2019年05月14日公開
2019年05月14日更新
北海道の雄別炭鉱や病院跡地は心霊スポットで有名?事故が多発してる
北海道は釧路市に存在した雄別炭鉱というのをご存知でしょうか。全国的に心霊スポットとして有名な場所で、北海道最恐の名を欲しいままにしているゴーストタウンです。今回はそんな雄別炭鉱の跡地、そしてその歴史などを順番に紹介していきます。
目次
昔栄えた雄別炭鉱が心霊スポットに!
世の中には幽霊話は全くダメ、とにかくダメ、という方もいれば、心霊現象や心霊スポットの話は3度の飯よりも好き!!という方もいらっしゃいます。そんな心霊スポット好きにおすすめなのは、雄別炭鉱です。
雄別炭鉱は北海道釧路市にかつて存在した炭鉱で、炭鉱町にあった病院の跡地は北海道最恐の心霊スポットとして有名なのです。ではそんな雄別炭鉱の歴史や怪談話はどんなものがあるでしょうか。
ここでは、雄別炭鉱の詳細と心霊スポットとして全国的にも有名な病院跡について紹介していきます。
雄別炭鉱とは?
全国にある炭鉱跡地ですが、北海道は釧路市にもあります。その名は雄別(ゆうべつ)炭鉱で、全国的にも有名な場所です。雄別炭鉱が心霊スポットとして有名になったのは、栄えた当時ではなくて後世の話になります。
北海道最恐の心霊スポットとして全国的にも有名になった雄別炭鉱の歴史や起こった事故について、ここで紹介していきましょう。
国内トップクラスの石炭産出地
北海道釧路市にあった雄別炭鉱は、1917年に開発が始まりました。1919年には北海炭礦鉄道株式会社が出来て、開発は本格化します。国内においてトップクラスの石炭産出地になっていきます。
1923年には鉄道が完成して、雄別の人口はどんどん増加していきます。尋常小学校や病院が建築されるなど、炭鉱で働く人の家族への福祉も充実していきます。
ガス爆発事件や大水害に見舞われるなどの数度に渡る被害がありましたが、出炭量がこれまでの中で最大になった1941年には最盛期を迎えます。
人口が1万人超える時期もあった
雄別炭鉱での出炭量が最大になったのは1941年ですが、1950年に勃発した朝鮮戦争の特需で勢いは増し、人口が1万人を超える時期もありました。当時の炭鉱で人口1万人を超えたのは凄いことです。
日本が徐々に石炭から石油へと転換していく中、雄別炭鉱は多くの採掘量をほこっていましたので、発展を続けていました。1963年には雄別工作所や雄別興産など会社が立ちあがり、バスの運行も始まります。
しかし、1969年のガス爆発事故によって突如の閉山になり、雄別炭鉱会社は解散となります。会社によって成り立っていた町のため、雄別の町も姿を消すことになりました。1970年のことです。
雄別炭鉱の場所・行き方
雄別という地名は存在せず、当時の炭鉱町だったときにも行政上は近隣の阿寒町の雄別番外地という扱いでした。現在では雄別の町は、北海道釧路市阿寒町の布伏内(ふぶしない)という地区になります。
雄別は釧路空港から車で40分の場所にあります。釧路空港から阿寒湖方面へ国道240号線を北上し、東にカーブするところを無視して直進すれば20分ほどで布伏内に到着します。
そこから山の奥にむかって10分ほど車で走れば、雄別の目印でもある大きな煙突が見えてきます。そこが、かつて炭鉱町として栄えた雄別町です。
住所 | 北海道釧路市阿寒町布伏内 |
行き方 | 釧路空港から国道240号線を40分ほど北上 |
雄別炭鉱跡地での心霊体験
では、北海道最恐と謳われる雄別炭鉱跡地での心霊体験を紹介しましょう。心霊スポットが大好きな人たちが我こそは!と訪れては様々な体験をしているようです。
詳しくはインターネット上でたくさんの体験話がみられますが、ここではよく知られているものを紹介していきます。
体験談①
まずは雄別炭鉱での病院跡地での心霊体験談です。病院ですから当然手術室や地下にあるはずの霊安室がみつからず、何度も探すという体験です。
これは実際に心霊番組でも検証されましたが、結局見つからなかったといわれています。
これを聞いて我こそは、と病院跡探検に繰り出す人が増えましたが、見つからないばかりか他の心霊体験をして逃げ出す、という結果になるそうです。
体験談②
同じく病院での体験で、昼間に行ったら目の前に真っ黒の壁が出てきてぶつかり、あまりにも何も見えないのでカメラのフラッシュをたこうとしたらカメラも機能しなかった、というものです。
目の前が見えないほど真っ暗になったのは心霊現象だったのでしょう。
