旭川女子中学生集団暴行事件の真相!加害者や被害者などのその後

旭川女子中学生集団暴行事件とは、1996年12月に発覚した旭川市の市立中学校における男子学生10名による女子学生への集団暴行事件です。中学生同士とは思えないこの悲惨な事件は、女子生徒に対して一生心に傷を負わせました。今回は事件の概要とその後について紹介します。

旭川女子中学生集団暴行事件の真相!加害者や被害者などのその後のイメージ

目次

  1. 1旭川女子中学生集団暴行事件について
  2. 2旭川ってどんなところ?
  3. 3旭川女子中学生集団暴行事件の関連人物は?
  4. 4旭川女子中学生集団暴行事件の経緯
  5. 5旭川女子中学生集団暴行事件学校側の主張
  6. 6旭川女子中学生集団暴行事件の判決は?
  7. 7旭川女子中学生集団暴行事件からその後
  8. 8集団暴行事件を風化させないためにも

旭川女子中学生集団暴行事件について

この事件は旭川の市立中学校において、1996年12月24日に女子中学生1名が男子中学生10名から集団暴行を受けた事件です。

この旭川女子中学生集団暴行事件は、現在から20年以上前の事件ですが、あまりにも悲惨であり、現在では到底考えられないような事件です。

当初はスカートめくり等の軽微なからかいから始まったものの、徐々にエスカレートし、最終的にトイレで集団暴行をされた直後に発覚したというものです。今回は事件の前兆から発覚、そして裁判を経たその後、現在について分かりやすく解説していきます。

旭川女子中学生集団暴行事件とは?

この集団暴行事件は旭川の中学校の校内のトイレで起きました。被害者となった女子中学生1名が加害者である男子中学生10名に囲まれ、男子トイレに連れ込まれてしまいます。そして男子生徒の内6名が身体を触るなどし、さらに1名が女子生徒を強姦しました。

被害直後、友人と泣いている被害者を見た教師が通報し、この集団暴行事件は発覚することになりました。当時、被害者も加害者も中学校3年生でしたが、事件の前兆は中学校1年生の頃から始まっていました。

クラスのアイドル的存在だった女子中学生へ、男子中学生達はスカートめくりや胸・尻等のお触りをする等、からかいの域を超えた嫌がらせが続く日々でした。ですが、女子中学生は誰にも訴えることはありませんでした。

正確には周りの教師等には相談していたのですが、旭川でも有名な非行中学生グループを敵に回すことを教師達も恐れている節がありました。そのうえ、性被害を受けていることを多感な女子中学生が訴えることは、一種の気恥ずかしさを伴います。

これにより、女子中学生に対する被害の発見が遅れ、約2年以上も集団暴行を受け続けることになったのです。裁判では現在においても考えられないような女子中学生への猥褻行為が、事件の一連を通して数え切れないほど浮き彫りとなったのです。

集団暴行事件が起きた現場について次に見ていきたいと思います。

事件があったのは北海道旭川市の市立中学校

集団暴行事件の舞台となったのは北海道旭川市立北都中学校。1947年に5月旭川市立第七中学校として開校、1949年9月に旭川市立北都中学校へと改称しました。

2015年4月新設された旭川市立中央中学校に旭川市立常盤中学校、旭川市立聖園中学校と共に統合され、現在、旭川市立北都中学校は閉校しています。

ですが、体育館やグラウンドは旭川市立中央中学校の部活動等で現在も使用されています。学校内には多くの美術品で溢れており、閉校となった今では旭川市立広陵中学校等に受け継がれています。

旭川ってどんなところ?

