神作譲(小倉譲)の現在!三郷市逮捕監禁致傷事件を起こし再犯!

1988年~1989年に起きたコンクリート事件をご存知でしょうか。昭和の終わりに起きた残酷かつ衝撃的な殺人事件でした。犯人の一人小倉譲(神作譲)は逮捕され刑を受けました。しかし小倉譲(神作譲)は再び罪を犯したのです。そんな二つの事件についてまとめました。

神作譲(小倉譲)の現在!三郷市逮捕監禁致傷事件を起こし再犯!のイメージ

目次

  1. 1女子高生コンクリート詰め殺人事件の神作譲が再犯?
  2. 2女子高生コンクリート詰め殺人事件とは?
  3. 3女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人
  4. 4神作譲(小倉譲)の人物像
  5. 5出所後に小倉譲から神作譲へ改名
  6. 6神作譲(小倉譲)が再犯が【三郷市逮捕監禁致傷事件】
  7. 7神作譲(小倉譲)の現在の姿
  8. 8再犯になる人間の心理とは

女子高生コンクリート詰め殺人事件の神作譲が再犯?

1989年1月に起きた女子高生コンクリート殺人事件で女子高性を監禁・殺人・死体遺棄した罪で逮捕された元少年達は現在も昭和史の残酷なニュースの加害者代表のように人々の記憶に残っています。

そして加害者の一人である元少年Bこと、小倉譲(神作譲)はコンクリート事件での逮捕、出所後に再犯となっていたのです。それが三郷市逮捕監禁致傷事件です。

コンクリート事件での罪は彼にとってただの人生の一ページに過ぎなかったようです。ではこの小倉譲(神作譲)はどんな人物なのか、まずはコンクリート殺人事件の概要から復習していきましょう。

女子高生コンクリート詰め殺人事件とは?

女子高性コンクリート事件の始まりは1988年11月でした。被害者の当時17歳の女子高性はアルバイトを終えて自宅に帰る所でした。

そこに現れたのが加害者の少年達です。少年AはCに対して「あの自転車転ばして来い。あとはうまくやるから」と言いCが彼女の乗っていた自転車を蹴り飛ばし横転させるとAが助けたふりをして女子高性を油断させてホテルに連れ込み「自分達はバックにやくざがついている。大人しくしてればすぐ帰してやる」と脅し被害者の女子高性に性的暴行を及んだのです。

そこから残酷な事件は始まりました。

そして監禁・暴行の日々

ホテルでの性的暴行が終わった頃、被害者の女子高性はそのまま加害者の一人である少年Cの自宅に監禁されました。そこから約40日間に及ぶ暴行、輪姦が続いたのです。

その内容は、殴る蹴るは勿論のこと足をライターで焼く、肛門や性器への異物挿入、自慰行為の強要、シンナー吸引など残酷で非情なものだったと言います。少年達は何か嫌なことがあると被害者に対してストレス発散に暴行を加えていました。
 

途中で逃げ出そうと考えたこともありましたが少年Aに見つかりそれは失敗に終わりました。そして逃げようとしたことで更にひどい暴行に及んだのです。

監禁場所となった少年Cの家族も初めこそ「早く帰しなさい」と少年達に言っていましたが、次第に注意もなくなりました。一度少年の父親が被害者を逃がしたことがあるのですが、外で待ち伏せしていた少年達によってすぐに戻されてしまいました。

その後の家族からの注意はないどころか、少年Cの兄は食事係として被害者に食事を用意していましたが途中かそれも面倒になり3日に一度など雑になっています。更に兄は性的暴行にも加わったというのです。
 

被害者の女子高性は何かあるたびにいちゃもんを付けられて殴られました。時には無理やり焼酎やウイスキーを飲まされ頭が割れそうになりながら輪姦されたこともあったのです。

また自分の尿を自分で飲めと強要されたり、気持ち悪くて吐いてしまえば布団が汚れたと文句を言われ叩かれました。監禁部屋の少年Cの部屋は、汚物や吐しゃ物、精液、シンナーなど色々な匂いが混じり合い入った瞬間吐き気を催すほどだったそうです。

少年達は次第に彼女を面倒に思い、部屋に立ち寄らなくなりました。その間も彼女は飲まず食わずで放置されていたのです。

ある日少年Aはギャンブルで10万以上の大負けをします。むしゃくしゃが溜まったAはB・C・Dを呼び被害者の監禁部屋に向かいました。そして流行りの曲に乗せて裸踊りを強要し、音楽に合わせて殴り続けました。

彼女がぐったりするとAは「こいつはこうやっていつも仮病をつかうんだ」とお腹を何度も蹴りました。被害者の女性は消えそうな声で「もう殺してよ。もう殺して」と何度もつぶやいていたと言います。

