京都のウトロ地区の現在は怖いし危険?安田美沙子の実家がある?

京都のウトロ地区とは?京都府にあるウトロ地区と呼ばれる場所は現在でも治安が悪く危険なのでしょうか。ウトロ地区の場所や歴史、住人の情報や今現在のウトロ地区の治安状況などについてご紹介します。また安田美沙子の実家の噂についても取り上げます。

京都のウトロ地区の現在は怖いし危険?安田美沙子の実家がある?のイメージ

目次

  1. 1京都のウトロ地区の治安は最悪なの?
  2. 2京都のウトロ地区とは?
  3. 3京都のウトロ地区を写した画像を紹介
  4. 4安田美沙子は京都ウトロ地区の出身なの?
  5. 5京都のウトロ地区の治安が悪いと言われる理由は?
  6. 6京都のウトロ地区は本当に危険なの?
  7. 7京都ウトロ地区の現在は?
  8. 8北海道にもウトロ地区があるの?
  9. 9韓国の女優「キム・ヘス」もウトロ地区を支援
  10. 10京都のウトロ地区は変わろうとしている

京都のウトロ地区の治安は最悪なの?

京都府にある「ウトロ地区」というものをご存知でしょうか。ここは京都に存在するある一部の地域を指してこのように呼ぶもので、「治安が悪い」「危険地帯」と多くの人に認識されている場所でもあります。

治安が悪く危険だと認識されている地域でも、「実は現代ではそれほどでもない」という場所も増えてきていますが、この京都のウトロ地区についてはどうなっているのでしょうか。

以下より現在のウトロ地区の状況や「そもそも京都のウトロ地区とはどんな場所なのか?」という部分、そしてタレントの安田美沙子の実家がウトロ地区にあるという噂の真相などもご紹介します。

京都のウトロ地区とは?

京都にあるウトロ地区の現在の治安状況や危険度をご紹介する前に、まずは「そもそもウトロ地区とは?」という部分をご紹介します。

ウトロ地区がどこにあるのか、どのような歴史を持っているのか、そしてウトロ地区に住んでいる人々はどのような人なのか、という基礎となる情報をお伝えします。

これによって現代にまで繋がるウトロ地区の状況をより理解しやすくなりますので、チェックしてみてください。

ウトロ地区の場所

まずは「ウトロ地区の場所」ですが、ウトロ地区は京都府宇治市伊勢田町51番地に所在する地区のことを指しています。

京都府宇治市伊勢田町51番地というのは、自衛隊の大久保駐屯地がある北側に隣接している場所となっています。

ウトロ地区の歴史

京都府にこの「ウトロ地区」と呼ばれる地域ができたのは、もともとは「戦時中に計画された飛行場の建設労働者とその家族が暮らした飯場」というものが源流になっているとされています。

この工事には約2000名が駆り出されることとなり、そのうちの約1300名ほどが朝鮮人だったといいます。そして、その朝鮮人その家族が生活していた1943年建造の宿泊設備の集まりが現在のウトロ地区の前身です。

ウトロ地区の住人

さきの「ウトロ地区の歴史」からも分かるようにウトロ地区に住んでいる人々というのは、飛行場建設のための労働力として働いていた朝鮮人とその子孫です。

また、直接的なものではなくても、その労働者の親類であったり、戦後(1945年以降)になってウトロ地区に移住してきた家族とその子孫などが住んでいることになります。

2005年時点では「工事に関わった人と子孫」「その親類」「戦後にやってきた者と子孫」がちょうど3分の1ずつくらいの割合で住んでいます。

京都のウトロ地区を写した画像を紹介

ウトロ地区を写した写真というのはある程度出回っているので、比較的簡単に見つけることができますがウトロ地区内の至るところに、このような文字看板が見られます。

ウトロ地区への居住を続けたいという願いと、このウトロ地区を守る、ウトロ地区に住む権利が我々にはあるというような訴えが込められている文字看板です。

さらにウトロ地区で印象的なものは、文字看板のほかに、多くの建物がこのように廃屋のようなたたずまいになっています。

窓ガラスが割れていたり、壁が朽ちていたり、屋根が崩れて落ちている建物が非常に多く、それらには人が住んでいるものもあれば、住んでいないものもあります。

安田美沙子は京都ウトロ地区の出身なの?

タレントの安田美沙子さんが京都のウトロ地区出身で、実家がウトロ地区にあるということが言われています。この噂の真相はどのようなものでしょうか。

これは結論から言うと単なるデマ情報で、安田美沙子さんの実家がウトロ地区がある宇治市だというだけです。同じ宇治市と言っても広さがあるので、その中のウトロ地区以外の場所ということになります。

安田美沙子さんは出生が北海道で、父親の仕事の都合で京都の宇治市に引っ越してきたという流れで宇治市で育っていますので、「ウトロ地区の住民」とは直接の関係はないと言えるでしょう。

京都のウトロ地区の治安が悪いと言われる理由は?

