アントニオ猪木が車椅子の理由!病気?現在の生活状況を解説
アントニオ猪木が車椅子生活をしているって本当?なぜ車椅子に乗っているのか、病気の症状?などアントニオ猪木の現在の生活状況をご紹介します。また、アントニオ猪木のプロフィールや経歴、妻や子供など家族情報についても取り上げていきます。
目次
なぜアントニオ猪木は車椅子?余命が心配!
プロレスターとして、そして「闘魂注入のビンタ」などでも有名なアントニオ猪木さん。このアントニオ猪木さんが「車椅子に乗っている」として、そのことが話題になりました。
何かの病気なのか?という心配を含めた憶測や、「余命が心配!」という重い病気を心配している人まで、様々な声が挙がっています。
このアントニオ猪木さんについて、プロフィールやこれまでの経歴、妻や子供などの家族に関する話題、さらに車椅子を使っていた理由や病気、今現在についてご紹介します。
アントニオ猪木とは?
車椅子を使っていて病気なのではないか?などの心配の声があがっているアントニオ猪木さんですが、今現在の状況に触れる前に、まずは「アントニオ猪木とは?」ということで、アントニオ猪木さんのことを知っていきましょう。
まずは、本名や生年月日、出身地などの一般的な情報や、所属事務所や主な活動など有名人としての情報などを含めたプロフィールをご紹介します。
アントニオ猪木のプロフィール
本名 | 猪木 寛至(いのき かんじ) |
生年月日 | 1943年2月20日 |
現在の年齢(2019年現在) | 75歳 |
出身地 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
血液型 | AB型 |
活動内容 | 元プロレスラー、実業家、政治家 |
所属グループ | 新日本プロレス |
所属事務所 | 新日本プロレス スポーツ平和党代表、日本維新の会副幹事長 |
主な戦績・活動 | 【プロレス 獲得タイトル】 NWA世界タッグ王座:1回 NWA世界タッグ王座:1回 NWF世界ヘビー級王座 / NWFヘビー級王座:4回 WWFヘビー級王座:1回 WWF世界マーシャルアーツ王座:2回 UWA世界ヘビー級王座:1回 USヘビー級王座:1回 UNヘビー級王座:1回 インターナショナル・タッグ王座:4回 アジアタッグ王座:4回 ワールドリーグ戦優勝:1回 NWAタッグ・リーグ戦優勝:2回 世界ヘビー級王座:1回 IWGPヘビー級王座:1回 NWA北米タッグ王座(新日本プロレス版):2回 ワールドリーグ戦(新日本プロレス版)優勝:2回 プレ日本選手権優勝:1回 IWGPリーグ戦優勝:4回 MSGシリーズ優勝:4回 MSGタッグ・リーグ戦優勝:4回 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦優勝:1回 ジャパンカップ争奪イリミネーション・リーグ戦優勝:1回 【映画】 がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征(1978年)本人役 激突!格闘技 四角いジャングル(1979年) 格闘技オリンピック 四角いジャングル(1980年) ACACIA(元プロレスラー・大魔神役で主演)俳優として初主演作(2010年) 燃える闘魂アントニオ猪木50年の軌跡(2010年) 【テレビ】 恐怖の無人島に挑む7人の少年ターザン・隊長アントニオ猪木とパラオ島大探検(1981年) 挑戦!アントニオ猪木と少年シルクロード冒険隊!!(1984年) そこまでやるかマン 世界最強の勇者たち(2010年) 志村&鶴瓶のあぶない交遊録(2011年) 開運!なんでも鑑定団(2018年) 【テレビドラマ】 チャンピオン太 (1962年、第1話、第4話)死神酋長役、ストライプ・スネイク役 プロレスの星 アステカイザー(1976年、第1話ゲスト出演)本人役 佐々木夫妻の仁義なき戦い 第1話(2008年) 温泉殺人事件シリーズ 有馬温泉殺人事件 (2016年)本人役 【パチンコ・パチスロ】 CRアントニオ猪木という名のパチンコ機(2004年) CR燃える闘魂 アントニオ猪木(2006年) CRアントニオ猪木という名のパチンコ機 道(2010年) CRアントニオ猪木という名のパチンコ機~やれるのか、本当にお前~(2012年) アントニオ猪木という名のパチスロ機(2002年) アントニオ猪木自身がパチスロ機(2003年) アントニオ猪木も燃えるパチスロ機(2007年) アントニオ猪木が元気にするパチスロ機(2010年ア) アントニオ猪木が伝説にするパチスロ機(2013年) |
アントニオ猪木さんのプロフィールは上記のようになります。プロレスラーとしてのアントニオ猪木さんは多くの戦績を残しており、伝説のプロレスラーと言える存在です。
また、プロレスラー時代を知らない人でも、数々のテレビ番組に出演していたり、政治活動や実業家としての活動を通じて知っている人も多いでしょう。