そうして2時間以上に及んだリンチが終わった頃、被害者は息をしていなかったそうです。

殺害・そして死体遺棄

1989年1月についに加害者の少年達は被害者の女子高性を殺害してしまいます。少年達は死体の処理に困りますが少年Aが以前働いていた店からセメントを買ってきて東京都江東区若洲の埋立地でドラム缶に死体を入れてセメントを流し遺棄しました。

犯人達は別件で捕まって余罪を追及されている時に警察が冗談でカマをかけた「殺人はいかんよ」の言葉に対して自供を始め事件がわかり逮捕に至りました。これが女子高生コンクリート殺人事件の概要になります。

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女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人

女子高生コンクリート事件は被害者の女子高性も当時17歳の未成年でしたが、加害者の逮捕された4人も全員未成年でした。

年は16歳~18歳でした。加害者全員が未成年という事は当時の事件でもかなり珍しく世間を驚かせたといいます。そして当時未成年とはいえ事件を重く見たメディアの一部が彼らの実名を取り上げました。

再犯を犯した小倉譲(神作譲)も含めた4人の加害者はどういった人物だったのでしょうか。彼らの生い立ちや現在の状況をまとめました。

主犯の宮野裕史

女子高生コンクリート事件の主犯格であった少年Aこと宮野裕史は1970年4月30日生まれです。中学時代は柔道部で活躍するなど成績を収めていましたが高校は中退しています。

そこから暴力団との付き合いが始まり、次第にB、C、Dと出会い今回の事件が起きてしまいました。家庭環境もあまり良くなかった為家にいる事も少なく当たり前のようにひったくりなどを繰り返していたようです。

宮野裕史の家庭環境ももう少し良かったら何か変わっていたのでしょうか。宮野は逮捕後主犯であり実行犯だった事もあって裁判所の判決は懲役20年でした。そして2008年には出所しています。

現在の所在は不明です。

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準主犯格だった神作譲(小倉譲)

女子高生コンクリート事件の準主犯格の小倉譲(神作譲)は1971年5月11日生まれです。幼少期には両親が別居状態になり家庭環境はA同様あまり良くなかったといいます。

高校も中退していて、そこから非行にはしったと思われます。逮捕後の裁判所の判決は5年~10年の不定期刑が確定し、1999年8月3日に出所しています。その後、以下にご紹介する事件(三郷市逮捕監禁致傷事件)を起こすことになり再犯となります。

2009年現在は出所しています。

加害者の湊伸治

女子高生コンクリート事件の加害者である少年Cこと湊伸治は1972年12月16日生まれです。中学は足立区の名門校を卒業して高校では都内唯一の工業高校に進学する優等生でした。

しかし宮野裕史や小倉譲(神作譲)と知り合い仲良くなったことから女子高生コンクリート事件の犯人グループの一人となりました。逮捕後の裁判所の判決は5年~9年の不定期刑でした。

出所後はキックボクサーとしてデビューした湊伸治でしたが事件の事もあって人気はありませんでした。彼がリングに上がるとブーイングの嵐だったそうです。

またリング内でのあだ名が「コンクリ」と事件を思い出せるようなあだ名が付けられていました。結局大した成績は残せないまま引退し現在は関東で暮らしているという情報があります。

また噂では結婚もして子供が一人いるとも言われていますが不確定な情報です。

加害者の渡邊恭史

女子高生コンクリート事件の加害者である少年Dこと渡邊恭史は1971年12月18日生まれです。元々内気で弱い性格の持ち主の彼は中学卒業後は定時制高校に通うもののすぐに登校拒否になります。

宮野裕史や小倉譲(神作譲)達と知り合い今回の事件の加害者となりましたが、犯行時は全て宮野や小倉の指示があった場合のみだったらしく自分から進んでとは出来なかったようです。

しかし命令されての犯行とはいえ実行犯の一人という事もあり裁判所での判決は5年~7年の不定期刑が言い渡されました。刑務所内でもいじめられていた彼は出所後そのまま精神を病み現在は引きこもりとなったようです。

元々気が小さい彼には出所後も世間の風当たりは辛いものだったのでしょう。

神作譲(小倉譲)の人物像

女子高生コンクリート事件で殺人などの罪で逮捕された加害者の小倉譲(神作譲)はこの事件後、三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯を犯しました。逮捕され刑を受けている時の小倉は比較的反省の色を見せている模範囚のような人間でした。

そんな小倉譲(神作譲)はなぜ三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯となったのでしょうか。そして現在の小倉譲(神作譲)はどうしているのでしょう。

神作譲(小倉譲)の生い立ちは?

