宇都宮病院リンチ殺人事件の概要!石川院長の現在とその後!

宇都宮病院リンチ殺人事件を知っていますか?30年以上も前に精神科病院で起こった宇都宮事件で、2件のリンチ殺人事件をきっかけに、患者への日常的な暴行などで宇都宮事件は国際的な人権問題に発展する事件となりました。そんな宇都宮病院の石川院長の現在とその後とは?

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目次

  1. 1「宇都宮病院リンチ殺人事件」とは
  2. 2宇都宮病院リンチ殺人事件の詳細
  3. 3「宇都宮病院事件」事件発覚の経緯
  4. 4「宇都宮病院事件」当時の精神科病院事情
  5. 5「宇都宮病院事件」宇都宮病院の経歴
  6. 6石川院長が宇都宮病院でしていたこと
  7. 7「宇都宮病院事件」患者の処遇の悪化
  8. 8「宇都宮病院事件」裁判
  9. 9「宇都宮病院事件」のその後
  10. 10その後も裁判になった精神病院事件
  11. 11現在:患者の家族も病院の職員も気をつけたいこと
  12. 12宇都宮事件を風化させてはいけない

「宇都宮病院リンチ殺人事件」とは

1983年(昭和58年)に起きた宇都宮病院リンチ殺人事件のことを知っていますか?栃木県宇都宮市にある精神科病院報徳会宇都宮病院で起きた事件で国際的な人権問題に発展するほど酷く、注目された事件です。

この宇都宮病院で起きたリンチ殺人事件が公になったことで、精神病院のあり方を大きく変えるきっかけになりました。同じことを繰り返さないためにも、宇都宮殺人事件の概要を見ていきましょう。

入院患者が看護職員に暴行され死亡

宇都宮事件とは、2人の入院患者が看護職員によって暴行を受け死亡した宇都宮病院リンチ殺人事件です。

宇都宮病院の2人の入院患者がリンチを受けることになってしまった理由というのも、1人は夕飯を食べず、残飯入れに捨ててしまった患者に対し腹を立てた看護職員は数発殴打し、その際患者は噛んで抵抗しました。そのことで、メンツを潰されたと感じたから。

そして、もう1人の患者がリンチを受けることになってしまった理由は、お見舞いに来た知人に「こんな酷い病院はない。ここを退院させてほしい」と訴えたからなんだそうです。それを聞いた看護職員が「生意気だ」と言い、リンチを受けなければなりませんでした。

殺人事件の他に病院の驚くべき実態も発覚

この宇都宮事件の2人の患者さんのリンチ殺人が公になったことで宇都宮病院へメスが入り、宇都宮病院の実態が次々と明るみになっていきます。実際は2人の患者さんだけではなく、宇都宮事件発覚までの3年間で220名ほどの患者さんが宇都宮病院で亡くなっているそうです。

宇都宮病院では、患者同士で監視させ、反抗的な患者は集団でリンチ。電気ショックの罰、患者を私用に使い、病院の仕事も無料奉仕させていたりとやりたい放題で、研究のための人体実験なども行われていたり、殺人事件の他に驚くべき衝撃の事実が発覚していきました。

宇都宮病院リンチ殺人事件の詳細

宇都宮事件の被害者である患者さんはどんな思いをし、どんな暴行を受け、その後どうして亡くなってしまったのか。ここで、宇都宮事件として知られる2つのリンチ殺人事件の内容を見ていきましょう。

夕飯を残してリンチされた被害者

宇都宮事件のリンチ殺人被害者の1人は統合失調症の患者です。この宇都宮事件のリンチは、看護職員Aがあまり夕食を食べていない被害者を見つけたところから始まります。

被害者は「食べたくない」と看護職員Aが止めるのを聞かず、残飯入れに捨ててしまいます。そのことに腹を立て、看護職員Aは被害者の頬を殴りました。被害者は、殴られるのを避けようと看護職員Aの右手首を掴みます。

看護職員Aは、掴まれた右手首を怪我していて痛みを感じたこと、そして、他の患者が見ているのに抵抗されたことで面子を潰されと感じ、被害者の腰に回し蹴りをし、場所を小ホールに移動しました。