さらに、「パチンコ・パチスロ」を好きで遊んでいる人も多く、その中で「猪木の機種」は人気のある機種になっているので、そこで馴染み深いという人もたくさん存在しています。
アントニオ猪木の国籍
「アントニオ猪木の国籍」が気になるという人もいます。これは名前が「アントニオ」だからなのか、それとも「ブラジルから来た」ということで気になっているのか、どちらかでしょう。
ただ、どちらにしてもプロフィールにも載せていいるように、アントニオ猪木さんは神奈川県横浜市出身で、父:猪木佐次郎、母:文子の間に生まれた純粋な日本人です。
「アントニオなんて芸名なんだから国籍が気になる意味が分からない」という人は以下の経歴の部分もチェックしてみてください。
アントニオ猪木の経歴
アントニオ猪木さんのプロフィールを確認しましたので、次はこれまでの経歴をチェックしていきます。車椅子で病気が心配されるような「今現在のアントニオ猪木になるまで」の特に目立つ活動などの経歴をご紹介します。
13歳でブラジルに移住
アントニオ猪木さんは、5歳のときに実の父親である猪木佐次郎さんを亡くしています。実家が営んでいた石炭問屋も第二次世界大戦後の主要エネルギーが石油に変わったことで倒産してしまいます。
12歳で横浜市立寺尾中学校に入学しましたが生活は非常に厳しく、13歳の時に「貧乏生活を抜け出せるかもしれない」という希望から、母親、祖父、兄弟とともにブラジルに移住しています。
ブラジル、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごしていて、このブラジル移住後最初の1年半程度の期間は、農場で早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫など過酷な労働を強いられていたといいます。
プロレス興行に来ていた力道山と出会う
現在からは想像しづらく意外なことですが、アントニオ猪木さんは幼少期は運動神経が悪く、友達からは「ドン寛(鈍感)」「運痴の寛ちゃん」などと呼ばれていました。
ただ、ブラジルに移住してからは陸上競技の選手として大会に出場し、砲丸投げで優勝するなど、その身体能力の高さを発揮するようになります。
そこで、ブラジル遠征に来ていた力道山の目に留まることになります。
日本プロレスに入団して活躍
ブラジル遠征の力道山に見込まれ、本人から直接スカウトされて日本に帰国したアントニオ猪木さんは、日本プロレスに入団します。
1960年(昭和35年)9月30日のデビュー戦はまだ本名である猪木寛至として出場し、大木金太郎さん相手に戦います。この試合は7分6秒、逆腕固めで敗退しています。
1962年11月9日、長沢秀幸との試合において先輩レスラー豊登による命名であるアントニオ猪木にリングネームを改名しています。
1998年に引退
アントニオ猪木さんは現在引退していますが、この布石は1994年5月1日、福岡ドームでグレート・ムタと対戦したところから「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まっています。
そして、他のカウントダウンの試合を重ね、1998年4月4日東京ドームにおける引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」で小川直也らと対戦し勝ち上がってきたドン・フライと対戦します。
グラウンド・コブラツイストで勝利し引退しました。この引退の際には「この道を行けばどうなるものか」で始まる「道」のスピーチを行いました。この「道」のスピーチは話題になり、後に数々の芸能人たちがものまねの対象にしています。
1989年にスポーツ平和党を結成
アントニオ猪木さんは、引退より少し時間を戻して、1989年(平成元年)に「スポーツを通じて国際平和」を合言葉としたスポーツ平和党を結成しています。
そして第15回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、99万3989票を集めて初当選しています。晴れて参議院議員となりました。
この時のキャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」というものを掲げていて、史上初のレスラー出身の国会議員となりました。
アントニオ猪木が車椅子の理由は?
アントニオ猪木さんのプロフィールや経歴を見てきましたので、ここからはアントニオ猪木さんが「車椅子の理由」を見ていきましょう。なぜアントニオ猪木さんは車椅子を使っていたのでしょうか。
理由は腰の療養
アントニオ猪木さんが車椅子に乗っていた理由としては、病気を心配されていましたが、周辺の関係者が「腰を痛めているため」と発表しています。
そして、しばらく安静にしある程度よくなったタイミングでアントニオ猪木さん本人も「腰の手術から退院して、1週間も経っていない状態だった」と車椅子を使っていた理由をコメントしています。
本当は病気なの?
