久我美子の今現在!夫や娘の近況は?若い頃の女優に迫る!

昭和を代表する美人女優である久我美子をご存知ですか?昭和時代に数々の映画やドラマに出演し、その華やかなビジュアルと演技力で話題になった女優です。久我美子の今現在について徹底調査してみました。久我美子の若い頃の活躍や夫や子供の近況なども含めてご紹介しましょう!

久我美子の今現在!夫や娘の近況は?若い頃の女優に迫る!のイメージ

目次

  1. 1久我美子とは?
  2. 2久我美子の経歴
  3. 3久我美子の主な出演作品
  4. 4久我美子がバラエティ番組「ライオンのごきげんよう」に出演
  5. 5久我美子の若い頃の画像を紹介
  6. 6久我美子の現在は?夫や子供は?
  7. 7久我美子が所属していた「にんじんくらぶ」とは?
  8. 8久我美子は昭和時代を代表する素晴らしい女優

久我美子とは?

本名 小野田美子(おのだはるこ)旧姓:久我(こが)
生年月日 1931年1月21日
年齢(2019年現在) 88歳
出身地 東京
血液型 A型
活動内容 女優
所属グループ -
所属事務所 ワタナベエンターテインメント
主な作品 【映画】また逢う日まで,川の流れのように,時をかける少女
【テレビ】華麗なる一族,樋口一葉,うちの母ですが

久我美子は、現在の本名が小野田美子(おのだよしこ)で旧姓が久我(こが)です。1931年1月21日生まれの東京出身です。血液型はA型で活動内容は女優です。所属事務所は、ワタナベエンターテインメントです。

主な作品は、映画は、「また逢う日まで」、「川の流れのように」、「時をかける少女」など多数の映画作品に出演、テレビは「華麗なる一族」、「樋口一葉」、「うちの母ですが」など多数のドラマにも出演しました。

久我美子の経歴

久我美子は由緒正しい家柄に生まれ、昭和を代表する有名女優です。高度成長期時代の人にとって、憧れの女優だったのではないでしょうか。久我美子は華やかなビジュアルなうえに、演技力も抜群だったため、映画やドラマなどに引っ張りだこの女優でした。

そんな久我美子の経歴についても詳しく調べてみたので、順を追ってご紹介していきましょう。久我美子を良く知る世代の人にとっては非常に懐かしく、久我美子を知らない若い世代の人は、昭和を代表する美人女優に興味を抱くかもしれません!

12歳の時に女優への夢を抱く

久我美子は、父親が貴族院議員も務めた公爵であったとともに、遡ること村上天皇より村上源氏の血を受け継ぐ血筋です。久我家(こがけ)は、公家の中でも指折りの由緒正しい華族の名家でした。

久我美子の母親は映画や芝居好きで、久我美子も母親と一緒に多くの映画や芝居を観たそうです。母親の影響により、幼少期から芸能を身近に感じ、12歳の美しい少女に成長した久我美子は女優に強く憧れ、女優になる夢を抱くようになったようです。

1946年に女優デビュー

久我美子は女優になる夢を抱いていましたが、女優になることは家柄的に相応しくない理由から、家族から猛反対を受けていました。その頃、久我美子の祖父と父親は高利貸しからお金を借りて事業を起こしましたが、経営が上手くいかず失敗に終わります。

経営難から莫大な借金を抱え、経済的に久我家は困窮したのです。そこに追い打ちをかけるように、戦後には華族制度が廃止され、更に金銭的苦難を強いられました。

久我美子は久我家の家計を助けるべく、1946年学習院女子中等科在学時に家族に内緒で「第一期東宝ニューフェイス」に応募し、見事4000人の中から合格して女優デビューを果たしたのです。

1947年には映画デビュー

久我美子は「第一期東宝ニューフェイス」に合格し、女優デビューした翌年の1947年には映画デビュー果たします。映画デビュー作であるオムニバス映画「四つの恋の物語」の「初恋」で、久我美子はヒロインに大抜擢されたのです。

女優デビューした途端、映画のヒロインに抜擢されることは異例のことで、当時の時代背景が大きく影響していたようです。

「四つの恋の物語」は第二次東宝争議という労働争議が収束した後に制作された最初の作品で、人気俳優が大勢抜けてしまった後だったことが大きく関係していました。多くの人気俳優がいなくなってしまったことから、新人の久我美子が起用されたそうです。また久我美子がヒロインを務めた「初恋」は巨匠、黒澤明が脚本を手掛けた作品でもあります。

その後も数多くのドラマや映画などに出演

1947年にヒロインとして映画デビューを果たした久我美子は、華やかなビジュアルとフレッシュな演技力を高く評価され、その後も数多くのドラマや映画などに出演しました。毎年のように話題のドラマや映画の出演が決まり、女優として波に乗ったのもこの時期ではないでしょうか。

