水戸事件の概要!赤須正夫社長や被害にあった知的障害者の現在とその後

水戸事件は1995年に発覚した助成金着服事件から捜査が進むうち、雇用していた知的障害者への虐待が明るみに出て問題になった事件です。水戸事件をモデルにしたTBS系のドラマ「聖者の行進」が、1998年に放送されたことでも話題になリました。

水戸事件の概要!赤須正夫社長や被害にあった知的障害者の現在とその後のイメージ

目次

  1. 1ドラマにもなった「水戸事件」とは?
  2. 2「水戸事件」発覚の経緯
  3. 3「水戸事件」社長の赤須正夫とは
  4. 4「水戸事件」捜査に消極的な警察と検察
  5. 5「水戸事件」裁判
  6. 6「水戸事件」民事裁判
  7. 7「水戸事件」のその後
  8. 8社会的弱者が守られる社会でありますように

ドラマにもなった「水戸事件」とは?

アカス紙器は知的障害者の雇用に積極的で、社長の赤須正夫は地域の名士として扱われていました。しかし、助成金受給で不正を行っていたことが1995年に問題となりました。

捜査の中で、障害者たちの人権を無視した暴力行為や虐待、強姦行為を繰り返していたことが発覚し、さらに大きな問題になりました。アカス紙器は、助成金の不正受給だけでなく、障害者を食い物にする、非人道的な行為を行っていたのです。

1998年にTBS系で放送された野島伸司脚本のドラマ「聖者の行進」はこの「水戸事件」をモデルとしていて、その内容は話題を呼びました。助成金の不正受給、虐待、強姦がドラマの中でも描かれて波紋を呼びました。その後と現在についてまとめていきましょう。

茨城県水戸市「有限会社アカス紙器」での事件

1995年「有限会社アカス紙器」が、特定求職者雇用開発助成金の受給についての詐欺容疑が明るみに出ました。茨城県水戸市に工場があったことから「水戸事件」と呼ばれています。

特定求職者雇用開発助成金は、障害者や高齢者など仕事が見つけにくい立場の人を支援する目的で支給している助成金です。現在でも、社会的弱者を援助する目的の助成金があります。

対象者を雇うための給与として支払っている金額に応じて助成金の額が決まりますが、帳簿改ざん等を行って不正に受け取っていたのです。しかも、捜査が進むに連れて、虐待など非人道的な行為が露呈し、問題が大きくなっていきました。

「水戸事件」発覚の経緯

現在では、ダイバーシティなど、どんな人も自分の人生を大切できる社会づくりが話題にのぼるようになりましたが、1990年代では知的障害者の社会参加への理解も浅く、仕事につくのは難しい状況がありました。

仕事を提供して自立をサポートする事業者は貴重な存在でしたし、知的障害者を雇用すると特定求職者雇用開発助成金の給付が受けられます。本来は、その資金を給料の支払いに充てて、十分な賃金がを支払らうために使われるはずでした。

しかし、アカス紙器社長の明須正夫は、知的障害者の労働力や助成金だけを利用してまともな賃金を払わずに私服を肥やしていたのです。助成金の詐欺疑惑にメスが入らなければその後も続いていたかもしれません。水戸事件の概要を追っていきましょう。

従業員への賃金未払いで社長が逮捕

水戸事件で被告人となった赤須正夫社長は、知的障害者を多く雇用していたことから、福祉活動に協力的な地域の名士として扱われて、表彰を受けるなどしていました。

ところが、1995年に助成金での不正が発覚します。助成金を受け取っていながら、雇用している知的障害者への賃金の未払が発覚し、立証されただけでも800万円もの着服がありました。

「水戸事件」の発端は、助成金の着服から赤須正夫社長が検挙されたことからでした。その後、知的障害者への扱いが虐待にあたるのではないかと非人道的な行為が世の中の注目を集めることとなりました。

知的障害者である従業員への虐待が発覚

福祉活動に積極的な経営者という社会的な評価を得ていたため、水戸事件の捜査は進みにくかったといわれています。補助金横領への捜査が進むに従って、その後徐々に知的障害者に対して虐待を行っていたことが明らかになっていったのです。

殴るける、膝の裏に角材や空き缶を挟んで正座させ、その上に重い石を乗せる、満足に食事を与えずタバスコをふりかけた白飯を食べさせる、満腹感のわからない障害者相手に腐ったバナナを食べさせる…といった、非人道的な行為を行っていました。

表向きは、知的障害者の受け入れを積極的に行う慈善家のように振る舞っていましたが、実際には、家畜のように扱い、私服を肥やす道具のように扱っていたのです。ドラマで描かれていたような虐待が実際に行われていたのです。

