「白暁燕誘拐殺害事件」の真実とは?犯人・関連人物・被害者の詳細!

白暁燕誘拐殺害事件をご存知ですか?台湾で人気女優のパイピンピンの娘白暁燕が高天民らによって誘拐殺害され、他にも多数の被害者を出した事件です。白暁燕誘拐殺害事件のメインの被害者が人気女優パイピンピンの娘であり、高天民らの残虐さが今でも語り継がれています。

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目次

  1. 1白暁燕誘拐殺害事件とは?
  2. 2白暁燕誘拐殺害事件の詳細
  3. 3身代金要求から殺害へ
  4. 4強奪に強奪を重ね、最初の銃撃戦へ
  5. 5整形の末の惨殺と2度目の銃撃戦
  6. 6被害者である白暁燕は当時高校生
  7. 7白暁燕の母、女優・白冰冰(パイ・ピンピン)の現在は?
  8. 8白暁燕誘拐殺害事件の犯人は?
  9. 9過剰な報道が原因で犯人グループとの交渉失敗?
  10. 10白暁燕誘拐殺害事件の真相は不明
  11. 11犯人グループについての考察および犯人からの手紙概要
  12. 12台湾では誘拐ビジネスが横行?
  13. 13被害者遺族のその後と現在は?
  14. 14白暁燕誘拐殺害事件は残虐な事件でした

白暁燕誘拐殺害事件とは?

暁燕誘拐殺害事件とは、1997年の4月に台湾で発生した誘拐殺人事件です。有名女優のパイピンピンと有名漫画家の梶原一騎の間の娘である暁燕が被害者で、身代金誘拐ののち惨殺された事件です。現在でも史上最悪の誘拐事件として語り継がれています。

主犯の高天民、林春生はのちの警察との銃撃戦の中で自殺、陳進興が逮捕後1999年に死刑が執行されています。それでは事件の概要を述べていきます。

白暁燕誘拐殺害事件の概要

事件の簡単な概要としては「身代金目的で誘拐し、逮捕されるまで7ヶ月かかった」というところですが、付随する幾つもの事件があり詳細を語り尽くすと膨大になります。今回はあくまで白暁燕の誘拐殺害に関する部分を主軸にして、概要・詳細を述べていきます。

それではまず概要です。

身代金目的で白暁燕を誘拐した高天民、林春生、陳進興は身代金の受け取りに失敗し、白暁燕を強姦の末殺害。その後、逃走中にも国会議員を脅迫し金を手に入れる、病院で顔の整形手術を強要したのち医師と看護婦を強姦ののちに殺害するなど悪事を尽くします。

当時の李登輝総統に「発見次第即射殺せよ」と命令を下された警察は市街地を含め、犯人グループと銃撃戦を繰り広げます。主犯のうち高天民、林春生の自殺を経て、議員の説得で陳進興が投降し事件は終わりを告げます。


以上が白暁燕誘拐殺害事件の概要です。事件全体を通しての大々的に発表された被害者は死亡5名、負傷1名、誘拐後身代金強奪2名というものでした。

台湾で起きた凄惨な誘拐事件

白暁燕誘拐殺害事件は「人気女優のパイピンピンの娘が被害者」ということで、事件発生直後から大変注目されました。マスコミの報道合戦も加熱し、それが原因で身代金の受け渡しに失敗したとも言われています。

事件の直接的な被害者は白暁燕以外に多数おります。警官負傷1名、殉職1名。医師殺害2名、看護師強姦後殺害1名と凄惨極まりない事件でした。

現在でも台湾史上最悪の誘拐殺害事件として語り継がれています。台湾の死刑廃止がストップしている真相の一つがこの白暁燕誘拐殺害事件ともいわれています。

白暁燕誘拐殺害事件の詳細

それでは白暁燕誘拐殺害事件の発生から逮捕・判決が下るまでの詳細を時系列で追っていきたいと思います。

現在では真相が不明な点も多い事件なので、ここでは書いていない詳細がインターネット上にはあふれています。真相に近いと思われる情報を厳選して、下記の詳細で記載していきます。

