日本の鬼の名前の種類一覧!最強の鬼は何?

あまたの鬼が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する神国日本。その種類と名前は異名とともに重複しつつ民俗学者や自称妖怪博士、故水木しげる氏であろうと知り尽くす者はいません。存在も証明できない物の怪に、最強をとなえるなど。今回は日本の鬼に種類を絞り、まとめてみました。

日本の鬼の名前の種類一覧!最強の鬼は何?のイメージ

目次

  1. 1日本にはたくさんの鬼がいる!
  2. 2「鬼」の意味とは?
  3. 3日本の鬼の名前の種類一覧
  4. 4日本で最強の鬼
  5. 5日本の女の鬼
  6. 6日本の色別の鬼
  7. 7日本の妖怪の鬼
  8. 8鬼の正体の謎
  9. 9節分のはじまり
  10. 10神への通路

日本にはたくさんの鬼がいる!

日本にはたくさんの種類の鬼がいて、そのせいか鬼を自称する人、形容される人がいる。近年、ものごとの度合いの激しさを表すのに鬼ほどと言い、鬼~と言葉の頭につける若者も珍しくない。それほど私たち日本人は、知らず知らず多くの種類の鬼に囲まれて生きて来たといってよいだろう。

「鬼」の意味とは?

中国古代の儒学者(じゅがくしゃ)の朱子(しゅし)によれば、万物は気より成り、気が集まれば生が生じ、散じれば死にいたる。人の魂は魂魄(こんぱく)二対からなり、死すれば魂(こん)は天に昇り、魄(はく)は地に返るという。これは気が散じていく様子であるが、同時にその名前も変化する。魂は神へ、魄は鬼へという風に。

人が死んだら鬼籍(きせき)に入(い)るという古い言葉もある。鬼籍とは閻魔台帳(えんまだいちょう)のことで、いるとはそこへ記載されるということだ。

「鬼」の語源

大昔は鬼ではなく「もの」といった。それが「おぬ」、いないという意味の言葉へ変化した。見えぬものゆえに、この世ならざる超人的な力を持つ者。それはまた、わざわいを招くものにして、わざわいそのものでもあった。

また陰陽(おんみょう)や浄土(じょうど)思想とのシンクレティズム、ごちゃまぜにより、仏教的地獄における閻魔大王(えんまだいおう)配下の獄卒(ごくそつ)も鬼とされるようになった。

 
 

日本の鬼の名前の種類一覧

日本の鬼の種類も名前も多彩であり、とても端的に言い表すことはできない。概して凶悪であるが、その行動も時に悪から善へ変化する。色や形態も並び立てればきりがないが、一つあげれば宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)がある。

その巻一には、よく人口に膾炙(かいしゃ)した「こぶとりじいさん」の話がある。善良な爺(おきな)が鬼の宴会に出会う場面だ。見かけた鬼の種類は、赤や青、一つ目に口無しなど、異形のもののけたちが、どんちゃん騒ぎを繰り広げていた。色ごとに鬼の性格が違ったという。

1.霊鬼

読みは、れいき。死人の霊が悪をなす鬼と化したもの。代表は元興寺(がんごうじ)の鬼。毎夜、元興寺の鐘つき堂で童子たちが変死する事件があった。その中に雷神の生まれ変わりの腕力最強な童子があった。鬼は暗闇でその子に髪を引き回され、自分の墓穴へと逃げ去った。その頭髪は寺の宝物になったという。

2.邪鬼

読みは、じゃき。たたりする神、もののけ、怨霊(おんりょう)、悪鬼(あっき)とも重なる。上の画像は仏法を守護する四天王の一人、広目天(こうもくてん)に踏まれている邪鬼。広目天はその名前の通り、最強の目を持つ千里眼である。苦悶(くもん)に顔をよじらす短躯(たんく)の鬼は、真理を犯す報いを受けている。

 
 

3.羅刹

読みは、らせつ。ヒンドゥー教のラークシャサが仏教に入った名前。夜叉(やしゃ)と同じく、インドではアーリア人の侵入以前から木石水界の精霊とされていた。ヴェーダ、ラーマヤナまどの神話にも登場する。バラモン教、ヒンズー教では人を狂わせ喰らう魔物として描かれる。女性名はラークシャシー、漢字表記の名前は羅刹女(らせつにょ)。

