末田健はドリカム吉田美和の結婚相手で内縁の夫!病気で死亡?原因は?
末田健とはどんな人?映像ディレクターとして活動し、ドリカムの吉田美和さんと結婚関係にあった末田健さんについて、プロフィールや経歴とともにその人物像を探ります。また内縁の妻であるドリカムの吉田美和さんとの関係や病気、死因についても取り上げます。
目次
ドリカム吉田美和の元夫ってどんな人なの?
「末田健」という人物をご存知でしょうか。映像ディレクターとして活動し、アーティストのミュージックビデオなどを手掛けていたドリカム吉田美和さんの元夫が末田健さんです。
今回はこの末田健さんについて、どのような人物であったのかプロフィールや経歴をご紹介しつつ、「病気で死亡した」という事実とその理由などをご紹介します。
また、結婚関係にあったドリカム吉田美和さんとの馴れ初めや「事実婚」「内縁の妻」だった話など様々な情報を取り上げていますので、以下よりチェックしてみてください。
末田健とは?
末田健さんについては、以下よりプロフィールや経歴を確認してその人物像を探っていきますが、「末田健とは?」といえば映像ディレクター、そしてドリカム吉田美和の元夫というところが知られているところでしょう。
アーティストのミュージックビデオなどを手掛ける監督として活動していて、芸能関係の仕事ではあるものの表に出る職業ではないため、末田健さんが知られているのはドリカム吉田美和さんの元夫というところが大きいです。
そして、「元夫」といってもその関係は「事実婚」であったことや「元」ということの理由となる「病気で死亡」していることについても以下に取り上げていきます。
末田健のプロフィール
— dubmenbaby (@sarusarusaru131) March 17, 2019
本名 | 末田健(すえだ たけし) |
生年月日 | 1974年(月日不明) |
享年 | 2007年9月26日(33歳) |
出身地 | 不明 |
血液型 | 不明 |
活動内容 | 映像ディレクター |
所属グループ | なし |
所属事務所 | 株式会社サップ |
主な作品 | 【ミュージックビデオ】 FUTURE SHOCK VISUAL TRACKS 3rd EDITION Clubteria Vol.4 girllies ~episode 3~ イ・ビョンホン「L.B.H DVD-BOX」 m-flo「come again」 モーニング娘。「愛あらばIT'S ALL RIGHT」 藤本美貴「ロマンティック浮かれモード」 市井紗耶香 in CUBIC-CROSS「失恋LOVEソング」 大塚愛「金魚花火 (Music Clip)」 「SHORT FILM ~金魚花火~」 浜崎あゆみ「walking proud」 EXILE「song for you」 加藤ミリヤ「Last Summer」 SOUL SCREAM「Tou-Kyou」「あした」 DOUBLE「BED」「Shake」「Angel」 |
末田健さんのプロフィールについては上記のようになっております。さきにもお伝えしたとおり表舞台に出るような職業ではなく裏方といえるPV監督ですので、公表されている情報は限られています。
その中でも判明している内容が上記のような情報になり、またここにご紹介している以外にもいくつか経歴としてご紹介できるものがあるので以下より確認してみてください。
また、ドリカム吉田美和さんとの関係においてそちら側から判明している情報というものもありますので、そういった部分ものちほど取り上げています。
末田健の経歴
上記のように末田健さんのプロフィールをご紹介しましたので、続いてはそのプロフィールを補足する内容としても役立つ「これまでの経歴」についてご紹介します。
末田健さんが現代にいたるまでの「歩んでいた道のり」とも言える部分になりますので、末田健さんの人となりを知るためにもチェックしていきましょう。
東放学園専門学校放送芸術科を卒業
末田健さんは、映像ディレクター、PV監督として活躍していましたが、その基礎となるものを学んだのが「東放学園専門学校放送芸術科」と言えるでしょう。
東放学園というのは、もともとはビジネス学校として発足しましたが、1979年4月に学校法人として認可されています。現在ではエンターテインメント関連における人材育成に特化している専門学校のパイオニア的存在です。
その内容は、テレビやラジオ、映画やアニメ、コンサート、音響技術、番組演出、アナウンサー、お笑いや俳優、声優、タレント、ダンサーなど多岐に渡ります。
1997年に株式会社セップに入社
末田健さんは、1997年に株式会社セップに入社しています。ここでアーティストのミュージックビデオを手掛けることになります。
株式会社セップというのは、もともとはスペースシャワーTVという組織の内部にあった「イチチーム」で、そこから独立した会社となっています。
