宜保愛子の死因や死の真相は?伝説の霊能者の正体や現在に迫る
霊能者である宜保愛子は、死因について疑問視される声が多かったようです。伝説の霊能者として知られている宜保愛子は、なぜ亡くなってしまったのでしょうか。その正体や現在はどうなったのか、死因だけでなく宜保愛子の霊能者としての能力が目覚めるまでについてもご紹介します。
目次
有名霊能者の宜保愛子の死の真相に迫る!
有名霊能力者として知られていた、宜保愛子をご存じでしょうか。有名霊能力者として知られていた宜保愛子は、すでに死亡しています。しかし、その宜保愛子の死は多くの注目を集めているようです。そのため、下記では宜保愛子の死の真相について深く掘り下げていきましょう。
宜保愛子は、生前に本をいくつか出しているようです。そこでは、死後の世界を霊から聞いた話なども記載されています。そのため、宜保愛子のすごさをもっと知りたい人は、宜保愛子の出版している本を購入することもおすすめです。最近ではヤラセなどが問題となっていますが、当時、宜保愛子は本物の霊能力者だという人が多かったようです。
宜保愛子とは?
宜保愛子とは、上記でもご紹介したように、当時はかなり有名な霊能力者として知られていました。本来、霊能力者というのは、テレビに出たがらないようです。あまり多くの霊に遭遇してしまうと、自身も死の世界に引っ張られてしまうからです。実際に、霊視などを行った後、宜保愛子は疲れがすごいと発言していたようです。
また、宜保愛子は伝説の霊能力者ともいわれています。のちに宜保愛子の経歴について詳しくご紹介していきますが、まずは宜保愛子のプロフィールについて掘り下げていきましょう。宜保愛子のプロフィールを見ることで、何かわかることがあるかもしれません。
宜保愛子のプロフィール
本名 | 宜保愛子(ぎぼあいこ) |
生年月日 | 1932年1月5日 |
享年 | 2003年5月6日 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
血液型 | ー |
活動内容 | 霊能力 |
所属グループ | ー |
所属事務所 | ー |
主な作品 | 宜保愛子の霊視の世界 ―災いを招く霊幸せを呼ぶ霊 |
上記のプロフィールからわかるように、宜保愛子は自分の作品を出版しています。これだけでなく、ほかにも多数の本がベストセラーとなったと言われています。子どものころに不幸な出来事が起こってしまったことがきっかけで、霊視に目覚めたといわれています。
宜保愛子の経歴
宜保愛子は、4歳のころに左目を失明寸前になるまでの大けがを負いました。1年ほど回復するようにと努力をしていましたが、視力は結果的に回復することはありませんでした。建物が燃えている場面を見てしまったり、自殺した人が飛び込む風景が浮かんでくるような体験もしたといいます。
普通であれば体験しないようなことばかり体験した宜保愛子は、その経験を基にして、相談者の悩みを解決しようとしていたそうです。中には、持ち物からその持ち主を判別できることも可能な場合もあったようです。それほど、宜保愛子の力はすさまじいものでした。
6歳で霊能力に目覚める
4歳のころに左目が失明寸前になってしまった宜保愛子は、6歳のころに霊能力があることを自覚し始めたようです。車に轢かれてしまった弟の体から、魂が出ていくのを見たとがあるといいます。
また、中には相談しに来た人の両親の霊と会話をすることによって、相談してきた人の人柄だけでなく、家の構造なども言い当てることがでたと言われています。宜保愛子の持つ霊視では、ただ単に霊を見ることができるだけではありません。過去に起きたことなどを知ることもできるため、遠くで起きたことも霊視できることもあったようです。
また、眼だけでなく、右耳も聴力がなかったといいます。これは、先天性の軟調が原因でした。
1980年代からテレビ番組で活躍
霊視ができることに対して、周囲の人は宜保愛子を批判していたといいます。しかし、その中で宜保愛子の実の兄だけは信じてくれていました。しかし、その兄も戦争でなくなってしまうこととなります。その後は横浜にある大学を卒業後、英語教師として20年務めていたようです。また、普段は子供を3人も抱える主婦をこなしていました。
