中島忠幸さん(カンニング竹山の相方)死因は白血病?息子はいる?

お笑い芸人として現在も活躍しているカンニング竹山さんには、中島忠幸さんという相方がいたのをご存知でしょうか。今回は、ブレイク直後に若くして亡くなった中島忠幸さんの死因やご家族のこと、そして中島忠幸さんとカンニング竹山さんの感動秘話をご紹介します。

中島忠幸さん(カンニング竹山の相方)死因は白血病?息子はいる?のイメージ

目次

  1. 1中島忠幸の死因は何だったの?
  2. 2中島忠幸とは?
  3. 3中島忠幸の経歴
  4. 4中島忠幸の死因は?
  5. 5中島忠幸の嫁や子供は?
  6. 6カンニング竹山と中島忠幸の泣ける感動秘話
  7. 7カンニング竹山と中島忠幸の漫才動画を紹介
  8. 8中島忠幸さんとカンニング竹山さんは固い絆で結ばれている

中島忠幸の死因は何だったの?

現在もお笑い芸人として活躍しているカンニング竹山さんには中島忠幸さんという相方がいたことを覚えていますか。カンニング竹山さんの相方・中島忠幸さんは35歳の若さでこの世を去っているのですが、今回は中島忠幸さんの死因となった病気や、カンニング竹山さんと中島忠幸さんの感動秘話をお話します。

中島忠幸とは?

お笑い芸人として活躍するカンニング竹山さんの相方「中島忠幸」さんとはどんな人物なのでしょう。まずは中島忠幸さんのプロフィールをご紹介します。

中島忠幸のプロフィール

本名 中島忠幸(なかしまただゆき)
生年月日 1971年6月14日
享年 2006年12月20日(35歳)
出身地 福岡県福岡市
血液型 O型→A型→B型(臍帯血移植により変化)
活動内容 お笑い芸人
所属グループ カンニング
所属事務所 サンミュージック企画
主な作品 「エンタの神様」「笑いの金メダル」「めちゃ×2イケてるッ!」

中島忠幸さんはキレ芸で人気を博したお笑いコンビ「カンニング」のツッコミ担当で、ネタではキレるカンニング竹山さんをなだめるという役柄でしたが、プライベートではカンニング竹山さんより短気な性格をしていたそうです。

カンニング竹山さんとは小学校と中学校の同級生で、大人になって状況してからたまたま再開したカンニング竹山さんに誘われてお笑いの道を志すこととなりましたが、ブレイクするまで長い下積み時代がありました。

2002年頃からテレビ出演をするようになり2004年4月には結婚、同年9月には第一子となる長男が誕生していますが、人気絶頂期に急性リンパ性白血病になり2006年12月に35歳の若さでこの世を去りました。

中島忠幸の経歴

現在はピン芸人として活躍するカンニング竹山さんとお笑いコンビを組んでいた中島忠幸さんの経歴を見てみましょう。

カンニング竹山に誘われてコンビ結成

中島忠幸さんとカンニング竹山さんは小学校・中学校の同級生幼いころからお笑い芸人を目指していたわけではありませんでした。福岡にいた頃にもカンニング竹山さんからコンビを組もうと誘われたことがあったのですが、一度は断り中島忠幸さんは板前を目指し修行を始めるのです。

板前を目指していた中島忠幸さんは、とても筋が良かったことから嫌がらせを受け、相手へ反撃をしてから上京、そして偶然定食屋でカンニング竹山さんとの再会を果たします。それから一年後、二人の出身地である福岡で誘われた時に一度は断ったカンニング竹山さんからのコンビ結成の誘いを了承し、お笑い芸人への道を歩き始めました。

しかし、お笑いコンビを組んでからは売れない日々が続き、双方に非がある接触事故を起こして借金を背負うなど数々の災難にも見舞われてしまいますが、決してお笑いを辞めることはしませんでした。

2002年頃からブレイク

お笑いコンビ「カンニング」結成後もなかなか売れない日々が続いていたのですが、27歳の頃ブッチャーズブラザーズに助けられ一度はクビになったサンミュージックに再び所属、その際リッキーからの提案であったキレ芸を採用しました。

その後ブレイクすることとなるスタイルの芸風を確立させていき30歳になる頃にはお笑い芸人の大会で優勝するなどの実績を残し始めます。そして、虎の門のチーフプロヂューサー藤井智久に才能を認められたことをきっかけにカンニングはテレビ番組に出演するひっかけをつかみ取り、2002年頃から見事ブレイクを果たしました。

2004年から病気を理由に休業

プライベートでは結婚して子供も生まれた中島忠幸さんは、2004年12月から病気を理由にお笑い芸人の仕事を休業し、翌1月にはその病名が急性リンパ性白血病であることを公表しました。歌手の本田美奈子.さんも同時期に白血病にかかっており、手紙を交換してお互いを励まし合っていたそうです。

2006年に死去

病気療養中、一度だけ人気テレビ番組「エンタの神様」の番組内でカンニング竹山さんが突然中島忠幸さんに電話をかけ、声だけの番組出演をしたのが中島忠幸さん最後のテレビ出演となってしまいます。

臍帯血移植により一度は良い方向に向かっていたのですが、中島忠幸さんは2006年12月20日・午前11時46分、わずか35歳という若さでこの世を去ってしまいました。

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中島忠幸の死因は?