白暁燕、誘拐される

1997年4月14日、高天民、林春生、陳進興は醒吾中学の通学路で白暁燕が通るのを待ち伏せしていました。目的は白暁燕の身代金誘拐です。母親である台湾の人気女優パイピンピンから身代金500万ドルを受け取るのが狙いでした。

当時高校1年生の白暁燕はいつも通り、高校の通学路を学校へ向かっていましたが、待ち伏せしていた車に押し込まれ拉致されます。高天民が運転を担当し、林春生、陳進興が実行役でした。

周囲が見えず大声を出せないように、頭は黄色いゴムバンドでぐるぐる巻きにされた状態でした。息ができるように鼻だけは出してあったそうです。

あらかじめ用意してあった部屋に到着すると、高天民、林春生、陳進興は白暁燕の左胸を露出した状態で写真に収め、林春生が小指を切断します。この時に撮影した写真と、小指は身代金要求の際の脅迫に使われるのです。

白暁燕が小指を切られた痛みに泣き喚いたため、高天民、林春生、陳進興をはじめとする犯人グループは殴る蹴るの暴行を加えます。その後この主犯3人は一旦帰宅します。

身代金要求から殺害へ

誘拐当日の4月14日に、犯人グループは母親のパイピンピンに電話で誘拐の事実を伝えます。そして、指定された霊園の管理室に、誘拐時に撮影した白暁燕の写真3枚と切断した小指、身代金500万ドルを要求する旨を書いた紙を警察が発見。

0414特別案件として身代金受け渡し時の犯人逮捕に向けた計画が進みます。翌15日〜17日までは目立った進展がありません。4月18日と19日の交渉で身代金の受け渡し場所の候補地を決めますが、決めた日時に犯人は現れませんでした。

この最初の身代金受け渡しの失敗の時点で白暁燕は殺害されました。直接の死因は頭部腹部の殴打による出血多量及び内臓破裂との診断がされています。

この白暁燕遺体に関しては、現在でも真相が定かでない情報がネット上で飛び交っています。以下概要ですが、参考程度にご覧ください。内容がまちまちです。

「肋骨は全部折られ爪は全部剥がされた。髪はむしられまばら、両耳には爆竹を詰められ爆破される。膣に釘を48本入れられた後、肛門と膣に鉄パイプを入れられ、直腸破裂、膣口裂傷、眼球をくり抜かれ、最後はワイヤーで首を絞められ絶命」

という残忍極まりない方法で殺害されたため、遺体は人間の原型を止めていなかったというものです。ただし、その後の台湾警察の調書や裁判記録、また遺体の写真を検証する限りここまで凄惨な殺害方法だったという事実は確認できません。

現在では、言われているような殺害方法は「残忍な殺害遺体だったという報道に尾ひれがついた」というのが真相とされています。

2回目の身代金受け渡し失敗と白暁燕遺体の発見

さて、白暁燕を殺害した犯人グループですが、警察に対してはまだ人質が生きているのを装い、なんとか身代金500万ドルを受け取ろうとします。4月23日に新しい受け渡し場所が決められますが、またしても犯人グループは現れず。

4月26日以降はパイピンピンや犯人の親族などをテレビ出演させ犯人グループに自首するような活動が行われました。むなしく、4月28日に白暁燕の遺体が発見されます。あまりの損傷に発見者は「豚の死骸かと思った」とコメントしています。

その後台湾全土に指名手配が出されますが、逮捕まで非常に難航します。現在でも真相や詳細は不明ですが、身内による犯人のかくまいや、妨害工作があったと言われています。

強奪に強奪を重ね、最初の銃撃戦へ

白暁燕の遺体発見からかなり時間が経った6月6日、高天民、林春生、陳進興は台北県議員の蔡明堂を誘拐し500万ドルを奪っています。また、8月8日にも金属会社の経営者を誘拐して身代金を奪っています。幸いなことにこの被害者2名は金銭受け渡し後、解放されています。

