エキスポランド事故の現在!風神雷神脱線の原因や目撃者
1970年に開かれた大阪万博のアミューズメントゾーンとして作られた遊園地の「エキスポランド」での悲惨な事故。ジェットコースターで乗っていた女性の首が飛んだ?!エキスポランドで起きてしまったなんとも無残な事故についてまとめてみました。
目次
エキスポランドとは
現在「エキスポランド」と聞いて遊園地かな?と思う方も多いのではないでしょうか?
エキスポランドとは、1970年に開催された大阪万博(日本万国博覧会)のアミューズメント施設として作られた遊園地をエキスポランドと名づけられ大型遊園地として始まりました。
そして大阪万博が閉幕した2年後、1972年に通常の遊園地として営業を開始し、多くの来園者を迎えました。
大阪を代表する遊園地として事故が起きるまで多くの人々に愛されていました。
エキスポランドの成り立ち
エキスポランドは、関西では老舗の遊園地として、遊技機メーカーの泉陽興業が発行済み株式数の22.5%を保有し同社グループで計37.5%を出資しており、ジェットコースターの「風神」は大手遊具メーカー「トーゴ」が製造したものとされ、同社は2004年に経営破綻し解散しています。
エキスポランドは購入後、平成4年3月から運用を開始し、導入後のメンテナンスや事故防止対策は所有者の同社が独自で実施していました。
エキスポランドにあった主なアトラクション
ここでは、エキスポランドに設置されていた主なアトラクションについてご紹介いたします。
現在、遊園地というと「観覧車」・「ジェットコースター」・「宙づり式のジェットコースター」など様々なアトラクションがあるかと思います。
では首切断事故が起きるまで、エキスポランドにあったアトラクションはどんなものがあったのかをご紹介いたします。
OROCHI(オロチ)
OROCHIとは、日本国内最大規模のぶら下がり式のジェットコースターとして作られ、ぶら下がり式のジェットコースターとは足が投げ出されるタイプのジェットコースターで、浮遊感を味わえるとても楽しめるジェットコースターとしてつくられました。
宙ぶらりんの状態で、回転をしていくため、かなりスリルのあるアトラクションとして愛されました。
ダイダラザウルス
ダイダラサウルスとは、1990年ごろまでに2つあった周回コースのジェットコースターを、2000年にスタート地点で二つにつなげて1つのジェットコースターコースにしたことからコース全長は2340mとなり、当時世界最長のジェットコースターとなっておりました。
また、同時に世界最長の乗車時間のジェットコースターでもありました。
全長が長いため、長時間のスリルが味わえ、絶叫好きな方にはもってこいのアトラクションでした。
ワンダーホイール
ワンダーホイールとは全長85メートルの巨大観覧車とされ、その大きさから最大級の観覧車として愛されました。
当時の観覧車の中では日本一の大きさであり、また世界最大級の観覧車とされていました。
夜にはイルミネーションも行われデートなどに利用されることも多かったとされています。
エキスポランドのジェットコースター「風神雷神II」の事故
そんな来園者の愛されたエキスポランドですが、乗車していた女性が死亡するという見るも無残な死亡し首切断され顔が見られないほどの事故が起こりました。
事故が起きたのは「風神雷神II」というジェットコースターのアトラクションでの事故でした。
このジェットコースターで起きてしまった悲惨な死亡事故とは何だったのでしょうか?