すでに独立して20年以上が経過しており、その活動は、数々のミュージックビデオやCMなどを手掛けており、「映像プロデュースのプロフェッショナル」として活躍している会社です。
PV監督として活躍
最近では「ミュージックビデオ」という言い方をすることが多くなりましたが、当時は「プロモーションビデオ」いわゆるPVと言われることが多く、その「PV制作の監督」として活躍していました。
末田健さんが所属していた株式会社セップが専門的に行なっていてもっとも得意とするところがミュージックビデオやCMの監督としての活動であり、もちろん末田健さんもその活動を行なっていたということです。
末田健の主な監督作品
ミュージックビデオなどの「監督」というのは、表に出るようなものではないため、監督の名前などは表に出ずに手掛けている作品も多々あります。
その中でも「末田健さんが監督した作品」として情報が出ている主な作品について以下にご紹介します。
プロフィールでも主な作品としてご紹介しているものですが、その中からいくつか代表的なものをピックアップして取り上げていきます。
m-flo『come again』
末田健さんが監督として携わった作品としては、m-floの「come again」という作品があります。
こちらの「come again」はm-floの12枚目のシングルで2001年1月17日発売しています。現在までのm-flo最大のヒット曲でもあり、m-floの代表曲、m-floを現す象徴的な楽曲といえます。
カネボウ化粧品「テスティモ」のCMソングとしても使われていたので、普段音楽を聞かない、音楽番組を見ないという人でも、当時は耳にしたことがあるというくらいに有名、話題の曲でした。
浜崎あゆみ『walking proud』
末田健さんが手掛けた監督作品には、浜崎あゆみさんの「walking proud」という楽曲があります。
浜崎あゆみさんといえば、言わずと知れた「歌姫」ですが、その浜崎あゆみさんが2004年12月15日に発売した6枚目のオリジナルアルバムである『MY STORY』に収録されている楽曲が「walking proud」です。
CD+DVDの形式でも販売されていたため、そこにはミュージックビデオがあり、この楽曲自体もパナソニックの「ポータブルMD」のCMソングとして使われていました。
EXILE『song for you』
末田健さんが手掛けた監督作品にはEXILEの「song for you」があります。上のYouTube動画は残念ながら末田健さんが手掛けたPV映像ではありませんが、こちらの曲のPVになります。
この「song for you」という楽曲はEXILEの4枚目のシングルということで、まだまだ初期の頃のEXILEの楽曲ということになります。
ミュージックビデオにはTBS『学校へ行こう』のB-RAPハイスクールで人気となった軟式globeの「パーク・マンサー」さんが出演していることでも話題となりました。
末田健の嫁は吉田美和
末田健さんといえば、映像ディレクターとしてPV監督などで活躍していた男性で、ここまでにその情報をご紹介しました。
ただ、そういった職業は表舞台に出るようなものではなく、末田健さんの名前が知られているのはドリカムの吉田美和さんの元夫だったことが理由として挙げられます。
吉田美和とは
吉田美和さんとは、「DREAMS COME TRUE(ドリカム)」のボーカルを務めているアーティストで、作詞家でもあり作曲家でもある多才な女性です。
ドリカムの楽曲に関しては、「すべての」歌詞を吉田美和さんが手掛けており、作曲に関しても多くのものを吉田美和さんが手掛けています。
ただ、作曲はするものの「楽譜が読めない」ことは公言していて、吉田美和さんが書いた独特なメモをメンバーの中村正人さんが楽譜に起こすという特殊な方法を取っているのも有名です。
2003年に前妻と離婚
末田健さんは、さきほどご紹介したようにドリカムの吉田美和さんを妻としていましたが、その前にすでに結婚している事実がありました。
その前妻とは2003年に離婚しており、ドリカムの吉田美和さんと結婚を発表したのは2004年5月のことになります。
事実婚だった
末田健さんと吉田美和さんは結婚関係にはあったものの、「未入籍」のままの事実婚だったことでも有名です。
なぜ入籍せずに事実婚という形にしたのかは公式な発表はされておらず、以下にご紹介するような事実があるために事実婚にしたのではないか?という「噂」や「憶測」は多数ありました。
2人の馴れ初め
2人はとあるミュージックビデオの撮影の現場で知り合い、そこからお互いが惹かれ合って仲を深めていったとされています。
ただ、どの楽曲のどんなミュージックビデオだったのかは明かされておらず、2001年に発売された「I miss you~時を超えて~」ではないか?という憶測だけがあります。
略奪婚だったの?
