

ウォーレン・バフェットは、投資家になる秘訣を聞かれたときに、「1日に500ページのレポートや財務資料を毎日読めば、そこで学んだ知識は複利のように増えていく。簡単なことだが、みんなやらない。」と答えています。

その言葉のどおり、彼は1日の労働時間の8割はオフィスに座り、読書に費やし勉強しているという逸話があります。

ウォーレン・バフェットの伝説エピソード②ビジネスは実地で学ぶ

ウォーレン・バフェットは、子供時代からビジネスを実地で学び、その経験が現在のカリスマ投資家の礎になっています。

それは、6歳のときにコーラを売って20%の利益を生み出したことから始まり、小学生のときには、ゴルフコースの池の中に落ちているボールを拾ってパックにして売ったり、競馬新聞を発行するなど、さまざまなビジネスに挑戦したというエピソードが残っています。

いずれも、凡人には理解しがたいエピソードです。

天才の理解不能な逸話【変人の行動編】

天才の行動には、凡人には理解できない行動が多々あります。ここでは、3人の天才にまつわる、もはや変人の域に達しているエピソードをご紹介します。

常識外れなスティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズは、シリコンバレーで大成功をおさめた伝説の天才です。しかし、その成功とは裏腹に、多くの人に変人だと思われていました。彼が変人と呼ばれる理由となる逸話をご紹介します。

スティーブ・ジョブズの伝説エピソード①ナンバープレートなし

スティーブ・ジョブズは自分の車にナンバープレートをつけたことがありませんでした。カリフォルニア州では、車を購入後半年以内に装着すればOKという規則があり、彼はこれを逆手にとって、半年ごとに車を買い替えていたのです。

ナンバープレートをつけた方が楽なはずなのに、凡人には思いもよらない、まさに変人の行動です。

スティーブ・ジョブズの伝説エピソード②ひたすらクビにする

スティーブ・ジョブズは経営者としてはまちがいなく変人の部類でした。

エレベーターで乗り合わせた社員が、自分の仕事をきちんと回答できなかったという理由でクビにし、iPhoneのパスワードを設定していなかった社員をクビにしと、彼が社員をすぐクビにした逸話はキリがありません。

最後には、クビにされることを「スティーブされる」と、社員たちが陰で揶揄するほどでした。

詐欺師でパフォーマンス過剰なサルバドール・ダリ

サルバドール・ダリはスペインの有名画家で、自身を天才と称して、さまざまな奇行や奇抜なパフォーマンスを行ったことでも有名です。彼の変人もしくは詐欺師とも思える逸話をご紹介します。

サルバドール・ダリの伝説エピソード①パフォーマンス大好き

サルバドール・ダリは有名な画家であると同時に、奇抜なパフォーマンスを行う変人としても、マスコミの間で有名でした。

講演会に潜水服で現れ、呼吸困難になったり、凱旋門にゾウに乗って登場したり、自分が大好きなカリフラワーを満載したロールスロイスでスピーチ会場に登場したりと、その変人とも言えるパフォーマンスにはキリがありませんでした。

サルバドール・ダリの伝説エピソード②金の亡者

サルバドール・ダリがオノ・ヨーコに、自分の口ひげを1本1万ドルで売りつけ、口ひげの代わりに枯草を送った詐欺話は有名です。彼には、他にも詐欺師ともいえる逸話があります。

レストランで支払するときに、店員の前で小切手の裏に簡単なスケッチをしてから渡したのです。有名画家のスケッチが描かれた小切手を換金するわけがないことを承知の上というのですから、金の亡者のようです。

頭脳明晰な手塚治虫

手塚治虫は、戦後日本の漫画家としては草分け的な存在です。彼の天才としての逸話をご紹介します。

手塚治虫の伝説エピソード①医者か漫画家か

手塚治虫は大学時代に漫画家としてプロデビューし、連載を開始していました。同時に、医師免許試験に合格したのですから、まさに天才といえる頭脳の持ち主です。

患者を診ると、カルテに似顔絵を描いてしまうという理由で、漫画家の道を選んだという逸話が残っていますが、この理由も凡人には理解しがたいものがあります。

手塚治虫の伝説エピソード②速読の達人

手塚治虫は速読の達人で、20分で500ページの本を読破したという逸話があります。平均睡眠時間4時間の激務をこなしながら、つぎつぎと新しいアイディアを繰り出せたのは、この速読の才能のおかげだったのです。