反抗的患者だということで看護職員B・手伝いのC(躁病で入院中の患者。石川院長に命じられ看護職員の手伝いをやらされていた)・看護職員Dも加わり暴行。その間に看護職員Aが金属製の鉄パイプを持ち出してきて、被害者が懇願するのも聞かず、かわるがわる殴りつけました。

被害者を四つん這いにさせ、80キロ近く体重のある大の大人である看護職員が飛び乗って踏んだり、体を踏み歩いたりし、被害者はうめき声もだせなくなっていました。

その後、小ホールのベッドに被害者はなんとか腰を下ろしましたが、看護職員手伝いCは後ろから蹴り、つけ突き落とし、倒れた被害者に飛び乗ってさらに暴行を加えました。30分以上も被害者である患者に対して暴行をしていたそうです。

リンチを受けた被害者のその後

宇都宮事件の被害者は暴行を受けたその後、床に倒れこんでいましたが、ようやく自分のベッドにたどり着き、腰や脇腹あたりを抑えて苦しそうに顔を歪めながら、うめき声をあげていたそうです。

水を飲む力もなく、やがて口から血の混じったよだれなど垂らし、次第に動かなくなり体も冷たくなっていっていきました。看護職員が駆けつけ、人工呼吸や吐物の吸引などをしましたが、蘇生することはなく、そのまま被害者である患者は亡くなってしまったそうです。

暴行を受けたため外傷性のショック死で亡くなった被害者ですが、宇都宮病院の石川院長は遺族へはてんかん発作による衰弱死との説明をしたそうです。

病院を出たいと訴えた被害者

宇都宮事件のもう1人の被害者は、アルコール中毒で入院している入院患者で、お見舞いにきた知人に退院したいと訴えたことを聞いた看護職人は、素手で殴りました。それから、興奮した看護職員たちはスチール製パイプ椅子を持ち出し殴り、さらに一斗缶いっぱいの冷水を頭から浴びせました。

それでも被害者の反抗的な態度が直らないといい、正座をさせモップの柄の部分で力一杯殴打したそうです。アルコール中毒の患者だった被害者は肝硬変が進んでいました。そんな中、暴行を受けたので静脈瘤が破裂してしまい、翌日患者は亡くなってしまいました。

石川院長は、遺族に肝硬変による吐血で止血死との説明をし、被害者の遺体を引き渡しました。遺体は内出血で赤黒い痣だらけだったそうです。

「宇都宮病院事件」事件発覚の経緯

宇都宮病院は、外部との接触を極力避け、患者同士で監視するように仕向け、脱走しようとした患者に対してリンチしたりと生き地獄のような状況だったわけです。では、どのようにして宇都宮事件が発覚したのでしょうか?

宇都宮病院に不法収容されていたA氏による暴露

宇都宮事件のリンチ殺人事件は、家族間の人間関係悪化により宇都宮病院へ措置入院させられてしまったA氏が退院し、暴露したことによって事件が発覚しました。反抗したり脱走したら看護職員から暴行を加えられる日常を目の当たりにし、脱走を断念したA氏。

ですが、諦めず入院中にリンチされ、亡くなった患者や暴行を加えた者たちの情報を内密に調べていたそうです。A氏は交際相手に運良く連絡が取れ、無事宇都宮病院を退院することができましたが、5年もの間入院させられていました。

A氏は宇都宮病院から退院後すぐに、警察へと宇都宮病院で起きている殺人事件について訴えましたが、告訴は拒絶されてしまいました。

朝日新聞により事件が明るみになる

宇都宮病院から退院したA氏の告発を受け、東大精神科医師連合は宇都宮病院担当班を設置し、弁護士や社会党と協力して朝日新聞と情報交換を行いつつ、社会問題のための用意を続けていました。

そんな中、またもや宇都宮病院で不審死や患者の殺害が行われたこと、そして、宇都宮病院の鉄格子の間から入院患者が紙飛行機にして出した手紙を見つけだしたことから、宇都宮事件のあった翌年である1984年(昭和59年)3月14日に朝日新聞は、宇都宮事件の患者2名の虐殺された事件を記載しました。

「宇都宮病院事件」当時の精神科病院事情

現在の日本では、精神科病院へ通うことは決して珍しいことではなくなってきています。ですが、宇都宮事件のあった30年以上も前の時代では、精神障害者へ対しての偏見や差別があり、精神障害者は社会から抹殺されるような扱いで辛い立場にありました。