北海道中央部に位置し、道北の経済、産業、文化の中心都市とされています。道内物流の拠点となっており、旭川空港は東京・名古屋・大阪等へ直行便が就航しています。年間500万人以上の観光客が訪れ、旭川市旭山動物園は日本最北かつ全国有数の動物園です。

また、旭川にゆかりのある文学者や芸術家も多く、市内各所に野外彫刻作品が置かれています。また、旭川家具をはじめとした木工業も盛んです。

旭川は食も有名で、ジンギスカンやホルモンのみならず、ラーメンでは「函館は塩、札幌は味噌、旭川は醤油」と言われるほど、旭川醤油ラーメンは有名です。旭川で有名なラーメン屋は今となっては全国チェーンの梅光軒です。

他にも、旭川は雪の美術館や、もちろんスキー場も多数存在しています。自然に囲まれた風光明媚な土地である旭川。そんな旭川は小中学校は全て公立となっています。

少し検索すれば現在でも荒れている中学校が多数存在しているのが現状です。今回事件が起きた旭川市立北都中学校も、そこから統合された旭川市立広陵中学校も、評判だけで判断してしまうなら落ち着いて授業を聞ける中学生が少ないみたいです。

中学生という多感な時期は、学校の雰囲気がそのまま人格育成にも影響してしまうのが事実です。今回の事件は、旭川が生んだ集団暴行事件と言っても過言ではないかもしれません。

旭川女子中学生集団暴行事件の関連人物は?

旭川市の中学校で集団暴行事件を起こした中学生たちはどのような生徒だったのでしょうか。集団暴行事件の加害者である男子中学生らと被害者である女子中学生にクローズアップしてみます。

加害者は10名の男子生徒

旭川女子中学生集団暴行事件の加害者は、被害者の女子中学生と同じ学校の男子中学生ら10名でした。旭川の中学校では校内外で有名な非行グループで、暴力沙汰や窃盗は日常茶飯事、学校の廊下をバイクで走るような集団でした。

同級生はおろか、教師も平気で殴っており、男子中学生らは内気で逆らえない他の男子中学生を手下につけていました。その内気な生徒から金銭を巻き上げるだけではなく、時には女子中学生に集団暴行をしている間の見張り役としても使っていました。

また、ヤクザの息子だったり、旭川の名士の息子が加害者集団のリーダー格であったり、そのような背景からも、教師がある程度距離を置き、いじめ、ひいては集団暴行事件を助長させていたのかもしれません。

被害者女生徒はクラスのアイドル的存在

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子中学生は、色白で小柄な子で、目鼻立ちがはっきりしていて服装も真面目で清潔感のあるクラスのアイドル的存在でした。明るい性格で友達も多く、成績も100人中20番以内という勉強の方もよくできました。

当時、中学生にしては胸が周りの女子中学生より大きかったので皆から注目されていたそうです。この女子生徒も加害者集団のリーダー格の男子中学生のことを、当初ちょっと悪っぽくてカッコイイと思って、話しかけられたら普通に会話してたらしいです。

他の可愛い女子中学生数名もターゲットにされ、触られていました。ちょっとタッチするという甘いものではなく、特別教室に連れ込んで大勢で押さえつけて満足できるまで身体を弄りまくる行為です。昼休みに30分間触り続けることが日常化していました。

旭川女子中学生集団暴行事件の被害者である女子中学生は加害者グループのリーダーのお気に入りのために手を出すなと言われており、それでも胸や尻を軽くタッチする程度はしていましたが、被害者も当初は「やめてよ」と笑いながら嫌がるような程度でした。

女子中学生は当初リーダー格が自分に好意をもっていると薄々気付いていました。 男子中学生らの悪い噂は耳にしていましたが、自分には優しいので嫌いではなかったのです。このように人気のあった女子生徒に対して片思いしていた男子中学生は何人もいました。

集団暴行を働いた加害者の男子生徒の1人も、彼女に告白した結果、断られています。そのことが当初は腹いせからか軽い嫌がらせだった女子生徒へのからかいが、旭川女子中学生集団暴行事件という悲しい形で明るみとなり、裁判へとつながったのです。

他にも被害者女生徒は複数存在するが詳細は不明

今回、旭川女子中学生集団暴行事件として取り上げられた女子中学生は1人でしたが、その裏には、事件とは言えないものの、数え切れないほどの女子中学生達が加害者の男子生徒達にお触り等の嫌がらせを受けていたとされています。

これは女子中学生1人に照準が定められるまでの中学校1年生の1学期頃までです。もちろん、昔も現在も自分に嫌がらせをされて良い気になる女子中学生は一人もいません。ただ、当初は事件として扱うことも難しいレベルの悪ふざけであったかもしれません。