一説には犯人グループは資金を集めて、中国本土やモンゴルに高飛びをしようとしていたと言われています。

8月19日、高天民、林春生、陳進興は発見され、台北市内で警官隊800人との間に銃撃戦が発生します。この銃撃戦で警官の曹立民殉職、黃慶財負傷、さらに主犯の林春生が6発の銃弾被弾の末自殺します。

整形の末の惨殺と2度目の銃撃戦

10月23日、高天民、陳進興は台北死の整形外科病院で、医師と看護師を脅し顔面の整形手術をさせます。

手術後口封じのため、手術を行った医師夫妻(方保芳、張昌碧)と看護師(鄭文喻)を拳銃で殺害し逃亡します。後手に手錠で拘束した上、頭部に発砲。看護師の鄭文喻は殺害前に陳進興に強姦されていました。

11月17日、高天民は警官隊に包囲され、2度目の銃撃戦になります。最後は逃げ切れず拳銃で自殺します。

陳進興の逮捕と裁判

高天民自殺の翌日11月18日、最後の一人となった陳進興は、南アフリカ大使館の駐在武官官邸に5人の人質を持って立てこもります。しかし翌日国会議員の裁判での弁護の約束を受けて投降します。事件発生から7ヶ月が経過しての逮捕でした。

1998年の1月22日、裁判所は陳進興に対し、「死刑5回、懲役59年9ヶ月」を言い渡しました。

母親のパイピンピンに対しての損害賠償額は当時の日本円にして6億3,000万円。当時台湾史上最高額の賠償金となりました。なお、現在は2014年に台湾のIT企業のマイクロソフト社に対する約76億台湾ドルが最高となっています。

事件を伝える台湾の報道番組

白暁燕誘拐殺害事件は発生から逮捕までを通して台湾全土で注目を集め、大々的に報道されました。現在に至るまでテレビ番組などでも何度も特集が組まれています。真相が不明な点が多いところも注目される理由のようです。

被害者である白暁燕は当時高校生

被害者の白暁燕は台湾の人気女優のパイピンピンと日本の人気漫画家梶原一騎の娘として生まれます。白暁燕誘拐殺害事件での殺害当時まだ被害者は高校生1年生でした。

母親が有名女優というだけあって、小さい頃から母親と一緒にテレビ出演する機会が多かったと言います。ここからは両親について概要を述べていきます。

父は日本の漫画家・梶原一騎

「あしたのジョー」「巨人の星」の原作者といえば、わかる方が多いのではないでしょうか。梶原一騎は日本で最も有名な漫画原作者として、数々のヒット作を世に送り出しました。現在でも作品の多くがメディアミックスされ、我々の目に触れることが多いです。

パイピンピンとはどのような結婚生活だったのでしょうか。以下概要です。

梶原一騎は1979年に来日中だったパイピンピンと結婚します。1980年には娘の白暁燕が生まれます。しかし、2年後の81年には離婚。パイピンピンと白暁燕は台湾に帰国します。これは梶原一騎の家庭内暴力やアルコール中毒などが原因とされています。

2014年にパイピンピンが恩人の日本人を探していると発表して話題になりました。梶原一騎からの暴力に悩んでいたパイピンピンに台湾行きの航空券を自腹で購入してくれた男性がいるそうです。