天才の理解不能な逸話【アスリート編】

スポーツ選手の中にも天才と呼ばれる人々はたくさんいますが、彼らの輝かしい結果の裏には、血のにじむような努力が隠されています。ここでは、3人の有名なスポーツ選手のエピソードをご紹介します。

大器晩成的な長友佑都

サッカー日本代表の長友佑都は、現在スュペル・リグ・ガラタサライに所属するプロのスポーツ選手です。小柄ながら、圧倒的な走力と守備力は、他者の追随を許さないサッカーの天才です。彼の知られざる逸話をご紹介します。

長友佑都の伝説エピソード①ユースに落ちていた

有名な長友佑都ですが、小学校のころはスポーツの天才とは言えませんでした。サッカーを小学校1年生から始めるも、6年生で受けた愛媛ジュニアユースのセレクションでは、落選したというエピソードが残っています。

しかも中学入学後、サッカー部では大してサッカーの練習はせず、学校や部活をさぼっては仲間とゲームセンターで遊び、プロスポーツ選手への道からは大きく外れていました。

長友佑都の伝説エピソード②太鼓の達人

大学では、サッカー部に入部したものの、身体の故障が原因で、スタンドで応援する日々が続きました。そのとき注目されたのが、彼の応援太鼓の技量とセンスです。実は長友佑都は幼い頃から和太鼓を習っていたため、太鼓がとても上手かったのです。

あまりに上手過ぎて、鹿島アントラーズのサポーターから太鼓要員として勧誘をうけたという逸話もあります。

超ストイックな内村航平

内村航平は日本で初めて体操のプロスポーツ選手となったひとです。そのストイックな練習ぶりは他の選手を凌駕し、スポーツ選手のなかでは、努力型の天才と呼ばれています。ここでは、彼の凡人には理解しがたい逸話をご紹介します。

内村航平の伝説エピソード①O脚矯正

体操は技の一瞬の美しさを競うスポーツです。完璧な美しさを目指すため、自分のO脚気味な脚を気にしていた内村航平はあることを実践しました。

両膝を柔道の帯できつく縛り、就寝していたのです。激しい痛みのはずですが、「美しい演技のためなら、この痛みもしょうがない」と、ストイックにO脚矯正に取り組み、さすがに親に止められたという逸話があります。

内村航平の伝説エピソード②筋トレはしない

よくスポーツ選手が器具などの使って筋トレをする光景をよく目にします。しかし、内村航平は他のスポーツ選手のように器具をつかった筋トレは全くしません。

それにも関わらず、あの磨き上げられた筋肉でいられるのは、すべて1日5時間、週5日おこなうストイックな体操の練習のおかげなのです。

駆け引き上手な錦織圭

世界的にも有名な錦織圭はプロのテニス選手です。彼にまつわる天才エピソードをご紹介します。

錦織圭の伝説エピソード①スカウトキャラバンに落選

有名なプロテニスプレーヤーの錦織圭ですが、小学校6年生のときに日本のプロテニス協会が主催する「ニュージェネレーション・スカウトキャラバン」に落選したことがあります。

小さい頃から、優れた俊抜力と駆け引きのうまさに定評がありましたが、体力面が足りないと、当時は判断されたのです。でもそのおかげで、米国にテニス留学し、才能が開花したことを考えると、天才が世に出るには、めぐりあわせも大切といえます。

錦織圭の伝説エピソード②サッカーも得意

錦織圭は小さい頃から、水泳、野球、サッカーなど、テニス以外のスポーツにも挑戦していました。特にサッカーは、大好きなスポーツで、5歳から小学校6年までかなり本格的にやっていたのです。