京都のウトロ地区について基礎的な情報を確認しましたが、このウトロ地区が「治安が悪い」「危険」と言われる理由にはどんなものがあるでしょうか。

ここまでにご紹介した内容をチェックしていると、だいたいは「察し」がつくと思いますが、以下にその理由をご紹介しますので確認してみてください。

在日朝鮮人による不法占拠

1945年7月に飛行場が米軍に爆撃されたことを受けて生産活動は停止され従事者の全てが失職しています。そして終戦と同時に飛行場の建設も中止され朝鮮人が居座る理由も法的な根拠も無くなりました。

その時の多くの朝鮮人は帰国しましたが、朝鮮までの船賃が工面できなかったり、GHQによる無償の送還事業から漏れるなどの理由でGHQのよる立ち退き要求を拒否した朝鮮人が残りました。

戦後はウトロ地区含む周辺地域もGHQが接収することになったのですが、このときに拒否した朝鮮人が「不法占拠」したままの流れが現代にまで残っている形です。

スラム街のような風景

ウトロ地区の画像でもご紹介しているように、ウトロ地区というのは「スラム街」のような雰囲気を漂わせています。

もし仮に何も身の危険がなかったとしても、このような雰囲気と風景の場所というのは「治安が悪い」「危険」と言われるようになるでしょう。

生活保護受給者が多い

ウトロ地区には生活保護受給者が多いという傾向もあります。

先にご紹介した「ウトロ地区の住人」のうち、65歳以上の高齢者を含む世帯が30世帯あり、その中でも高齢者だけの世帯は16世帯で20人となります。

そして生活保護を受けている世帯が全体の約20%となっていますので、イチ地区の全体割合として非常に高い生活保護受給者となります。

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京都のウトロ地区は本当に危険なの?

京都のウトロ地区は実際に治安が悪く危険かというと、「それほどでもない」というのが現状となっています。

というのも、先にもお伝えしたとおり今現在の住民は高齢者がほとんどですし、不法占拠ではあるものの「居住権を主張しているだけの人」が集まっている集落といえます。

ただ、一部には高級車などが泊まっており、「その道の人」が何かに使っている可能性もあるので、そういった面では多少の危険は残されています。

京都ウトロ地区の現在は?

京都にあるウトロ地区の「現在」はどのような状況になっているのでしょうか。過去と比べてどのようになっているのかを確認していきましょう。

2016年から取り壊しが開始

2011年に「ウトロ地区住居環境改善検討協会」において現状を打開すべく色々な話し合いが進み、ある程度前向きな検討が行われました。

そして、2016年、ウトロ地区では環境整備が急ピッチで進んでおり、市営住宅建設のための家屋取り壊しが開始されています。

韓国からの支援金や寄付金も投入

2004年頃には、韓国の国際会議にウトロ地区住民の4人が出席しました。そしてウトロ地区の問題を訴えたことで韓国の政府関係者や国会議員などの視察が増え、韓国内でウトロ地区の問題への関心が高まった時期があります。

これにより韓国の市民団体による救援募金が約6500万円、韓国政府の支援金が約3億6000万円拠出されました。2007年9月には西日本殖産とウトロ町内会で地区全体の約半分を5億円で買い入れる合意も成立しています。

住人は市営住宅に移住

2016年から開始されたウトロ地区での環境整備と市営住宅建設のための家屋取り壊しですが、この市営住宅には、60世帯180人の住民が入居を希望していました。

そして、2018年には市営住宅の1期棟が完成しました。そこで40世帯への鍵の受け渡しも完了し、随時入居を行っています。

再開発が進行中

ウトロ地区では、住民の「家屋」の問題は市営住宅化である程度の目処はついていますが、他の部分の環境整備も進めていて、現在では残りの住宅以外にも道路などの工事も予定、進行しています。

北海道にもウトロ地区があるの?

京都の「ウトロ地区」というのはあくまでも通称で、正式な地名は宇土口(うとぐち)と言います。誤記や誤読が続いたことによって「ウトロ」に変化したと考えられています。

そして、実際に北海道にも「ウトロ」という地名はあるのですが、京都のウトロ地区は単なる誤記等なので、お互いに全く関係性はありません。

韓国の女優「キム・ヘス」もウトロ地区を支援

韓国では芸能人や著名人もウトロ地区への関心を示している人がいて、人気女優の「キム・ヘス」もその1人になります。

キム・ヘスは親族が日本に住んでいたこともあるということもあり、関心が高いのか2005年にウトロ地区住民の救済のために作られた「ウトロ希望代表33人」に所属していたりもします。

また、記念館建設のために寄付を行ったり、ウトロ地区を映像で解説する録音にも協力したりと、ウトロ地区への関わりが深いです。

京都のウトロ地区は変わろうとしている

実際には治安が悪いわけではないとはいえ「ボロボロの建物」や「文字看板だらけ」だったりという地域はどうしても「悪い雰囲気」を感じてしまいます。

ただ、それらも市営住宅やそれ以外の環境整備によって大きく変わろうとしています。順調に進めばあと数年先には「今のウトロ」は「過去のウトロ」になるでしょう。

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