そして、この集団暴行事件が発覚し、裁判沙汰までヒートアップするということは、周囲の女子中学生も放置し、見て見ぬフリをしていたことでしょう。もしかしたら今回の女子中学生1人が標的にされることを幸いに、一種の安堵感を抱いていたかもしれません。

旭川女子中学生集団暴行事件の経緯

この旭川女子中学生集団暴行事件は発覚までに約2年程の月日を要しています。中学1年生の秋から始まり、何度も教師が止めるタイミングがあったにも関わらず、中学3年生の冬まで見過ごされていました。

この集団暴行事件は一体何が起きていたのでしょうか。事件の一連の流れを時系列に沿って、旭川女子中学生集団暴行事件が発覚するまでの経緯を裁判沙汰になるところまで見ていきたいと思います。

軽度の性暴力から始まる

被害者であった女子生徒は1994年、当時中学1年生の2学期辺りから男子中学生達からスカートめくりや、胸・尻を触るようなからかい程度の悪ふざけを受けていました。最初から集団暴行があったわけではありません。

事の発端は、学校でも可愛いで評判のあった女子生徒(被害者)に、この男子生徒グループの内の1人が告白をし、それを断ったことでした。ここから事件が始まります。

加害者の男子生徒たちは旭川の中学校でも有名な非行グループであり、毎日のいたずらに耐えきれなくなった女子生徒が教師に報告したのが中1の秋頃でした。教師は男子生徒らを呼び出し、女子生徒が嫌がるようなことをしてはいけないとやんわり注意しました。

エスカレートしたのは担任教師が少し注意してから

その教師からの叱責をそこまで受けなかった男子生徒達は、それから日常的に被害者である女子生徒の身体を弄ぶようになりました。中1の冬には女子生徒を裸にし、性交直前で止めました。

日常的に女子生徒を裸にして身体を好きなようにしていましたが、この時点ではまだ口淫も性交もありませんでした。そして、悲しいことに女子中学生の処女が奪われたのは中2の夏でした。

本格的な女子生徒に対する集団暴行の始まりです。

脅迫や暴行が日常的に行われるようになる

男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返していましたが、女子生徒が誰にも訴えなかった為、遂に1995年、中学2年生の夏に男子生徒の家に連れ込まれ、集団暴行されてしまいました。

旭川市内の公園や橋の下なので口淫を幾度となく強要し、毎朝呼び出されては口淫をした後、「今日もおいしい牛乳をありがとうございました」という屈辱的なセリフを言わされていました。

秋には、女子生徒が放課後の教室で2人の男子生徒に猥褻な行為をされていたとき、男子教師が立ち入ったが、止めることはなく、立ち去っています。この頃は女子生徒は校内の至る所で口淫を強要されており、教師は黙認という異常な事態に発展していました。

また、中学3年生となった1996年4月ごろ、女子生徒が特別活動室に連れ込まれようとしたとき、そこにいた女性教師に「助けて」と叫びました。が、この教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られ、助けを求める女子生徒の声を無視し立ち去っています。

その後、女子生徒は男子生徒たちに猥褻行為を受けます。5月には、旭川市内の公園内のトイレにて浣腸器具を用いて排泄行為を強制的にさせられていました。また、女子生徒に下着を着用せずに学校に来させ猥褻行為をさせる等、非道な行為を繰り返していました。

こうした異常事態はむしろエスカレートしており、授業中に男子生徒らは女子生徒の教室に入り、連れ出しにくるが教師は黙認していました。連れ出された女子生徒は便所に連れて行かれ、授業中にも関わらず裸にされて口淫を強要されていたのです。

集団暴行はそれだけに留まりません。家庭科教室から盗んできた漏斗で、ペットボトルに小便を貯め、女子生徒に飲ませるだけではなく、女子生徒に小便を貯めたペットボトルを教室に持ち込み、女子生徒の目の前でクラスの男子生徒に臭いを嗅がせていました。

陰毛を全て剃られて下着を着けずに登校するよう命じられてからは、毎朝、男子トイレに呼び出され、「ノーパンチェック」と告げると、女子生徒自らジャージを下げて下半身を露出させ、下着を着けてないことを証明させられていました。

