メアリー・ベル事件!サイコパス殺人鬼メアリー・ベルの現在と生い立ち

最年少のサイコパスと呼ばれたアメリカの少女、メアリー・ベルが起こしたメアリー・ベル連続殺人事件についての詳細に迫りました。 メアリー・ベルはどのようにして生まれ何故歴史に残る大罪を犯したのか、事件の全容、その背景を紐解いていきます。

メアリー・ベル事件!サイコパス殺人鬼メアリー・ベルの現在と生い立ちのイメージ

目次

  1. 1最年少のサイコパス、メアリーベル事件とは?
  2. 2メアリーベル事件の概要を解説
  3. 3メアリーベルの生い立ち
  4. 4メアリーベル裁判の判決
  5. 5メアリーベルの自伝、魂の叫び
  6. 6メアリー・ベルの現在の様子は?
  7. 7サイコパスとは何か?
  8. 8神戸連続児童殺傷事件

最年少のサイコパス、メアリーベル事件とは?

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わずか11歳の少女が3歳と4歳の男児を死なせた。「恐るべき少女」と呼ばれたメアリー・ベル。この連続殺人事件は一体どのようにして起きたのか、なぜ起きたのか、事件の詳細を紐解いていくと、少女の悲しい生い立ちが明らかになっていきます。

世界中が震撼した史上最年少連続殺人事件

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「わたしが ころした。だから また やってくる」
子供による子供殺し。しかも殺人犯は史上最年少の子供。現在は美しい景観を誇るイギリスのアポンタイン郊外の保育所に一枚の犯行予告文が置かれました。

それは子供が書いたいかにも子供らしい殺人の予告を示す稚拙な文書でした。しかし警察というものは過去も今現在をもってしても事件が起きた“後”被害者がでなければ動くことはできません。

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その2か月後、予告通りに犯行が行われました。わずか3歳の子供が被害者として見るも無惨な姿で発見されたのです。事件の被害者となった子供の遺体の腹部には刻まれた“M”の文字。そして被害者の子供の遺体からは男性器が切り取られていました。

それはわずか10歳の子供、少女が鈍重な警察を挑発し、たきつけた歴史的瞬間でした。その子供の名はメアリー・ベル、世界中から“恐るべき少女”と呼ばれた少女は自らもまた地獄のような生い立ちの中で育ち、殺人事件をもって社会へSOSの信号を送り続けました。

人間の愚かさ、貧困の闇、子供の無邪気さが生み出した悲しい事件として現在もこの事件の研究が少年犯罪の教材のようなできごととして取り扱われています。

10歳の少女は人間の心を持たない悪魔だったのか?

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現在では少年犯罪はよくあることとして認知されてしまっていますが、この当時10歳の子供が殺人を犯すなど誰も考えもしませんでした。シリアルキラー、殺人鬼、ジェノサイダー、そして今ではサイコパスと呼ばれる連続殺人犯です。恐るべき少女と称されたメアリー・ベル事件の異常性は一体何だったのでしょうか。

それは事件をひとつのショーのように構成していたことです。これは今では劇場型事件と呼ばれています。被害者の遺体に“M”と刻み、髪と性器を切り取った凄惨な事件は初犯ではなかったのです。その事件の2か月前1968年5月25日、メアリーは当時4歳だった男児を空き家で絞殺しています。

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しかし、この事件はメアリー・ベル自身が予想していたセンセーションを起こしませんでした。メアリー・ベルは事件を通して大人たちから、世間から注目を集めたかったのです。そのために被害者の遺体をもてあそび、メッセージを残し、世間が注目せざるを得ない事件を起こしました。

そのメッセージの裏には、悪魔のような両親から虐げられながら生い立ちの中で育ち、誰からも愛されることなく育った悲しい少女の悲痛な愛への渇望というものがありました。

メアリーベル事件の概要を解説

メアリー・ベル事件を時系列に辿っていくと、初犯は1968年5月25日、最初の被害者となった少年を絞殺しました。わずか10歳の少女が殺害に用いた手段は絞殺、遺体に痕跡にも残らず警察は突然死と判断しました。

