吉田日出子の今現在や若い頃の画像!高橋克典と関係・結婚や夫は?
吉田日出子さんを知っていますか?日本の女優さんですが、高橋克典さんの関係などで噂がありました。今回は吉田日出子さんの今現在や若い頃について画像も含め紹介していきます。また、病気の噂や、結婚などについても紹介していきます。
目次
吉田日出子とはどんな人?
吉田日出子さんについて紹介していきます。吉田日出子さんはどのような人なのでしょうか。詳しく調べて紹介していきます。では、見て行きましょう。吉田日出子さんは、1994年1月7日生まれで石川県出身の女優さんです。
石川県金沢市の出身で、父親は彫刻家でしたが、徴兵を受け、石川県金沢に駐屯したようです。母親が臨月近くに金沢に来て、吉田日出子さんが生まれたそうです。生後1ヶ月で父親は出征し、母親は新潟に疎開しました。
父親はそのまま戦死したそうです。吉田日出子さんは三姉妹の真ん中だそうです。東京都立北園高等学校卒業後、俳優座養成所に入ったそうです。その後、研修生となり自由劇場を立ち上げます。そして、幾つかの賞を獲得し女優として広く知られていきました。
吉田日出子のプロフィール
本名 | 平松日出子 |
生年月日 | 1944年1月7日 |
現在の年齢(2018年現在) | 74歳 |
出身地 | 石川県金沢市 |
血液型 | AB型 |
活動内容 | 女優 |
所属グループ | なし |
所属事務所 | なし |
吉田日出子はベテラン女優
吉田日出子さんは、東京都立北園高等学校卒業後に、俳優座養成所に入っています。その後、劇団文学座の研究生となり、文芸座を退団後は、串田和美さんとともに1966年に自由劇場を立ち上げています。1967年と1976年には紀伊国屋演劇賞を受賞しています。
1979年に出演した「上海バンスキング」で世間に広く知られるようになりました。「上海バンスキング」は15年間の長期公演となっています。1989年の「社葬」では第14回報知映画賞最優秀助演女優賞、日本アカデミー助演女優賞を受賞しています。
数々の素晴らしい賞を受賞している吉田日出子さんは日本の女優の中でもベテラン女優として芸能界に位置していました。今回はそんな吉田日出子さんの今現在や、高橋克典さんとの関係や結婚、夫、画像などを紹介していきます。また、病気も紹介します。
1979年初演『上海バンスキング』が15年間のロングラン講演に
吉田日出子さんは1979年の「上海バンスキング」で世間に広く知られるようになりました。上海バンスキングは斉藤隣さんの戯曲で、中華民国期の上海を舞台時代に翻弄された人々を描いた音楽劇です。オンシアター自由劇場で1979年に初演されました。
上海バンスキングは第24回岸田國士戯曲賞を受賞しています。今現在までに複数回舞台化や映画化がされている作品です。この上海バンスキングは15年もの長きに渡り公演されています。この公演で吉田日出子さんはメインボーカルとして活躍しました。
劇中で歌を歌う吉田日出子さんをはじめ登場するバンドも経験があったり、プロのミュージシャンというわけではありませんでした。それにも関わらず、大きな反響を呼びました。
1986年菊田一夫演劇賞を受賞
吉田日出子さんは、1986年には菊田一夫演劇賞を受賞しています。菊田一夫演劇賞とは劇作家菊田一夫さんの功績を記念し、演劇界の発展のため、東宝が1975年に創設した日本の演劇賞のことです。
1975年から協賛していた映画演劇文化協会が、2008年から主催を行なっています。菊田一夫さんは東宝演劇部に所属し、演劇において「放浪記」、「がめつい奴」などで一世を風靡しました。また、日本で初めてブロードウェイ・ミュージカルを上演しています。
そのほかにも、世界で初めて「風と共に去りぬ」を舞台化した人物としても知られています。その年の4月1日から翌年の3月31日まで東京で上演された演劇作品から、「菊田一夫演劇賞選考委員会」により選考が行なわれ、毎年4月に受賞式が行われています。
「ドタ靴はいた青空ブギー」
吉田日出子さんは1986年10月7日から11月26日まで公演された「ドタ靴をはいた青空ブギー」でこの菊田一夫演劇賞を受賞しています。ドタ靴をいはいた青空ブギーは、オンシアター自由劇場主催で、作=斉藤憐さん、演出=串田和美さん、音楽=越部信義さんで公演されました。
銀座8丁目博品館劇場で行なわれ、吉田日出子さんの他、串田和美さん、小日向文世さんなども出演していました。この作品で、吉田日出子さんは、菊田一夫演劇賞を受賞しています。
1989年映画『社葬』で日本アカデミー助演女優賞を受賞!
