京都の住んではいけない地域!治安が悪い危険な地区を紹介

観光地として誰もが知っているほど有名な京都。そんな京都には住んではいけない危険な地域が存在します。治安が悪く事件が絶えない地区や、昔のなごりから不当な差別を受けている地域もあります。今回は京都にある住んではいけない地域や、その理由を解説します。

京都の住んではいけない地域!治安が悪い危険な地区を紹介のイメージ

目次

  1. 1京都には治安の悪い危険な地区がある!?
  2. 2京都は見どころいっぱいの人気の観光地
  3. 3京都で住んではいけない危険な地区とされる原因
  4. 4京都の住んではいけない危険な地区
  5. 5地区だけじゃない?ちょっと住みにくい京都
  6. 6京都で住みたいおすすめの地区は?
  7. 7京都は地名の由来も怖い!
  8. 8京都は住むには危険な地区がある

京都には治安の悪い危険な地区がある!?

京都には実は治安の悪い危険な地区があるのです。知っている人の中では有名な話ですが、知らない人の表向きのイメージからすれば信じられない話でしょう。殺人や強盗などの事件が多く、容易に住んではいけない地区と言えます。

他にも昔からの名残で評判の悪い土地もあり、治安が悪く危険だから住んではいけないというものだけではありません。観光するには最高な京都ですが、住むとなれば話は別です。もし移住を考えているのであれば、地区はきちんと選ぶようにしましょう。

京都は見どころいっぱいの人気の観光地

京都は観光地として有名な地です。京都はかつて日本の首都であったため、商工業や流通が活発に行われています。現在も業界のトップ企業が京都の産業を支えています。

修学旅行などでも一度は行ったことがある方も多いのではないでしょうか。その中でも誰もが知っているほど有名な観光スポットと言うと、清水寺や金閣寺などがあります。他にも舞妓さんや八ツ橋なども有名です。

京都で住んではいけない危険な地区とされる原因

京都にそのような場所があること自体驚く方も多いでしょう。ではそんな京都で住んではいけないと言われる危険な地区は、なぜそういわれているのでしょうか。その原因について詳しく解説していきます。

暗い歴史

遠い昔京都では、各地で暗殺などの事件がよく起こっていました。現在京都には様々な闇があるとされていますが、その中でも2013年、王将の当時社長が射殺されたことは記憶に新しいでしょう。

そういう点では物騒なのはあまり変わっておらず、京都には不審者や殺人、自殺の多い危険な地区が存在します。

外国人の不法占拠

第二次世界大戦終戦後、京都では朝鮮人などによって不正占拠をされていた地域があります。それぞれ長年にわたって占拠されていました。またその地域は現在では荒れている場所が多く、年々人口も減ってきています。

同和地区の存在

同和地区とは、同和対策事業という被差別部落の環境や差別の解消のために行われた事業で、その対象になった地区のことです。全国でも4500地区以上存在しており、中にはとても広い地域もあります。しかし現在でも差別はなくなっておらず、特に周辺の地区ではその傾向も強いようです。

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京都の住んではいけない危険な地区

観光地として有名な京都ですが、そんな京都には住んではいけないと言われるほど、治安が悪い危険な地区が存在します。中は殺人や自殺の多い地域もあるなど、住むには危険な場所があります。では、実際に住んではいけないと言われている地区をご紹介します。

1.崇仁地区

崇仁地区は被差別部落と呼ばれる地域でした。被差別部落とは、かつて江戸時代に身分制度にて最下層にされた人々や、売買されていた奴隷などが住んでいた地区のことを指します。また身分制度自体は明治時代に廃止されましたが、現在でも偏見や差別はなくなっていません。

当時住んでいた人の子孫やこの地区に住んでいる人は、就職や結婚でも差別を受けることがあります。これは主に西日本では周知の事実であり、崇仁地区は容易に住んではいけない地区だとされています。

2.宇治市伊勢田町(ウトロ地区)

宇治市伊勢田町のウトロ地区は第二次世界大戦の終戦後、長期にわたり不正占拠されたままになっていた、いわゆる戦後処理案件の地区です。これは第二次世界大戦中に行われていた京都飛行場と航空機工場の建設のため、朝鮮半島から集まった朝鮮人によるものです。

またウトロ地区にはボロボロになった家や廃墟が多く、2019年1月の時点で人口は180人ほど。ハングル文字の看板や建物もよく見かけます。現在は転居用の住宅が建設されており、住民は少しづつ移動しているようです。

3.北区衣笠開キ町

北区衣笠開キ町は、ウトロ地区と同じく、戦後に朝鮮人に不正占拠された地域があります。その朝鮮人は砂防ダムの中に集落を作っており、他には無い斬新さが話題になりました。建っている家の方向はバラバラで、見た目も気にせず増設されていたりと、かなり乱雑に建設されています。