また、剃毛した女子生徒の陰毛を透明のカードケースに入れて持ち歩き、同級生の男子生徒らに触らせて勃起したら殴るという遊びをしていました。

女子生徒から没収した汚れたタンポンでも同様のことをして遊んでいました。女子生徒は下着の着用を禁止されて以降は、生理の時はタンポンの使用を強要されていたのです。

校内で女子生徒を見かけると、ファンがアイドルをコールするようなメロディで猥褻な言葉を浴びせ、他の生徒の前でからかっていました。また、人気のない場所で男子生徒らに「お前は俺らの何だ?」と聞かれると、猥褻な返答をするように指示されていました。

それが中学校の中のみならず、旭川市内の人の目につく至る所で集団暴行、あるいは集団暴行に類似した行為をされていたというのが驚きです。

女子中学生は「そうか、じゃあ咥えろ」と言われて、複数の男子生徒たちに毎日のように口淫を強要されていたのです。口腔射精後は精液を吐き出すことは許されず、そのまま直に飲まされていました。

リーダー格の男子生徒は、当時のオウム事件報道で有名になった言葉を使って「俺らはマインドコントロールの天才」と自画自賛していたようです。集団暴行に酔いしれていたのかもしれません。

加害者である男子生徒らは他の内気な生徒を手下に加え、カツアゲ等を行っていましたが、カツアゲしていた生徒らに被害者である女子生徒の胸を揉ませたり陰部を触らせることで「カツアゲのことを親にしゃべったらこのことバラすからな」と脅していました。

クラスの皆も加害者である男子生徒達が女子生徒に猥褻なことを強要していると、学校中で噂になっていたため知っていました。一方で、それは女子生徒がどんなことをされているのか、女子生徒の身体の特徴を教えてくれという興味本位でもありました。

集団暴行事件として実際に通報された加害者以外にも、おもしろがっていた人が一定数いたことが分かります。また、この女子中学生の集団暴行の噂は旭川内の他の中学校でも有名となっていました。

このことから、集団暴行事件について教師も知らないはずはないですし、現に加害者である男子生徒と被害者の女子生徒はクラス替えで一度も同じクラスになっていませんので、旭川市立北都中学校側もトラブルを起こされないよう配慮していたのかもしれません。

女子生徒が一番恐れていたのが、校舎2階に設置されていた六角椅子です。六角椅子は蓋のような形状をしていて中が空洞になっている重い椅子です。正座をさせて頭を床に着け六角椅子を被せると背中が押し潰された姿勢のまま全く身動きが取れなくなります。

そこへ男子生徒たちが座ると、自分の力では椅子を持ち上げることもできません。六角椅子の中は、真っ暗で息苦しく暑苦しく、1分も経たないうちに女子生徒の許しを請う泣き声がし、しまいには発狂したように泣き叫ぶ女子生徒を見て笑い転げていました。

このいじめは、女子生徒が衰弱して泣き止むまで続けられることもありました。「六角椅子に入れるぞ」と脅すだけで平常心をなくして泣き出すほど怖がっていました。ひとつ間違えれば命にかかわる危険な行為も、男子生徒らには暇つぶしのお遊びだったのです。

中学3年生にもなると総勢20人程の目の前で女子生徒に裸を強要し、初めて女性の陰部を見た下級生に対しては「好きなだけ弄って構造を勉強していいぞ」と言ってニヤニヤしていました。その後、女子生徒を四つん這いにさせ、後輩に肛門の皺を数えさせました。

このように、後輩の不良たちに権威を示していたのです。当時流行っていた、たれぱんだの絵を女子生徒の臀部にマジックで描いて尻を振らせて踊らせ、落としたら焼きを入れるぞ」と脅し、火のついたタバコを女子生徒の肛門に挿していました。

女子生徒が肛門に力を入れてタバコを動かすように命じると、たれぱんだがタバコを咥えているように見えて男子生徒らは腹を抱えて笑い転げていたといいます。

このいじめは女子生徒が、たれぱんだのシールを文房具に貼っていたのを見たリーダー格の男子生徒が「そんなに好きならお前の身体に描いてやるよ」と思い付きで始めたもので、仲間ウケが良かったためにしばらく頻繁に行われていました。