現在でもそんな傾向はあるのかもしれません。ですが、宇都宮事件のあった当時の事情はもっと酷く、精神患者を家畜のように扱っていた背景をここから見ていきましょう。

精神科病院の経営がし易く儲かる時代

宇都宮事件のあった時代の精神医療は低レベルだった日本。1952年に、もともとアレルギー症状や花粉症を抑える薬であるクロルプロマジンから、ドーパミンを遮断する効果が発見されます。それから薬は発達し、精神科病院は薬物療法が用いられるようになりました。

薬物療法になったおかげで、精神科病院の経営がし易くなり、内科や産婦人科だった医者も、精神科病院に変更するほどだったとか。宇都宮病院の石川院長もその内の1人で、元々は内科医だったそうです。

患者隔離収容政策により少ない人員でも許可

宇都宮事件があった時代に開院した精神科病院は、一般の診療科に対して医師数は3分の1、看護師数は3分の2で良かったそうです。

事情によってはその人員数を満たさなくても良いというようなゆるい基準だったので、精神科医ではない他の医師や、全く病院と関係ない業種の人たちがオーナーになることもあり、精神科病院はどんどん増えていきました。

薬物療法によりうなぎの寝床状態で利益を上げる

上記でも説明した通り、精神科病院は薬物療法が用いられ、それまでは暴れる患者を抑え込むための拘束衣・拘束具、看護師等医療従事者による対応が必要で、人件費もかかり経営は大変でしたが、薬で患者が落ち着くようになり、数少ない看護職員だけでも対応できるようになりました。

その為、ベッドもなくウナギの寝床状態で患者を寝かせ、病床数を多くし、利益だけを増やそうとする悪徳精神科病院が多く、その時代は、宇都宮病院だけでなくでなく、他の精神科病院も同じように、虐待などで事件になることは珍しくなかったようです。

「宇都宮病院事件」宇都宮病院の経歴

では、宇都宮事件が起こった宇都宮病院とは一体どんな精神科病院だったのでしょうか。多くの入院患者がいる中で、資格のある医者は石川院長だけという状態だった宇都宮病院。ここから宇都宮病院の経歴をみていきましょう。

はじまりは石川院長が開院した石川医院

宇都宮事件であるリンチ殺人があった宇都宮病院の院長である石川文之進は、1925年(大正14年)10月2日生まれで、1949年(昭和24年)に大阪大学付属医学専門部を卒業し、翌年広瀬医院に医師として務めます。

それから1952(昭和27年)年、石川医院という診療所をはじめに開院しました。3年後には石川医院を医療法人大恵会石川病院として改組し院長に就任。そして、石川院長はまた3年後に分院まで設立し、どんどん病院を大きくしていったそうです。

1961年宇都宮病院を開院

もともと内科医だった石川院長ですが、その時代に儲かる精神科医に転身する医者が多い中、石川院長も例外ではなく、東大医学部精神科の研究生になり、内科医から精神科医へと転身しました。その時に、のちに問題となる東大医学部との人脈が作られたようです。

それから、1961年(昭和36年)に石川院長は宇都宮事件のあった報徳会宇都宮病院を開院しています。

1965年には病床数を300に増床

1965年(昭和40年)に、石川院長は国家資格である精神衛生鑑定医(現在では精神保健指定医)の資格を取得し、宇都宮病院に解剖室が新設され、病床数も300に増床しました。

しかしそこでは止まらず、1975年(昭和50年)には、宇都宮病院の病床数が722床まで増え、翌年には852床になでなり巨大な精神病院へと成長していきました。

宇都宮事件の発覚当時、宇都宮病院の病床数は920床!ですが920床に対し、入院患者はそれよりも多く948名もいたそうです。

東大医学部との癒着

石川院長が東大医学部精神科の研究生時代に繋がった東大医学部。宇都宮事件が発覚した時には、東大医学部の医師は宇都宮病院と共同研究をしており、宇都宮病院の入院患者を研究対象にした論文を数多く発表していました。