また2012年に豪雨と洪水によって床上浸水しており、約20戸が被害を受けました。そして2018年には再度、豪雨による被害を受けました。幸い滅びてしまうほどの被害は受けていませんが、このようなこともあり、以前から安全面で心配されています。

4.宇治市槇島町

宇治市槇島町には色んな国籍の外国人が住んでおり、暴力沙汰も多く起こっている治安の悪い地域です。不良により悪質ないたずらや違反は日常茶判事で、さらには深夜に刃物を持った不審者がいたこともあるという、かなり治安の悪い危ない地域です。

また宇治市槇島町は、京都で住んではいけない地域を紹介される際に高確率で入っているため、近くへ行く時はできるだけ近づかないようにしましょう。

5.伏見区石田駅周辺

伏見区石田駅周辺は、犯罪や自殺がとても多い地域です。1999年には京都小学生殺人事件という、小学2年生の生徒がナイフで刺殺された事件がありました。署への同行を求められた犯人とされる男は、話をしている最中に隙を見て逃走、逃げ込んだマンションから飛び降り自殺をしたそうです。

また、実際に住んでる人はストーカーや殺人、強盗などに見舞われており、伏見区石田駅周辺は住んではいけない治安の悪い地域です。生活しやすく家賃も安いため、京都に引っ越すときは注意するようにしましょう。

6.伏見区醍醐

伏見区醍醐は場所がよく生活をするにはとても住みやすい地域です。ですが、ここも住んではいけないと有名な地域なのです。理由は治安がとても悪いからであり警察もよく見かけます。また暴力関係の方も多く住んでいたり、治安が悪く事件が多い地域としても知られています。

もちろん生活をするには便利な地域なので、そこを妥協できるのであれば住みやすい地域となるでしょう。ですが巻き込まれることを考えれば、選択肢から外すべきなのではないでしょうか。

地区だけじゃない?ちょっと住みにくい京都

観光やあこがれから京都への移住を考えることは多いでしょう。ですが京都の住んではいけない地区はもちろん、京都自体にも住みにくい理由があります。もし移住を考えているのであれば、じっくりと考えてから住むことをおすすめします。

しかし百聞は一見に如かずというように、実際に行ってみると、人によっては気にならないこともあるでしょう。まずは参考にしてみて、実際に訪れた際には照らし合わせてみてください。

夏は暑く冬は寒い

京都は盆地のため風通りが悪く、夏はとても暑くなります。一方冬は寒い空気が流れにくいので、とても寒くなります。ですがそうだからこそ、桜などはきれいに咲き、他よりも四季を感じることができます。

また、京都へ観光するなら春か秋がいいといわれるのもこれが理由です。そのため夏と冬は航空費が安く、京都が好きな人で何回も行きたい人は夏や冬をあえて選ぶ人もいるそう。初めての京都の場合は気温に慣れていないので、春や秋を選んでいくのが良さそうです。

物価が高い

東京と比べると安いほうですが、他県と比べると大阪と同じくらい物価は高いです。政令指定都市や観光都市は、商業が発達するためどうしても物価が高くなる傾向があります。それに比べ、ほんの数十分で行ける滋賀の物価はとても安いため、京都から移住する人も多いようです。

また京都の大学に通うために移住してくる学生も多いのですが、家賃も高いので、その物価に頭を悩ませる人は数知れず。気温の変化が激しいで光熱費も高くなるので、京都に住むならいかに安く済ませるかの工夫が必要になります。

よそ者を認めない?

京都人は他県から来た人を、よそ者とみなす傾向があります。京都市は特にその傾向が強く、昔は首都であった名残によるものだと言います。そもそも京都の人は個人主義であり、作家などの個性を伸ばすのには最適な県です。一方集団行動などの協力して物事を行うのは苦手としており、野球やサッカーなどのスポーツはあまり伸びていません。

また京都府出身の人でも京都市出身でなければ。京都市出身の人から「京都出身と言うな!」と言われることもあるそう。「京都市」以外の人間は、京都府だろうと別と考えるようです。そのため例えば京都府亀岡市に住む人は、自身を京都出身ではなく「亀岡市出身」と名乗ります。

京都で住みたいおすすめの地区は?

