ヨシフ・スターリンの名言・格言語録!独裁者の性格や生い立ちも紹介

みなさんはスターリンと聞いてどんなイメージが浮かびますか?ヒトラーや毛沢東のような独裁者のイメージが思い浮かぶでしょうが、いくつかの逸話や名言も残っています。ここではそんなスターリンという人物を掘り下げ、彼の残した名言、その背景や思想・哲学などを紹介します。

ヨシフ・スターリンの名言・格言語録!独裁者の性格や生い立ちも紹介のイメージ

目次

  1. 1ヨシフ・スターリンという人物
  2. 2ヨシフ・スターリンにまつわる逸話
  3. 3ヨシフ・スターリンスターリンはソ連の独裁者
  4. 4ヨシフ・スターリンの名言・格言
  5. 5ヨシフ・スターリンの最期
  6. 6第二のヨシフ・スターリンを生み出さないために歴史から学ぶ

ヨシフ・スターリンという人物

世界的な独裁者といえばヨシフ・スターリンやヒトラー

世界的な独裁者といえば数多くいますが、ソ連のヨシフ・スターリンは第二次世界大戦期にドイツのヒトラーと並び、独裁者としてその名を広めました。

第二次世界大戦にてスターリンは戦勝国であるソ連の指導者であり、ユダヤ人虐殺の行なったヒトラーこそ悪の独裁者というイメージを持たれますが、スターリンの行なった粛清をはじめ彼のために犠牲になった人の数はヒトラーを超えていると言われています。

さらにスターリンの後に生まれたポルポトや毛沢東、金正日といった悪名高い独裁者たちは、彼のマネをしていると言われていて、そういった意味では後世まで影響を与え続けています。

スターリンは名言や格言と呼ばれる言葉をいくつかあり、この記事では彼の生い立ちについて掘り下げ、彼が発した名言・格言についてもまとめていきます。

スターリンはどのような生い立ち?

スターリンは靴職人の息子として生まれた

のちに悪名高いソ連の独裁者となるヨシフ・スターリンは、グルジア(現ジョージア)において、靴職人の息子としてこの世に生を受けました。

「スターリン」とは彼のペンネームであり、本名は「ヨセフ・ベサリオニス・ヅェ・ジュガシビリ」といいます。

「スターリン」という姓は、ロシア語で「鋼鉄の人」という意味の言葉であり、後に自分で付けたペンネームです。

3人兄弟の末っ子として生まれましたが、兄二人は早くに亡くなっており、母の強い愛情を受けて育ちました。

神学校に進学したものの退学となってしまう

貧しい家でしたが、母の強い進めや彼自身の努力によって教会学校を優秀な成績で卒業し、1894年にチフリス高等神学校に進学します。

しかし、社会主義運動を行なう団体に加入し、そこでの活動を活発に行なったために1899年には退学となってしまいます。

こうして、彼は職業的革命家としての道を進むようになり、何度も逮捕されてシベリアに流刑にもなりますが、その度に脱走して革命運動を指導していったようです。

さらに、その過程でレーニンと運命的な出会いを果たし、強い結束のもとに革命推進の中心的メンバーとなっていきました。

スターリンとしての政治活動

活動中に発表した論文の筆名でヨシフは初めて「スターリン」を名乗った

労働運動を行う際、警察の目をごまかすために名前を変えながら活動を続けており、活動中に発表した論文の筆名でヨシフは初めて「スターリン」を名乗ったと言われています。

1917年にロシア革命が起き、レーニンを議長とするソビエト(ソ連)政権が樹立後はレーニンの配下として暗躍しました。

レーニンの死後は一国社会主義論を提唱し、一躍権力の中枢に躍り出てきてトロツキーとの後継者争いをするほどの活躍をするようになります。

トロツキーを罠にはめて失脚させた

トロツキーを罠にはめて失脚させた後、1936年に新憲法を制定すると絶対的な独裁者として地位を確立し、その地盤固めを強固にするため批判する者や反対勢力に対して容赦ない「粛清」を行ない、政敵と思われる人物の徹底的な弾圧を敢行していきます。