宇都宮病院は、東大医師の名義を借り、医師の人数のを増やして利益を増やし、東大というブランドでハクをつけていました。そして東大医師も入院患者を対象とした研究をすることができる他に、宇都宮病院から謝礼や研究費を受け取っているというギブアンドテイクの関係でした。

また、1981年には東大の近くに報徳会本郷新系クリニックを開院しています。そこでは実質的院長として東大病院外来医長である斎藤陽一氏が務めています。

石川院長が宇都宮病院でしていたこと

他の病院では断られるような患者を積極的に入院させ、どんどん宇都宮病院を大きくしていった石川院長。年収2億越えともいわれた拝金主義者である石川院長は、宇都宮病院でいったい何をしていたんでしょうか。

患者に無償労働をさせる

石川院長は、手が空いている入院患者たちに”作業療法”という名目で無償労働をさせていました。宇都宮病院の看護職員の手伝いや、各種検査、その他にも畑仕事をやらせたりと過酷な労働をさせていました。収穫した米や野菜を病院内の職員に売りつけたそうです。

ゴルフのアイアインを持って病院内を回る

石川院長は、ゴルフのアイアンを片手に宇都宮病院内を巡回していました。それは、反抗的な患者を殴るため、自分の身を守るためだそう。問診をしても、大した診察もせず、卑猥なことを聞いていたそうです。

他に、アルコール中毒患者が多い中、酒盛りをしていたりとやりたい放題でした。

食費・患者への差し入れ・小遣いの横領

宇都宮病院の入院患者の食事は、小さいおにぎりと沢庵のみだったそう。食費の質を落とし、その浮いた分を横領していた石川院長。患者への差し入れ、お小遣いなども横領。毎日無駄な検査に、患者に大量の薬を処方し薬漬けにしていました。

他には、一度入院したらなかなか退院できないなど。こうして、患者からも不当な金銭を奪い、私腹を肥やしていったんだそうです。

「宇都宮病院事件」患者の処遇の悪化

もともとアルコール依存症や薬物依存症などの精神病患者も他の病院では断られることが多く、警察や家族でも扱いに困る患者でも受け入れてくれるというありがたい精神病院でもあった宇都宮病院。

ですが、1960年代から宇都宮病院の内情が変わり始めました。給料の安い無資格の看護職員を積極的に雇い、適切な教育や訓練をすることなく「患者に舐められるな。反抗したら頭をぶち割っても構わない」と教え込み、暴力に抵抗のあるまともな人は解雇させられていき、最悪な状況へと患者は追い込まれていきました。

数々の違法行為が行われる

解剖室がある宇都宮病院。そこでは、脳の収集が行われていたようです。特異な患者が宇都宮病院へ入院し亡くなると、届出もせず資格のない看護職員やケースワーカーが解剖し、回収した脳などをホルマリン漬けにして研究材料として提供していました。

提供していた先は、石川院長が東大医学部精神科の研修生時代に指導してもらった、東大医学部脳研究施設神経生物部門に所属していた武村信義氏だといわれています。

そして、比較的症状の軽い入院患者には注射や点滴、脳波検査、心電図検査、レントゲン検査などを「1日6人」とノルマを与え、早く宇都宮病院を退院したい患者たちは、一生懸命ノルマをクリアする為に頑張っていたそうです。

患者と外部の接触も制限される

宇都宮病院の入院患者は外部の人間との接触を制限され、ほぼ接触できないような状況でした。公衆電話が院内にあるものの、患者のお金は管理されており、10円すら持っておらず通信手段も閉ざされていました。手紙もチェックが入るので、下手なことはかけません。

その為、宇都宮病院の日常的な虐待などは、A氏に告発されるまで気づかれる事がなかったようです。患者同士が監視し合う中、脱走しようものならリンチにあい、とても逃げようとも思えなくなるような環境で、宇都宮病院で入院するよりも刑務所の方がマシだと言う患者もいたようです。

東大の医師たちも内情を知っていた

病状検討会を録音したカセットテープには、宇都宮病院で入院患者に対して虐待行為が話題になっていることが記録されていたことから、東大医師は宇都宮病院の内情を知っていながらも黙認していたということが発覚しました。

宇都宮病院と東大医師の関係はお互いに利用し合う関係なので、虐待行為を知られ、患者がいなくなってしまうと研究ができなくなってしまったり、謝礼や研究費が手に入らなくなってしまうことが黙認していた理由だと考えられます。