 
 

しかしこの悪の化身も仏教に調伏(ちょうぶく)、打ち破られ改心したのか、それとも当時のグローバル宗教にのみ込まれてしまったのか、毘沙門天(びしゃもんてん)に使える仏の守護神、羅刹天(らせつてん)となり、元の性格を残したまま破壊と滅亡を司る鬼神となった。

 
 

4.夜叉

読みは、やしゃ。古くバラモン教などから登場する鬼神。インドにおける鬼神の総称。男名前はヤクシャ女名前はヤクシニー。

羅刹天同様に仏教な入り毘沙門天の眷属(けんぞく)となったが、人を喰らうような凶悪な性格も同様に残している。一方で慈雨(じう)のような性質も持ち合わせ、その美術表現における様式は水や樹木とも関係づけられる。

5.悪鬼

読みは、あっき。悪の原因とされる。天災や疫病(えきびょう)など人に対し様々な災難を振りかけるもの。仏教と修験道(しゅげんどう)では、それら諸悪を内魔、外魔(げま)の二種類に分けた。

内魔は修行者の心の煩悩(ぼんのう)の化身であり、外魔は具体的に修行を妨げるもの、また社会的悪など。悪神の内魔なら煩悩魔(ぼんのうま)、外魔なら天魔。

6.極卒

読みは、ごくそつ。先の羅刹天と重なる。地獄で死者を責めさいなむ鬼とされる。牛頭馬頭(ごずめず)は閻魔大王に仕える役人であり、地獄落ちの亡者共の骨まで粉砕するほど働く、役人のかがみである。亡者共にも寿命があるが、地獄の名に恥じず強制再生を繰り返し、死の安らぎは与えない。

報いを受ける亡者共はギリシャ神話のシジフォスを連想させるが、ここには奪われるような囚人の仕事も成果もない。牛頭人身、馬頭人身。五苦章句経(ごくしょうくきょう)では阿傍(あぼう)と呼ばれる。

7.餓鬼

読みは、がき。仏教観による世界モデル、六道(ろくどう、りくどう)の下から二番目の餓鬼道に生まれた者。六道とは輪廻(りんね)の受け皿である。餓鬼共は生前の強欲によって、飢えと乾きの餓鬼道に生まれ落ちるのだ。

触れれば全ての飲食物は青白い炎と化す。ギリシア神話のミダース王が手にするもの全て黄金へと変わり、水も飲めなくなったように。

口から常時火を吐く、口が針穴のよう、のどのコブがジャマをする、飲みこんでも火球となって飛び出す等々。なお仏教では種類を問わず、囚われの心が生み出す幻想世界、六道をさまよう輪廻の鎖を断ち切る解脱を最終目標とする。地獄道から天道にいたるまで、もはやどの世界にも生まれないことを願って。

8.子鬼

読みは、こおに、しょうき。種類というより小さい鬼、子供の鬼。西洋の妖精であるゴブリンやインプなどの名前の和訳として当てられることがある。

9.鬼神

読みは、おにがみ、きしん、きじん。仁王経(にんのうぎょう)には四天王に仕える八部鬼衆(はちぶきしゅう)がいる。先の羅刹天と夜叉に他六名の、最強の布陣で構成されている。

日本で最強の鬼

文化人類学者、民俗学者の小松和彦は、日本の中世以前において、最強に恐ろしい妖怪として酒呑童子(しゅてんどうじ)、玉藻前(たまものまえ)、大嶽丸(おおたけまる)をあげている。とすれば、この三者が日本最強ということになる。

ただしその論拠は宇治の宝蔵伝説によるもので、あまたの古典文学作品のネタになった伝説である。三者の二首と遺体を時の王権がその価値を認め、宝物庫に納めたことが最強理由だが、当然ながら実在する宇治の宝蔵には、かつてその最強リストが名前をつらねたことはない。

1.酒呑童子

読みは、しゅてんどうじ。丹波国(たんばのくに)の大江山(おおえやま)、もしくは国境の老の坂峠(おいのさかとうげ)に住んでいた伝説の鬼の頭領(とうりょう)、または盗賊の頭目(とうもく)。酒豪なため手下共からこう名で呼ばれていた。最強候補の有力株。その容姿は絶世の美男子とされる。

