福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相!【未解決事件】

今回は、福島女性教員宅便槽内怪死事件について調べていきたいと思います。この事件は現在でも未解決事件とされています。数々の疑問がある事件、福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相と詳細、犯人や関連人物について詳しく調べていきます。捜査の進展は?では、見ていきましょう。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相!【未解決事件】のイメージ

目次

  1. 1福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要
  2. 2福島女性教員宅便槽内怪死事件の警察の発表
  3. 3福島女性教員宅便槽内怪死事件の不可解な点
  4. 4福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物
  5. 5福島女性教員宅便槽内怪死事件の嘆願書について
  6. 6国内で報告されている未解決事件
  7. 7福島女性教員宅便槽内怪死事件の事件後の真相とは?
  8. 8未解決事件としての福島女性教員宅便槽内怪死事件
  9. 9福島女性教員宅便槽内怪死事件のそれぞれの結論

福島女性教員宅便槽内怪死事件の概要

福島女性教員宅便槽内怪死事件とは1989年2月28日福島県田村郡都路村(現在の田村市)で女性教員宅の便槽内から若い男性の怪死遺体が発見された事件です。この事件は未解決事件となっており現在でも数々の謎が残されています。

狭い便槽内になぜ、どうやって入ったのか?そしてその人物は村での人望も厚く、活動的であった好青年とされていました。そんな彼がなぜ?という多くの疑問がありました。

そんな福島女性教員宅便槽内怪死事件について詳しく調べていきましょう。

死亡したのは誰?発見者は?

福島女性教員宅便槽内怪死事件で便槽内で怪死状態で発見されたのは、同じ村内に住む菅野直之さん(26)とされています。菅野直之さんは福島第2原発の作業員であり、主任を勤めていたそうです。また、都路村の青年部に属していたようです。

発見者はこの便槽がある教員住宅の住人で、都路村立古道小学校の女性教員(23)です。トイレに入って何気なく中を覗くと靴のようなものが見えたことから、発見に至ったそうです。その後すぐに同僚職員らによって警察に通報されたとされています。

また、便槽内から遺体を取り出せずに重機を用いて遺体を取り出したそうです。取り出すことが困難であるほど狭かった場所で死亡していることも、福島女性教員宅便槽内怪死事件の謎の1つです。

なぜ便槽内に?

福島女性教員宅便槽内怪死事件の死亡者はなぜ便槽内で死亡していたのでしょうか?警察の見解によりますと覗き目的で女性宅の便槽内に侵入して、寒さと、窒息により死亡したとされています。

本当に覗く目的だったのでしょうか?福島女性教員宅便槽内怪死事件の被害者である菅野直之さんの知人などは納得していた人も多かったそうです。そもそも狭い便槽内にどうやって入ったのか?という謎もあります。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の警察の発表

福島女性教員宅便槽内怪死事件の警察の発表は上記でも紹介した通り、覗き目的で女性宅の便槽内に侵入後、寒さと窒息による死亡とされています。警察は福島女性教員宅便槽内怪死事件を事故死として扱っているそうです。

便槽を破壊してようやく取り出すことが出来たようで、検死までに2回死体を洗浄したそうです。検死の結果は「凍え兼胸部循環障害」とされているようです。その後の話では検死結果が発表時のものとは違うと言う説もありました。

それもまた、福島女性教員宅便槽内怪死事件の謎であると言えます。

警察の対応と周囲の反応について

福島女性教員宅便槽内怪死事件の被害者である菅野直之さんの知人や周囲の人たちは事故死として処理されたことに納得がいかなかったようです。菅野直之さんは両親と祖母の4人暮らしでスポーツや音楽が好きな好青年だったと言われています。

また明るく人望もあり、結婚式の司会等も良く頼まれていたそうで、村の村長選挙でも応援演説をするほどの人物であったことから、覗き目的で便槽内に侵入するはずはないと強く反発したそうです。

様々な説がありどれも信憑性があるのもこの福島女性教員宅便槽内怪死事件の特徴であるとされています。一体どれが福島女性教員宅便槽内怪死事件の真実なのでしょうか。

4000人の署名

福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相究明を求める人たちが多く存在し、再捜査を求める署名活動が行われ、1ヶ月あまりで約4000人もの署名が集まったそうです。

しかし、警察はあくまで福島女性教員宅便槽内怪死事件には事件性はないとし、取り合わず、再捜査は行われなかったとされています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件がどれだけ不可解な点や、謎が多かったかがこの4000人の署名嘆願書からも読み取ることが出来ます。

どうやって便槽内に入った?