35歳という若さでこの世を去ったカンニング中島忠幸さんの死因は闘病を公表されていた急性リンパ性白血病なのでしょうか。中島忠幸さんの死因となった病気について調べてみました。

病名は急性リンパ性白血病

中島忠幸さんが病気療養することとなった病名は急性リンパ性白血病でした。2004年の11月半ば、急性リンパ性白血病で倒れた中島さんはそこから約2年、入退院を繰り返し闘病します。

急性リンパ性白血病とは

急性リンパ性白血病とは、腫瘍化したリンパ球系の細胞が骨髄の中に浸潤してしまうことから腫瘍細胞が末梢血中にも認められる状態を指す白血病の一種の病気で、急性リンパ性白血病を成人で発症した場合の生存率はかなり低いといわれています。

直接の死因はウイルス性肺炎

直接の死因となったのは、急性リンパ性白血病の影響で免疫力が低下したために併発したウイルス性肺炎です。

適合ドナーは見つかっていた

2006年1月には臍帯血移植(さいたいけついしょく)によって一時は軽快傾向だと言われており、その頃中島忠幸さんには適合ドナーが見つかっていました。

しかし不運にも適合ドナーの方が風邪を引いてしまい、中島忠幸さん自身もウイルス性肺炎を発症したことから手術が延期になってしまったそうです。

中島忠幸の嫁や子供は?

中島忠幸さんには病気を発症した2004年に結婚した奥様がいましたが、お子様はいらっしゃるのでしょうか。中島忠幸さんのご家族について調べてみました。

2004年に一般女性と結婚

中島忠幸さんは2004年4月、一般人女性と結婚しています。名前は「真奈美さん」というそうですが、職業や年齢などの詳しい情報はありませんでした。

息子が1人いる

中島忠幸さんには2004年4月に結婚した奥様との間に2004年9月、息子が誕生しています。名前は翔太くんと言うそうです。

カンニング竹山と中島忠幸の泣ける感動秘話

中島忠幸さんが亡くなってからもカンニングを名乗り続けるカンニング竹山さんと中島忠幸さんとの間にある泣ける感動秘話をご紹介します。

中島忠幸家族への援助

カンニング竹山さんは中島忠幸さんが亡くなった後も中島忠幸さん家族に寄り添い続けています。まるで本当の家族のように思っていると言い、中島忠幸さんの息子を連れてハワイに行ったというエピソードも公表されています。

葬儀での弔辞

中島忠幸さんの葬儀でカンニング竹山さんが読んだ「おい良かったな!」の言葉から始まる弔辞は愛に溢れていると話題になりました。

「おい良かったな!みんなお前、みんな見に来て」と葬儀に来たマスコミの数を凄いと言い、芸能界に爪痕を残したどころじゃないと中島忠幸さんを褒める言葉から始まった弔辞の言葉は、「俺はお前となぁ、二人でコンビ組んで漫才とかやれて、お笑い芸人になって、やれたことが本当に幸せやった。ありがとう。」と感謝の言葉へと続きます。

そしてカンニング竹山さんは最後に「俺がまたそっちに往ったらまたやろうや、いいかお前な、待っとけ!ありがとう、じゃあな、いつもと同じように別れるぞ、じゃあな!」とまたコンビで漫才がしたいという胸の内を打ち明けながらも明るく見送る言葉を述べました。

カンニングを芸名にし続ける理由

カンニング竹山さんは病気療養に入った中島忠幸さんを気遣って復帰した時に中島忠幸さんのポジションがなくなってしまっていないようにと漫才を封印しピンで活動を続けることにしたのですが、

あえて「カンニング」を名乗り続けたのはカンニング竹山さんが一人でも活動を続けていれば「カンニング」というお笑いコンビを忘れないでもらえるとして中島忠幸さんが亡くなった後もカンニングを名乗り続けているのだそうです。

また、中島忠幸さんの闘病中、一人でテレビ出演などの活動をする時もカンニングを名乗ることでギャラを折半していたという説もあります。

カンニング竹山と中島忠幸の漫才動画を紹介

こちらは、結婚して子供も生まれて幸せの絶頂期と語る中島忠幸さんとカンニング竹山さんの2004年の漫才です。この漫才の中で中島忠幸さんの奥様の名前が真奈美だとカンニング竹山さんが公表しています。

中島忠幸さんとカンニング竹山さんは固い絆で結ばれている

カンニング竹山さんの相方、カンニング中島こと中島忠幸さんの活躍を振り返るとともに、中島忠幸さんがかかった急性リンパ性白血病についてや、カンニング竹山さんとの感動秘話をご紹介しました。

中島忠幸さんが亡くなったのは13年前のことですが、今なお中島忠幸さんの活躍を、カンニングを名乗り続けるカンニング竹山さんが伝え続けています。中島忠幸さんとのエピソードを知ると、カンニング竹山さんの活躍にますます目が離せません。

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