その後メアリー・ベルは保育所を荒らしたり、犯行を示唆する行動をとるものの虚言癖として扱われ、逮捕・裁判は行われませんでした。その2か月後、友人と共に次の犠牲者となった少年をまたも絞殺した後、被害者の遺体にMという文字を刻み毛髪と性器を切り取るなどの凌辱を加え、世間はこの事件を注目し始めました。

この絞殺死体をプロファイリングした後、少年犯罪の可能性が浮き彫りになり、メアリーにも嫌疑をかけられます。この時メアリーは捜査官に「何度も私が殺したの」と声をかけていたそうですが、やはり生い立ちの中で染み付いた虚言癖だと判断され、事件の解決に至りませんでした。

4歳の男児が薬物中毒死(1968年5月)

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1968年5月25日に最初の犯行が行われました。メアリーは当時4歳だったマーティン・ブラウンを空き家に来るように促しました。メアリー・ベルは少年を背後から絞殺しました。メアリーに運が味方したのはこの時です。絞殺跡が残らずに少年の死因が判定できなかったのです。

警察はこの事件を突然死と判断しました。メアリーは憤慨し、周囲の住民や捜査をする警察にさえも「私がやったの」と吹聴してまわったのですが、「メアリー・ベルには虚言癖がある」として有名であり、誰も少女の言う言葉を信じることはしませんでした。

メアリーはこの事件を通して注目を浴びたかったという目的があります。その後、友人のノーマ・ベル(名字が一緒だが血縁関係はない)と保育所に侵入し、犯行を匂わせるメモを置いてまわり、次の犯行の準備を着々と進めていきました。

3歳の幼児が殺害される(1968年7月)

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2度目の犯行は世間にセンセーションを巻き起こしました。最初の事件からその2ヶ月後、ニューキャッスル・アポンタイン郊外のスコッツウッド、メアリーは共犯者の存在を得ることになります。それはファミリーネームを名が同じくも赤の他人であるノーナ・ベルの存在でした。

ノーナ・ベルはメアリーのような悲惨な生い立ちの下で育ったというわけではありませんしたが、軽度の知的障害がある、いわゆる知恵遅れでした。しかしメアリーと友情を育み、メアリーの考えや、犯罪の意思に共感を覚えました。人を殺したいという同好の士を得たメアリーは、当時3才だったブライアン・ハウを保育所にて絞殺しました。

しかし、以前と同様の方法ではまたも事件は注目を得られないのではないかという憂いを感じたメアリーは、その後、犯行現場に戻り、被害者ブライアンの腹部にMの文字を刻みました。

これはメアリーの名のMでした。そしてハサミでブライアンの髪を切り、男性器を切断するという凶行に及び、被害者の遺体は凄惨な陵辱が加えられていました。

鋏に関する証言が決め手となり逮捕

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「わたしがやったの」「わたしが殺したのよ」自分自身で周囲に吹聴してまわってまでも虚言癖だからとみなされ逮捕されなかったメアリー・ベルはいかにして逮捕されることになったのでしょうか。

この時警察は捜査の末に少年犯罪であるというところまでは焦点を絞ることができていました。周辺地域の子どもたちに事情聴取を行ってもいました。

そして遺体の陵辱された痕跡から一つの事実に辿り着いていました。それは、遺体を刻んだ刃物がハサミであったことです。そしてある時メアリーは警察にいつものように私がやったという旨の言葉を投げかけますが、言ってはならない言葉を言ってしまいました。

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「犯人はあの子よ。凶器は鋏だったんでしょ。だって鋏を持っていたわ」この時、ハサミで遺体が切り刻まれたことは極秘事項であったのです。この一言がメアリー・ベルを逮捕するきっかけとなりました。