他にも女子生徒の肛門に指を入れ、付着した大便を壁になすりつけ、「〇〇の大便」と落書きするなど、直接的な集団暴行以外にも卑劣極まりないことが日常茶飯事となっていたのが事件の大半を占めます。

強姦を受けた女生徒を発見し教師が通報

その後、リーダー格だった男子生徒が被害者の女子生徒とこっそり性交をしていたことが仲間にばれ、口淫だけで我慢していたその他大勢の男子生徒が、「俺も俺も」と女子生徒に性交を迫るようになりました。

男子生徒達にトイレに連れ込まれ、殴られ、代わる代わる中出しされ、しまいには水をかけられた女子生徒が廊下で泣いているところを、親友の後輩女子が発見します。教師に事の経緯を説明し、教師は女子生徒を連れて両親に報告を兼ねて家まで送り届けました。

そこで、ようやく女子生徒の両親に集団暴行事件について伝わり、男子生徒らの惨憺たる行いを警察に通報し、警察がこの集団暴行事件に介入、裁判へと発展することになったのです。

旭川女子中学生集団暴行事件学校側の主張

旭川市立北都中学校側は、この集団暴行事件が発覚してからも、この事件について公表しませんでした。この場に及んでも、教師たちの対応はいささか疑問です。対応が早ければ早いほど、このような悲惨な結果に繋がり、裁判沙汰となることはありませんでした。

そして、一人の女子中学生を守ることより、非行に走る男子中学生達に関わらないことを選んだ教師たちの対応は、現在では考えられないことです。そのような対応が旭川女子中学生集団暴行事件を引き起こしたと言っても過言ではありません。

集団暴行事件はいかに早く発見できるかが鍵ですが、正直この集団暴行事件は既にほとんどの人が知っていた事件です。メディア的に明るみに出たのが、周囲の大人たちの保身や無関心さが理由だったら、この集団暴行事件の裏の加害者は大人たちかもしれません。

周囲の大人たちは無関心だった

被害者の女子生徒が少しでも反抗的な態度をとったら、容赦なく殴り、タバコの火を押しつけていました。「兄貴と性交させるぞ」「母親も犯すぞ」「少年院なんてすぐ出てこれる」「家を燃やすぞ」等と脅し続けられれば、相談も難しいことでしょう。

そのような中で、報復に脅されながらも、教師に助けを求めることはありました。なんなら、猥褻行為の現場を通りかかった教師に助けを求めており、授業中にもトイレに連行されたり、体育の時間も体操服を脱がされたりして気付かない教師はいないでしょう。

また、当時、旭川市内の土手で男子生徒複数名に囲まれている裸の女子中学生を見た大人も「AVの撮影か何かだと思った」という程、事件性を疑わず、通報も何もしないままだったそうです。

そして、まだ集団暴行までには至らず、事件が大きくなる前の段階において、被害者である女子中学生は両親にも相談していました。そこで両親からは事件性の可能性を潰し、「そんな子たち、無視しなさい。」というアドバイスでした。

両親からのアドバイスを健気に実行し、無視し続けた結果、集団暴行事件がエスカレートしてしまったなんて、この女子中学生の心の傷は現在でも深く残っていることと思います。

教師側は女生徒が「笑みを浮かべながら」相談したと主張

前にも述べましたが、女子中学生は何度か教師に相談し、助けを求めています。そして、学校内において強姦されそうな現場を見ておきながら逃げた教師もいます。

多感な女子中学生が簡単に性的被害を受けていること等、口に出すことですら憚れます。その気恥ずかしさのあまり、モジモジした相談に受け止められたのかもしれません。また心理学上、自分の中で恥ずかしさのあまり語尾を濁したりするのは仕方ありません。

笑みを浮かべながら相談というのは、あまりにも教師が主観的に受け止めすぎており、その女子中学生の裏の想いを全然汲み取れてなかったことが伺えます。本気になって事件を食い止めようとした大人が一人もいないことが悲しい事実です。

加害者の母親は被害者女生徒にも「落ち度がある」と主張

いざ、旭川女子中学生集団暴行事件として世間に明るみに出て、裁判を持ち掛けられたとき、加害者の男子中学生の母親からは「被害者の女子中学生にも落ち度があるのではないか」という声が上げられました。

同じ女性でありながら、ここまでの猥褻行為を棚に上げて、自身の息子を守ろうとする姿が母性と言えるのでしょうか。あまりにも他人事のように集団暴行事件を軽視しています。

もちろん、被害者の女子中学生には落ち度はありませんでした。加害者の男子中学生達と一緒につるんで喫煙し、窃盗をはたらく等の非行に走るような女子中学生だったら、この発言も理解できます。ですが、被害者は清楚で真面目な可愛らしい女子中学生でした。

旭川女子中学生集団暴行事件の判決は?