ここまで京都の住んではいけない地域やその理由、京都に住みにくい理由をお話してきましたが、そんな京都にも、住みたいおすすめの地区があります。治安の良さはもちろん、お店の充実さやアクセス面でも抜群な、京都のおすすめ地域をご紹介します。

1.北区西陣

北区西陣にはおしゃれなカフェが多く、京都らしさのある外観が特徴です。落ち着いた空間の中で、時間を忘れてのんびりくつろげます。また学生が多い地域でもあります。もちろんお店の場所やアクセスも良く、生活で困ることはありません。駅も自転車で行ける距離にあるのでとても便利です。

2.宇治市三室戸

宇治市三室戸はあまり有名ではなく街並みも古いものの、アクセスがよく車での移動がしやすい地域です。田舎でもなく都会でもないような、丁度いい発展具合が特徴。お寺も多く、京都らしさを楽しめる地域です。

また周辺には平等院鳳凰堂や三室戸寺もあるため、観光として訪れても楽しめます。特に三室戸寺にあるアジサイはとても鮮やかできれいで、お花を眺めながら食事もできます。

3.相楽郡祝園

自然豊かでのびのびと暮らせる、暮らしやすい地域です。その評判は、一度住んでしまうと他の場所に住めないというほど。坂道が少なく道に高低差が少ないため、子供のいる家族にもおすすめしたい地域です。

また相楽郡祝園は国土交通省の都市景観100選にも選ばれており、全国の中でも高いデザイン水準を持った地域となっています。

京都は地名の由来も怖い!

京都には危険な地区が多く存在しますが、京都にある地名の由来となった理由が、怖いものばかりなんです。理由がわかれば「なるほど」と納得すると同時に、ゾッとしてしまうような、人によっては住めない怖いエピソードをご紹介します。

赤池

時代は平安時代末期までさかのぼります。武士の遠藤盛遠は、袈裟御前という女性と恋に落ちます。しかし袈裟御前には、渡辺渡という夫の存在がいました。遠藤盛遠の気持ちを知った袈裟御前は、夫である渡辺渡を殺してほしいと持ちかけます。

そして当日、遠藤盛遠は袈裟御前の夫である渡辺渡の首を討とうとしますが、袈裟御前が身代わりになって遠藤盛遠に首を討たれてしまいます。その後遠藤盛遠は袈裟御前の首を洗うために近くの池へ訪れ、首を洗ったときに池の水が真っ赤になったことから、「赤池」と呼ばれるようになったそうです。

愛する袈裟御前の首を切ってしまった遠藤盛遠は出家し、袈裟御前の菩提を弔いました。

西院

平安時代、現在の西院から西は魔界とされており、三途の川の賽の河原だったと言われていました。由来は西院の河原から来たといいます。また賽とは、親より早くに亡くなってしまった子どもが、親不孝だとして、その罰として積む石のことを言います。

しかし何回賽を積んでも、鬼が積んだ賽を崩しに来てしまうため、その子供達は永遠に繰り返さなければならないそうです。

千本通り

現在千本通りと呼ばれている場所は、平安時代に平安京の中心にあった、朱雀大路という場所のことです。船岡山から羅城門までおよそ85メートルもある、平安京で最大の通りでした。

この船岡山の西側には遺体の埋葬地があったそうです。そして朱雀大路とは、毎晩毎晩数知れない遺体を運ばれていた通りだったのです。また「数知れない」という意味合いから、後に「千本通り」と呼ばれるようになります。

衣笠

平安時代、洛中で亡くなった庶民たちは、洛外にある土地に葬られていました。当時は風葬という、遺体を風にさらして自然に消滅させる葬制がありました。そして遺体を覆い隠すために使われていたのが、「衣笠」だったのです。

またこの話には諸説あり、宇多天皇が冬に雪が見たいと言い、山に白絹をかけて雪に見立てたことから「衣かけ山」と呼ばれたという説もあります。一つ目に比べてこちらは怖くありませんので安心できます。

縄手通り

縄手通りは四条通りから南側にある、大和大路通りよりも北側の通りのことを言います。現在縄手通りは多くの人が行きかい、おしゃれなお店が立ち並ぶ通りです。かつても人通りが多く、処刑の見せしめとして縄手通りは使われており、首を斬られる罪人を連行するのに使われる道でした。

また罪人の首を切る斬首場は三条河原にあり、見せしめとしてさらされる場所でもありました。

京都は住むには危険な地区がある

京都には、様々な有名観光スポットやお土産が多くあります。日本の和を感じられる観光地として人気があります。京都に憧れて移住したいと考える人も多いのではないでしょうか。

ですが京都の中にも、住んではいけない危険な地区が存在します。殺人や自殺、昔からのなごりで偏見や差別を受け続ける地区もあります。もちろんそんな京都にも住みやすい地区は存在します。

しかし京都自体が気温や風習などで、住みずらい場所であるのも事実です。移住を考えている方はじっくりと考え、後悔のないように選びましょう。

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