「宇都宮病院事件」裁判

1984年の宇都宮事件が発覚してから、宇都宮病院の日常が明らかにされ、あまりにも衝撃的な内容だったため、世間でも裁判が注目されていました。栃木県警は宇都宮病院の関係者347人を取り調べ、石川院長をはじめ9人が逮捕。送検された容疑者は111人にもなり、17の罪で立件されたそうです。

宇都宮病院では、3年間で220人もの不審死があったにも関わらず、宇都宮事件といわれる2件のリンチ殺人事件のみ裁判にかけられ判決が下されました。

病院職員への判決

ご飯を食べなかった被害者の患者に対して、暴行を加えた病院職員の裁判の判決は、傷害致死・暴行行為など処罰に関する法律違反で、主犯格であった看護職員Aは懲役4年、そしてB・Cが懲役3年、Dが懲役1年6ヶ月となりました。看護職員B・C・Dは執行猶予がついています。

看護職員のお手伝いのCは、1981年から入院している躁病患者で、石川院長に命じられていたため事件当時、病院職員のお手伝いとして働いていました。裁判では、Cは犯行当時は躁病のため、心身耗弱状態であったとされています。

もう1人の被害者であるアルコール中毒だった患者への暴力も裁判で問われましたが、残念ながら死因と暴力行為の因果関係が認められませんでした。

石川院長への判決

石川院長は事件が発覚した同年の1984年(昭和59年)に宇都宮病院を辞任したものの、「診療放射線技師および診療エックス線技師法違反」・「保健婦助産婦看護法違反」・「死体解剖保存法違反」・「食糧管理法違反」で逮捕。

石川院長は、裁判で宇都宮病院の管理体制に対し責任を問われ、高裁で懲役8ヶ月の執行猶予なしという判決を言い渡されました。

宇都宮病院内での暴行行為や、220名の不審死、金銭搾取などが知られているにも関わらず、他の病院が受け入れない患者を受け入れたことが社会的貢献と評価され、実際に裁判で責任を問われたのは上の4つの罪だけでした。

東大の医師への処分

宇都宮病院に関係していた6人の東大医学部の医師は、裁判にかけられることはなく「患者の利益を考えずに研究を行ったこと」・「宇都宮病院の異常性を知りながら注意しなかったこと」・「東大教官が病院にその地位を利用されたこと」という理由で、東大医学部から厳重注意と注意という処分が下されました。

また、宇都宮病院に関係した論文を発表した東大の精神科医は精神神経学会で責任を追求されました。

石川院長や宇都宮病院とより濃く繋がっていた武村氏は、もっとも責任を取らなければいけない人物でしたが、東大脳研を辞任し、逃げこむように宇都宮病院へと移って常勤医になり、その後宇都宮病院の副院長になったそうです。

「宇都宮病院事件」のその後

宇都宮病院事件が朝日新聞によって世間に知られ、国外からも非難を浴びました。そんな宇都宮病院や石川院長はその後、いったいどうなったのでしょうか。

そして、人権を軽んじた精神医療の面で日本に調査が入り、精神衛生法を見直すきっかけになった現在の精神科医療はどう改善されたのでしょうか。

宇都宮病院の現在

宇都宮事件後も報徳会宇都宮病院は、その後廃院することもなく現在も通常運営されています。宇都宮病院のサイトには、宇都宮病院事件のことは一切触れていませんでした。ですが、日本医療機能評価機構の病院機能評価を受審し、認定されたということで、患者さんに安心して利用できるように書いてあります。

しかし、宇都宮病院の口コミはあまり良くないようです。宇都宮事件を知る人からの投稿は悪いのは当たり前ですが、事件を知らない患者や働いていた職員からの評価も、良いものと悪いものがありました。

宇都宮病院は精神科の他にも内科や、皮膚科、消化器科などもあるので、現在の宇都宮病院の口コミ評価は科によって差があるのかもしれません。

石川院長の現在

宇都宮事件の裁判後、石川院長は宇都宮病院を辞任し、石川院長の息子が院長を引き継いだようですが、現在宇都宮病院のサイトを見てみると違う方が院長のようです。ですが、神経・精神科の入院担当医に石川文之進と石川院長の名前が載っています。現在も現役なのでしょうか。