その後第二次世界大戦において、アメリカやイギリスなど連語国側とともに共同戦線を張り、反共を唱えるナチスドイツ戦に決定的な勝利を収めて、戦後には東欧諸国を支配下におき社会主義化を進めていきました。

ヨシフ・スターリンにまつわる逸話

退学後、次第に労働運動へ参加していった

貧しい家庭ではありましたが、母の進めや努力で教会学校を優秀な成績で卒業でき、神学校への進学も叶いましたが、進学した学校が合わなかったのか次第に労働運動へ参加をするようになっていました。

学校が許可しない書籍を読んで何度も懲罰を受け、最終的には退学処分となった後に一旦は仕事に就いたものの、労働運動を続けていたためロシア警察からもマークされてしまい、活動中何度も逮捕され流刑、その後脱獄といったことを繰り返します。

そんなヨシフ・スターリンですが、幼い頃の暮らしや流刑にされた時の暮らし、また得意なことなど、彼に関する色々な逸話も残っています。

ヨシフ・スターリンと母親との関係

ヨシフ・スターリンと家族との関係

有名な独裁者であるヒトラーやサダム・フセインは子供の時、親から虐待を受けていたと言われていますが、有名なソ連の独裁者であるヨシフ・スターリンも子供の頃、親から虐待を受けていました。

スターリンの父親はひどいアルコール依存症で、気に入らないと事があるとすぐに妻とスターリンを虐待していました。

さらにこの父親だけではなくなんと母親までもがスターリンを虐待していて、スターリンの母親のエカテリーナは息子が言うことを聞かなければ容赦なく殴ったといいます。

彼ら独裁者たちから幼い頃に親から虐待され続けたせいで徐々に心が歪んでいき、多くの人を平然と弾圧・殺害するような冷酷残忍な性格になっていったのかもしれません。

詩を得意としていた

詩を得意としていた

ヨシフ・スターリンは後世に残るような名言・格言を残していて言葉選びなどの才能があったと言われていますが、実際に詩を書くのが得意だったようです。

スターリンは16才の時に、「朝」と題する詩を作成し、1895年当時の有名な新聞「イベリア」の第123号に掲載されたことがあり、1916年には彼の書いた詩が教科書にも採用されており、詩人としての才能を持っていたようです。

のちにいくつもの名言や格言を残し、社会運動中に論文も執筆しているヨセフ・スターリンですが、幼い頃から詩人としての才能があったようです。

死刑と流刑

逆らうものは死刑

ヨシフ・スターリンは1930年代に大粛清という政治弾圧を行ない、自身の敵となり得る多くの人物を葬っていきました。

大粛清の最盛期と言われていた1937~38年の間に、およそ135万人が裁判で即決有罪判決を受け、その半数以上の68万人が死刑判決、63万人が強制収容所や刑務所送りになりました。

ヨシフ・スターリンは度重なるストライキと社会運動を扇動し、警察に何度も逮捕され、何回か流刑もうけています。

3度目の流刑でシベリアへ追放された際に地元の少女と関係を持ち、二児の子供の父親になったと言われています。

誕生日が2つある

誕生日が2つある

ソ連が公表していたスターリンの誕生日は1879年12月21日でしたが、彼の故郷であるグルジアの戸籍簿には1878年12月18日と書かれていたことがのちに判明しました。

その後何度か出生日の修正が行われたようですが、なぜ誕生日が2つあるような事態が起きたのかについて説明ができる人は現れなかったそうです。

ヨシフ・スターリンスターリンはソ連の独裁者

ヨシフ・スターリンスターリンはソ連の独裁者

ヨシフ・スターリンはヒトラーと並んで悪名高い独裁者として知られており、冷酷かつ残忍な性格の人物だったと言われています。

第二次世界大戦にてスターリンは戦勝国であるソ連の指導者であり、敵味方関係なく恐怖で支配し従わせていました。

ここでは彼の性格について掘り下げ、さらに彼が行なった恐怖政治についてもご紹介していきます。

スターリンの性格

スターリンは根暗だった?