映画デビューした1947年には別の映画「春のめざめ」、1948年には「酔いどれ天使」、1949年には「ジャコ万と鉄」、1950年には「また逢う日まで」などの映画に出演しています。

久我美子の女優としての人気は衰えることなく、着実に女優としての地位を確固たるものにしていったのです。

久我美子の主な出演作品

久我美子は話題のドラマや映画に次々と出演し、女優としての評価も高い存在感のある女優でした。そんな久我美子の主な出演作品についてご紹介しましょう。

久我美子の魅力が詰まった作品が数多くあり、久我美子世代の人にとっては懐かしい作品ばかりではないでしょうか。久我美子の主な出演作品について、代表的なドラマや映画についてご紹介するので、ぜひ振り返ってみてください!

久我美子出演のドラマ

久我美子は多数のドラマにも出演しており、その出演数は数え切れないほどです。久我美子が初めてドラマに出演したのが、1963年に放送された「図々しい奴」です。

その後多くのドラマに出演し、その中でも代表的なドラマが「華麗なる一族」と「課長サンの厄年」ではないでしょうか。久我美子の代表的なドラマ2作品について、詳しくご紹介していきましょう。

華麗なる一族

ドラマ「華麗なる一族」は小林豊子原作のドラマで、万俵コンツェルンの総帥にして阪神銀行頭取の万俵大介が主人公で、久我美子はその妻の寧子を美しく演じました。

この作品では、華族出身である久我美子が上流階級の妻寧子を演じたことでも当時話題となりました。このドラマは、上流階級と金融業界の実態を徹底的に描いた社会派作品として大注目されたことは、記憶に残っている人も多いはずです。

この作品は、2007年に主役を長男役の鉄平として木村拓哉が演じ、万俵大介を北大路欣也が演じたことでも話題になった作品です。

課長サンの厄年

ドラマ「課長サンの厄年」は、TBS系列の1993年7月から10月に放送されたかんべむさし原作のドラマで、主人公の寺田喬が42歳の大厄の1年間に何度も訪れる大小の災難にも負けずに、家族や仕事仲間との関係をコミカルに描いた人気ドラマです。

主人公は萩原健一が演じ、久我美子は主人公の母である寺田文を好演しました。ドラマでは主人公と妻とのやり取りがメインですが、主人公の母役である久我美子の演技も定評がありました。

久我美子出演の映画

久我美子は1947年の映画デビュー後、多数の映画出演で話題となりました。その数50作品近くあり、女優として名優と呼ばれるのも納得です。

久我美子出演の映画の中でも、代表作である4作品を順にご紹介しましょう。話題となった作品ばかりなので、久我美子世代の人には思い出深い作品ではないでしょうか。

また逢う日まで

映画「また逢う日まで」は、久我美子の名を一気に世に広めた代表作でもあります。1950年に公開された映画で、監督は石井正です。ストーリーは激しい戦争のさなか、二人の男女が出会い、強く惹かれ合う二人を戦争が引き裂く悲恋の物語です。

この作品の中で久我美子は、主演の恋人役である小野螢子を演じました。この作品の中で最も話題となったのが、主演の岡田英次と久我美子の列車の窓越しのキスシーンです。

当時キスシーンのアップ異例で、窓越しのキスシーンは一躍話題となり、日本映画史上最高のシーンと言われています。

四つの恋の物語

映画「四つの恋の物語」は、4人の監督がそれぞれの恋愛物語を描いたオムニバス映画で、久我美子は黒澤明脚本の「初恋」のヒロイン、由紀子役に大抜擢された作品です。

ストーリーは女学生の由紀子と、高等学校の生徒である正雄との淡い恋心と別れを描いた物語です。新人女優がヒロイン役を務めるのは異例で、かなり話題となり久我美子の映画デビュー作です。

春のめざめ

映画「春のめざめ」は、八住利雄と成瀬巳喜男が共同で脚本を書いた作品です。ストーリーは年頃の3人の少女が男女の関係に興味を持ち、大人の女性へと成長する思春期をそれぞれの恋愛を通して美しくも健やかに変化する姿を描いた作品です。

久我美子は年頃の3人の少女の中の一人、久美子役を演じました。久美子は純粋ながらも芯のある少女であり、久我美子はその姿を瑞々しく美しく演じた作品です。

醉いどれ天使

映画「酔いどれ天使」は、黒澤明監督の作品で、1948年に公開されたヒューマニズムの映画です、ストーリーは戦後、真面目な貧乏医師が、闇市の若いやくざの傷の手当てをきっかけに、若いやくざが結核にかかっていることを知ります。