伝説では、毎夜、都の姫がさらわれ、宝物を奪はれるようになった。陰陽師最強の安倍晴明(あべのせいめい)のみたてにより犯人が特定されると、一条天皇により酒呑童子討伐令(とうばつれい)がだされた。

 
 

源頼光(みなもとのよりみつ)、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)がその任にあたった。頼光四天王と呼ばれる渡辺綱(わたなべのつな)、坂田公時(さかたのきんとき)、碓井貞光(うすいさだみつ)、卜部季武(うらべ の すえたけ)ら当時最強の四人が集められた。

頼光一党は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)である三人の翁からもらった神便鬼毒酒・神変奇特酒(じんべん、もしくは、じんぺんきどくしゅ)という酒を酒呑童子に振る舞った。この酒は人が飲むと力を与えるが、鬼が飲むと力を失わす効力がある。

渡邉綱は頼光から預かった宝刀の髭切(ひげきり)で酒呑童子の首をはねた。生首だけで頼光の兜(かぶと)に噛みつこうとする酒呑童子は、ラスプーチンよりしぶとい。御伽草子(おとぎぞうし)では、だまし討ちの怨(うら)みを吐き死んだとか。

2.茨木童子

読みは、いばらきどうじ。先の酒呑童子、第一の舎弟、最強候補の一人。大江山の鬼退治にて最強のリーダーを失い戦意を喪失、脱出をはかる。出身地は摂津国(せっつのくに)と越後国(えちごのくに)の二説がある。赤ん坊のときよりすでに歯が生え、巨体の持ち主で長じて鬼と化した。

茨木童子の説には一条戻橋(いちじょうもどりばし)と羅城門(らじょうもん)の二つがある。前者の方では、道に迷った若い美女の姿で登場し、同情をかって頼光四天王の一人、渡辺綱の馬に乗せてもらう。

たちまち鬼へと変じ髪をつかんで愛宕山(あたごやま)へ飛んで連れて行こうとした。綱は落ち着き払って、髭切で鬼の腕を切った。そこから刀を鬼切丸ともいうようになった。

 
 
 
 

帰って腕を見せると、安倍晴明は必ずや鬼が腕を取り戻しに来るといい、綱に七日間の物忌(ものい)みを命じた。彼は家に引きこもったが、七日目の晩に伯母がやってきた。年老いた姿で同情を誘い、鬼はまんまと腕を取り戻した。

茨木童子の出て来る物語はヴァリアント(異なる話)が多い。共通しているのは渡辺綱に腕を切られるが、腕を取り戻すため綱のもとに帰ってくるところである。また特殊な説として、茨木童子女性説もある。

3.牛鬼

読みは、うしおに、ぎゅうき。凶悪粗暴な性格で毒を吐き人間を喰い殺すことを楽しむ。最強の内に入れてもおかしくない鬼。頭が牛で体が鬼、または頭が鬼で体が牛とされる。百怪図巻(ひゃっかいずかん)などの絵巻物では、頭が牛で体が蜘蛛(くも)として描かれることが多い。

宇和島地方のお話はもっとも知られているようだ。伝説によると牛鬼は村で人や家畜を襲っていた。喜多郡河辺村(現・大洲市)在の山伏が退治を依頼され承知した。

ちょうど村を襲ってきた牛鬼に対決し、山伏はホラガイを吹き、おそらく雑密(そうみつ)の真言でいどんだ。牛鬼はひるみ動きが鈍くなった。山伏は剣で眉間を串刺しにし、五体をバラバラに斬り裂いた。その血は7日7晩の間流れ続け淵になったという。

 

この伝承は高知県土佐山、徳島県白木山、香川県根来寺など四国各地にもあり、それぞれ牛鬼淵の名を残してる。

日本の女の鬼

日本の女の鬼には嫉妬変身系が多くみられる。能の演目でも嫉妬によって人から鬼へと変わる、つまり般若面(はんにゃめん)の装着へとつながる流れと、僧侶による成仏または調伏が、ほとんどセットだ。最初から鬼としある説話は少ないのではないだろうか。

1.般若

読みは、はんにゃ。般若といえばお笑いコンビではなく、あの能面を思い浮かべる方が多いはず。般若面が登場する演目では、黒塚、道成寺(どうじょうじ)、葵上(あおいのうえ)などがある。その面の意味するところは女性の怨霊(おんりょう)であり、嫉妬(しっと)、怨(うら)み、怒りなどの負の激情である。

