寝ても寝ても眠い時のスピリチュアルの意味!やたら眠くて仕方ない!

寝ても寝ても眠い、眠くてしかたがないと、お嘆きの方もいるかと思われます。そこで、ただの生理現象とは捉えず、スピリチュアルな意味合いを見出さざるを得ない状況を考えてみました、寝ても寝ても眠いスピリチュアル的な意味と、その対処方について考察していきたいと思います。

寝ても寝ても眠い時のスピリチュアルの意味!やたら眠くて仕方ない!のイメージ

目次

  1. 1とにかく眠すぎてたまらないのはなぜ?
  2. 2その前にスピリチュアルとは?
  3. 3寝ても寝ても眠い原因とは?
  4. 4寝ても寝ても眠い時のスピリチュアルの意味
  5. 5寝ても寝ても眠い時の注意したいスピリチュアルの意味
  6. 6寝ても寝ても眠い時の対処法
  7. 7寝ても寝ても眠い仕事中の対処法
  8. 8眠いのは本当にスピリチュアル的な原因か?

とにかく眠すぎてたまらないのはなぜ?

寝ても寝ても眠い、寝たりない。季節や年齢関係なく、そんな時期が誰しもあると思われます。ここでは、医学的見解は無視します。まったくの健康体という前提。生まれ持った個人の体質、その時の環境と過ごし方、それらを考慮に入れず、そこから浮かび上がって来るものは何でしょう。

体を無視するといっても、体は一個体のみで構成され得ません。キルケゴールのいうように、関係としてのみ個があります。自分を含めた環境との循環と相互影響において、個と個が成り立ちます。それだけなら問題はありませんが、そこからはみ出すものがあります。あるというより、あることを希望するといった方が、より適切かもしれませんが。

そのバリの部分は何でしょう。それを心といってもいいし、意識といってもいいし、魂といってもいいはずです。身体から体を引き遡行(そこう)したもの。今回はそれを客観的、かつ普遍的に有るとみなすスピリチュアルの立場で、眠りとの関係を追っていきたいと思います。

その前にスピリチュアルとは?

スピリチュアル・spiritual・spiritualityとは、ラテン語の spiritusのからのキリスト教用語です。意味は、霊的であること、霊魂に関するさま。英語のspiritualでは、宗教的、精神的な物事、教会に関すること。または、精神の、魂の、霊の、教会の、神聖な、聖霊の、神の、超自然的な、等を意味します。

日本のスピリチュアルの最も通俗的意味である、霊性(れいせい)には、様々な由来があります。漢語の意味には、抜きん出て優れた性質、超人的な力能(潜在力)をもつ不思議な性質、天賦の賢さがあります。一方、肉体に対する霊(魂魄)の意味でも用いられます。

英語のspiritual・ spirituality(スピリチュアリティ)の意味では、特にカソリック教会において、敬虔や信仰、その実践の内実や伝統といった、宗教心のあり方を指します。神学用語としての霊性の起源は、5世紀に遡(さかのぼ)り、積極的に用いられるようになったのは、つい最近20世紀初めになります。

 
 

スピリチュアルブーム黎明期にドハマりした人たち

第一次世界大戦が勃発すると、『シャーロックホームズ』でおなじみのコナン・ドイルは愛国者として戦地に赴き、義勇軍をつくったり、兵士を鼓舞して回りました。その時の体験が、前からあったスピリチュアルの傾向を強めました。

1918年に著した『新たなる啓示』では、自らの戦争の体験を通じて「我々の愛する人は、死して後も猶生き続けているはずとの確信に至った」と表明しています。

戦後のドイルはスピリチュアル主義の布教を使命と感じ、世界中を巡りました。1925年には、パリの国際心霊主義者連盟の議長を務めました。彼が心スピリチュアルに費やした金額は、25万ポンドを超えると言われています。

コティングリー妖精事件(15歳と9歳二人の少女が妖精の写真を撮ったとされる)をめぐって、ドイルはこの写真を本物と断定して『ストランド・マガジン』に掲載させました。1922年には『妖精の到来』という本にして、事件のあらましを紹介しました。ドイルがそれを信じた理由は、少女に偽造写真を作る技術などないと思ったからでした。

論争を繰り返すこと、60年以上を経た1983年、かつて少女だった二人は、写真は妖精の絵を切り取って作った偽造だと認めました。19世紀、この時代にスピリチュアリズムに走った文化人、著名人は日本にも大勢いました。ドイルはその一例にすぎないのです。

寝ても寝ても眠い原因とは?