ヨシフ・スターリンは冷酷かつ残忍な性格であり、人間不信で疑り深く臆病だったと言われていますが、その他にも権力欲と自己顕示欲が強い性格でもあったといわれています。

このような性格になったのは親から虐待を受けていたことや、出身地がグルジアであったこと、身長が低かったといった自身のコンプレックスが大きな影響を与えたようです。

また当時のソ連(ロシア)での社会的な背景や、警察に追われた日々が彼の心に大きな影を生み出したともいわれます。

逆らうものは容赦無く潰していった

たくみに権力中枢にのし上がった後は、確かな記憶力で自分のことを少しでも悪く言った者を覚えていて、タイミングを見て老若男女問わずにすべて殺していきました。

戦争で捕虜として捕らえられた兵士たちも「敵のスパイかもしれない」と容赦無く殺害していったそうです。

一方で愛妻家であったようで、愛妻エカテリーナが出産後にチフスに罹って新たときは深く嘆き悲しみ、しばらく仕事にならなかったとも言われています。

スターリンの行った恐怖政治

スターリンの行った恐怖政治

スターリンは粛清によって恐怖政治を続け、彼が実施した第一次五カ年計画によって自分の意に反する農民は強制収容所に送り、ポーランドに侵攻した時にはポーランド人を大量に虐殺しました。

少しでも逆らった者は敵味方関係なく容赦なく排除し、人々の心を恐怖で支配していくことで、誰も彼に逆らうことができないようにしていきました。

しかし、スターリンの行なった粛清の影響によって軍部も壊滅的な状態に陥っており、その状態でドイツと戦争を行なった結果、ソ連側の犠牲者が2000万人にのぼったと言われています。

ヨシフ・スターリンの名言・格言

悪名高いソ連の独裁者、ヨシフ・スターリン名言や格言をいくつも残した

自身に敵対する敵は抹殺・排除し、他国へ侵攻して多くに人の命を奪い、恐怖で人々の心を支配したヨシフ・スターリン。

彼は戦争や人命、神や政治、思想など、彼の考えや視点で発した名言や格言を多く残しています。

ここでは悪名高いソ連の独裁者、ヨシフ・スターリンの残した名言や格言についてご紹介します。

ここで紹介する名言・格言はスターリンが人命や戦争、人間の性に対してどのように思っていたか、また彼の性格をよく表しているような名言・格言ばかりです。

名言・格言①死に対する考え方

スターリンの死に対する考え方

ヨシフ・スターリンの死に対する考え方を表わした名言・格言は、「一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字でしかない」です。

スターリンの冷酷非情な性格をよく現わしている名言で、彼は多くの人を殺していきましたが、このことを免罪符のように使えば虐殺しても心は痛まなかったのかもしれません。

ただこの名言を大規模な自然災害や戦争においてあったときに思い出してしまうと、大衆の心理は確かにこの通りだと言わざるを得ないものがあります。

名言・格言②神について

人は自分で神を作り出し、それに隷属する

ヨシフ・スターリンの神に対する考えを表わした名言・格言は「人は自分で神を作り出し、それに隷属する」です。

一度は神学校で学んだスターリンが神について言及した言葉であり、神の存在を否定したスターリンならではの名言・格言です。

スターリンは神の存在を否定していた

神の存在を否定し、神なんていないから何も恐れない、何をしてもスターリンを隷属させることなどできないという開き直りにも見える名言です。

極度の人間不信だった彼は、人間の低俗な欲望や本能以外の崇高な慈愛や感謝の心、助け合いの精神などを一切信じていませんでした。

名言・格言③人間の性について

死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しない

ヨシフ・スターリンの人間という生物の性について表した名言・格言は、「死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。」です。

一読するとその通りであり、ブッダなども同じような意味の言葉を言っています。

しかし、スターリンはそれを逆手に取って「問題を起こす人間などいくら殺しても正義だ」と殺人を肯定化しているともとらえることできる名言です。彼の冷酷さや残忍さ、横暴かつ独善的な性格を明確に表した名言と言えるでしょう。

名言・格言⓸戦争について

軍事力によっての世界統一はできない

ヨシフ・スターリンが戦争が終わらない世界について発した名言・格言は「歴史は無敗の軍隊が存在しないことを示している」です。

この名言は古代エジプトや古代ローマなど、その時には確かに強大で無敵と思えるような軍隊でも必ずいつかは敗れ去り、衰退するといういわゆる盛者必衰について言っています。