女子高生コンクリート事件の後、三郷市逮捕監禁致傷事件を起こした小倉譲(神作譲)は上に書いたように幼少期に両親が不仲になっています。

また父親に愛人が出来るなど道徳心も育まれなかったようです。中学時代から主犯格だった宮野裕史とは先輩後輩の仲だったといいます。そしてあのコンクリート事件を引き起こし更には三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯にまでなりました。

神作譲(小倉譲)の家族は?

女子高生コンクリート事件と三郷市逮捕監禁致傷事件の加害者である小倉譲(神作譲)の家族は両親と姉が一人います。

両親は別居はしてましたが離婚はしてなかったそうです。父親はそのまま愛人を作りそして2人の子供が出来ています。母親は別居後から水商売で生活を支えていたため、なかなか子供にかまってあげられなかったようです。

姉は現在は不明ですが事件当時は都内で会社員として働いていたようです。

小倉譲の母親は女子高生コンクリート事件での出所後に三郷市内でスナックバーを開いています。小倉の再逮捕のきっかけとなった三郷市逮捕監禁致傷事件の現場にもなった場所のようなので、母親は小倉と連絡をとって一緒にいたことが分かります。

出所後に小倉譲から神作譲へ改名

女子高生コンクリート事件と三郷市逮捕監禁致傷事件の加害者である小倉譲(神作譲)は1999年8月に刑期を終えて出所しました。

その後、中国人女性と結婚、養子縁組をして苗字を変えています。日本での仕事が難しいと考えた小倉譲(神作譲)は中国での生活を考えたのでしょう。しかしすぐに相手とは離婚することになりそれは叶いませんでした。

 

神作譲(小倉譲)が再犯が【三郷市逮捕監禁致傷事件】

三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯を犯した小倉譲(神作譲)は2004年6月に逮捕されました。三郷市逮捕監禁致傷事件で再犯になったことで小倉譲は再び世間から注目を浴びる事となりました。

一度は女子高生コンクリート殺人事件逮捕時に被害者に対しても反省の様子があった小倉ですがこの事件が明るみにでてそんな小倉のイメージは変わるのでした。三郷市逮捕監禁致傷事件について細かく見ていきましょう。

三郷市逮捕監禁致傷事件の概要

小倉は出所後、高級車を乗り回したりと被害者遺族への謝罪もなく遊んで暮らしていました。一度派遣社員としてコンピューター関係の仕事に就きましたがほどなく退社しています。

そんな時に小倉が好意を寄せる女性が現れたのです。しかし彼女は被害者男性と交際しており小倉はそれに納得いかず計画的に男性を待ち伏せして襲撃しました。

2004年5月19日の午前2時頃でした。小倉は足立区花畑の路上で被害者の知人男性に因縁をつけ殴る蹴るの暴行を加えた後に金属バットで脅しました。

そのまま被害者を車に押し込んで三郷市内の母親が経営するスナックバーに被害者を拉致・監禁しました。そして「俺の女をとっただろう?殺すぞ、俺は人を殺したことがあるんだ!」と脅したのです。

翌朝の6時ごろ、被害者男性の同居人である男性に小倉は電話をかけ、迎えに来いと言いました。同居人の男性が来ると被害者の男性は解放され小倉は最後に「今日はこのくらいにしてやるが、次はない。もっとエスカレートしていくからな」と脅したのです。

以下に記載の証言のように小倉は女子高生コンクリート事件の事を得意気に話していたことから被害者の男性は次は殺されると思い警察に駆け込みました。そうして6月4日に小倉譲(神作譲)は逮捕監禁致傷の罪で逮捕となったのです。

被害者の男性は恐れて証人喚問に出るのを拒んでいましたがついにそのまま消息不明となってしまったようです。小倉は裁判の時は得意の「イイ子ちゃん」ぶりを見せていました。

小倉は裁判では一部内容を否定しつつもおおよその犯行を認め反省のそぶりは見せていましたが「今後出所したら被害者へ謝罪の気持ちを持って生活できるか」と聞かれると「出来ません」とうなだれたと言います。

検察側の求刑は懲役7年でしたが、判決は懲役4年であり裁判長からは【今度こそしっかり更生に努めて人生をやり直してください】と語られました。

被害者の証言

三郷市逮捕監禁致傷事件の被害者である知人男性は、監禁されている間ずっと脅されていました。その証言から小倉が女子高生コンクリート事件の事を話していた内容がわかりました。

「俺は少年の時に10年刑務所にいたんだよ」「そこで警察をだましたり、検事を丸め込むノウハウを身に付けたんだよ。だからまた入ってもすぐ出てこれる」「コンクリート事件、あれはマジで楽しかったなぁ」「あの事件は本当は俺が主犯だったんだよ。俺がリーダーだったんだ」

こういった内容を被害者男性は証言しています。殺人を犯したことを懐かしい笑い話のように語っていたそうです。この事から小倉は三郷市逮捕監禁致傷事件以前に女子高生コンクリート事件すらも反省していない事がわかります。三郷市逮捕監禁致傷事件の逮捕時も「ちょっとやりすぎた」と一言言っていましたがその言葉も反省の態度ではなさそうです。
 