末田健さんとドリカム吉田美和さんが事実婚を発表したのが2004年のことで、末田健さんが前妻と離婚したのが2003年のことです。そして2人が出会ったのが2001年と予想されています。
この出会いからどのタイミングで男女として付き合うことになったのか詳細は不明ですが、まだ末田健さんの離婚が確定する前から付き合っていたのではないかということが言われています。
もともと夫婦間の熱が冷めており、離婚間近だったのか、完全なる「略奪婚」だったのかは不明ですが、離婚成立前からの付き合いだった可能性は高くなっています。
子供は元嫁との間に1人
末田健さんには、前妻との間に子供が1人にいるということが分かっています。そしてこの子供に配慮して吉田美和さんが「事実婚」としたのではないか、という噂があります。
また、周りからの多くの「反対」があり、事実婚という形にして周りからの「うるさい」反応を少しでも和らげるためということも言われています。
どちらにしても本人たちから事実が語られていないので、すべては憶測のみが行き交っていますが、事実婚を選択したのは当人たちにとっては最善の方法だったのでしょう。
末田健が病気で死去していた
さきにも触れているのですでに分かっていることと思いますが、末田健さんはすでに病気でこの世を去っています。
2007年に死去
末田健さんが病気でこの世を去ってしまったのは、2007年9月26日のことです。末田健さんとドリカムの吉田美和さんが結婚したのが2004年のことなので、わずか3年後ということになります。
この3年の間も病気が発覚してすぐに死亡したということではなく、長い間、吉田美和さんは末田健さんの看病をして、ともに闘病生活を送っていたといいます。
死因は胚細胞腫瘍
末田健さんが亡くなった原因となっている病気は、「胚細胞腫瘍」というものです。この病気は「30歳までの男性」に発病する事が多い病気と言われています。
そして、胚細胞腫瘍というのは特に「発見しずらいガン」と言われているもので、発見された時にはすでに進行しているケースも多く、治療が困難となっている場合も多いのです。
末田健への想いが溢れる吉田美和の歌
末田健さんが亡くなってから作ったもの、亡くなる前の闘病中に作られていたものなどありますが、夫である末田健さんへの想いが溢れているドリカム吉田美和さんの歌をご紹介します。
AND I LOVE YOU
「AND I LOVE YOU」(アンド・アイ・ラヴ・ユー)は、2007年12月12日にリリースされたドリカムの14枚目のアルバムに収録されている楽曲です。
この「AND I LOVE YOU」は亡くなった末田健さんのために吉田美和さんが自ら作詞作曲を手がけたとされている楽曲で、また、この14枚目のアルバム自体のタイトルも「AND I LOVE YOU」となっています。
本来であれば12月5日予定だった発売日が末田健さん死亡のため、吉田美和さんの精神面なども考慮して制作が滞り、発売が予定よりも少し遅れた作品でもあります。
ア・イ・シ・テ・ルのサイン
ドリカムの「ア・イ・シ・テ・ルのサイン」という楽曲も吉田美和さんの末田健さんへの想いが溢れている楽曲となっています。
こちらの楽曲はドリカム40枚目のシングルで2007年10月3日に発売されています。末田健さんが亡くなったのが2007年9月26日のことなので、その少し前に収録されていた楽曲ということになります。
初披露は10月5日のミュージックステーションの予定でしたが、末田健さんが亡くなったことで延期となり、12月21日のミュージックステーションスーパーライブで涙ながらの初披露となりました。
吉田美和は末田健が既婚者と知らなかった
吉田美和さんが「略奪婚」だと言われていますが、実は末田健さんが既婚者だという事実を知らなかったということが言われています。
週刊誌の報道で末田健さんが既婚者であることを知ってショックを受けたということが言われていますので、「知らずのうちに不倫していた」ということになります。
ただ、その事実を知ったあとも交際を続けていたので「結局は略奪」という声もあります。
吉田美和の前夫「末田健」は病気で死去していた
末田健さんはドリカム吉田美和さんの元夫で現在は病気で亡くなっています。この事実を知ったあとにその周辺のドリカムの楽曲を聞くと、聞いているだけでも色々な想いが込み上がってきます。
「略奪婚ではないか?」という悪い面に目を向けるケースもありますが、結婚からわずか3年で夫に先立たれて、その間も共に闘病していたことを考えると略奪という事実があったとしても薄れます。
吉田美和さんは今は別の男性と結婚して幸せになっているので、この後も続く幸せを祈りつつ、末田健さんのご冥福を祈りましょう。