領土拡大にこだわったスターリンですが当然世界統一はできておらず、東西冷戦という直接戦わない戦争を仕掛けたスターリンによるこの名言・格言は、「軍事力によっての世界統一はできない」ということを認めているようにも見えます。

名言・格言⑤恐怖について

恐怖は長続きする

ヨシフ・スターリンの恐怖に対する持論を表わした名言・格言は「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」です。

ナチスのヒトラーや、日本では織田信長なども圧倒的な恐怖心を部下に植え付けることで部下を従わせていました。

スターリンも実際に恐怖を利用して人々を操作し支配していたので、この名言はスターリンが恐怖というものにどれだけ価値を見出していたかということ、そして恐怖が人に与える絶大な威力を物語っています。

名言・格言⑥現実と理論について

打ち立てた理論を正当化するためには現実を変え、数値を変えてしまえばいい

ヨシフ・スターリンが詭弁を貫くために発した名言・格言は「現実と理論が一致しなければ現実を変えよ」です。

打ち立てた理論を正当化するためには現実を変え、数値を変えてしまえばいいというような、彼の横暴な考え方を表した名言です。

しかし、一度そのような行ないを許してしまえば、その理論を全うするために現実を変え続けなければいけなくなってしまいます。そのようなことは絶対にあってはならないと戒めとして使いたい名言・格言です。

名言・格言⑦選挙について

投票する者は何も決定できない。投票を集計する者がすべてを決定する

ヨシフ・スターリンの選挙についての考えを表わした名言・格言は、「投票する者は何も決定できない。投票を集計する者がすべてを決定する」です。

選挙の概念を無視しているような一言であり、当時のソ連という独裁国家で行われていた選挙がどれだけ茶番であったかを、暗に表しているような名言です。

それと同時に、現在でも行われているかもしれない不正選挙や不正な集計の有様を言い表しているような言葉でもあります。選挙管理がいかに大事であるか、得票数の不正に対する監視がいかに大切であるか、厳正な選挙管理の整備を現代に生きる人々にも問いかけてくるような名言と言えます。

ヨシフ・スターリンの最期

ヨシフ・スターリンの最期

多くの人々を殺害し、後世にまで残る名言・格言を残したヨシフ・スターリンですが、1953年3月5日に官邸内で急死し、死因は脳溢血(のういっけつ)であったと言われています。

しかし、スターリンの最期については他にも色々な説があると言われています。

側近によって殺害されたという説

スターリンは敵が多かった

一番強く疑われている説は「側近によって暗殺された」、または「発作を起こしたスターリンをわざと放置して死ぬように仕向けた」という説が濃厚であると言われています。

人を信用しない性格が仇になったという説

人を信用しない性格が仇になったかもしれない

彼は人を信用しない用心深い性格に加え、自分に対する反体制力や弾圧し達成力が自分に対して報復を行なうかもしれないことに対して不安や恐怖を抱き、必要なとき以外は人を近づけなかったとも言われています。

1人になっていた時に発作を起こし、発見が遅れて手遅れになったとも言われており、彼の人を信用しない性格が仇になってしまったとも言えます。

真相はもはやわかりませんが、側近によって殺害されたとしたらスターリンが周囲の人々からいかに憎まれていたかを表した話であると言えるでしょう。

第二のヨシフ・スターリンを生み出さないために歴史から学ぶ

第二のヨシフ・スターリンを生み出さないために歴史から学ぶ

この記事で紹介した名言・格言はスターリンが自身の行いを正当化するために発言したものあり、ヨシフ・スターリンが行なった行為については何一つ許されるべきものはありません。

しかし、スターリンも行なった行為が明るみになり、それについての考察も数多くある現在では、その行為や発言は後世に二度と同じことを起こさせないための教育的資料としての価値があると思います。

我々の子孫に明るい未来を残すために、そして彼のような人間を二度と生み出さないために、私たちはこれからも歴史から学び続けなければなりません。

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