ここでは、首が飛び顔面が落ちたという死亡事故についてご紹介いたします。
「風神雷神II」の事故の概要・詳細
「風神雷神II」は立ち乗り式のジェットコースターとなっており、三井グリーンランド(熊本)に設置されたのが元祖「風神雷神」のニューモデルとして建設されました。
「風神雷神II」のジェットコースターで悲惨な死亡事故が起きたのは2007年の5月5日。ゴールデンウィークまっただなかに起きました。特に来園者が多い中の事故だったため、前代未聞の首切断事故は起こりました。
首と顔面が落ちる死亡事故が起きたのは、「風神雷神II」が動いている中で起きました。
「風神雷神II」の車両の中で、24人乗りの4つの空席を残し、20人を乗せて発車した車両の”風神”は、高速走行が始まるジェットコースターで、最初の谷を過ぎた山頂の付近で、2両目左の車輪を止めていた車軸が根元から折れ、ナットごと落下するという事故でした。
「風神雷神II」の車両の中で、24人乗りの4つの空席を残し、20人を乗せて発車した車両の”風神”は、高速走行が始まるジェットコースターで、最初の谷を過ぎた山頂の付近で、2両目左の車輪を止めていた車軸が根元から折れ、ナットごと落下しました。
「風神雷神II」はナットが破損したまま走行を続け、途中バランスを失った「風神雷神II」ジェットコースターは脱輪し左サイドへ車両ごと倒れてしまいます。
倒れた場所が非常用通路、メンテナンス用通路として人が通る用の通路が設置されており、手すりも設置されていました。
手すり側に倒れた側の人はその手すりに「風神雷神II」ジェットコースターに固定されたまま女性の首と顔面に激突をしてしまいます。
そして「風神雷神II」は首と顔面をぶつけた後でもしばらく走行を続け、停止しました。
この「風神雷神II」の事故により女性一名が左手すりに首と顔面を挟まれ死亡しました。
その姿は目撃者から、見るも無残な首切断死亡事故だったとされています。
その他当時エキスポランドにいた目撃者で、21名が負傷し病院に運び込まれたなど、首切断死亡事故を目の当たりにし被害者の顔を見てしまったなど、過度の恐怖や興奮によるPTSD(外的心象トラウマ)診断され、首切断死亡事故を目撃し気分の悪くなった15名も、病院で手当てを受けるという大きな首切断事故となりました。
「風神雷神II」の事故の事故が起きた理由
では、なにが原因で「風神雷神II」の首切断死亡事故が起こってしまったのでしょうか?
それは「風神雷神II」のメンテナンス不足が原因でした。
車両のナットなど、部品が破損して辺りに飛び散っていたという、事故現場の状況から金属疲労によるものが原因の首切断事故ではないかと推測されています。
脱線の原因は確かに現場検証の推測通り金属疲労であることがわかりましたが、その車軸は15年間取り換えられていなかったことがその後の調べで分かりました。
ジェットコースターの車軸は本来、毎日点検をする遊園地がほとんどでしたが、「風神雷神II」はその作業を15年間も行っていなかったのです。
「風神雷神II」のずさんな装置検査を行っていたことが明るみになってくるにつれて、2007年1月31日に「風神雷神II」の点検を行っていましたがそれらは目視点検のみであったとされています。
このような首切断事故を回避するための、本来必ず行われるはずのJIS検査基準である、素材・製品などを破壊せずに亀裂や摩耗といった欠陥の有無を確認する「探傷試験」も行われていなかったことも原因とされました。
「風神雷神II」の事故が起きる予兆はあった?
では、この悲惨な首切断事故が起こることは予知されていたのでしょうか?
首切断事故がいきなり起きるとは思えず、その顔が見れないほどの首切断事故が起きる原因の予兆は確かにありました。
首切断事故が起こる以前から乗車していた人が「いつもよりガタガタと動きがおかしかった」・「揺れが激しすぎる」など通常では感じられない不安感を感じる方も多かったといいます。
そのような声があっがても点検を行わなかったエキスポランドの杜撰な管理体制に不信感を抱いてしまうのは致し方ないものといえます。
風神雷神IIの事故の前にも事故が起こっていた
風神雷神II以外でもエキスポランドでは様々原因でアトラクションの事故は起きていました。
エキスポランドの杜撰な管理を知れば、納得できるかと思いますが、ではどのようなアトラクションどのような原因で事故が起きていたのでしょうか?
ここではそのほかのアトラクションで起きた事故と原因についてご紹介いたします。
ほかのアトラクションでも事故は起きていた
では、そんなエキスポランドで起きた事故についてご紹介いたします。
再営業した当日から小型ジェットコースターの「ワイルドマウス」が緊急停止するという事故が起きました。
その数か月後にもジェットコースター「OROCHI」の不具合や、急流すべり「バックスピン」の安全ベルトの不具合が原因で小学生の男の子が怪我をするなど相次いでトラブルが発生していたのも事実です。
エキスポランド事故の目撃者が語る当時の状況
では「風神雷神Ⅱ」の事故が起こった当時の目撃者が話すその場の状況はいったいどのような事故現場だったのでしょうか?