逮捕後はずっと黙秘を続けてたものの、共犯者ノーマの証言で犯行の経緯や物的証拠の隠し場所などが判明し、1968年12月17日「メアリー・ベル事件」の裁判でメアリーは有罪判決を受けて服役することになりました。

メアリーベルの生い立ち

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メアリー・ベルの事件を知る人、またメアリー・ベルの事件を調べた人は皆この事件を凶悪なサイコパス事件という味方から「起こるべくして起きた悲しい事件」「異常な両親が作り出した事件」「社会が生み出した事件」という見方にかわります。

それは現在出版されているメアリー・ベル自身が出版した本から、メアリー・ベルを描いた映画から、記録されている裁判の記録からメアリーの生い立ちを辿ることが適うようになり、その生い立ちがいかに苦しく悪質なものであったのかという事実を知ることができたからです。

悪魔のような母親の娘としてメアリー・ベルがあまりに悲惨な生い立ちの中で育ち、常識や倫理が全く無い異常な生い立ちの中で育てられたがために、現在でいうところのサイコパスと呼ばれるような性格を生い立ちの中で形成していったからです。

メアリーベルの家族構成

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薬物中毒者で娼婦の母親の虐待、妻のヒモとして就労を行わずに育児放棄を決め込んでいた父親がメアリー・ベルの両親でした。メアリーは娼婦の仕事の際に身籠ったために誰が娘の実の父親かはわかりませんでした。

メアリーに兄弟はいませんでした。モンスターを作り上げた真の犯人である、恐るべき少女メアリー・ベルを世にはなった二人の存在に迫っていきます。

母親ベティ・ベル

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メアリー・ベルが罪を犯したその要因に最も強い影響を与えたのは母親のベティの存在でした。ベティ・ベルは薬物中毒者で、売春婦をしながら未婚のまま実父もわからず17歳で娘のメアリーを産みますが、その際に「この娘をどこかにやって!」と叫んだそうです。

ベティは一切の愛情を娘に抱かず邪魔者扱いをしていました。娘のメアリーがそのドラッグを誤って服用し瀕死の最中をさまよったこともあります。娘の心を傷つけたエピソードとして、ベティは何度も故意に娘にアフター・ピルを飲ませて実の娘を殺害しようとしたことです。

この事件の爆心地はベティの存在です。モンスターは自然に生まれたのではなく、愛を与えるべき母親の娘に対する歪んだ育成が事件の発端になったのです。

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そして事件のその後のベティはなおもメアリー・ベルを苦しめます。ベティは娘の情報をマスコミや週刊誌に売って生計を立てていたのです。薬物中毒も治らず、この事件の諸悪の根源なのではないかと思えるような人物でした。

しかし、ベティの死後、ベティの自宅の机の引き出しからは、大量の「娘からの手紙」が見つかりました。これは匿名の、事件を面白がった人間からの悪戯の手紙であったのですが、それでもベティはこの手紙を大切に取って置き、何度も何度も読み返したそうです。

悪というものは一体何なのだろうかという疑問が残るようなエピソードです。

父親ビリー・ベル

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ビリー・ベルは実の父ではなく継父でした。ベティのヒモとして働かずに自堕落な生活を送り、母親と同じく娘となったメアリーには強い関心を抱かなかったそうです。一家はベティの娼婦としての稼ぎと生活保護で暮らしていました。

母親ベティは娘のメアリーに、ビリーを「叔父さん」と呼ぶように徹底させていました。それは、ビリーが「父親」となると、生活保護が減額させられてしまうからでした。10歳の娘は誰からも守ってもらうこともなく、また10歳の娘が求めてたいであろう“愛情”が存在しないおいお立ちの中で育ったのです。

しかしその反面、ビリーは唯一娘を人間扱いし、比較的優しく接した存在でもありました。ビリーは、娘と血はつながってはいませんでしたが、娘をある程度は可愛がっていました。出かけるときに娘を一緒に連れ出しては娘の話し相手になったりして、娘の最低限の人間性はビリーが形成したようなものでした。

メアリーベルはどんな娘だったか?