しかし医師の指示を聞かず、若いやくざは結核で命を落とすが、その一方で結核を患い、医師の指示を忠実に守り結核が治癒した女学生に貧乏医師が光を見出すストーリーです。

久我美子はその女学生の役をフレッシュに演じ、この作品が久我美子の出世作となりました。

久我美子がバラエティ番組「ライオンのごきげんよう」に出演

久我美子は、フジテレビ系列のバラエティ番組「ライオンのごきげんよう」に出演しています。この番組内では、夫である平田昭彦とのエピソードや出演映画について楽しそうに語っています。久我美子の気さくな人柄も魅力なのでしょう。

久我美子の若い頃の画像を紹介

久我美子の若い頃の画像を見ると、華やかな顔立ちに品のある雰囲気が魅力的な女優です。久我美子世代の人にとって、久我美子に憧れを抱いた人も少なくないはずです。若い世代の人も、久我美子の若い頃の画像を見れば、その人気も納得ではないでしょうか。

久我美子の現在は?夫や子供は?

久我美子の活躍は素晴らしく、現在の様子も気になるところです。久我美子の現在や、夫や子供についても探ってみたのでご紹介しましょう。久我美子の現在についても知りたい人は、ぜひ確認してみてください。

2000年の映画出演を最後に消息不明

久我美子の現在を出演している映画やドラマなどから調査したところ、2000年の映画「川のながれのように」の出演を最後に芸能界からは姿を消しているようです。

2004年に三ツ矢歌子さんが亡くなり、そのときに久我美子の姿が確認されましたが、その後は消息不明のようです。現在でも元気にされていれば、88歳と高齢であるため穏やかに過ごしているのかもしれません。

夫は平田昭彦

久我美子の夫についても調べてみました。久我美子の夫は俳優の平田昭彦です。二人は1961年に結婚しました。夫の平田昭彦は久我美子が出演した映画「酔いどれ天使」を見て以来、好意を抱いていたそうです。

平田昭彦が久我美子に何度も求愛し、二人は結婚したと言われています。また夫である平田昭彦の人柄の良さから、二人の交際を知っている人も公言することなく、週刊誌に騒がれることもなかったようです。

二人はおしどり夫婦としても有名で、夫の平田昭彦は1984年に56歳の若さで亡くなりました。

子供の有無は不明

おしどり夫婦として有名でしたが、現在でも久我美子と平田昭彦の間に子供がいたかどうかの情報が乏しく、子供の有無は不明です。二人の間に子供がいれば、現在成人しているに違いないでしょう。

久我美子が所属していた「にんじんくらぶ」とは?

久我美子は「にんじんくらぶ」、正式名称を「文芸プロダクションにんじんくらぶ」に所属していました。

1954年女優の岸恵子、久我美子、有馬稲子を中心に設立した独立系映画プロダクションが「にんじんくらぶ」です。「にんじんくらぶ」結成の経緯や制作した映画、解散の原因などをご紹介しましょう。

「にんじんくらぶ」結成の経緯

1953年9月に大手映画会社5社(松竹・東宝・大映・新東宝・東映)は、専属の俳優や監督は他の作品には出ないといった内容の5社協定を結びます。それに反発した久我美子は、5社協定の翌年に岸恵子や有馬稲子とともに「にんじんくらぶ」結成をしたのです。

「にんじんくらぶ」は俳優活動を制限せず、他の作品にも出演出来るように結成されたと言われています。

「にんじんくらぶ」が制作した映画

「にんじんくらぶ」は結成された1954年から1965年の約11年間に10作品程の映画を製作しました。代表作品としては、「人間の條件」が第一部・第二部・第三部・第四部・完結篇と制作され、完結篇はヴェネツィア国際映画祭サンジョルジュ賞・イタリア批評家賞を受賞。

1962年に公開された「からみ合い」は、英国アカデミー賞国連平和賞を受賞。1965年に公開された「怪談」は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞、米アカデミー外国語映画賞にノミネートされています。

「にんじんくらぶ」解散の原因

「にんじんくらぶ」が1965年に制作した「怪談」は、海外からは高い評価をされました。しかし制作に3億5千万円近く費やしたにも関わらず、日本ではあまりヒットせず、興行収入も伸びずに莫大な借金を抱えてしまったのです。その結果として事実上の倒産となり、「にんじんくらぶ」は解散となりました。

久我美子は昭和時代を代表する素晴らしい女優

大女優である久我美子について出演作品や彼女の現在、夫についてご紹介しました。いかがだったでしょうか?久我美子は、昭和を代表する素晴らしい女優です。

時代も昭和から平成、平成から令和と移り変わっていきますが、久我美子の女優としての功績は、今後も語り継がれていくのではないでしょうか。

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