吉田日出子さんは、1989年に「社葬」にて、第14回報知映画賞最優秀助演女優賞・日本アカデミー助演女優賞を受賞しています。「社葬」は1989年の日本の映画で、東映京都撮影所制作、東映配給で行なわれました。
大新聞社の後継者争い、内幕をシニカルに描いたブラックコメディ映画で、会社版の「仁義なき戦い」と言われています。吉田日出子さんの他にも、緒方拳さん、井森美幸さん、船越栄一郎さんなども出演し、大きな話題となった映画です。
吉田日出子の若い頃の画像紹介!
吉田日出子さんの若い頃の画像について紹介していきます。吉田日出子さんの若い頃の画像は今現在ではほとんど残されていないため、若い頃の画像は非常に少ないですが、幾つかの若い頃の画像がありました。その中から若い頃の画像を紹介していきます。
吉田日出子さんの若い頃の画像は、時代が時代だったため、非常に少ないですがその若い頃の画像を紹介していきます。では、吉田日出子さんの若い頃の画像を見て行きましょう。
吉田日出子の若い頃の画像
吉田日出子さんの若い頃の画像は数が少なく、このようなものとなりました。次に吉田日出子さんの今現在の画像を紹介していきます。
吉田日出子74歳の現在の画像
吉田日出子さんは今現在とある病気でメディアへの露出はほとんどありません。しかし、幾つかの画像が吉田日出子さんの今現在の画像として発見できました。ここまでで紹介してきました。
吉田日出子は台詞が覚えられなくなる?
吉田日出子さんは2014年以前にセリフを覚えられなくなってきたようです。2007年以前からせりふを覚えることが困難であったようです。このことが知られたのはしばらくたってからのことになります。吉田日出子さんの身に何が起こっていたのでしょうか。
吉田日出子さんがセリフが覚えられなくなったことについて詳しく調べて紹介していきます。舞台を降板していたことについても、世間に知られたのは後になってからでした。吉田日出子さんが舞台を降板していたことについても紹介していきます。
また、今現在はどうしているのか、その原因がなんだったのか、本当に病気であったのかなどについても詳しく調べて紹介していきます。
2007年に舞台を降板
2007年に行なっていた吉田日出子さん主演の舞台を降板していたことが後にわかり、世間に知られていきました。この突然の報告に多くの人が驚き、吉田日出子さんの身を案じたのではないでしょうか。その理由等についても紹介していきます。
2007年当時はこの報告はされていなかったのでこの事実を知ることはありませんでした。しかし後に吉田日出子さんによって明かされていきました。セリフが覚えられなくなった理由、原因はなんなのでしょうか。原因は病気にあるのでしょうか。
吉田日出子さんの身体の状態についても詳しく調べて紹介していきます。またその病気の名称などについても紹介していきます。吉田日出子さんに何が起こっていたのでしょうか。では見て行きましょう。
病院で検査の結果脳に病気があることが判明
吉田日出子さんは、病院で検査したそうです。病院での検査した結果、脳に病気があることが発覚しました。そのために以前からセリフが覚えづらい、覚えられないといった症状が出ていたようです。さらに詳しく吉田日出子さんの病気について見ていきましょう。
病院での検査、脳の検査、診断の結果吉田日出子さんの脳の前頭葉に傷が見つかったそうです。そして、高次脳機能障害であると医師から診断されたようです。この病気により、以前からセリフを覚えづらい、覚えられないとなっていたようです。
さらには、主演の舞台も降板するほどに、この病気は深刻なものとなっていたようです。
2014年その経験を元に『私の記憶が消えないためうちに』を出版
2014年11月に吉田日出子さんは著書「私の記憶が消えないうちに」を出版しました。この著書で吉田日出子さんは、様々なことについての告白をしています。この高次脳機能障害は、事故や病気で脳に損傷を受けた人が、記憶障害や遂行機能障害などの症状により、通常の生活が困難になる病気です。
吉田日出子さんも、犬散歩の途中でおきたアクシデントで顔面を打ち、脳の前頭葉に小さな傷ができたことが原因であると語っていました。約束を忘れてしまったり、覚えたはずのセリフをすぐに忘れてしまったりと吉田日出子さん自身もショックが大きかったようです。
これらの症状はショートタイムメモリーロスと呼ばれる高次脳機能障害の典型的な特徴だそうです。吉田日出子さんが舞台を降板した理由、原因にはこのような病気のことがあったからです。この著書により多くの人にこの事実が知られていきました。
吉田日出子は恋多き女性!結婚はせず夫はいない!