女性一人が死亡したジェットコースター。その現場を目撃した目撃者の心情なども含めてご紹介いたします。
死亡女性の首が飛んだ
この「風神雷神Ⅱ」のジェットコースター事故で死亡した女性、小河原良乃さんはこの日、会社の同僚6人と共にエキスポランドに遊びに来ておりました。
その事故が起きた当時、小河原良乃さんら6人は、ジェットコースターの一両目に乗る予定でしたが、自分たちが乗ってしまうと後ろに並んでいた3人の親子の乗る車両が別れてしまうため、その家族を配慮した結果、6人は事故にあった二両目に乗り、風神雷神Ⅱジェットコースターは発車しました。
発車した「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターは山頂部分の時点でナットが落下した原因で、手すり部分が小笠原さんの顔の部分に激突したのです。
激突時、小笠原さんの顔から腕の部分までもげ、その後小笠原さんの顔面が飛び、顔面が地面に落ちたとされています。
小笠原さんの顔面が切り離されてから約15分間、小笠原さんの死体は「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターもとに放置されていました。
その間一緒に同乗していた乗客や目撃者で、嘔吐を繰り返す人、ただ悲鳴をあげる人 動画や写真を撮る人など様々な人間模様があったとされています。
本当に首が切断したのか
では、本当に小笠原さんの首と顔が切断されていたのでしょうか?
当時「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターの事件を取り上げたフライデーなどの写真ではわかりにくいなどの中で、目撃者のみの証言のみが独り歩きしていました。
目撃者の証言では、首がエキスポランドの地面に落ち、首と顔がもう原型をとどめておらず、ミンチ状になっていたともいわれています。
その当時の顔を見てしまった目撃者の中ではPTSDを多くの人が発症したとされており、目撃者の心身共に心を痛めたとされています。
では。PTSDを発症した目撃者の心境やPTSDとは何なのかを次でご紹介いたします。
PTSDを発症した目撃者とPTSDについて
まず。PTSDとは日本語では、心的外傷後ストレス障害はとされており、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験を忘れることができず、その場面がフラッシュバックし、強い恐怖を感じるものとされています。
主に原因として、 震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などがPTSDになる原因になるといわれています。
エキスポランドの「風神雷神Ⅱ」ジェットコースター事故を目撃した目撃者の中でもPTSDを発症する人がとても多く、多くの人々の心に癒えぬ傷が生まれてしまいました。
事故が起き、顔が落ちた当時、泣き崩れたれた人もいたとされています。
ある女性は顔を見てしまい、表情固まり、がこわばった状態のまましゃべることができず、 事故の様子を思いだしては涙ぐんだといいます。興奮による過呼吸状態だった人もいたようです。
小笠原さんの顔を見てしまった目撃者の中では、子供から大人まで幅広い年代の人々が来園していましたが、「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターの事故の夢を見て何度も起きてしまい眠れない」 「事故を思いだすとその顔を思い出してしまい、涙が止まらない」などと、学生の目撃者などは、学校のスクールカウンセラーなどに相談に訪れています。
大阪府のある「心の健康総合センター」には「夜眠れない」「乗り物が怖い」などと多くの人が訴え、診療をしていたそうです。
エキスポランド事故のその後
エキスポランドではこの「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターで事故が起きた後どうなったのでしょうか?
杜撰な管理下で営業をしていたエキスポランド。
その後も営業が続けられていたのか?事故への対策なども含めてご紹介いたします。
「風神雷神Ⅱ」ジェットコースター事故が起きた後のエキスポランド
この「風神雷神Ⅱ」ジェットコースター事故が起きたエキスポランドは、事故発生直後からエキスポランドは閉園をし、杜撰な管理体制が明るみに出たため機関の縛りなしの長期間の閉園をとなりました。
このエキスポランドが起こした「風神雷神Ⅱ」ジェットコースター事故は、日本全国の遊園地にも多大な影響を与え、全国各地の遊園地に設置している遊具の緊急点検など行うなど、運航休止を余儀なくされる遊園地アトラクションも多くなる事態になりました。
その後、エキスポランドは2007年の7月20日にエキスポランド内のプールのみの営業再開を試みますが、当時の吹田市の市長の「全施設の安全が確認できない限りプールのみの営業再開は認められない」とこれを却下されてしまい、営業再開のめどが立たず、エキスポランド内のプールのみの営業再開は断念となりました。
ですがエキスポランドの再開はすることができ、2007年8月10日に遊園地として営業を再開しました。
エキスポランドの社長が再開日前日に記者会見を行い、エキスポランド内の全施設の安全確認を行い、被害者、小笠原さんの遺族から一定の理解を得たため、事故を起こした「風神雷神Ⅱ」ジェットコースター以外全ての施設の営業を再開する旨を発表したのです。
営業再開後のエキスポランドの全容
営業再開をしたエキスポランドですが、「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターの事故の影響により、思うように客足は伸びることはありませんでした。
2007年8月10日より営業を再開したエキスポランドですが、2007年12月9日には再び閉園というかたとを余儀なくされました。
それと同時に、事故を起こした「風神雷神Ⅱ」ジェットコースターの撤去を始めとした改修工事に入り、2009年の春にリニューアルオープンしようとします。
2009年にまた営業再開を試みますが、それを待つことなく、2008年10月にエキスポランドの自主再建を断念します。
そしてエキスポランドは、2009年2月に民事再生法を申請し破産手続きを申告。エキスポランドは倒産というかたちで閉園をしました。
エキスポランドはその後「エキスポシティ」へ
では、その後のエキスポランドはどのようなかたちで残ったのでしょうか?
