高井麻巳子(秋元康の妻)の現在!子供(娘)は?おニャン子クラブの今【画像】
現在は、有名音楽プロデューサー秋元康さんの妻として知られている高井麻巳子さんは、かつておニャン子クラブのメンバーとして人気を集めていました。今回は、最近あまり表舞台に立っていない高井麻巳子さんの現在について、詳しく見ていきたいと思います。
目次
高井麻巳子の今が気になる!
大ブレイクしているAKB48のプロデューサーとして有名な秋元康さん。そんな秋元康さんの妻である高井麻巳子さんも、元々大人気アイドルグループおニャン子クラブで活躍していたアイドルだったのです。
高井麻巳子さんは愛らしい顔立ちから大人気となりましたが、最近はあまりテレビに出演していません。そこで、今回は高井麻巳子さんの現在や家族について、詳しく取り上げていきたいと思います。
高井麻巳子さんの現在に興味がある人は、ぜひ注目してみてください。
高井麻巳子とは?
高井麻巳子さんは、美術大学進学のために高校卒業直後に上京しています。その後、原宿にいた高井麻巳子さんはスカウトを受けるのです。その後、人気アイドルグループおニャン子クラブの会員番号16番のアイドルとして、デビューを果たします。
おニャン子クラブのメンバーであった岩井由紀子さんとユニット「うしろゆびさされ組」を結成すると、ヒット曲をリリースするのです。1986年にはシングル「シンデレラたちへの伝言」を発売し、ソロ歌手としても華々しくデビューします。
1987年にはおニャン子クラブを卒業し女優としても活躍しました。1988年には人気音楽プロデューサー秋元康と結婚し、芸能界を引退したのです。
高井麻巳子のプロフィール
本名 | 高井麻巳子 |
生年月日 | 1966年12月28日 |
現在の年齢(2019年現在) | 53歳 |
出身地 | 福井県 |
血液型 | O型 |
活動内容 | 元アイドル |
所属グループ | 元おニャン子クラブ |
所属事務所 | 無し |
主な作品 | シングル「シンデレラたちへの伝言」 |
高井麻巳子さんは、福井県で大人しく聡明な美少女として育ちます。母校である県立若狭高校在学時には、その可憐さで男子生徒からの注目を集め、ミス若高と呼ばれていたそうです。
美術大学に進学するために上京した高井麻巳子さんは、原宿でスカウトを受けます。高井麻巳子さんは、19歳で当時大人気であったアイドルグループおニャン子クラブのメンバーとして、アイドルデビューを果たすのです。
可憐な顔立ちと美しい歌声で人気を集めた高井麻巳子さんは、アイドルとして大活躍しますが、1987年におニャン子クラブを卒業します。その後は女優業に集中し、1988年にオンガクプロデューサーの秋元康さんと結婚と芸能界引退を発表するのです。
高井麻巳子の経歴
高井麻巳子さんは1988年に結婚してから現在まで、あまりメディアに取り上げられていません。そのため、どのような活躍をした女性なのか、気になる人も多いでしょう。
そこで、以下では高井麻巳子さんの華やかな経歴を、詳しく説明していきたいと思います。
女子美術短期大学に入学
高井麻巳子さんは、福井県で生まれ育ちます。幼少期から美少女として有名であり、若狭高校時代にはミス若高と呼ばれ、ファンの男子生徒も多かったそうです。アートに興味があった高井麻巳子さんは、高校を卒業すると、女子美術短期大学に進学し上京します。
1985年におニャン子クラブとしてデビュー
美大生となった高井麻巳子さんは、原宿でスカウトを受けます。そのスカウトは、当時人気だったアイドルバラエティ番組「夕やけニャンニャン」内の、一般人からアイドルの原石を見つけるという内容の企画「アイドルを探せ」でした。
高井麻巳子さんは、この企画内で人気歌手松田聖子さんのヒット曲「青い珊瑚礁」を見事に歌い上げ、本格的なアイドルデビューが決定するのです。
秋元康さんがプロデュースしていた人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」の16番目のメンバーとして、アイドルデビューを果たしています。
ゆうゆとうしろゆびさされ組としても活動
人気アイドルグループおニャン子クラブのメンバーとしてデビューすると、高井麻巳子さんはその愛らしいルックスで人気を集めます。
さらに、高井麻巳子さんは、当時ゆうゆというあだ名で親しまれていたおニャン子クラブメンバーの岩井由紀子さんと、歌手ユニット「うしろゆびさされ組」を結成するのです。
デビュー曲は美しい歌声から人気を集め、人気アニメの主題歌に起用されます。高い歌唱力も披露した高井麻巳子さんは、ますます人気を集めていくのです。
1987年におニャン子クラブを卒業