吉田日出子さんは恋多き女性であると言われていますが、今現在でも結婚はしておらず、夫はいないのでしょうか。吉田日出子さんの結婚や、夫の有無について紹介していきます。結婚や恋人、夫などについては何人香の男性が噂されています。
その中でも今回は高橋克典さんについて、小日向文世さんについて、岡林信康さんについて取り上げて紹介していきます。高橋克典さん、小日向文世さん、岡林信康さん3人との関係はそれぞれどのようなものだったのでしょうか。
結婚して夫になることや恋人などの関係にあったのでしょうか。この3人との結婚や結婚して夫とすることや、恋人、同棲などについて詳しく調べて紹介していきます。では、見て行きましょう。
髙橋克典と同棲!無名時代を支える
高橋克典さんとはどいうやら同棲をしていたようです。このころの高橋克典さんはまだ無名だったそうですが、吉田日出子さんは高橋克典さんの無名時代を支えていたと言ってもいいのかもしれません。しかし、高橋克典さんとの結婚はしていないようです。
高橋克典さんは1995年に週間誌でこのことが取り上げられていました。1995年当時、吉田日出子さんと高橋克典さんは同棲していたというのは事実のようです。しかし、結婚までは至ってなかったようです。2人の年の差は21歳ありました。
この年の差というのも関係しているのかはわかりませんが、吉田日出子さんと高橋克典さんは同棲はしていたが、結婚には至っていないというものが事実であるようです。その後、高橋克典さんは別のモデルの女性と結婚されています。
小日向文世との噂も
吉田日出子さんは小日向文世さんとも同棲していた時期があるようです。しかし、結婚までは至っていないようです。小日向文世さんは1977年に、23歳の時に吉田日出子さんと串田和美が旗揚げした「オンシアター自由劇場」に入団しています。
1996年にオンシアター自由劇場が解散するまで、吉田日出子さんの相手役を務められるなどしてかつやくsていました。その中で吉田日出子さんと小日向文世さんは同棲していた時期があるようです。まだ無名だった時代にサポートしていたのかも知れません。
しかし、吉田日出子さんと小日向文世さんは結婚までは至っておらず、小日向文世さんは1993年に同じオンシアター自由劇場の女優だった方と結婚されています。
岡林信康とは事実婚だった?
岡林信康さんは今回紹介した3人のなかでも一番濃密な関係だったとされています。同棲もしていてほぼ事実婚状態だったそうです。岡林信康さんは吉田日出子さんの女性器を模写した絵を仲間に見せては悦に入っていたそうです。
また、吉田日出子さんも岡林信康さんのコンサートに度々飛び入りで出演していたこともあるそうです。このようなことからもこの2人は一番濃密な関係であり、事実婚と言っていいのではないでしょうか。岡林信康さんと吉田日出子さんはお互いに惹かれていたようです。
岡林信康さんは婚約者がいたそうですが、吉田日出子さんに浮気して婚約者との海外旅行を土壇場でキャンセルするなどしていたそうです。このことからも2人の関係が深かったことがわかります。
支えられて歩きながらも見事に演技
病気でセリフも覚えられなくなってしまった状態に加えて、歩くこともままならない状態であったにも拘らず、2010年に再演された吉田日出子さんの代表作「上海バンスキング」では支えられて歩く状態だったものの最後まで見事に演じられたそうです。
現在も病気と闘っている
世pしだ日出子さんは今現在でもこの病気、高次脳機能障害と闘っているようです。この病気は精神的にも相当辛い病気です。しかもそれが女優としてこれまで多くの舞台や映画などで活躍してきた吉田日出子さんのような人であればなおさらです。
自分の好きな仕事、女優として、セリフを覚えられないということは、私たちが想像するよりもずっと辛いことなのではないでしょうか。しかし、吉田日出子さんは今現在でもこの病気と闘っています。この先どこかでまた吉田日出子さんの演技を見ることが出来るよう待つことしかできません。