ただ、車椅子だった理由をコメントしたあとも「本当は病気なのではないか?」という憶測も飛び交っていました。というのも、アントニオ猪木さんは持病で「糖尿病」を患っており、その悪化が原因ではないか?とされていたのです。
車椅子姿でカメラ、報道陣の前に現れたアントニオ猪木さんは、痩せ細り、顔色もよくなく、「病気の悪化」というほうがしっくり来てしまうような風貌だったためです。
アントニオ猪木の妻や子供は?
アントニオ猪木さんには、妻や子供はいるのでしょうか。そもそも結婚しているのかどうかという部分からご紹介していきます。
4回結婚している
実はアントニオ猪木さんは、「4回」結婚を経験しています。最初の結婚は渡米時代にアメリカ人の女性「リンダ」さんと結婚しています。このとき1児をもうけていますが、残念ながら死亡してしまっています。
その後、女優の倍賞美津子さんと結婚。「1億円の結婚式」を挙げて当時は非常に大きな話題となっていました。
倍賞美津子さんと離婚したあとは22歳も歳の離れた妻と3度目の結婚をしていますが離婚。その後、16歳年下の女性と4度目の結婚をしています。
2人目は倍賞美津子
先にも触れていますが、アントニオ猪木さんが結婚した2人目の女性は女優の倍賞美津子さんです。この倍賞美津子さんとの結婚の間に1人娘をもうけているので、2人の間には娘さんがいます。
現在の妻は橋本田鶴子
アントニオ猪木さんの現在の妻は橋本田鶴子さんという女性で、アントニオ猪木さんよりも16歳年下の元カメラマンという人物です。
1990年の後半から橋本さんはアントニオ猪木さんのプロレス写真なども撮っていたので、その頃から交流があったということです。
子供はいるの?
それぞれの結婚時に子供ができていますが、現在の結婚相手である橋本田鶴子さんとの間には子供ができたという情報は出ていませんので、いないものと考えられています。
もちろん、表に出していないという可能性も考えられますが、結婚したのがアントニオ猪木さんが74歳になる誕生日のことなので、年齢的な問題も考えると「いない」ということで良いでしょう。
アントニオ猪木の現在は?
アントニオ猪木さんの現在の様子はどのようになっているのでしょうか。車椅子で現れたことや、そのときの風貌などから「イノキの現在」が気になる人も多いです。
持病の症状は回復
アントニオ猪木さんが車椅子で現れたときには「腰」を原因としていましたが、その痩せ細り、顔色も良くないという風貌から持病の糖尿病の悪化が囁かれていました。
ですが、その症状は回復に向かっているようで、車椅子姿ではなく立ってマイクに向かって猪木節を披露している様子もとらえられています。
政治活動やタレント活動を継続中
すでに車椅子を使っておらず、持病の症状も回復に向かっているアントニオ猪木さんは、また元気な姿で政治活動やタレント活動を継続しています。
様々なメディアでもその姿が捉えられていますので、それもファンにとってはひとつの安心材料と言えるでしょう。
近況はツイッターをチェック
HAPPY NEW YEAR.
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) January 3, 2019
今日という日は明日への贈り物。 pic.twitter.com/MWbp7eRPxZ
アントニオ猪木さんはTwitterのアカウントもあります。公式マークのチェックが入っているのでしっかりと本人のものです。
更新しているのはアントニオ猪木さんではなく、周りの人物である可能性や、そういったタイミングもあるでしょうが、Twitterを見ておけば近況をしっかり追うことができます。
アントニオ猪木さんが北朝鮮に行く理由
アントニオ猪木さんは様々な理由、タイミングで北朝鮮を訪問しています。この理由としてはアントニオ猪木さんの恩人で師匠でもある力道山さんが深く関わっています。
実は力道山さんは、日本統治時代の北朝鮮の生まれで、いわゆる「在日朝鮮人」なのです。そのことを力道山さんが亡くなったあと、とあるスポーツ誌の記事で知ったアントニオ猪木さんは北朝鮮への想いが強くなったといいます。
アントニオ猪木さんは「元気ですかー!」と元気を分けてくれています
アントニオ猪木さんが車椅子で登場したときには様々な心配の声が挙がりました。その風貌からも重い病気なのではないかと、余命の心配もされたほどです。
ですが、現在は、これまでのとおり政治活動やタレント活動を行なっていますので、まだまだ「元気ですかー!」と元気を分けてくれています。これからの活動にも期待していきましょう。