多くの謎が残されている福島女性教員宅便槽内怪死事件ですが、その謎の一つに「どうやって便槽内に入ったのか」というものがあります。便槽内に入るためには狭い入り口を通る必要があります。

この便槽内への入り口とされる建物外の汲み取り口の直径は36センチしかなく、普通に考えても成人男性が入ることが出来る大きさではないことが明白です。

しかし、実際に入っている状態で発見されているので、何らかの方法があった。として福島女性教員宅便槽内怪死事件の調査が進められました。

25~29歳男性の平均肩幅は40.4センチであると当時の調べでは言われています。菅野直之さんが小柄であったとしてもこの女性教員宅の便槽内に入るには非常にギリギリであることがわかります。

しかし、実際に菅野直之さんはこの女性教員宅の便槽内に侵入し死亡しています。これはこの福島女性教員宅便槽内怪死事件の一番の大きな謎であるとされています。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の不可解な点

この福島女性教員宅便槽内怪死事件の不可解な点とされているもの調べていきます。まず、取り上げられたのが上記でも紹介した、どうやって便槽内に入ったかです。

また、死体として発見された菅野直之さんですが、警察の見解では覗き目的での侵入とされていますが、菅野直之さんの知人などは、覗き目的で便槽内に侵入する人間ではないとその人柄などから警察の見解に強く反発しています。

発見者の女性教員と菅野直之さんは知人であるとされています。女性教員は24~27日まで休暇をとっていて留守だったとされています。知人であったなら留守であることを知っていた可能性があります。

留守なのに覗き目的で便槽内に侵入するということは普通考えにくいです。また、菅野直之さんの足取りも不可解な点があります。

死体で発見される4日前から足取りが途絶えていたそうです。発見されるまでの間に何が起こったのか。真相は明かされていません。

菅野直之という人物

死体で発見された菅野直之さんはどのような人物だったのでしょう。詳しく調べていきます。菅野直之さんは上記でもいくつか紹介しましたが、福島第2原発の作業員であり、主任。また都路村の青年部に属していたとあります。

青年部のレクリエーション担当部長もしていたそうで、中心的な存在であったそうです。明るく人望もあり、結婚式等の司会も良く頼まれていたようです。

スポーツや音楽が好きな好青年であったとようで、高校時代には友人とバンドを組んでギターを弾いていたそうです。また、自ら作詞もしていて作詞ノートも何冊も残しているそうです。

そんな菅野直之さんですが、その人柄、人望から村の村長選挙では応援演説を頼まれるほどだったようです。

周囲からの人望もあり、明るく活動的だった菅野直之さんがなぜ覗き目的で女性宅の便槽内に侵入したのでしょうか。周囲から疑問の声が上がるのも当然と言えます。

菅野直之さんが死体で発見されるまでの足取り

菅野直之さんの足取りにも不可解な点がありました。死体で発見される4日前の24日から足取りが途絶えていたそうです。5日前の23日に先輩の送別会に出席し、翌24日深夜1時ごろに店を出たそうです。

その日の午前10時ごろに、居間でテレビを見ていた父親に「ちょっと行ってくるからな」と言って出かけたそうです。そこから死体発見までの4日間、菅野直之さんの足取りは途絶えてしまっています。

菅野直之さんの車ですが、車は女性教員宅の近くにある農協の駐車場にありました。カギを付けた状態で発見されています。

死体発見当時死体は片方靴を履いていなかったそうで、そのもう片方靴は土手で発見されています。また、死亡推定日が26日、発見されたのが28日であることから、足取りが途絶えてから2日間生きていたことになります。

その間、菅野直之さんはどこで何をしていたのでしょうか。

再捜査の却下

事故死の見解に疑問を抱いた村民たちによる4000人もの署名が三春警察署に提出されたのにも拘らず、警察は福島女性教員宅便槽内怪死事件には事件性はないとして、再捜査の申し出を却下したそうです。