「うしろゆびさされ組」としての活動と共に、ソロ歌手としても忙しく活動していた高井麻巳子さん。ファンも多くなり、順調なアイドル人生を送っていました。しかし、1987年に突如おニャン子クラブ卒業を発表し、以降は女優業に力を入れていきます。
ドラマなどで女優として活動
1987年におニャン子クラブを卒業した後、多くのドラマや映画に出演し、女優としても才能を開花させた高井麻巳子さん。しかし翌年の1988年には秋元康さんとの結婚を表明し、芸能界も引退してしまうのです。
当時は、高井麻巳子さんのファンクラブが結成されたばかりだったので、ファンは大きな衝撃を受けたでしょう。
高井麻巳子の主な人気作品
高井麻巳子さんは様々な人気作品を残しています。以下では、高井麻巳子さんの作品の中でも、特にファンたちから高評価されている作品を、いくつか紹介していきましょう。高井麻巳子さんの活躍が気になる人は、ぜひ以下の作品を聴いてみてください。
シンデレラたちへの伝言
1986年にリリースした「シンデレラたちへの伝言」で、高井麻巳子さんはソロ歌手としてデビューしています。恋人の女性の純真さに魅了される男性の心情を、透明感のある美しい歌声で歌ったバラード曲です。
オリコン1位を獲得しており、高井麻巳子さんは歌手としても注目されるようになりました。
メロディ
1986年にリリースした「メロディ」は、遠い場所にいる恋人を想う女性の切ない心を、ゆったりとした曲調で歌い上げた曲です。高井麻巳子さんの良く響く伸びやかな高音が、しっかり楽しめる楽曲として人気を集めました。
かげろう
1987年にリリースした「かげろう」は、恋人に別れを告げようとしている女性の切なさを悲しみを表現している曲です。これまでの清純なイメージとは異なる、大人っぽい楽曲で人気を博しました。
うそつき
1987年にリリースしたシングル「うそつき」は、強がりを言いながら愛している恋人に別れを告げた女性の心を表現しています。高井麻巳子さん独特の清涼感のある歌声と、色っぽい歌い方で、魅力的なギャップが生まれている人気曲です。
この楽曲のリリースによって、高井麻巳子さんは幅広い年齢層の男性ファンを獲得するようになります。
テンダーレイン
1987年にリリースした「テンダーレイン」は。恋人の男性の前で素直になれない女性の切ない心情を歌い上げた楽曲です。高井麻巳子さんの美声と切ない歌詞が絶妙にマッチしており、多くの男性の心を掴みました。
高井麻巳子の若い頃の写真や画像を紹介
上記の画像は、おニャン子クラブのメンバーとしてアイドルデビューしたばかりの高井麻巳子さんの画像です。整った顔立ちですが、たれ目気味の可愛い目元と無垢な笑顔で、人懐っこく優しい雰囲気が強く出ています。
庇護欲をそそる雰囲気もあり、まさにアイドル向きの可愛らしいルックスと言えるでしょう。
高井麻巳子の夫は秋元康
高井麻巳子さんの夫は、音楽プロでジューサーとしても作詞家としても有名な秋元康さんです。以下では、秋元康さんと高井麻巳子さんとの出会いや、結婚当時の状況などについて、解説していきましょう。
秋元康とは
秋元康さんは、高校生の頃にたまたまラジオ番組に送った原稿が高評価されたことがきっかけで、大学生のころからラジオの放送作家として大活躍します。23歳の頃から作詞家としての才能も開花させ、人気アイドルの曲の作詞も手掛けるようになるのです。
「おニャン子クラブ」メンバーのソロデビューをトータルプロデュースするようになると、音楽プロデューサーとしても有名になります。2005年からはAKB48のプロデュースを開始し、大人気アイドルグループに成長させました。
1988年に結婚
秋元康さんと高井麻巳子さんは、1988年に結婚しています。人気アイドルであった高井麻巳子さんと、敏腕音楽プロデューサーの秋元康さんの結婚は、世間を揺るがせる大きなニュースになりました。
また、当時からアイドルの恋愛はタブー視されており、秋元康さんはおニャン子クラブのプロデュースにも関わっていたため、バッシングを受けることもあったようです。
2人の馴れ初め
おニャン子クラブの高井麻巳子さんと、そのプロデューサーであった秋元康さんは、仕事で会うことが多かったそうです。高井麻巳子さんは、頼れるプロデューサーであった秋元康さんに好意を抱き、交際に発展したとされています。
子供は娘が1人
結婚後にバッシングも受けた2人は、ニューヨークに1年ほど滞在しています。帰国してしばらく経った2001年には、高井麻巳子さんは長女を1人出産しているのです。
また、帰国後に作詞家として復帰した秋元康さんは、伝説的歌手美空ひばりさんの遺作「川の流れのように」の作詞を手掛け、作詞家として確かな地位を築きました。
実家の自転車屋さんは豪邸なの?