 
 

源氏物語には嫉妬のあまり葵の上(あおいのうえ)に生怨霊(いきおんりょう)として憑(と)りついた、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ、または、ろくじょうみやすどころ)が登場する。葵の上は般若経を読み御修法(みずほう)を行って怨霊を退治した。またその面の名前の由来は、般若坊という僧侶が作ったとされる説がある。

2.山姥

読みは、やまうば、やまんば。深山に住まい人を喰らう老女。 夜更けて山中で泊る当てのない旅人に、宿の提供を申し出てる。誘惑するさい若い美女の姿で近づき、食事を給し、寝床を整え、旅人が深夜熟睡中に喰らうとされる。

飢餓(きが)で捨てられた姥捨(うばす)てとする向きもある。グリム童話の魔女、または西欧の魔女などに相応するという説もある。

さまざまな説話において、山姥に遭遇(そうぐう)し襲われるのは山の道行を仕事とせねばならない職業の人たちが多い。上の動画のように牛方とか馬方、桶(おけ)や小間物などを売る行商人などがそれである。

3.鈴鹿御前

読みは、すずかごぜん。伊勢国と近江国の境にある鈴鹿山に住んでいた伝承上の女性。文献によっては立烏帽子(たてえぼし)とも記される。その正体は女盗賊・鬼・女神・天女・鬼神の第六天魔王もしくは第四天魔王の娘とされ、伝承や文献により、まちまちである。

また鈴鹿姫・鈴鹿大明神(だいみょうじん)・鈴鹿権現(ごんげん)・鈴鹿神女などの名前で呼ばれ、瀬織津姫(せおりつひめ)とも同一視され祀(まつ)られている。室町時代以降の伝承はそのほとんどが坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)伝説に関連し、坂上田村麻呂と結婚して子宝にも恵まれる。

4.鬼女

読みは、きじょ。若い女性の鬼。積年の怨念(おんねん)、前世からの宿業(しゅくごう)などによって鬼へと変じたもの。紅葉伝説が有名。

能の「紅葉狩り」では、戸隠山(とがくしやま)で鹿狩りの平維茂(たいらのこれもち)が酒宴を開いている女性たちに出会う。その素性は明かさないが、身分の高い女中に宴(うたげ)へ加わるよう誘われる。美女の舞と酒とで酔いが回る維茂。舞は激しさを増し、ついに鬼は本性を見せる。

が、鬼は寝たままの維茂に対し、目を覚ますなよと言い捨て、その場から消えてしまう。その夜、眠りの中で維茂は八幡宮(はちまんぐう)の使いから、美女ならぬ鬼神を討てと神剣を授かる。雷鳴轟(とどろ)く中、火を噴く般若面(はんにゃめん)の鬼は、神剣の威光の前に倒された。

5.鬼婆

読みは、おにばば。老女の鬼。安達ヶ原の鬼婆の話が有名。能の演目では黒塚。山伏(やまぶし)の一行が陸奥国(むつのくに)安達ヶ原がの山中にて宿を借りる。夜更けて家人の老媼(ろうおう)は、決して私の寝床は見ないでくれと言い残し、薪(まき)をとるため退出する。

山伏との口論の末、寺の下働きの能力(のうりき)が部屋をのぞくと、そこにはおびただしい死体が山と積まれていた。一行は逃げ出すも追いつかれ、山伏は数珠(じゅず)の法力でなんとか鬼を調伏(ちょうぶく)。鬼は自らを恥じ去っていった。

6.橋姫

読みは、はしひめ。橋姫の伝説には先ほどの茨木童子と同じ、一条大橋のエピソードがある。ストーリーは繰り返さないが、彼女は自ら進んで鬼になった。

ある公卿の娘がはげしい妬みに囚われた。貴船神社(きふねじんじゃ)に七日間こもり、妬ましい女を殺せる鬼神になれるようにと、貴船大明神に祈った。神は21日間姿を変え宇治川に浸かる条件を出した。

彼女は髪を五つに束ね、全身朱く染め、足のついた金輪を逆さに被ってそれへ火の点いた松明(たいまつ)を刺した。口には両端に火を点けた松明をくわえた。

 
 