なぜ、これだけの怪死事件を再捜査しなかったのでしょうか。ここでも不可解であると言わざるを得ない点が多数出てきます。

過去にあった女性教員へのいたずら電話

発見者である女性教員は過去にいたずら電話の被害にあっており、彼氏に相談、彼の友人であった菅野直之さんも一緒にこのいたずら電話に対応したそうです。そのことから女性教員と菅野直之さんとは知り合いとなったようです。

女性教員の彼氏と菅野直之さんの2人でそのいたずら電話を録音し、福島県警察に届出していたそうです。しかし、福島県警察は取り合ってくれなかったとされています。

菅野直之さんの知人の話では、菅野直之さんはこのいたずら電話の犯人をほぼ突き止めていたそうです。この犯人がこの福島女性教員宅便槽内怪死事件に関与していたものなのか。それは謎のままです。

しかし、何らかの関与があると疑っている人もいるそうです。もしそうだとしたならば、この犯人の復讐、または組織的な殺人事件であるとして、現在でもこの未解決事件を調べているようです。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物

この福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物についてですが、調べたところ意外にも多く情報がありました。では、福島女性教員宅便槽内怪死事件の関連人物とされている人たちはどのくらい、またどのような人物なのでしょうか。詳しく調べていきます。

全員が福島県田村郡都路村の人間でした。

関連人物1~菅野直之~

まず、最初に紹介するのが今回の福島女性教員宅便槽内怪死事件にて怪死した菅野直之さんです。菅野さんの説明は上記でも紹介した通りになります。菅野さんはもちろん福島県田村郡都路村の人間です。

ここまで紹介してきたものに加え、福島田村郡都路村長選挙に不満に思っていた部分があったのではないか。という情報がありました。それは、菅野さんが支持していた現職の村長は選挙戦に苦戦していたことが関係しているようです。

選挙戦に苦戦していた村長は、お金を使い票の獲得をしていたのではないかという疑惑があります。菅野さんはその正義感の強さから、警察に通報しようとしていたのでは?と言われているそうです。

そのことからも事故死ではなく殺人事件なのでは?と思っていた人も実際に多くいたそうです。福島県田村郡都路村ではそのようなことがよく囁かれていたとされています。

関連人物2~女性教員~

発見者とされている女性教員です。福島県田村郡都路村にある都路村立古道小学校の教員で、この事件の便槽がある教員住宅の住人であり、帰宅後トイレに入り何げなく下を覗いたときに死体を発見したそうです。

この女性教員に関する噂は多数ありました。元ヤンキーであり、福島県田村郡都路村内に関係を持った青年が複数いたとの情報がありました。また、同僚の男性教員と恋人関係にあり、婚約もしていたそうです。

しかし、この婚約は後日破談したとされています。また今回死体で発見された菅野さんとも恋愛関係にあったともされています。これは福島県田村郡都路村の元村会議員が言っていたとされています。

過去にいたずら電話の被害にもあっていたことも確認されており、交際していた男性関係に問題があったのではともされています。

関連人物3~女性教員の婚約者男性~

発見者であるとされている女性教員の当時の婚約者であり、同じ村内の小学校に勤務していた男性教員です。菅野さんと同じ村の青年会のメンバーであったようです。

福島県田村郡都路村の村長選挙の参謀Wの次男であるとされているようです。

関連人物4~青年会会長A~

菅野さんは所属していた青年会の会長であり、友人でもあるA。Aは村長選挙の参謀Zと親しかったとされています。

Aは村長からお金を受け取っていることを否定していたそうです。また、菅野さんが参加していた送別会に参加しており、飲み会後、菅野さんは自分の車で帰ったと証言していることが分かっています。

関連人物5~女性教員宅近所に住む男性~

福島県田村郡都路村の女性教員宅の近所に住んでいて、過去に女性教員にいたずら電話をしていたのではないかと言われているようです。当時51歳であるとされています。また、過去に犯罪歴もあったそうです。