当時梶原一騎の運転手をしていた北海道出身の男性でアベさんということでした。その後見つかったのかどうかの詳細は伝わっていません。

さて、梶原一騎はその後1983年、編集者への暴行容疑、ゴーストライターへの恐喝等で逮捕されます。覚醒剤取締法違反の容疑もあったようです。

逮捕から2ヶ月後に保釈されますが、保釈当日にステーキと鰻を一緒に食べた直後、昏倒。壊死性劇症膵臓炎と診断され、死の淵をさまよいます。

この時はなんとか生還しますが、1987年に体調不良から入院しそのまま帰らぬ人となりました。ですので、梶原一騎は娘の白暁燕誘拐殺害事件を知りません。梶原一騎の死から10年後に娘に悲劇が襲いかかります。

母は台湾の女優・白冰冰(パイ・ピンピン)

被害者の白暁燕の母親白冰冰(パイピンピン)は、台湾の貧しい家庭に生まれました。18歳の頃に台北の歌唱大会で優勝したのをきっかけに台湾の芸能界入り、その後20歳の1975年に歌と演技を学ぶために日本に来日します。

日本で梶原一騎と出会い結婚しますが、梶原一騎の家庭内暴力やアルコール依存症などを理由に1981年に離婚、娘の白暁燕と一緒に台湾に帰国します。

その後80年代においては台湾で最も人気のある歌手・タレントとなりました。現在でも司会者など、お茶の間タレントとして活躍しています。

白暁燕の母、女優・白冰冰(パイ・ピンピン)の現在は?

白暁燕誘拐殺害事件の実行犯、陳進興の判決の1月後の1998年2月、娘を失った悲しみを手記として出版します。その後、パイピンピンはどうしても子供が欲しく、人工授精を繰り返しますが全て失敗。最後は医者からこれ以上は命に関わると説得されて断念しました。

現在のパイピンピンは、事件をきっかけに死刑存続を求める活動をしています。台湾は2010年に死刑廃止に傾きかけましたが、当時の台湾の法務部長を辞任に追い込み死刑存続に成功しています。

2016年に事件から19年を迎え、パイピンピンはフェイスブック上で娘を失った悲しみがまだ癒えていないことを明かします。

白暁燕誘拐殺害事件の犯人は?

一般的に白暁燕誘拐殺害事件の犯人というと高天民、林春生、陳進興が指されることが多いですが、実際は犯人グループという呼び名の通り多くの人間が関与していました。警察がアジトに踏み込んだ際にも何人か逮捕しています。

しかし、この事件は犯人の身内などによる証拠隠滅や隠匿が多く、現在に至るまで真相不明の部分が多いのが現状です。ここでは主犯格の3名について可能な限り詳細に追っていきます。

白暁燕誘拐殺害事件の犯人①高天民

高天民は白暁燕誘拐殺害事件の主犯格の一人です。白暁燕誘拐当日に車の運転を担当していました。台湾マフィアの構成員で、他の二人の兄貴分に当たっていたようです。

整形外科で、脅迫の上顔の整形手術をさせたのは高天民だったといわれています。その後、2度目の銃撃戦で逃げ切れずに拳銃自殺しています。

白暁燕誘拐殺害事件の犯人②陳進興

陳進興は白暁燕誘拐殺害事件の主犯格の一人です。白暁燕誘拐当日は林春生と一緒に車に白暁燕を連れ込む役割でした。


主犯格の中では最後まで生き残り、南アフリカ大使館に人質を盾に立てこもりますが投降。「死刑5回、懲役59年9ヶ月、損害賠償額6億3,000万円」の判決が下り1998年10月6日死刑が執行されました。

ちなみに、以下から述べることも詳細が明らかになっておらず、真相は藪の中ですが、陳進興は逃亡中に50件の強姦事件を引き起こし20名ほどが被害に遭われたそうです。

白暁燕誘拐殺害事件の犯人③林春生

林春生は白暁燕誘拐殺害事件の主犯格の一人です。白暁燕誘拐当日は陳進興と一緒に車に白暁燕を連れ込む役割でした。

1度目の銃撃戦で警察から6発の銃弾を受け、最後は拳銃自殺します。主犯格の中では最初に死亡しました。

過剰な報道が原因で犯人グループとの交渉失敗?