しかも、サッカーが好きだった理由は、司令塔のようにゲームメークを考えるのが楽しかったからだというのですから、やはり駆け引き上手なのは、小さい頃からの才能だといえます。

天才の理解不能な逸話【経営者編】

経営者にも天才はたくさんいます。ここでは、3人の天才経営者の凡人には理解できない逸話をご紹介します。

信念に忠実な本田宗一郎

本田技研工業の創業者、本田宗一郎は、あくまで技術者であることに誇りを持ち、120%の良品を生み出すことに、その人生をかけました。この天才にまつわるエピソードをご紹介します。

本田宗一郎の伝説エピソード①作業着は技術者の正装

本田宗一郎が勲一等端宝章を受賞したときのエピソードです。作業着が技術者の正装だと主張し、親授式に作業着で出席しようとしたのです。

凡人は、恐れ多くも作業服なんてと考えてしまいますが、自分の信念に忠実な彼ならではの発想です。しかし、最終的には周囲の説得に屈し、礼服で親授式に出席しました。

本田宗一郎の伝説エピソード②汚れた手は技術者の勲章

本田宗一郎が引退後に全国をまわって、全社員とあいさつしていたとき、ある工場でひとりの社員が握手の直前に逃げだしました。彼は、油で汚れた手で握手をするのは失礼だと考えたのです。

しかし、本田宗一郎は「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きなんだ。」と言いながら握手をしたというエピソードがあります。技術者としての誇りを忘れない彼ならではのセリフです。

合理的なマーク・ザッカーバーグ

マーク・ザッカーバーグは、ユーザー数20億人を超える超巨大ソーシャルメディア企業Facebook社の創業者です。ハーバード大学を中退し、Facebook社を立ち上げた天才の伝説エピソードをご紹介します。

マーク・ザッカーバーグの伝説エピソード①いつも同じ服装

マーク・ザッカーバーグは、超成功者であるのに、いつも同じようなTシャツにジーンズという服装をしています。

これには天才ならではの理由があります。何を着るかなどのどんな小さい決断でも、繰り返すと無駄なエネルギーを消費してしまうので、もっと重要な決断にそのエネルギーを注ぎたいからという理由です。

ビジネスを大成させる天才は、合理的に日常生活を過ごす技を身につけているということです。

マーク・ザッカーバーグの伝説エピソード②巨額買収話を断る

Facebookを開業後すぐに、いくつもの買収提案がマーク・ザッカーバーグの元に舞い込みました。その中でもYahoo!から買収提案はなんと1000億円でした。

しかし彼は、いずれの買収話も自分の信念には合わないと合理的に判断し、断りました。彼がやりたかったのは金儲けではなく、世界により良いサービスを提供し、インパクトを与えることだったからです。

心くばりのできる素直な松下幸之助

パナソニックグループの創業者、松下幸之助は経営の神様と呼ばれる天才です。彼にまつわる凡人には理解不能な逸話をご紹介します。

松下幸之助の伝説エピソード①いくらで売ったらいいですか?

ソケットを開発したものの、売値がわからなかった松下幸之助は、いくつもの問屋さんに、「いくらで売ったらいいですか?」と馬鹿正直に聞いてまわったというエピソードがあります。

あの天才がそんなことを?とびっくりしますが、素直な心で物事をありのままに見ようという彼の姿勢が、適正値段を聞いてまわるという行動をとらせたとすれば納得です。

松下幸之助の伝説エピソード②解雇してやる

戦後間もないころ、独立するために依願退職した社員がいました。それを聞いた松下幸之助は、依願退職なんて損だから、解雇してやると言ったという逸話が残っています。

そして、その場で解雇として再処理して退職金を上乗せしたのです。今なら労働基準監督署ににらまれそうな行動ですが、これは松下幸之助から社員へのせめてもの心くばりでした。

天才は努力でつくられている

いかがだったでしょうか?天才と呼ばれる人々も、はじめは凡人です。あきらめずに努力し続けるからこそ、天才でいられるのです。凡人だからとはじめからあきらめてしまったら、何も起こりません。一歩一歩進む努力をして、明るい未来を目指しましょう!

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