また病院から物を持ち出したら、圏外であるはずなのに携帯電話が鳴り響き「○○返せ」と声が聞こえる、という体験談もよく言われています。
事故が多かった雄別炭鉱の歴史
では、事故が多かったために後世で心霊スポットになったと考えられている、雄別炭鉱の事故の歴史についても見ていきましょう。
雄別炭鉱とその町は60年ほどの歴史なのですが、栄枯盛衰があります。
1917年に開発が始まる
1917年、大正7年に炭鉱15鉱区が開かれて開発が始まりました。1919年には北海炭礦鉄道株式会社が設立され、1920年に雄別鉄道が開始されます。
1924年には第一次世界大戦の影響を受けて経営危機に陥り、三菱鉱業へと経営権を譲ります。そして社名を「雄別炭礦鉄道株式会社」に変更しました。
1928年電力を導入し採炭設備の機械化
1928年、昭和3年には電力を導入して、採炭設備や炭鉱住宅の電化・機械化を実施しました。
1933年ガス爆発事故
1933年、大祥内坑でガス爆発事故が起こり、5人が死亡します。これがキッカケとなって1935年には雄別炭鉱診療所を開設しました。
1935年には茂尻炭鉱を買収します。
1935年ガス爆発事故
病院が出来た4ヶ月後の11月、次は買収したばかりの茂尻炭鉱でガス爆発事故が発生、死者数95人の大事故でした。
1945年には人口も増え、尺別専用鉄道が開業されたほか、爆発した茂尻炭鉱の労働組合も発足します。その後、他の労働組合も続々と結成されました。
1946年三菱鉱業株式会社から分離独立
1946年の12月23日、過度経済力集中排除法の適応で、三菱鉱業から分離独立します。
1950年朝鮮戦争の特需景気に乗る
1950年、朝鮮戦争が勃発し、その特需景気に乗ります。10月17日にはレッドパージが通告されました。
1952年、全国一生に炭鉱労働組合による63日間の賃上げストライキが始まります。
1955年ガス爆発事故
茂尻炭鉱でガス爆発事故発生、この事故によって死者60名、負傷者17名を出しました。
労働組合によるストライキに業を煮やした経営側は、1956年に全社労組に対してロックアウトを通告、その2年後の1958年にはロックアウトを実施します。
1959年経営合理化により鉄道部門を分離
1959年、再建合理化計画を発表し、雄別炭鉱株式会社へと社名を変更します。9月には鉄道部門を雄別鉄道株式会社として分離独立させました。
その後もどんどん開坑させ、人口は増えていきます。
1967年落盤事故
1967年の昭和42年、落盤事故が起きて6人が死亡します。
1968年崩落事故
落盤事故の翌年である1968年には、崩落事故で新たに4人が亡くなりました。
1969年ガス爆発事故
1969年、昭和44年の4月にはガス爆発を起こし、死者19名、負傷者24名を出します。これによって5月には茂尻炭鉱の閉山が決まりました。
それに続いて雄別、尺別、上茶路などの各炭鉱が閉山しました。企業城下町であるため、閉山してしまうと仕事や家だけでなく故郷を失ってしまう人々が反対運動をしますが、次々としめられていきます。
1970年閉山
前年のガス爆発事故によって次々と炭鉱がしまり、1970年には全面閉山となります。4月24日付けで、会社は解散となりました。
閉山後の雄別炭鉱
60年ほどの歴史の中で波乱万丈だった雄別炭鉱ですが、事故が多くありました。そして急遽決まった会社の解散と閉山は、15000人ほど住んでいた雄別町を無人にさせてしまいます。
では、閉山後の雄別炭鉱について紹介していきます。
炭鉱町はゴーストタウン化
企業城下町であった雄別炭鉱の町では、会社の解散に伴って住宅を急に追い出される人がたくさんいたようです。映画館や娯楽施設、学校や公民館などはそのままで廃墟となり、放置されています。
閉山を反対して活動していた人もいましたが、ライフラインの閉鎖や住宅の取り壊しによって仕方なく町を後にしました。
バタバタと短期間で住民が追い出されたため、町がそのままの形で残っており、完全なゴーストタウンになったと心霊スポットファンは喜んでいます。
心霊スポットとして有名に
多くの死傷者を出した事故が多く、急遽ゴーストタウンになったせいもあって「雄別炭鉱町」は北海道最恐の心霊スポットとして全国的に有名です。
特に「雄別炭鉱病院」では近隣の若者なら1度は肝試しにきたことがあるという場所で、数々の心霊体験や心霊写真の話がある場所です。
病院や町のシンボルである煙突だけでなく、車でいくと心霊体験をするなどの話がたくさんあります。
