被差別部落の歴史や特徴!地域や苗字による差別意識

被差別部落と呼ばれる地域が日本には存在します。被差別部落とは、江戸時代に完成された身分差別を行う制度によって歴史上生まれました。特定の地域や特定の仕事、またはその地域に多い苗字などによって差別は続いています。本記事では現在の続く差別の特徴について紹介します。

被差別部落の歴史や特徴!地域や苗字による差別意識のイメージ

目次

  1. 1被差別部落とは?
  2. 2被差別部落の歴史
  3. 3被差別部落の地域による差別の特徴
  4. 4被差別部落の苗字による差別の特徴
  5. 5被差別部落・身分による仕事や結婚への影響
  6. 6被差別部落内における同和地区と未解放地区の違い
  7. 7被差別部落の地域
  8. 8被差別部落出身の有名人
  9. 9被差別部落への差別意識は現代でも続くのか
  10. 10差別のない偏見のない世の中を目指して

被差別部落とは?

ときどき耳にする被差別部落とは一体どういったものなのでしょうか。現在でも全国にある被差別部落は、差別意識を持つ人より差別をされる身分差別であり地域差別です。辛い状況で生きている地域の人もいるでしょう。ここでは、そんな被差別部落について、詳しく説明していきます。

差別されてきた地域

被差別部落とは、長い歴史の中で周囲から差別をされ虐げられてきた地域のことです。差別は仕事や就職、結婚や交友関係、共同で何か行うことなど生活全般に及び、あらゆる面から物質的、身体的、精神的差別を受けてきました。

被差別部落に生まれ育った人、結婚した後その地域に住んでいるひとなど、関係なくその地域で生活している人を差別します。地域の住所から「そこは被差別部落だ」と差別する人もいます。

被差別部落では、昭和の時代は下水道や飲料水の完備がなされなかったり、ライフラインが他地域と比較しておざなりにされたり、道路の建設がなされなかったり、河川整備がされなかったりと、公的な差別も受けてきたことも特徴です。

忌み嫌われる職業に従事している人が多い

被差別部落では、古くからの差別のため、被差別部落外の人がする仕事をできませんでした。そのため昔から人が嫌がってしない仕事や、忌み嫌う仕事に強制的に就かされていました。その職業に就いている結果、また差別されるという悪循環に陥ってきました。

長い差別の歴史において、皮を扱う仕事や、と殺や肉屋など肉を扱う仕事、地域によっては竹細工を仕事にしている地域が多いことが特徴です。古くは処刑場の刑吏なども被差別部落の仕事とされました。

現在でも、産廃処理の関係や、ゴミ収集やし尿処理などの、人が嫌がる仕事をしている人が多いことも特徴です。

被差別部落の歴史

被差別部落は、自然発生的にできた地域ではありません。かつての日本を統治した権力者と歴史によって創り上げられた差別であり、地域です。ここでは、被差別部落の歴史を詳しくご紹介します。

江戸時代

江戸幕府は、身分制度を固定させることによって、幕府の支配の安定化を図りました。それが歴史で必ず習う、士農工商です。そして、商の下に置かれた身分がまだあり、それがエタと非人です。このエタと非人が後々被差別部落民といわれる立場になります。

エタ・非人は、河原に住まわされたり、川沿いの安定しない所に住まわされました。土地を持つことは許されず、草履造りや竹細工などの家内工業で生計を立てることになります。

明治以降

明治時代が始まってすぐに1871年(明治4年)に、江戸時代約300年に渡り、歴史上固定されてきた身分である士農工商エタ非人などの身分制度の撤廃と、身分からの解放を決めた解放令が、明治政府から発布されました。その結果、身分差別のない平等な世の中が権力によって宣言されたのです。

しかし、あくまで法律であって、現実の生活に、長い歴史で培われたことをくつがえせるような考えが、浸透することがありませんでした。

いくら解放令が出されたからといって、すぐに生活に平等が浸透する訳ではありません。新しい仕事にすぐに就ける訳でもなく、住居を転居できるわけでもなく、結局差別はこの後の歴史においてもずっと続くことになります。