上で条件を示した通り、こちら(体)には問題はないとする立場をとります。他に原因を求めるならば、内ではなく外、「こちら」ではなく「あちら」になります。では、あちらとは、その動機とは、何でしょう。もう一度、前提を再確認しておきます。物理条件を抜きにしたもの。スピリチュアルという客観性の有です。

此方でなければ彼方に、彼岸に原因を求める。それが今の我々姿勢です。それが叶わぬなら、パウル・クレーのように「中間の世界」(Zwischenwelt)に、しばし遊び、それも叶わぬなら、ただ惰眠を貪るまで。

「この世で僕を捉(とら)まえることはできない 僕は死者たちのもとに そして未だ生まれていない者たちのもとに住んでいるのだから」パウル・クレーの墓碑に刻まれた言葉です。

寝ても寝ても眠い時のスピリチュアルの意味

――さて、私に何を訴えたいのか? 何をしたいのか? 何をしてもらいたいのか? 何をすべきなのか? いや、私は何を為すべきなのか?

メッセージが分からぬことには始まりませんが、他人が当人への手紙の封を破って読むことは出来ないのです。これは自然の摂理であって、法ではありません。各自の問題であって、存在者はいうに及ばず、存在さえもを脇に追いやる、共有され得ぬ課題なのです。

1.人生の転機が近づいている

スピリチュアルにおいて、執拗な眠気の意味するところは、魂のアイドリング状態であるとするのが主です。魂が次の展開に備え、エネルギーを蓄えつつ、身構えている状態とされます。覚醒した意識の気づかぬ内、転機という危機に変じやすい状態に備え、準備をしているというわけです。

もちろん、そこには魂があり、その機能には予知が含まれるという前提があります。魂・spiritは時空を超越している。それがスピリチュアルの定説というより常識です。

2.ツインソウルと出会った

ツインソウルとはスピリチュアルの世界の言葉ですが、ツインは二対という意味ではないそうです。この世に生まれ堕ちる直前に失くしてしまった、二分の一の片方づつ。本来は一なのです。

ツインソウルの出会いとは、うつしよの法則にはありうべからざる事態です。本来一としてあるものべきがニつある。唯一無二の自己同一性が同時に二つ、別々の位置に同時に在る状態。しかし、グノーシスやドストエフスキーの思想を待つまでもなく、この世が不完全なのは、万人の持つ実感ではありますが。

それは至福の体験となるでしょう。この世には全き理解者はおらず、家族も例外ではありません。異性ともなれば、片時も忘れられぬ恋に堕ちるでしょう。世間をまるで顧みない、アラブの悲恋物語、ニザーミーの『ライラとマジュヌーン』のごとく狂おしい恋に。

 
 

自ら物狂いを自認する美少年カイス=マジュヌーンは、ライラを求め砂漠を彷徨(さまよ)います。老婆に首と腰に鎖をつけさせ、二人で村から村へと物乞いをして歩く。やがて錯乱の果て、「愛しい女(ひと)」の言葉を残し彼女の墓前に息絶える。このようにツインソウルとは、時には破滅をもたらしかねない、そんな片割れなのです。

この物語からわかるように、現世において同一のもの(二にして一)が、同じ場所に留まることは許されないのです。その出会いは光輝に満ち、実り多い体験をもたらすでしょうが、悲劇に終わる運命を避けられないのは必然なのです。

ツインソウルに似ているドッペルゲンガー

ドッペルゲンガーのドッペルとはドイツ語のDoppelであり、英語のdoubleと同語源です。意味は、二重、生き写し、コピー、等です。独語の Doppelgängerを逐語訳すれば、二重の歩く者、二重身、になります。英語調にダブル、漢字では復体と書くことがあります。

ドッペルゲンガー(自己像幻視)は、古くから神話や伝説や迷信などで語られて来ました。肉体から霊魂が分離、実体化したものとされました。その影の出現は、当人の死の前兆と信じられ、恐れられて来ました。

フィクションですが、若くして結核を患っていた梶井基次郎の短編『Kの昇天――或はKの溺死』に類例がみられます。

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3.魂の故郷を訪れていた

デジャヴ(既視感)は主に生理現象とされます。夢やど忘れを介さず、過去に味わった実感覚があるのが特徴です。それは神経の経路が違うことで起こる、脳の情報処理プロセスが原因とされます。しかし、このような生理現象を考慮に入れないことは、最初に明言しました。