女性教員のことは知らないと証言していたそうですが、後に証言を変え、「遠くから見ても男が好きそうな体系をしている女だ」と言っていたことが確認されています。

福島女性行員宅便槽内怪死事件の発覚時、出稼ぎに行っていたため事件のことは知らないと言っているようです。

関連人物6~菅野さんの後輩B~

菅野さんの後輩で、菅野さんと同じ青年会に所属していたとされています。村長の経営する建設会社の経理を勤めていたようです。

Aと同じく菅野さんの参加した送別会に参加、飲み会後、菅野さんは自分の車で帰ったと証言しています。

関連人物7~村の郵便配達員C~

村の郵便配達員であり、菅野さんと同じ青年会に所属したとされるC、Cは選挙活動で日当ととしてお金を受け取っていたとされています。とある建設会社に差し入れを届けたとも証言しています。差し入れとはつまり、お金のことだと推測されます。

他の青年会のメンバーと同じく菅野さんが参加していた送別会に参加していて、その際に菅野さんから「明日会わなくてならない人がいる」ということを聞いていたことがわかっています。

会いたくない様子だったと、遺族に語っていたそうです。また、他の青年会のメンバーと同じく菅野さんは自分の車で帰ったことを証言しています。

関連人物8~青年会員D~

Dは菅野さんと同じ青年会に所属していて、農協の職員です。事件後農協の駐車場に菅野さんの車があることを遺族に知らせていたとされています。

また、遺族に「気になることがある」などと話していたそうですが、後に「やっぱり無かった事にして」と発言しているそうです。

関連人物9~現職の村長~

この村の現職の村長。原発推進派であることがわかっています。当時、選挙戦で約8000万円ほど使ったのではないか。との情報もありました。

関連人物10~村長の選挙参謀Z~

Zは村長選挙の参謀を勤めていたとされています。村会議員であり、菅野さんの親族とは古くからの付き合いであるようです。

Zの奥さんがZは便槽内に死体があることを知っていたようだとされていますが、菅野さん宅に「どこへいった?」と訊ねていたらしいです。

なぜ知っていたのか、という謎が生まれます。

関連人物11~村長の選挙参謀W

村長の選挙参謀であるとされているのがWです。Wの長男が事件発覚時にバキュームカーを手配したとされています。また、次男は女性教員と婚約していたとされる男性教員と言われています。

関連人物らによる発言と、この事件の真相

上記で挙げられた関連人物の発言が行動などから福島女性教員宅便槽内怪死事件は、警察の見解である事故死と簡単に片付けるには無理があるのではと思うくらいに、不可解な点や不審な点が多くありました。

多くの人たちが著名活動に参加したのもなっとくがいきます。しかし、なぜ警察はこの著名を半ば無視し事件性はない、事故死であるとしたのでしょうか。

なにか事故死として処理しなければならない理由でもあったのでしょうか?そう疑う人も多くいるようです。

これだけ多くの人の署名があるのにも拘らず、事故死として処理された背景には一体何があるのでしょうか?この福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相はそこに隠されているとして、現在でも事件の詳細を調べている人もいるそうです。

果たしてこの事件の真相とは何なのでしょうか?

福島女性教員宅便槽内怪死事件の嘆願書について

福島女性教員宅便槽内怪死事件の嘆願書は、約4000人の署名がされたとあります。福島県田村郡都路村は現在は合併され、福島県田村市都路町となっているようです。現在の福島県田村市の人口は約3万人と言われています。

合併により5つの町村が合わさってこの3万人という数字になっているわけですが、このことを考えても当時の福島県田村郡都路村の人口は1万人もいなかったくらいではないかと推測されます。

4000人という数字は当時の福島県田村郡都路村の人口の約半数であると言えます。これほどまでに多くの署名がされた背景には、この福島女性教員宅便槽内怪死事件が覗き目的での便槽内への侵入。

その後寒さと窒息による事故死で片付けられるような事件ではないことが明白です。また、多くの不可解な点、不審な点に疑問を抱くのも当然であるとされます。

警察による隠蔽説

これだけ多くの人の署名がされた嘆願書が提出されたのにも拘らず、警察が再捜査をしなかった理由は一体何なのでしょうか。警察による真相の隠蔽説を疑う人もいます。

この福島女性教員宅便槽内怪死事件が未だに未解決事件とされているのには、何かの巨大なものからの圧力が警察にかかっているのでないかという人もいました。

実際にそうでもないと福島県警がこれだけの嘆願書を却下する理由が見当たらないからです。

また、この未解決事件には福島原発の事故等が関与しているのでは?という説も発見しました。福島原発が絡んでいるとはどうゆうことなのでしょうか?確かに福島原発には事故などの報告が多くありました。