綿々と続いてきた身分差別が、現在も残る被差別部落に対する差別であり、差別意識です。

被差別部落の地域による差別の特徴

被差別部落には、差別の中で押し付けられたある特徴を持つ地域が多くあります。また、地域の特性や生活だけではなく、教育の面でも厳しい差別に直面させられることもあります。受ける差別にはどういった特徴があるのでしょうか。順番に見ていきましょう。

自然環境が厳しい場所にある

被差別部落の多くは、非常に厳しい自然環境の場所に作られています。通常の平地ではなく、大小関係なく川べりの水はけの悪い土地に住むことを余儀なくされているのが特徴です。

川沿いにあるため、昔から水害が起きれば一番に大打撃を受けてきました。また、川と川の間といった普通は住宅地にならないような土地に地域を作られている被差別部落もあります。

都市部の被差別部落では、川べりに多く点在することが特徴です。しかし、地方に行けば川べりだけではなく、山間部の崖のような場所や、川と山に挟まれたせまい土地に居住を強いられた地域も多くあります。急斜面に連なるように家が建てられていたり、崖に建っているため土台を木で支えているような地域も存在しています。

学校の統合が難しい

被差別部落の地域がある所は、学校を近隣の被差別部落外の地域の学校と統合しようとしても、被差別部落外の住民の反対に遭ってできないことが昔からよくありました。

そのため、周辺の学校はそれなりに生徒数がいたり校区も広かったりしますが、被差別部落の学校では校区も部落内に限定され、生徒数が異様に少ないことが多々あります。

昭和40年代から50年代にかけて統合された地域もありますが、平成を終わりに迎える現在であっても、小学校中学校共に被差別部落のみが校区で、同じ生徒しかいないといった学校はあります。

創造性も何もない改良住宅を建てられる

被差別部落で同和地区認定をされている所には、改良住宅という建物が建っています。これは、理域にあった古くて危ない家を取り壊し、新しい住まいを行政が作ったものです。

しかし、この同和改良住宅は全く近代的な物ではなく、全てが同じ形をしていて、画一化された殺風景な建物にしか見えません。通常行政が住宅を建てる場合は、最先端のものを取り入れたり、少しお洒落であったり機能的であったりと、力をいれている様が見てとれます。

しかし、改良住宅にあたっては、誰が見ても古めかしい感じで、また誰の目から見ても改良住宅だとわかるように作っています。これによって、被差別部落の人は余計に差別意識を持たれる結果になっています。

理由もないのに柄が悪いと言われる

被差別部落は「柄が悪い」という話を聞いたことはありませんか。その地域で犯罪が起きたとか、特段何らかの問題が起きていないにもかかわらず、差別意識から被差別部落は「柄が悪い」と言われてしまいます。

おそらく、その被差別部落が清廉潔白な人しか住んでいない地域でも、そういったレッテルが貼られてしまうでしょう。それはまぎれもなく、差別意識がなせる業といえます。

被差別部落の苗字による差別の特徴

被差別部落を差別する人や、偏見を持っている人が、よく具体的な苗字を出して「〇〇という苗字は部落の人間だ」ということがあります。

実際に被差別部落には、同じ苗字の家が非常に多いといったことがよくあります。それでは被差別部落と苗字には、一体どういった意味があるのでしょうか。

血が濃いと偏見を受けている

部落差別を語る古い人の中には、「部落は近親結婚が多いから血が濃い」とか「外からの血が入らない」などと差別意識丸出しの人が存在します。しかし、被差別部落内が近親婚が多かったとか、外部から血が入らないといった事実は一切ありません。それは無知と偏見の賜物です。

実際に、結婚自体は被差別部落出身の人同士で結婚することがほとんどでした。しかし、それは同一地域内ではなく、遠く離れた被差別部落の人でした。親同士が見合いをさせたりなど、地域外から同じ身分で同じ家柄の人と結婚することが多かったのが真実です。

被差別部落に多い苗字と同じだと差別を受けやすい

被差別部落には、地域で同じ苗字が多くあるという特徴があります。隣は全部同じ苗字ということもあります。そのため、その苗字を名乗るだけで、近隣の部落外の人から「部落の人間だ」と差別意識を持たれたりしてしまいます。