しかし、1961年に出演したテレビで有名になり始めたといいます。そして、「あなたの知らない世界」に出演したことをきっかけとし、1980年代からより宜保愛子の存在は世に人待っていきました。多くの人に対して宜保愛子は霊視を行っていたようです。
1995年頃からメディア出演が減少
1980年ごろから人気が出ていた宜保愛子ですが、1995年ごろからはメディア出演が減少してしまうことになります。その理由として、1995年に起きたオウム真理教事件が挙げられます。オウム真理教事件の影響ではオカルト的なものが禁止されてしまい、宜保愛子もメディア出演を余儀なくされてしまいました。
しかし、その後2001年ごろから活動を再開し始め、再度宜保愛子は話題の人になりました。5年ほどテレビ業界から遠ざかっていた宜保愛子ですが、その間には著書を多数出版していたようです。しかし、そんな宜保愛子の栄光も長くは続きませんでした。
2003年に亡くなる
2001年から活動を再開した宜保愛子ですが、2003年にはなくなってしまったようです。その死因については、のちに詳しくご紹介していきます。宜保愛子は、2003年5月に亡くなっており、葬儀は家族だけで行われたといいます。霊能力者を批判していたとされている人物も、宜保愛子の死後、彼女は評価に値する人物だと述べていたといいます。
宜保愛子は人間性がとても評価されており、霊能力者としてだけでなく、一人の人間としても称賛されていた人物です。そのため、宜保愛子の死を受けてショックを隠し切れない人も多かったのではないでしょうか。
宜保愛子の死因は?
2003年に死亡が確認された宜保愛子ですが、なせ死亡してしまったのでしょうか。霊能力者だったこともあり、多くの霊と接触していたことが原因なのではないか、との見解も持たれているようです。そのため、下記では宜保愛子の死因について深く掘り下げていきましょう。死因自体は、かなり一般的なものだったようです。
しかし、その中で霊にかかわっていたことが原因だという人も少なくありません。そのため、のちに宜保愛子の死因だとうわさされているものについても掘り下げていきましょう。もしも、宜保愛子について深く知りたいと考えているのであれば、死因についても把握しておくことをお勧めします。
死因は胃がん
宜保愛子の死因は、胃がんだったようです。胃がんとは、その名の通り胃にできるがんを意味しています。がんは進行速度が速く、中には気づかないうちに取り返しがつかなくなってしまうところまで進行してしまう人もいるくらいです。がんに気づいてから除去を施したとしても、再発する可能性も少なくありません。
しかし、宜保愛子がどのような経緯で亡くなってしまったのかは明らかになっていません。しかし、胃がんは恒例になればなるほど発症する可能性が高く、死亡する確率も高まってしまいます。
宜保愛子の死の真相は心霊スポットが関係している?
宜保愛子は、生前様々な霊と会話をしていました。また、メディアに引っ張りだことなっていた時には、心霊スポットに足を運ぶこともあったといいます。その中には、宜保愛子が恐ろしいと感じてしまうような場所も多く、死因は胃がんではなく心霊スポットがっ原因なのではないかとの意見も多いようです。
そのため、下記では宜保愛子の死の真相に関係していると言われている心霊スポットを、いくつかご紹介していきます。もしも、宜保愛子の死因が下記の心霊スポットと関係していたのであれば、霊能力者として惜しい人を亡くしてしまったのかもしれません。
島根県のかもめ荘
島根県にあるかもめ壮は、日本でも有名な心霊スポットと言われています。テレビ番組で宜保愛子がこのかもめ壮に訪れる機会があったのですが、なぜか宜保愛子は霊と交信することなく帰ってしまったといいます。その理由として、かもめ壮には宜保愛子が除霊できないほどたくさんの霊が住み着いていたことが挙げられます。
また、宜保愛子はこのかもめ壮に訪れた1か月後に亡くなったといいます。胃がんが直接的な理由とも言えますが、かもめ壮に訪れたことによって、宜保愛子に何らかの影響があったといってもおかしくないのかもしれません。
山形県の滝不動
霊能者である宜保愛子は、山形県にある滝不動と呼ばれる場所にも訪れたことがあるようです。この滝不動も心霊スポットとして有名で、宜保愛子が何もできずに帰ったところだといいます。