出会いの場所は、現存する土地であれ、睡眠中の夢の中であれ、覚醒時の霊性の目覚であれ、構わないようです。それが空間であれ人であれ、懐かしさや親しみを感じたら、それがあなたの本当の故郷かもしれません。その圧倒的安心感が武装(意識)を解除してしまい、眠りを誘発するのでしょう。

4.高波動のエネルギーを受けた

今まで内なる体験としてのみ述べてきましたが、内部にも外部との出会いがある、とみなす事に何の不都合があるでしょうか。今までのパターンとは違う、もっと直接的なものです。自身に属さぬ隔絶したものとの出会い。異なる霊性、神や悪魔、遠く離れた宇宙からの呼びかけ、そういった異質な他者のことです。

この場合、内部・霊性はステージと化します。その中で霊性・内部が他者と出会うという入れ子構造を呈します。ステージを提供しつつ、異質で隔絶したのものとの出会いとなれば、疲れるのは必至。相手が邪悪なものなら、なおさらです。防衛反応であれ、事後の疲労であれ、睡魔は必ず訪れるでしょう。

ムハンマドがヒラ―山でアッラーの使いである、聖霊(後のムハンマドの解釈では天使ガブリエル)の声、「読誦せよ!」を聞いた時、彼は全身が悪寒でガタガタと震えたといいます。これほど超越したものと対峙した時(神の側も無理をして人間界に降りてきたとする説もあります)には、もはや睡魔どころでは済まないのでしょう。

5.課題をクリアした魂が休憩している

ムハンマドといかなくても、俗人でも、一仕事終えた後には休息が必要です。それが魂における仕事なら余計にそうでしょう。そういう時には眠ることが肝腎です。寝ても寝ても眠いなら、身体に逆らわず、ただ泥のように眠りましょう。新しい展開に向け、英気を養うのです。

寝ても寝ても眠い時の注意したいスピリチュアルの意味

今までは睡眠の効用から遡って、スピリチュアルの善的側面に目を向けて来ました。善があるところ、必ず悪があります。無機物や動植物の世界のように、どちらも無いことはあっても、どちらか一方だけあることは絶対にありません。これからは、寝ても寝ても眠い事態を誘う、注意すべき点について述べていきます。

1.魂が充電を必要としている

これは、すでに上で述べた、転換期の備えと課題後の休憩に該当します。一つ気がかりなのは漏洩です。原因不明で気づかぬ内に、じょじょにエネルギーが漏れ出している状態です。他人が原因をみつけることは困難。それがただの眠気だけでなく、体にも影響が表れるなら異常のサインです。

睡眠を十分に取りながらも、心身ともに不快になり、不健康になる場合は要注意です。それがスピリチュアルな問題であろうがなかろうが、今すぐ病院へ駈け込んでください。考えるのは、その後です。

2.何かに憑かれたため魂が浄化中

疲れるのは、憑かれているのかもしれません。霊性に上下の差別があるとすれば、ずいぶん夢のない話。日頃、差別を連呼している人ほど、内面にまで差別を持ち込むものです。何のためのスピリチュアルか。それはさておき、憑く憑かれるも縁。憑くというからには、あなたにとって不利益をもたらす存在なのでしょう。

それは常に魂を蝕み、何もしていなくてもエネルギーを消費させる体の病と一緒です。気を病む、まさに病気なのです。霊的な免疫系の機構がフル回転で浄化活動をしているなら、それに合わせ覚醒時の活動はひかえるべきですが、不利益な対象との関係が未決着のままなら話は別です。

3.依存相手に生霊を飛ばしている

いついかなる時も、自分が被害者とは限りません。知らず知らず無意識で、誰かに周波や秋波を執拗に送っているかもしれません。一方的な恋慕や怨みなくしては生きていけないのは、相手に対する依存です。罪とはならずとも、自らの阿頼耶識(アラヤシキ)を汚します。薫風(くんぷう)というやつです。

わかりやすく例えるなら「悪い事を考えたり悪さばかりしていると、自ずと人相が悪くなる」というブーメラン現象です。誰の得にもなりません。事実関係を明らかにすることは、諦めることと同義です。人類の幼年期には科学は栄えませんでした。人間の発展にも同じことがいえます。自分が、こじれさせたものを迷信(イメージ)抜きで見ましょう。

ただ、ありのまま。それが諦めるということです。諦めるから真実(観念)が見えてくるのではありません。憑き・執着・夢・願望を除くのに修行なんか要りません。つまらない、ありきたりの現実を是認するだけで良いのです。腐る肉ではなく骨を(これ自体イメージですが、言葉とはそういうものです)。それが仏陀のいう悟りに他なりませんから。