その後、旭川家庭裁判所において事件に関与した男子生徒の内3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けました。男子生徒達は旭川市内の他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行も繰り返し起こしていました。

2001年1月30日、旭川地方裁判所は、裁判の判決で慰謝料を1000万円と認定し、既に加害者男子生徒らとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、被害者に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じました。

旭川市立北都中学校での悲惨な集団暴行事件のリアルさを分かってもらうためにも、今回はその裁判の判決の要旨を一部引用しながら紹介します。

主文

一 被告らは、原告(被害者女子生徒)に対し、連帯して、金170万円及びこれに対する平成8年12月24日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告らは、連帯して、原告(被害者父)及び原告(被害者母)に対し、それぞれ金15万円及び右各金員に対する平成8年12月24日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

理由要旨(一部略)

加害者達は「・・・・」という非行集団に属する生徒達であり、A教師は集団的な非行傾向のある生徒達は時として暴走化する危険をはらんでいるからこれを解消する方向で指導をしていた。

少なくとも平成8年6月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、たとえ服の上から身体を触るといった性的行為にとどまっていたとしても、これをこのまま放置しておけば深刻な性的暴力事件等に発展するかもしれないと予見することが可能であった。

それゆえ、A教師としては、少なくとも平成8年6月のスーパーでの被害の相談を受けた段階で、

(1)原告(被害者女子生徒)からわいせつ行為の状況を詳細に聴取するほか、加害者達や、学校内で同様の性的被害を受けているという他の女子生徒らからも詳しい事情を聴取し、その内容を3学年の他の担任教師らの他、教師全体に報告すべきであった。

それと同時に、 他の教師らからも性的被害に関する情報を収集し、学校内における猥褻行為の実態をできる限り解明すべき義務があった。

(2)A教師には、被害申告を受けた時点で、直ちに被害の事実を被害者及び加害者の双方の保護者に報告すべき義務があった。

(3)A教師は、実態解明の結果を踏まえて、他の教師や保護者と連携した教育指導態勢を作り、教師全体で、または保護者らと一体となって、原告(被害者女子生徒)を加害者らによる報復から保護し、加害者らへの指導を強化徹底すべきであった。

(1)A教師は、平成8年6月のスーパーでの被害に関する相談を受けてから以降も、原告(被害者女子生徒)に具体的な被害状況を詳しく聴取せず、加害者ら及び他の同様の被害を受けているという女子生徒らからも性的被害の状況を全く聴取しなかった。

(2)A教師は、被害者及び加害者の双方の保護者らに対する報告義務を怠った。

(3)A教師は、原告(被害者女子生徒)の性的被害の相談について、加害者らは他クラスの生徒であると聞いたのにその担任教師に何ら連絡せず、職員朝会、学年会又は職員会議などにも報告しなかった。

結局、養護教諭に対して女子生徒から身体を触られたという訴えがなかったかどうかを確認してクラスの男子生徒の様子を二、三日見ていたにすぎず、 クラスの帰りの会において、女子生徒の身体を触ることがセクハラになる等と一般的な注意をしただけだった。

その後は原告(被害者女子生徒)に新たな被害を受けていないかどうかを確認することもなかった。したがって、A教師には、安全配慮義務違反の過失がある。

これがなければ、原告(被害者女子生徒)は、平成8年6月の相談以降、日時が分かる分だけでも学校内での口淫強要2回、学校外での口淫強要2回、友人宅での強姦1回、学校内での口淫強要・強姦1回といった性的暴力を受けることがなかった。

非行化傾向のある特定の男子生徒らが集団で特定の女子生徒を標的にして、衣服の上から身体を触るといった段階から胸や陰部を衣服の下から直接触るという段階を経て、集団による口淫の強制及び強姦へと性的暴力を激化させた。