しかし、この山形県にある滝不動が直接的な死因だといわれているのは、あくまでもうわさでしかありません。そのため、宜保愛子の死因は本当に胃がんだったのかもしれません。
しかし、この滝不動では首吊り自殺が行われたこともあり、何か良くないものを連れ帰ってしまった可能性も否定できないでしょう。また、宜保愛子はこの滝不動を訪れた後に亡くなったことも、死因だといわれる理由なのかもしれません。
愛媛県の大谷池
大谷池とは、愛媛県にある池です。ここも心霊スポットとして知られており、中にはこの湖の中から無数の手が伸びているのを見た経験をした人もいるようです。そのため、テレビ番組でもこの大谷池が取り上げられることになりました。その際に、宜保愛子も訪れることとなります。しかし、宜保愛子も自分の手には負えないと述べて退散しています。
そのことから、愛媛県にある大谷池も何か良くない霊がいたのかもしれません。そして、宜保愛子の死因は大谷池なのではないかとのうわさもでてきました。しかし、これについてもうわさですので、真偽はわかりません。
宜保愛子の有名な霊視や予言
宜保愛子は、生前様々な霊視や予言を残していました。そのことから、はじめは宜保愛子を霊能者として認めていなかった人も、徐々に本物の霊能者だと認めるようになっていきました。特に、批判していた人は手のひらを返したような発言をしていたこともあり、宜保愛子の霊能者としての才能は凄まじいものだったといえるでしょう。
では、実際に宜保愛子はどのような霊視や予言を行っていたのでしょうか。中には、実際に多くの人が体験した災害なども含まれているようです。そのため、下記でご紹介する予言を見て、びっくりしてしまう人もいるかもしれません。
ピラミッドの霊視
エジプトにあるピラミッドでは、今でも様々な謎が隠されているといわれています。そんな中で、宜保愛子はピラミッドに訪れて霊視を行っていたそうです。ピラミッドは石でできており、とても重たい石なので、だれが作ったのだろうと疑問視されていました。宜保愛子は、当時は超能力者がいて、石の重さを軽くしながら運んでいたと発言しています。
ピラミッドが作られた目的としては、魂が天に昇りやすいようにとのことでした。そのため、宜保愛子はある一定の場所で、引っ張られる感覚を感じたといいます。
逸見政孝の死の予言
宜保愛子は、逸見政孝を霊視したことがあるようです。その際に、詩を予言していたといいます。過去に亡くなった兄弟が、「逸見政孝もがんで亡くなると伝えてくれと言っている」と伝えてきたといいます。のちに、逸見政孝は自分ががんであることを公表することになりました。
その後、逸見政孝は闘病生活を余儀なくされたのですが、その後、死を迎えることとなりました。宜保愛子が予言していた結果となってしまったため、当時は宜保愛子の予言の力に驚きを隠せない人も多かったのではないでしょうか。
東日本大震災の予言
宜保愛子は東日本大震災が起こる前に亡くなっています。にもかかわらず、東日本大震災を予言していたといいます。宜保愛子の予言では、東日本で大きな自然災害が起こり、3万人が亡くなると発言していました。また、復興は成し遂げられるとも付け加えられています。
実際に東日本大震災が起こり、復興も無事成し遂げられることとなりました。しかし、自然災害系の予言はとても多く、宜保愛子の予言でも嘘だという声も多数上がっていたようです。1990年ごろに予言していたこともあり、当時いつかは地震が起こるといわれていたこともあり、予言に対して否定の意見を掲げる人は多くいました。
宜保愛子が関わった心霊写真を紹介【閲覧注意】
宜保愛子は、様々な心霊写真に関わってきたといわれています。そのため、宜保愛子が関わったとされる心霊写真をご紹介します。とても不気味な写真ですので、観覧注意でお願いします。
実際に宜保愛子が見ていた写真ではありませんが、霊視を行った場所の写真となります。雰囲気的にも、かなり暗い場所となっており、霊が出てもおかしくないでしょう。
宜保愛子は伝説の霊能者
霊能者として活躍していた宜保愛子ですが、最後は胃がんで亡くなってしまいました。しかし、霊能者ということもあり、死因は別のところにあるのではないか、と噂されることも少なくありません。実際に、宜保愛子は霊能者として様々な霊とかかわってきました。また、危険な場所にも訪れています。
そのため、死因がほかのところにあった可能性は否定できないでしょう。