そして宇都宮事件の裁判後、石川院長は本も出版しており「精神医学と俳句」・「アルコール症ー病院精神医学の40年」・「静塔文之進百物語」がアマゾンで現在も発売されています。

「精神保健法」の成立

宇都宮病院で起こったリンチ殺人事件や、看護職員による日常的な暴行、無資格者である看護職員による医療行為などが世界的に明らかになったその後、国連人権小委員会において国際法上の問題として日本政府は非難されました。

そして、1985年(昭和60年)国際法律家委員会(ICJ)が日本の精神科医療の実態を調査しに訪れるなど、国際問題へと発展していきました。そして日本代表は国連差別防止・少数者保護小委員会で精神障害者の人権保護を改善することを明言。

そんな背景もあり、日本は宇都宮事件をきっかけに1987年(昭和62年)に「精神衛生法」は、精神障害者への人権保護を改善した「精神保健法」に改正し、今では当たり前とされている任意入院ができるようになりました。

精神病院に入院する精神障害者の人権擁護のため、入院の必要性や処遇の妥当性を審査する精神医療委員会が創設されました。他に、精神障害者の社会復帰を促進する動きもあるそうです。

その後も裁判になった精神病院事件

宇都宮事件が世界中に知れ渡り、精神障害者の人権問題を改善した「精神保健法」になったその後も、相変わらず裁判沙汰になる精神患者への事件は後が絶ちません。その中でも、宇都宮事件・宇都宮病院の日常と同じような有名な事件があります。

大和川病院も裁判沙汰に

宇都宮事件より前に、1979年(昭和54年)大阪の大和川病院で患者不審死事件が起きています。こちらも看護職員3人に殴られ、患者は亡くなりました。その時数名の患者が目撃していた為、退院後通報し、看護職員3人は逮捕されました。

その後、精神保健法に改善されたにも関わらず、1993年(平成5年)にも大和川病院は事件を起こしています。大和川病院から、肺炎ということで一般病棟に送られてきた患者は、全身打撲傷と助骨4本の骨折、そして砂漠を10日間ほど歩いたほどの脱水症状があり亡くなったそうです。

他に、大和川病院ではバットによる患者の撲殺事件を起こし裁判になっていますが、宇都宮事件同様それだけでは終わりません。

安田病院も裁判沙汰に

安田病院グループである大和川病院。安田病院も宇都宮事件同様の事件を起こしています。安田院長も拝金主義で、水増しや患者への暴力など、宇都宮事件と似た有様。安田病院診療報酬詐取事件として1998年(平成10年)の裁判で、安田院長は約24億円を返還し、懲役3年の実刑判決を言い渡されました。

安田病院も大和川病院も、強制的に廃院になったことで情報は少ないようですが、廃院したその後は大阪の心霊スポットとして有名になっていました。現在は住宅地だったり、某アミューズメントパークになっているとの噂です。

宇都宮病院と安田病院グループは、同じ精神病院で院長もほぼ同じようなことをしていたようです。

現在:患者の家族も病院の職員も気をつけたいこと

精神障害者のいる家族、精神病院で働いている職員が精神障害者の人権を守るために気をつけておきたい事のまとめがあったので載せてみました。もし精神科病院でお世話になろうとしている方がいましたら、参考にしてみてください。
・入院患者の意見は尊重されているか
・入院患者の行動制限は、治療上必要最小限か
・現在行っている行為は社会規範に合っているか
・患者の日常生活はどこまでの自由が保障されているか、されていない事は何か、それはどうしてか

精神障害は人によって症状もそれぞれですし、患者本人ではわからない事もたくさんあると思います。だからといって、宇都宮事件があったような病院に入院させないようにする為には、よく病院を観察し、信用できる医師かどうか見極める事が大事です。

宇都宮事件を風化させてはいけない

宇都宮事件は30年以上も前のことで、ネットも復旧していない時代です。ですが、現代の日本では誰がいつ精神病になってしまうかわからない時代ですが、悪い噂は確実に昔よりも知れ渡ります。

病院が身近になる日も遠くないことなのかもしれません。その為にも、宇都宮事件のような忌まわしい事件を知り、お世話になるかもしれない病院を自分でもチェックしましょう!

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