最終的には教師らや生徒多数がいる時間帯の学校トイレ内において被害者女子生徒を監禁した上、集団で口淫強要及び強姦に及んだという前代未聞の悲惨な事件であり、長期間にわたる集団的な性的虐待(いじめ)を本質とする事案である。

加害者男子生徒らは、頭部を殴打するといった肉体的暴力や「殺すぞ。」といった激しい脅迫のほか、思春期の女子生徒が性的羞恥心等から被害を他の人々に話せないでいることにつけ込んで、精神的にも隷属させた。

その人格を著しく蹂躙するような性的虐待を学校の内外で長期間にわたって集団で加え続けたものであるから、思春期の悲惨な体験が原告に残し続けるであろう心の痛みには相当深刻なものがあろうと推察される。

また、原告(被害者女子生徒)は担任教師に対して羞恥心を抑えて何度も深刻な性的被害を匂わせる相談をしたのにこれに気付いてもらえず、一層激しい性的暴力を受け続けたのであるから、本来は尊敬すべき教師に対して不幸にも不信感や恨みを持たざるを得なくなった。

性的虐待の体験によって現在でも男性との会話を拒否する傾向にあることなどをも併せ考えると、原告の受けた心の傷は誠に深い。

したがって、原告(被害者女子生徒)の精神的苦痛に対する慰謝料の金額としては、1000万円が相当である。本件では、加害者男子生徒らからの示談金860万円を控除した140万円が損害額となる。

以上が、旭川女子中学生集団暴行事件の裁判の内容です。こんなにも悲惨であり、一生の傷を負わせた集団暴行事件の代償が1000万円とは驚きです。

旭川女子中学生集団暴行事件からその後

裁判が終わったのは2001年でした。1996年に旭川女子中学生集団暴行事件として発覚しているので、事件から裁判まで5年の月日が経っています。2001年は当時の中学生達は20歳になる年でしょう。そして、現在は40歳に近付こうとしています。

現在では社会的にも起こりえない集団暴行事件ですが、被害者も加害者も当時未成年であったことから顔も名前も表立っては公表されておりません。そのため、現在でも犯人の特定は困難です。

ですが、裁判後も旭川にて堂々と生活することはきっとできなかったことでしょう。未だにこの集団暴行事件が一般人にとっては謎のヴェールに包まれているのが正直なところです。

被害者女生徒の現在は?

裁判で判決が出たのが被害者が19歳の時でした。裁判の間も高校生として旭川にいた被害者は、高校に通っている間も男性に対する恐怖心は消えていなかったといいます。

さて、先にも述べたとおり、現在では30代後半です。あまりにも事件が事件だっただけに、男性不信から立ち直ったとは思いませんが、現在、素敵な男性と幸せな家庭を築けていればと切に願います。

加害者男子生徒達の現在は?

少年院送りにされた加害者も裁判が終わる頃には出所し、保護観察処分を受けた加害者も裁判が終わる頃には処分が解けていました。

同様に現在では30代後半です。名前も顔も公表されていないことから社会にどのような形で関わっているのか私たちでは知り得ません。もしかしたら社会人として現在でも働いており、もしかしたら誰かのお父さんになっているかもしれません。

まるでフィクションのような集団暴行事件ですが、その加害者は今もどこかで私たちと生活しているのです。

集団暴行事件を風化させないためにも

今回の集団暴行事件は旭川で起きてしまいました。女子中学生が性的嫌がらせを超えた集団暴行を数年間も受け続けるという事件は、今後一切起きてはなりません。裁判が始まっても周囲の大人の対応は極めて杜撰であり、現在では社会的にも信じられないものです。

今回の旭川女子中学生集団暴行事件をただの集団暴行事件として扱うのではなく、いじめ等も含めた学校側の対応も併せて、私たちが向き合っていかなければならない課題と言えます。周囲の対応が適切であれば、このような事件に発展しなかったからです。

もし自分の子供がこのような事件の被害を受けていたらどうしますか?最悪の事態へ陥らないためにも、普段から良好な信頼関係を築き、コミュニケーションを積極的にとっていきましょう。

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