福島原発の事故

この怪死事件が起きる前に福島第2原発ではある事故が起きていたとされています。この福島第2原発は怪死した菅野直之さんも勤めていました。どのような事故が起こっていたのでしょうか?詳しく調べていきます。

1989年1月、福島第2原発3号機の原子炉再循環ポンプ内部のインペラーと呼ばれる回転翼の溶接部が故障、炉心に多量の金属片が流出、発電所を長期にわたって停止の状態に追い込んだ事故が発生したとされています。

1988年から3回アラームが鳴っていたとされていますが、運転をやめなかったそうです。この事故の取材を菅野さんが受けていたとされています。上司から反原発の思想を持っていないことから推薦されたようです。

1989年の同1月、菅野さんの先輩である原発の運転管理責任者が上野駅にて飛び込み自殺されたと記録があります。事故の責任によるものなのかどうかは不明とされています。

このように福島第2原発ではこの怪死事件が起こり菅野さんの怪死死体が発見されるまでに様々な事故が起きていました。

この福島第2原発での事故が今回の福島女性教員宅便槽内怪死事件と直接的な関わりがあったのかは不明ですが、もしあったとするならばなにかの圧力がかかっていたのかもしれないと言う意見もありました。

国内で報告されている未解決事件

今回紹介してる福島女性教員宅便槽内怪死事件の他にも国内で報告されている未解決事件を幾つか紹介致します。どの未解決事件にも多くの謎や不可解な点があり、未だに真相には至っていません。

福島女性教員宅便槽内怪死事件のような不可解な点や謎、手がかりの少なさから未解決事件となっているものが多いようです。

グリコ・森永事件

最も有名な未解決事件の1つと言われているのがこの、グリコ・森永事件です。1984年3月に江崎グリコ社長の誘拐、身代金の要求を皮切りにその他の企業や日本全国を恐怖に陥れた未解決事件です。

江崎グリコに対して脅迫や放火を起こし、その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋などの食品企業を次々と脅迫したとされています。身代金の現金の受け渡しおいては次々と場所を変え、犯人は一度も現場には現れなかったとされています。

犯人と思わしき人物が何度か目撃されていますが、逃げられてしまっていて結局犯人は分かっていないそうです。

その他にも1984年5月と9月、1985年2月に小売店にて青酸の入ったお菓子を置き、まるで無差別テロのような行為を行い、日本全国を恐怖に陥れました。

1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に認定されましたが、2000年2月13日、東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎えました。その他全ての事件の時効が成立してしました。

警察庁広域重要指定事件としては、初めて犯人を検挙できなかった未解決事件となってしまいました。

地底湖大学生行方不明事件

2008年1月5日午後6時10分頃、岡山県新見市豊永赤馬の「日め坂鍾乳穴で四国の社会人と学生の探検グループから洞窟に調査に入った同僚の高知大学3年生の男子学生が池に入ったまま出てこないと110番通報がありました。

県警などによるところ、同グループ13名のうち5名が日め坂鍾乳穴に入り、洞窟内の奥にあるとされる地底湖にて遊泳していたとされています。

県警署員ら約30人体制で捜索し続けたが、男子学生は発見できなかったそうです。学生は着衣のまま遊泳していたとされています。この事件も現在は未解決事件として扱われています。

長岡京殺人事件

1979年5月23日、長岡京市内にあるスーパーマーケットでパートとして勤務していた主婦2名が、勤務終了後に近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日に、山頂付近で死体となって発見された未解決事件です。

犯人は絞殺及び刺殺で殺害したとされ、2人のリュックにはそれぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布などが入ったままとなっていました。

検死の結果、2人とも正午過ぎから2時半が死亡推定時刻とされています。どちらも金品を奪われた形跡はなかったようです。

しかし、1人の主婦のポケットから「オワレている、たすけて下さい、この男の人わるい人」と鉛筆で殴り書きがされた勤務先であるスーパーマーケットのレシートが発見されたとのことです。