遊園地として営業を続けられなくなったエキスポランドのその後についてご紹介いたします。
エキスポランドは農業体験型公園「ファームエキスポ」として再稼働をし、その後エキスポシティとして営業を開始します。
では、その農業体験型公園「ファームエキスポ」とエキスポシティとはどのようなものなのでしょうか?詳しくご紹介いたします。
農業体験型公園「ファームエキスポ」とは
農業体験型公園 「ファームエキスポ」とは 大阪府吹田市のエキスポランド跡地に建設された、農業体験型の 公園として開園しました。
畑の教室、貸し農園、産地直送野菜の直売所、などを行っており、畑の教室からはすぐ間近に、大阪万博で注目の的であった太陽の塔が設置してあり、大阪モノレールを望める場所なども設置してあります。
農業体験型公園 「ファームエキスポ」には、園内に桜が多く植樹されており、毎年満開の桜並木を望め、来園する人々の心を温めていたようです。
ファームエキスポ開園期間中には、何度かイベントも開催されていたようで、エキスポランド時代に使用して、イベント会場なども利用されていたようです。
園内には、栽培から収穫までが一通り体験できる、「エキスポ 畑の教室」が設置されており、収穫時のみの参加も可能だったそうです。
そのほか園内には、農産物直売所の「エキスポマルシェ」も設置されており、農産物販売はもちろんのこと、農産物以外にも、肉や魚などを販売されていました。
エキスポシティとは
農業体験型公園 「ファームエキスポ」契約に則りファームエキスポが2011年に閉園したその後、大阪府はエキスポランド跡地の利用事業者を公募し、教育、異文化交流をテーマとした複合型施設を提案した「三井不動産」を跡地利用事業者として選びました。
農業体験型公園 「ファームエキスポ」が開園した後、エキスポランド跡地に現在「ららぽーとエキスポシティ」というものが新たに建設されました。
現在も「ららぽーとエキスポシティ」は大型商業施設の位置づけで現在も営業が続けられております。
現在「ららぽーとエキスポシティ」は大阪駅から電車で40分。約305店舗が集まるら「ららぽーとエキスポシティ」のほかに、「感性にふれる」をコンセプトにした新感覚ミュージアム「ニフレル」が建設され、日本一の高さを誇る観覧車など、エンターテイメント性あふれる施設が集まる国内最大級の大型複合施設。とされています。
「ららぽーとエキスポシティ」は、エンターテインメントとショッピングの集積・融合を経営理念として営業を始めました。
大阪万博跡地に新たなコミュニティ環境を創り出すことで、45年前に開催した大阪万博の熱気と賑わいを呼び覚ますような施設を目指しています。
現在。ららぽーとでは、日本全国、海外からの人々に足を運んでもらうことで、後世にわたり、楽しい時間を過ごしてもらいたい。人々が集い交流する、世界に誇れる日本のランドマークになることを目指し営業を行っております。
エキスポランド以外の国内で起きた遊園地の事故
エキスポランドで起こった「風神雷神Ⅱ」ジェットコースター事故以外にも、日本国内では遊園地での事故も発生しております。
今現在、日本国内では、「東京ドームシティ」・「東京ディズニー・シー」「西武園遊園地」などなど数えきれないほどの事故がほかの遊園地で起きていることもまた事実です。
中でも現在までで発生した、有名な遊園地で発生した事故についてご紹介いたします。
東京ドームシティ遊園地でのアトラクション事故
東京ドームシティは東京ドームに併設されている大型遊園地の一つとされ、現在では東京ドームに来場する人々のほか、家族連れなどに親しまれている遊園地の一つです。この東京ドームシティでもアトラクション事故は起きています。
事故が起きたのは、平成23年1月30日の昼過ぎ、事故があったのは「スピニングコースター舞姫」というジェットコースターアトラクションで事故は起きました。
事故当時34歳の男性が乗車しており、男性はジェットコースターアトラクションのカーブに差し掛かったところで、高さ7~8メートルから投げ出されたとされています。
このアトラクションは全長約300メートルのレール上を座席の車両が回転しながら走行するというアトラクションで、最高速度は時速約40キロとなっていました。
このアトラクションの定員は4人で、それぞれ腰の1カ所をバーで固定するというつくりで走行をしており、男性は知人3人と来園していたといいます。