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家族構成と両親の異常な生活からわかる通りに、このように10歳の娘は愛情というものが与えられずに、虐待ともいえる行為を受けながら育ちました。このような生い立ちの中で育ったら、メアリー・ベルのような娘といわず、誰しもが歪んだ価値観や性癖を抱くものです。

メアリーは逮捕後の取り調べに対して「自分よりも弱い、抵抗できない存在を痛めつけることが楽しい」「殺人なんて大したことではない。人間はいつか死ぬのだから」と述懐しています。

命や生命の尊厳に対して極端に軽薄な価値観を持っていて、またそのような尊い存在を自分自身が得ることができなかった反動として憎悪を抱くようになっていったといわれています。

事件の背景には成育歴がある

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私たちがもし金銭的・精神的に生活に困り、ソーシャルワーカーのいる役所に行ったり、精神科医のいる心療内科にかかると、初回の面談で生育歴、つまり知る限りの家族構成や過去に自殺を行った親族はいるかという記録を取られます。

一見自分自身が原因だと思われるようなできごとも、心を扱う専門家はまず生育歴を探り、背景へと因果関係をたどった後にヒアリングを行います。人間は生まれながらに遺伝子からサイコパスに生まれてくるようなことはありません。サイコパスになるような環境があり、そのほとんどが自分が育った環境、つまり最も近しい家族に原因があります。

メアリー・ベル事件は歪んだ母親と無気力な父親が生み出した事件という側面も忘れてはいけません。両親が貧しいながらにもメアリーにできる限り愛情を注いでいれば、将来非行に走るようなことはあっても殺人事件を起こすようなことはなかったはずです。

メアリーベル裁判の判決

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裁判は粛々と行われるべきものですが、メアリー・ベル事件の裁判は異様な光景の一言でした。

有罪判決、そして22歳まで厚生施設へ

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メアリー・ベルとノーマ・ベルの裁判は1968年12月5日に始まりました。

裁判は異様な光景でした。共犯者となったノーナが涙ぐむような様子に対してメアリー・ベルはまるで機械のように毅然と振舞ったり、裁判官のかつらを笑ったりしたり、供述に関しては10歳の少女とは思えない豊富な語彙で人々が惹きつけられるような話術で事件について語りました。

裁判の最中、母親ベティは厚化粧にブロンドのかつらを被り、ヒステリーを起こし、度々裁判の進行を妨げて、メアリーの方がよほど大人らしいような佇まいであったそうです。

そしてメアリーは裁判の中で殺人事件に対して犯行の事実を認めるもの、突如裁判中「すべてノーナがやったもの」と一転した供述をし始め、知恵遅れのノーナの蛮行だと主張しはじめ裁判を混迷に追いやりました。

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裁判前に調査のために事前にメアリー・ベルと関わった看護婦はメアリー・ベルのことを「あの子には感情というものがない」と述べています。

わずか10歳の少女が裁判の中で法廷をかきみだし、有罪判決を受け、裁判の判決として、まずは矯正施設に送られることになりました。この時友人のノーナは無罪となり、釈放されています。

裁判中にメアリー・ベルが喪に服すような態度をとった様子は一度も見られず、事件の最中と同様にまるでショーの一部を楽しんでいるようでした。この時まだメアリーはショーの続きを楽しんでいたのです。

明らかになっていく悲しい生い立ち

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裁判後、矯正施設、その後、少年院と各施設を転々としたメアリー・ベル。少女は22歳の大人になって釈放された後に実名を名乗ることを選択し、家庭を持ったその後に、事件に対する書籍を発行しています。
専門家たちがメアリーの過去を迫っていくうちに、中立の立場であった専門家たちもその後結果的にメアリー側にバイアスをもつようになったといわれています。

