香月弘美は胴体切断で事故死!宝塚歌劇団での女優の死亡事故の原因は?

タカラジェンヌ香月弘美の事故死の原因を探ります。その昔、宝塚で衝撃的な死亡事故があった事を知る人は少ないでしょう。宝塚で舞台デビュー後4年で悲惨な事故死を遂げた香月弘美。講演の真っ只中に、舞台装置に巻き込まれ胴体切断で即死という事態になった経緯を説明します。

香月弘美は胴体切断で事故死!宝塚歌劇団での女優の死亡事故の原因は?のイメージ

目次

  1. 1香月弘美の事故死が悲惨すぎる!
  2. 2香月弘美とは?
  3. 3香月弘美の経歴
  4. 4香月弘美の画像は?
  5. 5香月弘美が事故死した経緯
  6. 6香月弘美の事故が起きた原因
  7. 7松島三那子が死亡事故の真相のカギを握っている
  8. 8香月弘美死亡のその後は?
  9. 9香月弘美のお墓の場所は?
  10. 10香月弘美の死にまるわる怪談話を紹介
  11. 11香月弘美の死亡事故を無駄にしてはいけない

香月弘美の事故死が悲惨すぎる!

宝塚は歴史ある女性だけの歌劇団で、今も熱狂的なファンが押し寄せます。華やかな舞台が連日のように催される宝塚ですが、今から61年前の4月1日に大変悲惨な事故死があったことを知る人は少ないのではないでしょうか。

宝塚で舞台を演じてからわずか4年で悲惨な事故死を遂げたタカラジェンス香月弘美。彼女は同僚の代役として出演した舞台の途中で舞台装置に巻き込まれ、胴体切断で即死するという災難に見舞われる事になってしまったのです。

タカラジェンヌを志し、毎日歌や踊りに励んできた舞台女優がなぜ、このような悲惨な事故に合わなければいけなかったのか、香月弘美の事故死の原因を探ります。

香月弘美とは?

はじめに香月弘美のアウトラインから見ていきましょう。事故死せずに生きていれば今年で83歳になっていたはずです。若くして悲惨な死をとげてしまった香月弘美の軌跡を紹介します。

香月弘美のプロフィール

本名 小笠原 弘恵
生年月日 1936年8月21日
享年 23歳
出身地 神奈川県藤沢市
血液型 不明
活動内容 舞台女優
所属グループ 月組
所属事務所 宝塚歌劇団
主な作品 宝塚のをどり

香月弘美の本名は小笠原弘恵、神奈川県の藤沢市に生まれます。藤沢市は鎌倉市のお隣の市で太平洋の海にほど近い場所にあります。夏は海水浴に訪れる観光客で賑わう観光地です。

香月弘美は、お嬢様学校である地元の有名私立高校を途中でやめて、宝塚音楽学校に入り初舞台を果たした後は、技術を磨いてこれからもっと活躍する矢先の事故でした。

香月弘美の経歴

次は、香月弘美の経歴を見ていきましょう。神奈川県藤沢市の出身だった彼女は、なぜ宝塚を目指すようになったのでしょうか。

高校を中退して宝塚音楽学校に入学

香月弘美は、藤沢にある湘南白百合学園に入学します。湘南白百合とは現在も中高一貫校(大学もあり)として存在する難関の名門女子高校です。この学校は、宝塚を始め有名な音楽家やトップスターを次々と出していることでも有名です。

香月弘美は、湘南白百合を中退して宝塚音楽学校に入ります。同じ学校の松島三那子が宝塚音楽学校に入ったことに影響を受けたのです。当時は中退して宝塚音楽学校に入るのはそれほど珍しいことではありませんでした。

1954年に舞台デビュー

香月弘美は歌劇団の試験で大変優秀な成績を収める才能のある人材であったそうです。そして1945年に「宝塚のをどり」でデビューを果たします。

デビュー後もその才能はいかんなく発揮され、日本舞踊やダンスなどの踊りの部門では、同研究生の中でもトップに入る実力者だったと言われています。

1958年に公演中に事故死

将来を有望視されていた香月弘美ですが、1958年4月1日の午後の部の公演中に舞台装置に巻き込まれ、衣装につけていたスチールベルトが一気に彼女の腰を締め付けます。その結果一瞬の内に胴体を切断され即死する事故死に合ってしまうのです。

午後6時25分頃「春のおどり、花の中の子供たち」の中の「第12場トランプの国の場」での事でした。事故の詳細は後ほど説明しますが、セリに松島と香月が抱き合う形で乗り舞台の下に降りていく(観客から見えなくなる)シーンの直後に事故は起きました。

香月弘美の画像は?