現在の雄別炭鉱跡地の写真
整然と立ち並んだアパートは廃墟で、ゴーストタウンとして有名になっています。現在も多くの廃墟ファンが訪れる場所です。
この大煙突は雄別炭鉱町のシンボルでしたが、当時この煙突の周辺にはたくさんの家屋がありました。閉山した時に木造建築物は取り壊され再利用のために持ち運ばれましたが、コンクリートはどうしようもなくて残されたそうです。
今は緑豊かな草原に、ポツンと取り残されています。
雄別炭鉱を訪れる際に注意すべきこと
全国的に有名な心霊スポットである雄別炭鉱跡地ですが、是非行ってみたい!と興奮しているオカルトファンもいるでしょう。
では次は、雄別炭鉱跡地へ行くときの注意点について紹介していきましょう。ただ心霊スポットというだけではなく、かなりの山奥、僻地になりますので注意は必要です。
国有林のため許可が必要
現在の雄別炭鉱周辺や跡地は、国有林となっています。ですから入林するためには許可を受けなくてはなりません。
ゴーストタウンになってしばらく経っていますのでほぼ山になっており、携帯電話も繋がりませんので危険ですから、入林したければきちんと許可をとってから入るようにしてください。
ヒグマの生息地でもある
北海道釧路市の雄別炭鉱跡地周辺はヒグマの生息地でもあります。ですからヒグマに襲われる可能性もありますし、よきせぬ事態になってしまったときに外部と連絡が取れない場所でもあります。
その点をしっかりと理解した上できちんと装備をつけていくようにしましょう。
北海道の他の心霊スポット紹介
雄別炭鉱跡地だけでなく、北海道には他にも身の毛もよだつような体験談がある心霊スポットが数多くあります。ここではその他の心霊スポットを紹介していきましょう。
北海道ならではの屯田兵やアイヌ民族などに関連する場所もありますので、歴史に興味があるという方にもおすすめです。
北海道に在住の方は勿論のこと、次の休みには是非心霊スポット巡りをしたいという特異な方がいらっしゃったら、是非参考にしてください。
旭川中国人墓地
北海道旭川では有名な心霊スポットです。北海道開拓のために強制労働させられた多くの中国人が眠るお墓ですが、お墓にしがみついて泣く少女の霊や四つんばいで追いかけてくる男性の霊などの目撃情報があります。
平和の滝
札幌の有名な観光地である「平和の滝」ですが、滝への投身自殺や公衆トイレでの焼身自殺、首吊り自殺などの名所ともなっています。
悪霊が多いと有名ですので、霊媒体質の人は近寄らないほうがいいと言われている刊行スポットです。ここにいる霊を見ると思わず飛び込んでしまう、とも言われていますので、気をつけましょう。
萬念寺(岩見沢)
髪がのびる日本人形の話を聞いたことがある方は多いでしょう。その日本人形がある寺として有名なところが、北海道にあります。こちら萬念寺では髪の毛が伸びる人形の元祖と言われている、お菊人形が安置されています。
亡くなってしまった少女が大切にしていた人形にその少女の魂がのりうつったといわれていて、髪の毛は現在も伸び続けて足元まで達しているそうです。
円形校舎廃墟(沼東小学校)
円形校舎廃墟(沼東小学校)は昭和49年に閉校となった廃校舎で、廃墟ファンを多く魅了しています。そして肝試しスポットとしても良く知られている場所となります。
肝試しをしていた人が狂乱して行方不明になってしまった、という有名な話があり、子供の霊をよくみかけるという話もあります。
廃校以前にも周辺で神隠しがあったなど、噂話の多い元小学校です。興味本位でいくと後悔するので、覚悟していくべき、というネット上の声もある場所です。
赤平観光センター(プリンス平安)
北海道の赤平にある「赤平観光センター(プリンス平安)」も心霊スポットとして有名です。元々は冠婚葬祭場として営業されていた建物ですが、シャンデリアの間で心霊現象が目撃されたという話が多数あります。
また周辺で老婆が行方不明になった事件があるそうで、老婆の霊を見たという人もいます。こちらも廃墟ですので、廃墟ファンが多く訪れる場所です。
近代日本を支えた炭鉱の町
雄別炭鉱は近代日本を強力に支えた炭鉱町です。ゴーストタウン化していますので心霊スポットとして有名ですが、最近では近代文化遺産としても注目されています。
心霊スポットであることで面白がっていくのは良いですが、ゴミを散らかさない、壁などに落書きはしないなどきちんとマナーを守り、ヒグマや怪我などには気をつけていくようにしましょう。