また、近い地域に住んでいて、被差別部落とは関係のない人でも、同じ苗字である理由だけで「〇〇の人間ではないのか」と考えられ、謂れのない差別を受ける事件も起きてしまいます。

被差別部落・身分による仕事や結婚への影響

それでは、被差別部落の地域の人間であったり、先祖が被差別部落の身分の人間であった場合、仕事や結婚への影響があるのでしょうか。具体的に仕事と結婚、それぞれの差別の状況をみていきましょう。

就職差別を受ける

数十年前まで、企業に就職する際、就職活動をする学生の家庭状況が公然と調査されていました。また、企業にも自分の本籍地や家族の職業などを申告することが当然でした。

その結果、公然と企業は被差別部落出身者を身分で差別し、落としたり内定を取り消したりとしていました。特に金融機関やデパートなどの大企業においては、その傾向が強くありました。

実際に出自や身分を理由にして就職差別を行った企業が、差別企業として糾弾された事例も多く残っています。そういった時代を経て、履歴書や企業への提出書類も様変わりし、本籍地の提出申告や、家庭の状況申告などは行われなくなってきています。

しかし、現実に全く身分差別がなくなったとは言えないのが実情です。

就職はできても、企業内で被差別部落の身分を貶める話をする人や、差別落書きが見つかったりし、当事者は辛い想いをしたり肩身の狭い想いをしたりといったこともあります。

結婚を反対される

日本では、結婚は結婚する当事者個人だけの話ではなく、家が絡むものだとの意識が強くあります。そのため、相手の家柄であったり血筋が個人の資質より重要視される傾向が今でもあります。

結婚相手が被差別部落出身者だから反対された、という事例は昔は非常に多くありました。実際に結婚を反対されて自殺した事件や、親に勘当されて被差別部落に嫁ぐといった例が多く見受けられます。

現在はどうかと言えば、現在でも反対する家は反対します。恋人としてつき合うのはよくても、結婚は被差別部落の人とはしないという若い人も存在します。

未だにあまり意味のない歴史が紡いだ身分差別によって、苦しむ人がいるという事実があります。

被差別部落内における同和地区と未解放地区の違い

被差別部落のことを語るとき、同和地区という人も多くいます。しかし、厳密に言えば全ての被差別部落=同和地区ではありません。ここでは、被差別部落内における同和地区と未解放地区と呼ばれる区別について説明していきます。

部落解放運動

被差別部落の人たちは、解放令以降差別解消を願ってきましたが一向に解消されないことを嘆き、自分たちで差別を解消していこう、自分たちで部落解放を行おうと組織を作り運動をしていきます。それが部落解放運動です。

部落解放運動は、戦後の昭和20年代から昭和の終わりころまでが最も最盛期でした。その時期の解放運動の結果、ライフラインが整えられたり、道路の整備が行われたり、今にも崩れそうなバラックから改良住宅が建設されたりと、被差別部落内の環境を一気に良くしたと考えられます。

同和地区

同和地区とは、解放運動を行った結果、行政によるさまざまな改革を受け入れるために、同和地区指定を受けた被差別部落をいいます。同和地区指定を受けないと、さまざまな改修などの恩恵を受けることができませんでした。

特に、先に述べた解放運動に積極的だった被差別部落は、運動の結果の一つである環境の整備を積極的に受け入れました。そのため、全国には同和地区と呼ばれる被差別部落が存在しています。

この同和地区では、住宅建設やさまざまなインフラの整備、ライフラインの拡充などを受けることができ、見た目は他の普通の地域と変わらないようになってきています。

未解放地区

未解放地区は、先の同和地区指定を拒否もしくは指定を返上した被差別部落のことをいいます。そのため未解放地区では、道路整備がされないまま細いままの道路であったり、河川の護岸工事がなされなかったり、改良住宅が作られなかったりとしています。