香月弘美の画像を紹介したかったのですが、残念ながら著作権上の関係でここで掲載できる画像はありませんでした。ただ、知的でとても美しい女性であったことは間違いありません。

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香月弘美が事故死した経緯

ここからはいよいよ、事故死の経緯と真相に迫ってまいります。なお、この事故の被害者香月弘美は労働災害死と認定されています。

しかし、当時の宝塚歌劇団の責任者は「事故が起きたのは舞台装置のせいではなく、香月弘美の不注意だったのでは?」と弁明をしていたのだそうです。

また、香月弘美の衝撃的な事故死は宝塚の汚点になると思ったのでしょうか。公式発表される「宝塚歌劇団史上」ではこの事故には触れておらず、宝塚の中では当時の事故を語るのは「禁句」の雰囲気が漂っていると言います。

香月弘美の事故の詳細

「春のおどり花の中の子供たち」の中の「第12場トランプの国の場」での講演途中で事故は起こります。トランプの国で神に仕える巫女の役を香月弘美が、青年士官の役を松島三那子が演じました。二人は掟を破り恋愛関係になる役柄でした。

二人の関係を知り怒り狂った女官は二人に死刑を命じます。死刑のスイッチを押した瞬間、二人は抱き合ったまま苦しみの表情を浮かべ、巫女役の香月と青年士官役の松島がセリに乗って舞台から下に姿を消すシーンでした。

セリが舞台の下(奈落)に完全に降りる前に、松島は早着替えの為セリから飛び降ります。直後に香月弘美の悲鳴を聞いて振り返ると、血の気を失った香月弘美がいました。「(装置を)止めて」と叫び係員が駆けつけますがすでに彼女は息絶えていました。

事故で香月弘美は胴体切断

事故の直後、香月弘美は衣装を着ていたので分からなかったのですが、後になって胴体が切断されていて、それによって即死となったことが明らかになります。

ドレスを膨らませるために付けていたスチール製のベルトが、セリのキワに設置されていたシャフトに巻き込まれ、ベルトで胴体を一気に締め上げる形になってしまったのです。強力な機械の力でベルトをねじ締めれば胴体は簡単に切断に至ります。

当時のセリは、すぐ隣に歯車のような機械が剥き出しのまま備え付けられていました。まずはじめに、それにドレスの裾を巻き込まれ、次に両足を巻き込まれたため、片足は潰され、もう片方の足も骨折をしていました。

香月弘美は代役だった

事故のあった日の公演は「日夏有里」が風邪で休演し香月弘美は代役で出演していました。宝塚のスターには不測の事態に備えて後輩の中から代役を決めておくのだそうです。

事故の原因の一つになったのは、急な代役で衣装合わせができず、香月弘美が日夏有里用の大きな衣装を着ていたことにもあります。不幸な偶然が重なった結果の死亡事故だったのです。

香月弘美の事故が起きた原因

なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。単なる機械の不具合?それとも香月弘美の不注意だったのでしょうか。この事故が起きた原因をもう少し掘り下げてみましょう。

身体に合わない衣装を着ていた

香月弘美は事故当時、日夏有里の代役で出演していました。日夏有里は香月弘美より体が大きかったのですが、急な代役だったため香月弘美にフィットする衣装に仕立て直しが出来なかったのです。

そのため、彼女の着ていたドレスの長い裾がセリの隣にあるシャフトに絡まってしまったのは確かなようです。

セリの構造に問題があった

セリとは、舞台の演者が下に消えたり、下から上がってきたりする際に使われる装置です。セリを動かすためにはシャフトと言われる機械が必要で、セリの周囲と歯車のように噛み合いながら連動し、高速回転しながら上下する動きになっています。

両方の間にはカバーはなく、セリも狭かったのでドレスの裾が絡まることは十分に考えられます。団員の中には危険を感じていた人が何人もいました。事件後は警察からセリとシャフトの間に防護カバーを付けるよう言われています。

つまりこのセリに乗る時には、完全にシャフトが止まるまで微動だにしない事が必要だったのです。しかしこの演目では狭いセリの上に二人が乗らねばならず、衣装のサイズが大きかった事もあり裾が絡まりやすい条件が揃ってしまいました。

竹製のベルトがスチール製に変えられた

胴体を切断する事になったスチール製ベルトですが、今までは何かあった時にはすぐにベルトが外れるように竹製のベルトが使われていました。

ところが、3月26日から4月1日までの公演の時だけスチール製のベルトが使われていました。理由は竹製では裾の広がりが悪いからとのことでしたがこれも、不幸な偶然の一つとなります。

この事件を受けて、警察から今後はスチール製のベルトは使わず、竹製のベルトを使うように注意を受けています。

当日のセリの操作担当も代役だった

当日はセリを動かす担当者が不在で、通常は行わない公演係長が担当をしていたそうです。慣れない中での操作で、ちょっとした不具合がなかったとも言い切れません。しかし、これに関しては有力な原因としては上がらなかったようです。

松島三那子が死亡事故の真相のカギを握っている

この事故には、もう一つ解明されていない事があります。それは松島三那子の当時の行動にまつわる事です。彼女は「早着替えのために機械が止まる前に飛び降りた」そうです。狭いセリの中で突然身体を離された香月は、バランスを失ったのではないでしょうか。

バランスを失った事で、裾がシャフトに引っかかり巻き込まれたのではないかと噂されています。もう一つは、セリが下がる最初の段階から香月弘美は裾を挟まれ、松島は助けを呼ぶために、早くセリを降りたのでは、との見方もあります。

松島三那子は警察の取り調べの要請があるにもかかかわらず4日間消息不明となりました。団員に懇願されたから、と彼女は言っていますが、出頭前に辻褄合わせをしていた可能性もあります。いずれにせよ、真相は60年以上たった今でも闇の中です。

香月弘美死亡のその後は?