品性と徳性の欠けた両親であることは勿論、彼女は不衛生極まりない生い立ちの中に住んでおり、4~5歳の頃に娼婦の母親の客から性的虐待を度々受けていました。

虚言癖は逮捕のその後も自分でもコントロールが効かないような状態になり、22歳まで拘束された厚生施設の中でもあの人から、この人からひどいことをされたと訴えかけては、逮捕のその後の虚言癖は治ることはありませんでした。

現在もメアリー・ベルを解析していくほどに、そこには下層社会の劣悪さや、福祉制度の不足や不備が浮き彫りになっていき、メアリー・ベル事件の複雑なバックグラウンドが明らかになっていきます。

メアリーベルの自伝、魂の叫び

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メアリー・ベルは事件から30年後に自伝を出版しています。その中で10歳のときに、3歳と4歳の二人の少年を殺したメアリー・ベルという少女と、共犯の少女の犯行の様子と、裁判の記録が主に記されていました。

明らかになっていく事件の闇

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メアリー・ベルは事件から30年経った後に、事件に対する自伝的書籍をギッタ・セレニーという名で出版しています。その中で改めて事件に対して省みながら、自身がなぜ事件を起こしてしまったのか、その背景には何が要因となっていたのかということを仔細に述べています。

メアリーはイギリス下層階級にある同様の悪い環境に目を向け、「モラルと精神的価値観があやふやになってしまったため、未成熟のまま大人になってしまう人間が増えている」と記し、同様の事件が起きないようにと警鐘を鳴らしています。

起こるべくして起きたメアリー・ベル事件

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確かに殺人を犯したのはメアリー自身ではあるけれど、本書を読み解いていくと、この償いきれないほど重い罪は、一人の少女をここまで追い込んだ母親へと焦点が向かっていきます。

何の愛情も注がずに、子どもの殺害まで試みた母親は、メアリーの出所後もメアリーの情報を売って生計を立てていました。

諸悪の根源であるベティ・ベルがどうして司法の場では裁かれないのかという思いと共に、このメアリー・ベル事件は起こるべくして起きた事件であると痛感させられます。

メアリー・ベルの現在の様子は?

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メアリー・ベルは出所後にどのようにして生活をしているのでしょうか。メアリー・ベルの家族構成や、現在の生活に迫っていきます。

1980年に出所、結婚して子どももいる

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メアリー・ベルは出所したその後、現在どのようにして生活しているのでしょうか。

メアリーは出所のその後に実名を名乗らなければならなくなりました。それは母親ベティがメアリーの存在を週刊誌に売ってしまったからです。

メアリー・ベルは再び世間から注目されることになりますが、メアリーはこれを機になんと母親と和解しました。その後、メアリーは結婚をして、子どもを出産しています。

メアリー・ベルの今、孫までいる

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メアリー・ベルは自分の子どもにはしっかりと愛情を注ぎ、育児を行いました。あの事件は両親の異常なネグレクトが引き金となったものであり、メアリーはそのことを強く意識していたのでしょう。

メアリーの子どもはすくすくと成長しました。そして、メアリー・ベルには今現在、孫までいます。メアリー・ベルは過去の悪いスパイラルから抜け出し、子どもの成長を見届け幸せを手にしました。

サイコパスとは何か?