高井麻巳子さんの福井県小浜市にある実家は、自転車屋さんを営んでいるようです。経営は長年安定しているようで、実家はしっかりした大きさであることが判明しています。しかし、豪奢な雰囲気ではなく、大きめの一般家庭の雰囲気を纏っているのです。
高井麻巳子さんと秋元康さんの現在住んでいる家が豪邸という噂から、高井麻巳子さんの実家も豪邸という噂が流れたと推測できます。
高井麻巳子の一人娘と実姉
高井麻巳子さんには、現在一人娘と姉がいます。以下では、あまり知られていない高井麻巳子さんの娘と姉についても、詳しく取り上げていきましょう。
一人娘の秋元せり
高井麻巳子さんと秋元康さんの間に生まれた一人娘の名前は、「せり」とされています。成績優秀なようで、慶應義塾中等部を卒業し、現在は秋元康さんの母校である中央大学付属高校で学んでいるようです。
中学校高校共に偏差値は70ほどで、秋元康さんと高井麻巳子さんの知性が受け継がれていることが窺えます。
ちなみに、秋元康さんがプロデュースしている人気アイドルグループAKB48には、秋元才加さんというメンバーがいますが、秋元康さんの娘ではないのです。「秋元」という苗字が同じなので、娘と思い込みがちですが血のつながりはありません。
高井麻巳子の実姉高井雅代
高井麻巳子さんは福井県内で自転車屋さんを営む実家で、4人姉妹の1人として誕生しています。実は、姉の高井雅代さんにも芸能活動をしていた過去があり、1985年に結成されたダンスボーカルユニット「Dee-Dee」のメンバーとしてデビューしているのです。
しかし、1990年に「Dee-Dee」が解散して以降は芸能界を引退し、一般人として暮らしています。
高井麻巳子の現在は?
1988年に秋元康さんとの結婚を発表した直後に、芸能界を引退してしまった高井麻巳子さん。以降はあまりメディアに取り上げられていないので、高井麻巳子さんは現在どのような暮らしを送っているのか、気にあるファンは少なくないでしょう。
以下では、高井麻巳子さんの現在の状況について、詳しく調査していきたいと思います。
2002年に絵本を出版
高井麻巳子さんは美出大学で培った技術と美的センスを活かし、結婚後には小説の挿絵の仕事を度々受けていたそうです。優しく朗らかな雰囲気の絵柄は評判となり、2002年には絵本「ぞうネコ」を出版しています。
結婚後に絵本作家としても注目を浴びた高井麻巳子さんの多彩ぶりには、ファンも驚きを覚えるでしょう。
2003年にテレビに出演
高井麻巳子さんは結婚以降芸能活動をしていませんが、2003年に人気トーク番組「メレンゲの気持ち」に夫の秋元康さんと共に出演しています。
当時ゲストとして出演した秋元康さんは、家の中の様子を録画した動画を公開しています。この際に、高井麻巳子さんと長女の姿も撮影されていたため、テレビに公開されたのです。明るく幸せそうな表情に、多くのファンは安心したでしょう。
高井麻巳子の現在の画像
高井麻巳子さんは現在、秋元康さんが立ち上げた事務所の監査役を務めているそうです。芸能活動は一切していないため、ネット上には現在の画像は出回っていませんでした。
しかし、現在も家族と健康的に暮らしているそうなので、現役アイドルの頃の美しさを保っている可能性が高いでしょう。
引退後も多彩な才能を発揮し続けている高井麻巳子
今回はおニャン子クラブのメンバーとして一躍人気アイドルとなった高井麻巳子さんについて、詳しく調べました。歌手としても活躍していた高井麻巳子さんは、結婚して芸能界を引退した後に、絵本作家としても人気を集めていたとは驚きでしょう。
現在高井麻巳子さんは、夫の秋元康さんの事務所を手伝いながら、穏やかな毎日を送っているようです。