寝ても寝ても眠い時の対処法

これからはスピリチュアルよりも、実際面よりの対処の話をしていきたいと思います。原因、縁因は一旦置き、具体的に考えるということです。

とにかく寝る

寝るに如(し)くはありません。お金もかからず、とりあえず寝られるんなら寝ておきましょう。特殊な病気は例外とし、スピリチュアルにおいては、眠気は良くも悪くも保留の意味です。長時間睡眠で餓死させられる睡魔、そのような霊はよもやいないでしょう。

いたとしても、大抵、周囲が放っておかないので、寝られるなら寝ていれば良いのです。さまよう霊とは孤独なもの。ゆえに、孤独な人に憑く霊は稀な気がします。孤独な人は生きながら、半分霊になっているのかもしれません。

人との関りを減らす

ディドロは孤独を悪と糾弾しますが、その逆に、ラ・ブリュイエールは関わりを不幸の源とします。人間関係の無いところから悪は生じません。不可能です。人間関係を温床に悪は生まれるのです。

神とて日曜日に安息しました。旧約聖書によれば休日に働くのは罪でさえあります。完全なる休息は、現代では無理なのかもしれません。電波が放っておいてくれませんから。

自然の中で過ごす

人の居ないとくれば、都会よりも田舎、自然となるでしょう。都会であっても個室に引きこもっていれば良いのかもしれませんが、それが最善だとも思えません。科学やスピリチュアルなど持ち出さなくても、空気の匂い一つ違うのです。後は推して知るべし。

寝ても寝ても眠い仕事中の対処法

今までは、際限もなく眠れる前提で話してきましたが、その方が普通でないことは言うまでもありません。生活には制約がつきもの。ここからはスピリチュアルを離れ、学校や職場での眠気対策を考えていきたいと思います。

眠くなったら体を動かす

運動には覚醒効果がありますが、それだけに留まりません。眠りとの間には相乗効果があるのです。運動すれば睡眠の質が向上し、良質な睡眠は運動機能を向上させます。良い眠りは、物事に積極的に取り組む気分を育みます。

体を動かさない完全休養では20~30%、体を動かす積極的休養では70~80%の疲労回復が認められたデータがあります。疲れているのに眠れないのは、じっとしていも、神経が興奮しているからです。適度な運動による体への刺激が、全体のバランスを回復させるのです。

それが仕事の合間の数分間であっても、何もしないよりはマシでしょう。ストレッチが帰宅後の良質な睡眠を誘い、眠気を軽減した明日へと繋がるのを期待して行いましょう。

パソコンのブルーライトで目覚まし

パソコンやスマホから発するブルーライトには、太陽の光に含まれる紫外線に近い性質があります。眠気は脳内のメラトニンというホルモン分泌でおきますが、ブルーライトにはメラトニンを抑制する効果があります。自然に近い光が交感神経を刺激して、脳が朝を迎えたと錯覚するのです。

その上、ブルーライトはセロトニンというホルモンを活発にします。それは覚醒作用を促し集中力を向上させます。視覚刺激は効果が迅速なため、睡魔に襲われたら液晶スクリーンを見るのも一つの手です。

耳たぶを引っ張る

両方の耳たぶを持って、下にゆっくり3秒間引っぱり、パッと放す。これを4、5回繰り返し、最後に耳全体を揉んで仕上げます。体が温まってくるてしょう。さらに、上下左右、斜めに引っぱれば、なおのこと良く、より効果的だそうです。

耳には100をこえるツボがあります。とくに耳たぶのツボへの刺激は、頭の疲れをとるのに最適です。そのせいか、最近では耳にハメて振動させる目覚まし時計も売られているほどです。

眠いのは本当にスピリチュアル的な原因か?

今更ですが、最初に無視した要因を見返してみましょう。作家の色川武大(いろかわ たけひろ)さんが患っていたナルコレプシーはいうに及ばず、過眠症というのがあります。原因は様々、一日のうち何度も睡魔に襲われ、集中力が低下する状態で、それが3か月以上つづけば過眠症と診断されます。

寝る時間が毎日不規則で、睡眠不足に陥っている場合は睡眠不足症候群と呼ぶそうです。運転手さんなど、それが重大な事故につながる仕事の方は、20~30分ほどの仮眠をとりましょう。それ以上の仮眠は逆に眠気が残ってしまうので、控えた方が良いようです。

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