コンクリート殺人事件の被害者への対応

女子高生コンクリート殺人事件での逮捕後に小倉は涙を流しながら「本当に申し訳ないことをした、被害者の遺族に対しては出所したら必ず償う」と語っていました。

しかしそれは周囲の同情を買う為の演技であり、実際に出所後に遺族に支払った慰謝料は殺人で娘を奪われた遺族への気持ちには到底及ばない程の少ない額でした。また支払うはずのお金を高級車や高級住宅に変えて遊んでいたといいます。

昔の仲間からも「あいつは何回やっても懲りないだろう」と口を揃えて言われていました。この事実には被害者の遺族の方々でなくとも憤りを感じるのではないでしょうか。

主犯格の宮野裕史も再犯

女子高生コンクリート事件の加害者であり主犯格の宮野裕史もまた再犯を犯した一人です。殺人などの罪で逮捕され懲役20年を言い渡された宮野は2008年に出所しています。

その後、2013年に振り込め詐欺の振り子として防犯カメラに映っている所を証拠に再逮捕されています。しかし取り調べで宮野は黙秘を貫きそれ以上の証拠が見つからなかったことから証拠不十分で不起訴となっています。

不起訴は決して無罪ではありませんので宮野は再犯だったと認識していいでしょう。小倉も宮野も罪を償って出てきたはずなのに再犯になるというのは、全くそれは意味がなかったのでしょうか。

宮野裕史は上の振り込め詐欺以外にも逮捕まではいかずとも警察にマークされるような犯罪に手を染める事をしているようです。

現在の仕事はマルチ商法で沢山の人から現金を集めているようです。またネットに出回っている写真などからは毎晩のようにパーティに参加したりと人生を楽しんでいる笑顔の写真なども見られます。その笑顔を被害者の遺族の前で彼は出来るのでしょうか。

楽しむなとは言いませんが人生を楽しむ前にやらなければならない事があるはずです。早く気付いてほしいですね。小倉譲同様、懲役20年は短かったのではないでしょうか。

神作譲(小倉譲)の現在の姿

1度ならず2度の罪を犯し再犯となった小倉譲(神作譲)は現在何をしてどんな生活をしているのでしょうか。小倉譲は2004年に三郷市逮捕監禁致傷事件で逮捕されました。その判決は2005年に懲役4年を言い渡されています。

つまり2009年には出所して外の世界に出ているという事です。現在の小倉譲の足取りは掴めてませんが未だに母親と共に暮らしているのでしょうか。

それとも現在は全く違う所で、ひっそりと暮らしているのでしょうか。しかし今までの小倉の行動からして静かに暮らしている可能性は低そうです。

再び誰かを傷つけずに今後も生活していくことを願うばかりです。

再犯になる人間の心理とは

女子高生コンクリート詰め殺人事件はとても人間の所業ではない残酷な事件でした。そして彼らは未成年というバリアで守られ主犯の宮野裕史でさえ懲役20年と軽い刑だったと感じます。

家庭環境や友達、周囲の色々な事柄がこういった犯罪者を作り出してしまうのでしょう。しかしだからといって同情は出来ません。一番可哀想なのは被害者である人間だからです。

なんの罪もない人間が遊び半分で連れ去らわれ強姦され、暴行されあげく殺されるなんてあってはいけない事なのです。ましいてや命を奪った本人達は今までのまとめで分かるように全く反省がありません。
 

刑務所の中で罪を償うのはただそこにいればいい訳ではありません。命を奪うとはどんなことなのか、それを教えられてこなかった少年達にもっとやるべきことがあったのではないでしょうか。

きっと彼らは自分達は未成年だから死刑なんて絶対ならないと思っていたでしょう。そして判決はまさにその通りでした。その時点で彼らは世の中を甘く見ており反省など出来るわけもありません。

これは現在の未成年の少年少女にも言える事で、昔も現在も大人達は未成年の犯罪に対して少年法を更に改定していかねばならないと感じる事でしょう。女子高生コンクリート事件のような事件はそんな未成年の甘く浅はかな気持ちから起きた事件です。

この先も未成年の事件は無くならないでしょう。しかし罪を犯した彼らのこれからを変えてあげる事はできます。どうしてこうなったのか、罪がどれだけ重いものなのか、懲役〇年の数字だけに囚われず彼ら自身を変える手段を捜してあげましょう。

人を命を奪うのがどれだけ重く悲しいことなのかはどんな人間でもわかると信じたいですね。小倉譲や宮野裕史のように出所後に反省の態度すらない人間を増やさない為にも現在私達に出来る事は少なからずやっていきたいですね。

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