性的な虐待も含まれ、工場で働いていた知的障害者の女性が、少なくとも10人が強姦の被害者になっていたのです。中学校卒業すぐにアカス紙器に就業して、性的虐待にあった被害者も含まれていました。

しかし、はじめの裁判では、強姦については罪に問われないままでした。強姦罪は、性行為があったとしても、合意の上だとされれば立証が難しい犯罪ですし、この裁判では審議されないままでした。その後、強姦被害にあった被害者3名が、民事裁判が起こしました。

「水戸事件」社長の赤須正夫とは

アカス紙器は、ダンボール製品などを扱う工場で、その社長が赤須正夫です。工場で知的障害者を雇入れ、寮に住まわせて工場で働かせていました。水戸事件で積荷問われた赤須正夫とはどんな人物だったのかまとめていきましょう。

障害者雇用に熱心と地元では尊敬される

知的障害者を積極的に雇入れ、自分の会社の寮に住まわせて働かせていました。知的障害者の家族の多くは、仕事をして自立し、親が先立っても生きていくすべと居場所を確保することを願っています。

アカス紙器では寮があり、知的障害者の自立に役立つ場所だとみられていましたし、こうした活動を行うアカス紙器社長の赤須正夫は、福祉活動に理解があり、熱心だと市から表彰を受けていました。療育に悩む親からは感謝されていた面もあったのです。

地域では名士として扱われ、赤須正夫に対して警察側から忖度が働いたことが、罪に問われたその後の捜査が進みにくかった原因だと噂されました。

裏では障害者である従業員に数々の虐待行為

社会的には、社長であり、福祉活動に尽力している名士だとみられていた赤須正夫ですが、実際には卑劣な虐待を繰り返していたのです。

知的障害者の場合、賃金の未払いや低賃金について抗議することもままなりませんし、社会的な信用を得ている赤須正夫が虐待を否定するなら、それ以上追求することが難しい状態にありました。

暴力を振るわれて、耳の形が変形してしまった従業員、正座した膝の上に石を抱えさせられると言った拷問のような行為を受けた従業員がいました。

被害を受けた従業員は10人近くにのぼる

また、当時のワイドショーには、強姦について証言していた被害者が出演したこともあります。その被害者は10人にものぼり、アカス紙器社長の赤須正夫が常習的に強姦行為を行っていたとして告訴されました。

しかし、赤須正夫が福祉に熱心な慈善家として名が通っていた事や、知的障害者が信憑性の高い証言をすることが難しいとして、警察の捜査が進まず、社会的弱者である被害者に冷たいのではないかという見方をする人も多くいました。

「水戸事件」捜査に消極的な警察と検察

知的障害者を被害者とする虐待や強姦事件は、社会的な弱者が被害者となっています。助成金をだまし取った詐欺罪として赤須正夫が検挙されたのがきっかけですが、実際には、虐待や強姦など根深い犯罪が明るみに出る事態となりました。

被害者が知的障害者であるが故の証言の難しさ

アカス紙器に務める知的障害者が被害者となった虐待や強姦などの事件については、立証が難しいとして警察も捜査に消極的でした。被害を申し立てても、知的障害を持っていることでその記憶が曖昧で信頼に欠け、証拠として採用することが難しかったのです。

知的障害を持っていることで、日時を正確に把握すること、現実と想像の区別がついているのかなど、健常者の証言と比較して信憑性にかけると判断されることもありました。

知的障害者である被害者の証言は、裁判で証言として認められるためには事実関係整理を行って、いくつかの根拠を示さなければなりません。知的障害者である被害者の訴えから虐待や強姦について立証するのには、根気強い聞き取りと検証が必要になります。

裁判の場面では、事実としていい切ることができなければ証言としての信憑性が疑われていまいます。閉鎖的な工場内で起こった事件のため、知的障害者以外の証言を得ることが難しく、事件解決を難しくしていました。

赤須正夫が地元名士扱いされていた

赤須正夫は、地元では福祉活動に理解があり、慈善活動に熱心な名士という社会的な評価を得ていました。居場所を求める知的障害者を受け入れ、寮に住まわせて仕事を与え、自活野道を開く活動をしているということで表彰を受けるほどです。

自分の感情をコントロールすることができない、理解力・認識能力が低いという知的障害者の言うことよりも、後見人的な立場の赤須正夫の主張が通りやすい状況にあったことが伝えられています。

地域の名士である赤須正夫に対する忖度が働きやすかったという事情が問題の真相究明を難しくしていた事情がありました。
 

「水戸事件」裁判

水戸事件では、赤須正夫に対する助成金詐欺事件に対する裁判が行われたものの、その判決は世間が期待したよりも軽いものでした。その後、虐待や強姦については民事裁判が行われました。水戸事件の裁判についてまとめていきましょう。