ここで1つ謎があり、どちらの被害者の荷物にも鉛筆はなかったとされています。どちらの被害者も全身を30~50箇所殴打され骨折、内臓破裂、アキレス腱断裂などの傷が確認されたようです。

そして犯人の有力な手がかりも見つからないまま1994年5月24日に時効が成立してしまい、真相の究明は困難となり未解決事件となりました。

数々の未解決事件、犯人や事件の真相は明かされていない

日本国内でも非常に多くの様々未解決事件があります。これらの事件は多くのものが時効成立となってしまっていて、犯人や、事件の真相を究明することが非常に難しくなってしまっています。

しかし、この世の中のどこかに、これらの未解決事件に関与していた、もしくは、犯人が今でもどこかで暮らしているのかと思うととても不安な気持ちになります。

福島女性教員宅便槽内怪死事件の事件後の真相とは?

では、この福島女性教員宅便槽内怪死事件の真相はどのようなものなのでしょうか。未だに数々の憶測が飛び駆っていて、他殺の可能性も十分にあると言えます。

他殺としたならば、犯人は一体誰で、どのような方法で菅野さんを便槽内にねじ込み殺害したのでしょうか。

事件の真相に迫る

この怪死事件は、福島県で起きた事件の中では極めて特殊かつ謎が多い事件になっているようです。ただの事故死だったとしても、この便槽内にどうやって入ったのか。なぜ、入ろうとしたのか、確定的な証拠は一切ありません。

また他殺だとしても、不可解な点や謎があまりにも多く、犯人の特定はもちろん真相の究明は困難を極めるものと思われます。

この未解決事件の真相が明かされる日はくるのでしょうか。

未解決事件としての福島女性教員宅便槽内怪死事件

福島女性教員宅便槽内怪死事件は未解決事件とされています。警察の見解通り覗き目的で女性教員宅の便槽内に侵入し動けなくなって怪死に至ったのか。

それとも他殺もしくはその他の理由によるものだったのか、そうだとしたら犯人は誰か、今となってはやはりはっきりとした真相はわかりません。

世間の記憶から薄れていった、福島女性教員宅便槽内怪死事件

福島女性教員宅便槽内怪死事件は、当時世間の注目を集めましたが、未解決事件として扱われ、世間の記憶から薄れていきました。

その原因の1つとして東京都足立区綾瀬で起きた、女子高生コンクリート詰め殺人事件です。非常にショッキングな事件であり、この事件のインパクトの大きさに福島女性教員宅便槽内怪死事件は世間から次第に忘れ去られていきました。

福島女性教員宅便槽内怪死事件のそれぞれの結論

福島女性教員宅便槽内怪死事件は未解決事件となってしまいました。現在では本当の真相は誰にも分からないものとなりました。この福島女性教員宅便槽内怪死事件はこの事件に関わった全ての人たちの中でそれぞれの結論で納得するしかないのでしょう。

福島女性教員宅便槽内怪死事件が、警察の当初の見解の通り覗き目的で女性教員宅の便槽内に侵入、身動きが取れなくなり、死亡した。

と言う結論で納得するのであれば、それがこの福島女性教員宅便槽内怪死事件の結論となります。

また、この福島女性教員宅便槽内怪死事件が事故死ではなく、他殺だという考えが人ならば、それがこの福島女性教員宅便槽内怪死事件の結論であるとするしかないとも思います。

福島女性教員宅便槽内怪死事件が何かもっと別の真相があるのかもしれません。ですが、本当の真相は誰にも知ることができません。
 

この事件、福島女性教員宅便槽内怪死事件は福島第2原発事故と村長選挙での多額の金に流用による情報漏洩防止のための暗殺と言う説もありました。

これも確実にない可能性はないので、この結論で納得できる人はこれが福島女性教員宅便槽内怪死事件の結論であると言えます。

ですが、それらは結論であり、決して真実、真相ではないことを忘れないでください。そしてこの事件福島女性教員宅便槽内怪死事件には確かに1人の被害者、犠牲者がいることを忘れてはいけません。

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