彼女は鬼神になると次々と人を殺していった。女を殺すときには男の姿に。男を殺す時にはその逆に。そのようにして、一条大橋に渡辺綱が遣わされたのだった。

日本の色別の鬼

三条市による鬼の色別の種類分けは以下のとおり、赤鬼は金棒を持ち、人間のすべての悪い心を。青鬼は「さすまた」を持ち、貧相で欲深い心を。黄鬼は「かけや」を持ち、愚痴や甘えの心を。緑鬼は「なぎなた」を持ち、おごりたかぶりの心を。黒鬼は斧を持ち、疑いの心をあらわすという。

 
 

1.赤鬼

赤は貪欲(とんよく)を意味する。鬼の色の種類の意味するところは仏教の五蓋(ごがい)からきている。五蓋は瞑想(めいそう)修行をさまたげる煩悩の総称である。また、泥棒の仲間内で検事のことを指す隠語でもある。

 
 
 
 

2.青鬼

青は瞋恚(しんに)を意味する。それは怒り、とくに自分の意思、意志に逆らうものへの憤(いきどお)りである。

長野県の青鬼伝説。青鬼集落と岩戸山をへだてた鬼無里村(きなさむら)に大男がやってきて村人を苦しめていた。村人は思案し、なんとかこの大男を岩戸山の底なし穴に閉じ込めることに成功した。

時がたち、鬼無里村の北の戸隠村で鬼があらわれたという。それも不思議なことに、あの大男が村人を助け喜ばれていたそうだ。村人たちは大男が穴をくぐりぬけると同時、魂が入れ替わったと信じた。以来この大男をお善鬼様(オゼンキサマ)と呼んであがめるようになった。

3.黄鬼(白鬼)

黄、または白は掉挙悪作(じょうこおさ)を意味する。それは心の浮き沈み、後悔、甘えなどの自己中心性をあらわす。

4.緑鬼

緑は惛沈睡眠(こんちんすいみん)を意味する。倦怠(けんたい)、眠気、不健康などの常態をあらわす、いわゆるダウナー系だ。

5.黒鬼

黒は疑(ぎ)を意味する。疑心暗鬼(ぎしんあんき)がしめすように自信のなさ、卑しい気持ちがあらわれたものです。

五種類の鬼たちは結局のところ、私たちが打倒したい内なる自分自身ではなかろうか、それを退治するために、私たちは一年に一回、おぬ(透明な)鬼に豆をぶつけるのだろう。

日本の妖怪の鬼

鬼はおおむね人型であり、その概念は昔から日本にあったわけではなく、外来である陰陽道(おんようどう)や仏教からの大陸由来だ。妖怪は西洋におけるトロールと同じく、自然から生じた妖精的なもの、アニミズムではなかろうか。異形のもの、しかし目にはみえざるもの。日本的許容性からか、自然と鬼は妖怪の内に含まれてしまったようだ。

天邪鬼

読みは、あまのじゃく、あまんじゃく。天探女(あまのさぐめ)という神の計らいごとが由来とする説がある。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者、鳴女(なきめ)の雉(きじ)が天稚彦(アメノワカヒコ)のもとを訪れその言葉を伝えた。しかし天探女(あまのさぐめ)はその声を不吉と評し、結果、天稚彦(アメノワカヒコ)に矢を射させた。その矢は回りまわって天稚彦の胸につき刺さった。

また毘沙門天(びしゃもんてん)の鎧(よろい)の胴体部の鬼面が由来とする説もある。これはが中国の河伯(かはく)という名前の水鬼とされるが、同種に水鬼の海若(かいじゃく)がいる。それが日本で訓読み化され「あまのじゃく」となり習合したとか。

2.縊鬼

読みは、いき、いつき、くびれおに。中国における伝承としては、冥界には人口政策があるらしく、死人は勝手な判断で転生できない。転生には後任のものが必要不可欠で、今生きているものが当てられる。ただ死んだだけでは条件に合わない。自分と同様の死にざまが求められるのだ。

当然待ちぼうけは御免な者は、幇助(ほうじょ)を越えた、より積極的な働きかけをするようになる。首くくりで死んだものが、同じ首くくりで死なせようとするのだ。

鬼の正体の謎

鬼の正体といっても今まで触れてきたような心的なものや、フィクションばかりでなく、その実在可能な存在面からもアプローチしてみる必要がある。それには当然のことながら日本をこえ、古く遠く海外にまで視野を広げねばなるまい。

鬼の正体はバイキング?

