三宅健の生い立ちや幼少期まとめ!母親や父親などの家族も紹介!
V6メンバーの中でも、人懐っこく爽やかな性格と優しい顔立ちで人気を集めている三宅健さん。俳優やタレントとしても大活躍している三宅健さんは、生い立ちが壮絶と噂されています。今回は、三宅健さんの生い立ちや家族などについて、詳しく紹介していきましょう。
目次
三宅健の生い立ちが壮絶だった!
V6の人気メンバーとして、10代の頃から厳しい芸能界で活躍し続けている三宅健さん。明るく素直なイメージの強い三宅健さんですが、意外にも壮絶な生い立ちであることはあまり知られていません。
そこで、今回は三宅健さんの壮絶な生い立ちについて、詳しく取り上げていきましょう。三宅健さんの過去が気になる人は、ぜひ注目してみてください。
三宅健とは?
14才でジャニーズ事務所に自ら応募書類を送り、ジャニーズジュニアとして活動し始めた三宅健さん。
ジャニーズ事務所社長であったジャニー喜多川さんから特別に可愛がられ、16歳の時にはジャニーズアイドルグループ「V6」の一員として、本格的なデビューを飾りました。
その後、人懐っこく素直な性格と中性的で精悍な顔だちで人気を集めた三宅健さん。20代では俳優としても活躍し、多くのファンを虜にしたのです。以下では三宅健さんのプロフィールを、詳しく確認していきましょう。
三宅健のプロフィール
本名 | 三宅健 |
生年月日 | 1979年7月2日 |
現在の年齢(2019年現在) | 40歳 |
出身地 | 神奈川県 |
血液型 | O型 |
活動内容 | 歌手・俳優・タレント |
所属グループ | KEN☆Tackey・V6・Coming Century |
所属事務所 | ジャニーズ事務所 |
主な作品 | 映画「COSMIC RESCUE」「Hard Luck Hero」「ホールドアップダウン」 |
三宅健さんは14歳の時にジャニーズ事務所に直接応募書類を送ったそうです。その数日後、ジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川さんから、SMAPのコンサートに参加することを勧められ、そのままジャニーズジュニアとして活動することとなりました。
16歳の時にはジャニーズアイドルユニット「V6」のメンバーに選ばれます。王子様のようなルックスと人懐っこい性格ですぐに人気メンバーとなった三宅健さんは、ファンからメンバー仲間である森田剛さんと「剛健コンビ」と呼ばれ、親しまれるようになります。
24歳の時に俳優デビューを果たすと、俳優としても人気をあつめるようになった三宅健さん。2018年には、滝沢秀明さんと共にアイドルユニット「KEN☆Tackey」としてもデビューし、話題となっています。
三宅健の壮絶すぎる生い立ちとは?
三宅健さんは、現在も独特の無垢な雰囲気のある明るい性格と優しい顔立ちで、多くのファンから親しまれています。そんな三宅健さんには、恵まれた環境で育った人物なのではというイメージを持つ人も多いでしょう。
しかし、三宅健さんは幼少期から波乱盤上な人生を歩んでおり、生い立ちが壮絶とされています。以下では、三宅健さんの生い立ちについて、詳しく調査していきましょう。
幼少期に父親は事故で死去
神奈川県横浜市で誕生した三宅健さんは、兄弟と両親と共に、穏やかな生活を送っていました。しかし、中学生の頃に、父親が鉄道事故に遭い帰らぬ人となってしまいます。
その後、母親の故郷である香川に移住し、家族で支え合いながら、経済的に苦しい生活を送ることとなったのです。
父親は本当は自殺だった?