さて、白暁燕誘拐殺害事件では身代金の受け渡し機会は2回も設けられています。しかし犯人グループは一度も現れませんでした。犯人グループは本来の目的だったはずの身代金受け取りになぜ現れなかったでしょうか。

この2回の受け渡しの失敗の原因はマスコミの報道過熱合戦によるものと言われています。受け渡し場所と指定された上空をヘリコプターが舞う等、犯人グループの出現を阻害する要素が多かったようです。

結果1度目の受け渡し失敗後、白暁燕は殺害されるので、マスコミの姿勢は当時市民に大いに批判されます。

白暁燕誘拐殺害事件での報道合戦

通常、白暁燕誘拐殺害事件のような誘拐事件が発生した場合、警察はマスコミに対して報道の自粛を求めますし、そもそもリークされないように極秘の捜査態勢を敷きます。犯人を刺激すると、被害者の身に危険が及ぶからです。

しかし白暁燕誘拐殺害事件では事件発生当初からマスコミに情報が流れました。人気女優の娘の身代金誘拐事件ともなれば話題性が抜群ということで、マスコミ各社は積極的に報道合戦を行います。

全2回の身代金受け渡しの当日は受け渡し場所の上空にマスコミのヘリコプターが飛んでいたそうです。そもそも受け渡し場所がマスコミに流れる時点で警察の捜査態勢に呆れますが、マスコミが自社本位の報道を繰り広げていたことがわかります。

また、白暁燕の遺体発見後、新聞に遺体写真をそのままのせた事も問題となりました。

台湾市民はマスコミを批判

こうしたマスコミの姿勢に、台湾国民は激怒。パイピンピンの自宅近くでは「マスコミ=有罪」と書かれた白幕が掲げられるなど、批判の対象となりました。

白暁燕誘拐殺害事件の真相は不明

さてここまで白暁燕誘拐殺害事件の事件当日の流れと関係者について述べてきましたが、肝心な事が不明なのです。「なぜ白暁燕が狙われなければならなかったのか」とうことです。

こちらに関しては、憶測の域を出ない2つの説が主流です。まず一つ目はパイピンピンが台湾マフィアの撲滅運動を行っていた事からの報復という説。もう一つはパイピンピンから借金の返済の催促をされていたゲーム場経営者の張志成からの依頼によるものという説。

どちらも主犯格の3人が台湾マフィアの関係者である事を考えるとありそうな話ではありますが、撲滅運動を行っていたくらいで報復をするのか?と考えると1つ目の説は眉唾ものです。

そして2つ目の説に登場する張志成という男は台湾現地資料に全く名が見当たらない事から、存在しない可能性が高いと言われています。

主犯格の2人は事件中に死亡しており、死刑となった陳進興も全てを供述しているとは到底思えない事から、真相は永遠に不明となってしまいました。

犯人グループについての考察および犯人からの手紙概要

ここでは主犯格3名以外の逮捕者についてと、犯人が逃走中に検察に送ったとされる手紙の概要を紹介していきます。犯人が語っている内容なので真相は不明ですが、事件の詳細に踏み込む切り口である事は間違いありません。

逮捕者は総勢18人

まず、白暁燕誘拐殺害事件に関わり、主犯格以外で逮捕された人数は総勢18名。張志輝、林致能、鄒火榮、石正雄、劉治明、林長宏、呉在培、林津霈、蔡生、張士賢、邱明東、林政雄、五哥、陳瑞南、張素真、許嘉惠、陳少玉、陳秋霞とされています。

以下主犯格の肉親、直接の知り合いなどの概要です。
林春生関係:林致能(弟)、陳少玉(恋人)、許嘉惠(元恋人)
陳進興関係:張素真(妻)、張志輝(妻の弟)、呉在培(親戚)

高天民関連の人物は出てきません。以上が検察に当てた手紙の中で、主犯格3人が事件とは無関係だから釈放しろと主張した人物です。事件当時上記の6名は逮捕されていました。

事件との関わりは?