高さ7~8メートルから投げ出された男性はすぐに病院に搬送されましたが搬送の2時間後死亡が確認されました。
東京ディズニーリゾート遊園地でのアトラクション事故
現在、東京ディズニーリゾートといえば一番なじみ深いオリエンタルランドが運営をしている遊園地ですよね。中高生で出かけるなら「ディズニーランド!」と口をそろえるほどいろいろなアトラクションがあり、どの年代にも楽しめる遊園地のひとつです。
そんな現在、いちばん有名な夢の国のディズニーリゾートですが、ここでもアトラクションでの事故は起きています。
主な事故についてここではご紹介いたします。
トムソーヤ島での幼児の事故
1983年4月、ディズニーランドがオープン当初で開園してから1ヶ月も経たない頃、トムソーヤ島の岩場で遊んでいた幼児が転落するという事故が起きました。
幼児が岩場から落ちた時、頭がい骨骨折という重傷を負うこととなる悲惨な事故が起きました。
人が転落するという事故は、1度だけではなく、その後も同様のトムそーや島での事故が発生した為、ディズニーランドでは何度も岩場の改修が行われたとされています。
スペース・マウンテンでの事故
スペースマウンテンは現在、東京ディズニーランドで有名な人気アトラクションの一つです。
そんな現在でも人気なアトラクションで起きた事故は、1984年10月、スペースマウンテンに乗車していた女性が意識不明となり、病院へ搬送されましたが死亡が確認されています。これはアトラクションの不備とは言えませんがディズニーランド側は整備体制を厳しく見直しが行われました。
そんな事故の後、2003年10月5日、事故は起こりました。
スペースマウンテンの走行中に、車両の車軸が折れ、車両の脱線事故が起きたのです。
1980年代に多発した事故を懸念したディズニーランドの運営側はスペースマウンテンのアトラクションをお祓いし、その時のお札が今でも貼ってあるといううわさも流れているほどです。
2003年以降にもスペースマウンテンでは事故は起こっているのもまた事実です。
西武園遊園地でのアトラクション事故
西武園遊園地は埼玉県所沢市にある、西部レクリエーションが運営する遊園地です。
この遊園地の大きな目玉は大きな大観覧車といえます。ですがその目玉である大観覧車で事故は起きました。
2018年3月11日、大観覧車のゴンドラのドアの施錠をしないまま、小学3年生の男の子1人を乗せて1周させてしまうという事故が起きました。
事故当時、小学3年生の男の子1人が乗った観覧車のゴンドラが約20メートルの高さに達したところで、スライド式のドアの施錠ができておらず、20センチほど開いてしまったそうです。
男の子は観覧車の下で待っていた母親に、「鍵がかかっていなかった」ことを知らせ、自分でドアを閉めたとのことです。
西武園遊園地での規則では緊急停止が必要でしたが、そのまま観覧車化稼働し、男の子は無事に観覧車を降りることができました。
遊園地側の係員が鍵の確認をしなかったことが原因だとされており、この事故を受け、西武園遊園地は15日まで臨時休園をし、設備を徹底しました。
軽井沢おもちゃ大国遊園地でのアトラクション事故
軽井沢おもちゃ王国は低学年向けの子供を対象にした遊園地です。
建物も、小さな子供が楽しめるよう配慮された遊園地で群馬県に建設されています。
この軽井沢おもちゃ王国での木製迷路で事故が起きました。迷路の床が抜け、男女2名が怪我をするという事故です。
この迷路は木製で、立体的な構造をしており、子供と来園していた51歳の男性と、親戚の女性が2メートルほど下に転落したとされ、連れの子供は床が抜けた場所ではないところにいたため無事であったとされており、床から落ちた男女も幸いかすり傷のみですんだそうです。
アトラクション事故を振り返ってみて
さて、今までエキスポランドの事故やその原因、そのほかの遊園地で起こった事故をご紹介してきましたが、どれも遊園地の安全性を考えてしまう事故が多かったと思われます。
中でも死亡事故が起きてしまったアトラクションなどに乗るときは勇気がいりますよね。
しかし、現在では当時のような事故が二度と起こらないよう、遊園地側も細心の注意を払い、設備を整えているので、安心して遊園地を楽しんでください!
楽しむときは全力で楽しむことが一番のストレス解消にもなるでしょう。