ショッキングな死亡事故で、当日は団員達も観客も騒然としていたと言います。香月弘美死亡のその後はどうなったのでしょうか。

その日の公演は中止

香月弘美と松島が奈落に降りた途端に聴こえた香月弘美の悲鳴、それは観客席まで響き渡りました。公演は当然中止となりましたが、ただならぬ雰囲気に観客席の人たちも騒然としていたそうです。

翌日から公演を再開

しかし翌日からは、何事もなかったかのように公演は再会されました。春のおどり花の中の子供たちは、当時大変好評だったから、なのだそうです。

チケットはだいぶ前から発売されており、歌劇団としてその後の公演を中止するとは考えにくかったのかもしれません。

香月弘美を労働災害死と認定

事故のあった当日は警察を呼ぶ事となりますが、警察の検分の結果やはりセリとシャフトの構造上の問題が指摘され「今まで事故が起こらなかった事が不思議なぐらい危険である」と結論づけています。

また、竹製のベルトではなく丈夫で少しの事では切れないスチール製のベルトであったことも問題視されました。そのため、この事件に関しては「労働災害死」と認定されることになりました。

香月弘美の死の刑事責任は?

香月弘美の死の刑事責任に関してですが、一部のサイトでは「有罪」として罰金5万円を課した、となっているものと、刑事責任については報道されていない、とする内容が混在しています。

いずれにしても実況検分をおこなった検察によれば、この事件は不可抗力によるものではなく、重大な過失があるとして「業務上過失致死傷罪」を追求する意思を見せましたが、その後どうなったのか真相は分かっていないようです。

香月弘美のお墓の場所は?

香月弘美のお墓には、今も当時を知る人がお参りに訪れると言います。お墓は現在どこにあるのでしょうか。

4月11日に宝塚歌劇団葬が行われた

4月1日に事故で死亡した香月弘美は当時住んでいた下宿で密葬されました。4月11日には、宝塚歌劇団葬が行われます。その後火葬されることとなり、遺骨は実家に送られます。

4月15日に実家の敷地で葬儀が営まれた

4月15日には、遺骨を受け取った実家の敷地で葬儀が営まれました。そこにも宝塚歌劇団の団員やその関係者が380人参列したと言います。

団員の中には当時パニックになって窓から飛び降りようとしたものがいたり、今でも香月弘美の悲鳴が耳に残っている人もいるそうで、ショックは相当なものだったのではないでしょうか。

お墓は東京の東岳寺にある

香月弘美のお墓は東京の東岳寺にあります。当時を知る人は少なくなってしまいましたが今でもお墓参りに来る人は後を絶たないそうです。

また、舞台装置にまつわる事故は意外に多く発生しておりこの事故は、舞台関係者の間では「教訓」となっているようです。宝塚関係者やファンだけではなく舞台に関わる人も墓参りに来ているのかもしれません。

宝塚音楽学校校庭に慰霊碑が建立された

宝塚音楽学校校庭には、彼女の慰霊碑が建立されました。毎年4月1日には献花が行われています。宝塚移転後も駐車場内に安置されています。

また、旧宝塚大劇場の奈落一号「セリ」では4月1日に公演中の団員たちによる献花が行われていましたが、移転のため取り壊しになった現在は中止となっています。

香月弘美の死にまるわる怪談話を紹介

香月弘美の死にまつわる怪談があるとの噂もあります。誰もいないはずの奈落の底から悲鳴を聞いた人や、舞台に登場する前に「頑張ってね」と背後から声をかけられる、などです。

背後から声をかけられても「決して振り向くな」という怪談話と、「声をかけられたらその人はトップスターになる」との逸話もあります。

どちらを信じるかは人それぞれですが、不運が重なったことや安全性に欠ける舞台装置が原因で死亡した香月弘美にしてみれば、無念の思いはきっとあったのでしょう。

香月弘美の死亡事故を無駄にしてはいけない

タカラジェンヌ香月弘美の死亡事故の原因を探ってまいりました。公演中に思いもよらぬ事故に巻き込まれ死亡した香月弘美さん。

調べてみると、やはり衣装が絡まる危険が高い舞台装置を使っていたことは問題だったのではと思われます。また、代役で自分の身体に合っていない衣装だったことや、スチール製のベルトが使われていた事なども災いしました。

舞台は宝塚だけでなく各所で行われており危険な目に合った俳優もいるそうです。演技をしている最中に、死亡や傷を負う事故に合う事のないよう、今後の教訓にすることが香月弘美への弔いになるのではないでしょうか。

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