三宅健さんの父親の職業や享年などといった細かい情報は、公開されていません。死因も鉄道事故としか発表されていませんが、鉄道事故ということから、自殺だったのではという噂も流れています。
しかし、三宅健さんは現在まで父親の死に関しては、多くを語っていません。
母親が女手一つで家族を養う
父親が突如亡くなり、母親の故郷香川で生活するようになった三宅健さん。母子家庭となったため、母親は様々な仕事を懸命にこなし、一家の大黒柱となったのです。三宅健さんは、そんな健気な母親を支えようと、中学生の頃から新聞配達に勤しんでいました。
そんな三宅健さんに、親戚のお叔母がジャニーズアイドルになることを勧めたことで、三宅健さんは14才で家計のためにアイドルになることを決意したのです。
悲惨な生い立ちを過ごした三宅健を更なる悲劇が襲う
三宅健さんは物心をついた頃に父親が事故で死去し、その後は一人で家を支える母親のために、アルバイトと学業を両立する多忙な生活を送っていたようです。悲惨な生い立ちの中で、アイドルという大きな夢を抱き、16歳でV6とのメンバーとなります。
辛い生い立ちながらも、独特の明るく無垢な人柄と甘いルックスで、多くのファンから愛される存在となった三宅健さん。しかし、その後もさらに辛い出来事に遭遇することとなります。
2010年に母親が死去
悲惨な生い立ちであっても、家族のためにアイドルとなり人気者となった三宅健さん。V6としてデビューした後は、俳優やラジオ司会者などとしても活躍し、順調な芸能生活を続けていました。
しかし、2010年にずっと芸能活動を応援してくれていた最愛の母が、病で亡くなってしまうのです。三宅健さんは兄弟と共に母親を病院で看取り、直後から仕事に復帰しました。
仕事場では普段通り明るく振る舞っていた三宅健さんですが、病院や葬儀場では悲嘆にくれた様子をみせていたそうです。
死因は膵臓がん
母親の享年は公開されていませんが、三宅健さんは母親が亡くなった当時30歳という年齢でした。そのため、母親の享年は50代ほどであったと推測できます。若くして亡くなった三宅健さんの母親の死因は、膵臓癌のようです。
亡くなる数年前から癌と戦っていた母親を、三宅健さんや他の兄弟はしっかりサポートしており、多忙な三宅健さんも入院中の母親を頻繁に見舞っていました。
三宅健は火葬場で号泣
三宅健さんは母親の葬儀が終わると、すぐに仕事に戻っています。仕事場では特に変わった様子を見せなかった三宅健さんですが、葬儀中は火葬場で慟哭していたそうです。
周囲の人には気丈に振る舞っていた三宅健さんですが、最愛の母親が亡くなったことは大きなショックだったのでしょう。
三宅健の生い立ちに関する謎とは?
三宅健さんの生い立ちに関しては、様々な謎もあります。以下では、三宅健さんの気になる生い立ちの謎についても、詳しく取り上げていきましょう。
三宅健に双子の姉がいる?
三宅健さんには2歳年下の弟がいることは判明しています。長い間2人兄弟と思われていましたが、双子の姉もいたという噂もあるのです。三宅健さんは、アイドルデビュー当時の公式プロフィールの家族構成欄に、双子の姉の存在も記しています。
しかし、最近のプロフィールには双子の姉の存在は抹消されているのです。双子の姉に関する情報も一切出回っていないため、三宅健さんの姉に関しては様々な噂が流れています。
三宅健は姉がいると公表していない
三宅健さん本人は、現在まで出演した番組内で双子の姉に関しては一切語っていません。姉の存在も公表したことが無いため、三宅健さんの姉の謎は深まっているのです。
姉に関しては、病気で若くした亡くなったという説や、障害を負っているという説もファンの間で囁かれています。
三宅健のジャニーズ入所は家族のためだった
三宅健さんは14歳の時に、自らジャニーズ事務所に書類を送付しています。しかし、三宅健さん自身は当時華やかな世界にあまり興味は無かったようです。以下では、三宅健さんのジャニーズ事務所入りの理由について、解説していきましょう。
家計を助けるためにジャニーズに入所
年若い父親が亡くなり、経済的に苦しい母子家庭となった三宅家で、長男であった三宅健さんは、中学の頃には率先してアルバイトをしていました。
その当時、叔母からジャニーズ事務所の存在を知らされた三宅健さんは、家計を助けるためにジャニーズアイドルになることをすぐに決意したそうです。
新聞配達もしていた
三宅健さんは中学生の頃から家計を補助するために、新聞配達のアルバイトに精を出していました。責任感が強い三宅健さんは、必死に働く母親や幼い兄弟を守るために、必死に新聞配達の仕事をしていたのです。
弟は元ジャニーズだった
三宅健さんの2歳年下の弟である三宅秀明さんにも、実はジャニーズジュニアとして活動していた過去があります。しかし、三宅秀明さんはすぐにジャニーズ事務所を退所し、現在では一般人として暮らしているようです。
弟の秀明さんもV6のメンバーとなっていたら、三宅兄弟として活躍していたのかもしれません。
三宅健が手話を始めた理由
三宅健さんは26歳の時に、V6のイベントに訪れた聴覚障害のある女性ファンから手話で語りかけられ、手話が分からず何も答えられなかったそうです。この苦い経験から、手話を自主的に勉強し始めた三宅健さん。
2014年からはNHKの手話の教育番組にも出演するようになり、現在も手話の勉強がライフワークとなっているようです。ファンのために自ら手話を学ぶという三宅健さんの優しい一面に、ファンは感動したでしょう。
波乱続きの生い立ちながらタフでポジティブな三宅健
今回は、V6の人気メンバーとしてだけでなく、俳優やタレントとしても活躍している三宅健さんの壮絶な生い立ちについて、詳しく説明しました。三宅健さんは辛い生い立ちを背負いながらも、純粋で明るいキャラクターで多くのファンから愛され続けています。
三宅健さんの持ち前のタフさやポジティブさに、救われたファンも多くいるでしょう。