バイキングは北方系ゲルマン人で、北ヨーロッパを主な活動範囲としていた。かつてはスカンディナヴィア半島、バルト海沿岸に住む人々のことをそう呼んでいた。彼らはもとは農民や漁師だったが、なんらかの事情(時代が違うが、例えば囲い込みのような)で食い詰め、ほとんどが略奪ではなく交易による商売に進んだものと考えられる。

倭寇(わこう)というのは日本人の海賊(かいぞく)だけを指すのではなく、とくにその歴史の後期においては、浙江省(せっこうしょう)、福建省(ふっけんしょう)の者が大部分を占めていた。バイキングも倭寇も歴史的経緯は省略されて、海賊(かいぞく)をさす名前になった。

 
 

彼らはコイン落としゲームのコインのように海へと落とされる。そこに国境はないが保証もない。その平均寿命は著しくみじかい。もしかしたら、それっぽい大柄な白人種が流れついたかもしれない。しかし、むかしは白人といえども庶民はそうそう肉が食えなかったから、背は低かったはずだが。

ちなみにバイキングが被る角のついた兜はローマと戦った古代ケルト人のもので、その風俗は後世の創作が多い。

鬼の正体は世捨て人?

柳田國男の遠野物語には、山に逃れた複数の人が出てくる。突然、山に呼ばれたようにいなくなった人たち。着の身着のまま虫を常食しながら、ふいに郷愁(きょうしゅう)にかられ人里に姿を見せるも、やっぱり山に帰るのだ。「山の人生」にも平地人を戦慄(せんりつ)せしめる話がある。

世間がひどく不景気だった年に、炭焼きの50ばかりの男が、子供を二人まで鉞(まさかり)できり殺した。女房はとっくに死んで娘の方は彼の子ではなかった。炭焼きというのは土地を持たず、もとでのいらない最貧者のやる仕事である。その日もいつものごとく何も売れず、帰って昼寝をした。

目が覚めると、子供がしきりに斧を(と)を研いでいた。「おとう、これでわたしたちを殺してくれ」と言って、あおむけに寝ころんだという。山の生活は過酷(かこく)である。そこに住むものが鬼のような身なりになり、この世ならざるものになったという願望を私たちが持ったとしても、不思議ではあるまい。

鬼の正体は金属工?

日本の鬼伝説には鉱山地である産鉄地、製鉄地が多いのは事実だ。話でも鬼が金工と関係したもの、鬼が金工師であるものもみられるとか。

また古代においては、渡来人が製鉄技術を有していたとされる。その異風や習俗、習慣が目立ち、めずらしさは時に畏怖(いふ)の対象ともなったろう。いつの間にか誇張が一人歩きしたのかもしれない。

節分のはじまり

節分は年中行事であり、日本の歴史の一部といっても良いだろう。豆まきの始まりは、平安時代の追儺(ついな)という鬼払いの儀式からである。古代支那大陸に始まったそれは文武天皇(もんむてんのう)の頃に伝わった。始めは貴族だけだったが社寺や民間でも広く行われるようになった。

大みそかに行われるのが通例だったが、江戸時代より立春の前日である毎年2月4日ごろに移った。厄(やく)を持つ鬼を穏鬼(かくれおに)と言うが、もともと鬼はおぬ、見えない者である。節分で豆をまくのは魔を追い払うためで、豆は魔滅のしゃれだとか。

鬼は鬼門(丑寅・うしとら)の方角、北東からやって来るとされる。だから鬼は牛の角を生やし、虎柄のパンツをはくのだ。

神への通路

羅刹天や夜叉、その他鬼にもみられる鬼の善行は何を意味しているのか。天魔など釈尊(しゃくそん)の悟りをさんざんジャマしておいて、釈尊の涅槃(ねはん)、いまわのきわに帰依(きえ)してみせた。

仏の悟りからはほど遠く、神仏より人間に近い。時に出世して鬼神となるが、そのままでも善行をつむことがある。生臭くも人間臭く、神仏と人との中間なのだ。鬼とは人にとっての神境への通路といったところだろうか。

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