上記で特に述べた6人ですが、主犯たちの主張通り完全に無実というわけではないようです。

というのも、例えば陳進興の妻の弟である張志輝は白暁燕の小指の切断に関わり暴行にも参加しているからです。それに、主犯3人の逮捕まで長期化した理由は、身内による匿いがあったことが真相のようです。

実際台湾全土に指名手配がされ、山狩り等も行われているのに見つからないのは通常考えられません。バイクや毛布、銃弾などもどこかから手に入れていたようで、サポートしていた人物や団体はいるのでしょう。

今となっては詳細不明ですが、逮捕された18名はいずれも軽い罪で比較的早く釈放されています。

身内関係以外の容疑者は、誘拐時に連絡用の偽造携帯電話の電話番号を提供した業者などだそうです。いわゆる飛ばし携帯との通称で、日本でも振り込め詐欺などに使われています。

犯人グループからの手紙

さて、主犯3名が検察に送ったといわれる手紙ですが、詳細はそれなりに伝わっており真相に近づく数少ない物品ではあるようです。

手紙が検察に届いたのは1997年の5月28日です。前述の時系列でいうと白暁燕の遺体が発見され一ヶ月が過ぎた頃、まず手紙には3人の指で捺印がされています。指紋を分析した結果本人のもので間違いないという結果が出ました。

手紙の概要としては関係ない身内をすぐ釈放すること、加えて以下のような身代金に関する告白がありました。

「要求した500万ドルの身代金は値引きされ300万ドルくらいになると思っていた。3人で山分けすれば1人頭100万ドルになるとの計算だった。」

また、手紙は台湾中部の台中から投函されており、この手紙が届いた当時はいよいよ犯人逮捕かとマスコミも色めきました。しかし、結果この呉半年に渡って逃亡劇が続き、白暁燕以外の死者が続出することになるのです。

台湾では誘拐ビジネスが横行?

実は白暁燕誘拐殺害事件の発生した1990年代、台湾では身代金目的の誘拐が多発しておりました。日本でも有名なところでいうと、元中日ドラゴンズの投手郭源治の長女彩悠ちゃんの誘拐未遂事件。幸い何事もなく3日後に解放されました。

台湾では当時中国本土への投資が流行っており、大金を投資して失敗したという例が後を絶たなかったようです。今となっては、詳細不明ですが、白暁燕誘拐殺害事件の主犯格たちも中国投資に失敗して犯行を計画したというのが真相の一つと言われています。

台湾では、報道規定がきちんと定められておらず、こういった誘拐事件のたびにマスコミがすぐに封じてしまうというのが事件後大きな問題になりました。白暁燕殺害の一報が出た時も、交番で週刊誌や新聞をできるだけ回収したということです。

現在ではさすがにそういったことはないでしょうが、報道のあり方が被害者の安全のためには重要であることを理解するには十分すぎる事件だったと言えます。

被害者遺族のその後と現在は?

パイピンピンは事件後に手記「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」を出版し自身の気持ちと真相、事件詳細を発表します。その後「白暁燕文教基金会」を設立しました。

現在は白暁燕誘拐殺害事件の発生した毎年4月14日のあたりに、基金としての活動を行っているそうです。主な活動概要は死刑の存続、誘拐被害者の心身のケアに関する法律の制定をうったえるといった内容です。

白暁燕誘拐殺害事件は残虐な事件でした

いかがでしたか?白暁燕誘拐殺害事件犯人の残虐性、被害者の話題性、長期間に及び多数の被害者を出した事から、現在でも台湾史上最悪の犯罪として語り継がれています。

さらなる詳細を知りたい方は、パイピンピンの手記「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」や、中国版のWikipediaなど現地の情報から真相を調べるのがいいでしょう。

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