赤須正夫への理不尽な判決

1997年水戸地方裁判所の判決は、「懲役3年執行猶予4年」でした。本当に公正な裁判による裁きが下されたのかと疑問の声が上がりました。裁判で事件として立証されたのは、詐欺罪と暴行罪2件、傷害罪1件でした。

判決については、赤須正夫が福祉活動に長年尽力していたことが加味され、被害者側に不満が残る結果となりました。

被害者側の支援者3名逮捕

水戸事件では、赤須正夫に対する判決が被害者がわの期待を裏切るものだっただけでなく、支援者が3名逮捕されるという理不尽な事態が起こりました。

1997年3月28日、水戸地方裁判所で判決が下されたあと、判決を不満に思った支援者たちが、赤須正夫と、その弁護士の種田誠を取り囲み謝罪を要求しました。

二人に詰めより取り囲んだことが「監禁罪」、車のフロントガラスをわったことが「器物損壊」、種田誠の服やネクタイを掴んだことが「暴行容疑」とされ、現行犯逮捕されたのです。

逮捕された支援者2名に実刑判決

監禁(支援団体事務局長) 1年4ヶ月の実刑判決
暴行・監禁容疑(支援者の一人) 1年8か月の実刑判決(釈放要求却下、2年間拘束をうけた後の判決)
器物損壊・監禁容疑(支援者の一人) 1年4ヶ月(執行猶予3年)

現行犯逮捕された支援者への判決は、1人が執行猶予付きだったものの、2人に実刑判決が下され、2003年に1年4ヶ月~1年8ヶ月の懲役が確定されました。

「水戸事件」民事裁判

水戸事件では、アカス紙器の補助金不正受給詐欺の捜査から、知的障害者の従業員への虐待や強姦が明るみにでました。しかし、罪に問われたのは暴行2件、障害1件のみで、他の事案については不起訴となり、審理されませんでした。

そこで、不満をつのらせた強姦被害者3名は、その後、赤須正夫の性的虐待に対して民事裁判を起こしました。赤須正夫は性的虐待について否認し、民事裁判で争われることとなったのです。

赤須正夫への判決

性的虐待を訴えた民事裁判では、全面的に被害者の訴えが認められ、2004年3月31日に賠償金1500万円の支払い(被害者1人あたり500万円)を、赤須正夫に命じる判決が下されました。控訴しましたが、東京高等裁判所に棄却され判決が確定しました。

「水戸事件」のその後

事件発覚から、2018年の現在までに23年、民事裁判の判決から14年の歳月が流れました。障害者の支援助成金を悪用した事件として検挙されたのも、水戸事件がはじめてでした。

障害者の人権に関わる悪事が公になった事件としても規模の大きな事件でした。事件のその後、現在についてご紹介しましょう。

アカス紙器と赤須正夫の現在

水戸事件をきっかけに、赤須正夫は赤須紙器の社長を退いています。その後、赤須紙器は社名を「有限会社水戸パッケージ」、「有限会社クリーン水戸」と変更しています。現在も「有限会社クリーン水戸」は茨城県水戸市で営業しています。

2018年現在の赤須正夫の消息ですが、個人情報ですので公開されていません。現在、「有限会社クリーン水戸」と関係があるのかも不明です。

執行猶予付きの判決、民事裁判でも損害賠償の求刑で結審しましたから、現在も赤須正夫は被害者に対して罪を認め、謝罪をしないままになっています。

2011年に障害者虐待防止法が成立

2011年に障害者虐待防止法が成立し、翌年10月から施行されました。現在では、水戸事件のようなことが起こらないように、障害者の人権を守る法整備が進みました。市町村に障害者虐待防止センターの設置が義務付けられています。

暴力を振るうことだけでなく、賃金の使い込みや、不当な差別的言動で心理的に追い込むこと、ネグレクトなどが虐待としてのチェックの対象になります。障害者の人権が守られる社会の仕組みづくりが行われています。

社会的弱者が守られる社会でありますように

社会的な弱者を守るための助成金が悪用され、人権が踏みにじられた水戸事件は、裁判で被告の赤須正夫に実刑が課せられず終わりました。知的障害者を人間扱いしない虐待や強姦が行われていたと考えると、やるせなさを感じさせます。

助成金の不正受給や障害者を雇用について、知的障害者への立場の弱さが注目されるきっかけとなり、問題をなげかけた事件です。これからも類似の事件が起こらないよう願う人が多いのではないでしょうか。

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