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心を持たないと言われるサイコパス、彼らは一体どのような生態をもって生活しているのか、私たちの生活の中にも溶け込んでいるサイコパスたちの行いを紐解いていきます。

目的が最優先、善悪は二の次という心

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カナダの犯罪心理学者ロバート・D・ヘアが反社会的人格の持ち主であり精神病質である人物のことをサイコパスと定義し、定着しました。メアリー・ベル事件のように、平然と嘘をつき、良心の呵責を覚えない、自己中心的な価値観で行動を取るような人物をサイコパスと呼ぶようです。

メアリー・ベルは人を殺してはいけないという当然の倫理観よりも殺人を犯して注目されたいという欲求が勝り、それを行うか止めるべきかという迷いという感情が生じず、逮捕後も何故自分が悪いことをしたのかということを理解はすれど、納得するようなことはありませんでした。

サイコパスの人物が犯罪を犯すことを目的にした場合、それを抑止することは限りなく難しいようです。

私たちの身の回りにも多く存在するサイコパス

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「無理という言葉は嘘。鼻血を出そうがぶっ倒れようが、7日間働かせれば、それは無理じゃなくなる」

政界にも進出した誰もが知る飲食店チェーン企業の社長はこのような発言を多く残し、ネット上ではまさにサイコパスそのものではないかと疑われています。

日本では労働のし過ぎによって脳溢血と心臓麻痺が起きて突然死を起こす過労死という現象が今も進行形で悲しい事件として起こり続けています。

恥ずかしいことに世界ではこの過労死という単語を正確にあらわす言葉がなく「Karoshi」と呼ばれています。

島国の中で他者を思いやりながら共生する文化であるからこそ、周囲の苦しみや悲しみに関心を抱かないサイコパスは、権力を得ると人を奴隷のように酷使して成功しやすい傾向もあるようです。

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神戸連続児童殺傷事件

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神戸連続児童殺傷事件を起こし酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年Aは、日本の犯罪史では存在しなかった規模の巨悪な少年犯罪を起こし、通常の厚生施設では対処が図れないと判断し、施設内で家族を構成し、人間的感情を根付かせるための実験的な特殊な更生プログラムが図られました。

しかし、社会に放たれた後の少年Aは声をかけてきた週刊誌記者を恫喝してスクープされた後に、ネット上で前衛芸術的なアートワークを披露するホームページを解説して、後に「絶歌」という著書まで出版しました。

その内容には反省を思わせるような内容よりもナルシズムや自己陶酔につきるような、事件を知るものなら憤慨するような内容でした。

日本国が総力を投じて更生のために創意工夫を行っても、少年Aが反省をしているのかどうかは疑わしいと言わざるを得ないという事実はサイコパスの恐ろしさといえます。

メアリー・ベル事件との違いは

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神戸連続児童殺傷事件とメアリー・ベル事件の違いは何なのか、それはメアリー・ベルの根底には人間のまっとうな心や被害者への謝罪の念が、事件のその後の出版物や証言で明らかになったことです。

対して神戸連続児童殺傷事件の少年Aは週刊誌記者に脅しかけ追い回したことで世間で再認知され、ホームページでは醜悪な創作物やポエムのような自伝的小説の中で、少年Aは今も尚事件のことに対して本質的には何も反省をしてはなく、被害者の遺族は怒りや悲しみを抱きながら生活をしていることです。

メアリー・ベル事件を神戸連続児童殺傷事件と同列に扱ってしまうことは被害者の遺族の方々や、メアリー・ベルに対しても失礼になってしまうほどに、少年Aは今も尚、愚かで邪悪な存在のまま、社会の中で潜むようにして生きていることが是認されてしまっています。

サイコパスは長所にもなる

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サイコパスというものは凶悪事件の背景に潜むものとしての犯罪因子として思われるかも知れませんが、もしサイコパスを持つ人物が遵法精神をもってこの人格特性をコントロールできれば、それは大きな長所にもなります。

サイコパスの人々は人が躊躇するような物事も自分自身の利益や目的のためならば難なくこなします。
また、表裏比興ともいえるように立身出世のために嘘を方便のようにして巧みにセルフプロデュースを行います。

人は本来ならば簡単に達成できるような物事に関しても、倫理観や常識が枷になってしまって、回り道をしなくてはならないようなことが大半です。

サイコパスの人々はそのような部分に柵を作らずに、成功のための最短の道を選ぶことに長けているという長所も備えているという点もあります。

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