この同和指定をされていない地区や、同和指定を返上した地区が、全国でどれほどの数あるのかが明確には把握できないと言われています。

被差別部落の地域

被差別部落は日本において約4,500地区あります。しかしこれは、先に述べた同和地区であり、未開放部落の数が正確に入っているとは言えない概算です。

その同和地区と呼ばれる被差別部落の中でも、特に活発に解放運動をしている地域が全国にいくつもあります。その地域をいくつか見ていきましょう。

芦原橋

関西に芦原橋と言われる地域があります。この地域は、全国最大の被差別部落地域といわれています。解放運動を盛んに行われたため、かつては市民病院が作られたり、人権博物館や人権に関して勉強ができる環境になっています。

また、多くの改良型住宅も作られて、多くの被差別部落の人たちが住宅に居住しています。街はどちらかと言えば静かな街で、目に見えて荒れていたり問題がある地域ではありません。

崇仁

同じく関西地方にある崇仁地区も、非常に大きな被差別部落です。こちらでも盛んに解放運動が起こり、さまざまな差別撤廃を勝ち取ってきました。非常に便利な立地にあり、現在は多くの綺麗な住宅が並び、昔とは街がすっかり様変わりしています。

番町

こちらも関西にある、非常に大きな被差別部落である番町地区です。番町地区は在日朝鮮人も多く居住しているため、朝鮮人部落としても有名です。

地域内は非常に整備されており、多くの綺麗な市営住宅が圧巻なほど建っています。この地域を歩いたとしても、誰かが言わない限りここが被差別部落だとはなかなか気づきにくいでしょう。

被差別部落出身の有名人

被差別部落出身で、社会的に活躍している人は、おそらくかなりの数いるものと考えられます。しかし、カミングアウトすることは皆無と言っていいでしょう。ここでは、被差別部落とカミングアウトしている稀有な有名人を、簡単に紹介します。

中上健二(小説家)

作家の中上健次は、被差別部落の居住者であったという意味では出身と言えます。しかし、彼の血には被差別部落の血は入っていません。ただ、幼少期に被差別部落で育った中上健次は、自分を辺境者と認識し、作風に非常に洗われています。

彼が書く小説には、被差別部落の描写や過酷な生活、被差別部落が置かれている住環境などが描かれており、被差別部落で生活すること、生きていくことの大変さを読み取ることができます。

水上勉(作家)

また同じく、社会派推理小説家の水上勉も被差別部落出身者で有名です。彼は家が貧困であったため、9歳の頃には京都のお寺に奉公に出されています。

お寺での方向の後、行商などを行いながら大学を卒業しました。当時の被差別部落の、貧困や進学への並々ならぬ苦労がうかがい知れます。

被差別部落への差別意識は現代でも続くのか

被差別部落への差別は「そのうちになくなる」と言う人もいれば、「既に差別意識は持っていないから差別自体が存在しない」という人もいます。

しかし、被差別部落のその周辺者の人間にとって前近代的な差別意識は潜在的にずっと続いています。そうでなければ、現代の日本において未だに差別意識が蔓延することはありえません。

祖父母が教えたり親が教えたり、また教えなくても隠せない差別意識や自分は身分が違うと言った選民意識が、子供に伝染し子供も覚えたりし差別意識を植え付けられます。

被差別部落のない地域、北海道や東北、沖縄ではそういった差別は起こり得ません。

しかし、関東以西の被差別部落が点在する地域では、この先も完全に身分差別や差別意識がなくなることは難しい、なくなるにしてももっと時間がかかるだろうと考えるべきです。

差別のない偏見のない世の中を目指して

被差別部落の問題は、人間下に見る相手がいることで自分が選ばれた人間だと知ることができる、自己優越感と深く関わっています。そして、他人からの伝聞や噂だけで相手にレッテルを貼る偏狭さを持った人間か多いことも示しています。

今は自由な時代です。前近代的な身分差別に囚われる必要のない、全ての人が自由に職業を選び、自由に結婚相手を選べる時代です。そんな日本において、いまだに身分差別をする人は恥という言葉をしるべきでしょう。

これから先生きていく子供のためにも、偏見や差別のない世の中を目指すためにも、いま一度「人間はみな平等である」という言葉を噛みしめてみてください。

関連するまとめ

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