信心深いの意味とは?信心深い人の特徴7選と付き合い方!
信心深い人とはどういう人を指すのか、その特徴や意味について紹介します。「信心深い」の意味や反対語、類語などを交えながら7つの特徴と、身近にそういう人がいる場合の付き合い方について具体的に説明します。信心深いとは宗教で危険な存在と考えるべきかどうかも解説します。
目次
信心深い人について知りたい!
「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉がありますが、世の中に信心深い人というのは結構おられます。
目に見えない神・仏の様なものに対して敬う心を持っている人で、「人間は、周りに助られながら生きている」というある意味謙虚さと感謝の気持ちを持ち続けている人です。
ある程度ならいざ知れず、強力に信心深い人が友人や知人などいると、付き合い方もいろいろと悩んでしまうかもしれません。そこでそもそも「信心深い人」の心理はどんな感じなのでしょう。
太古の昔ならいざ知れず、21世紀の科学万能の時代になっても、なぜ信心深い人が信仰する必要があるかについて、信心深い人の特徴と、その必要性についてその意味することや付き合い方、それから反対語や類語についても紹介していきます。
信心深いの意味とは?
信心深いの意味を考えると、主に宗教や占いを信じている人を「信心深い」といいます。あるいは非現実的な祟り(たたり)を恐れたり、多宗教のことを否定的に考える特徴があります。
科学万能の世の中といっても、どこか心の中に「不安」を持っていて、神や仏にすがる状態です。これはちょっと怪しい宗教に嵌っている人の事を意味するのではありません。ある意味ほとんどの日本人がこの信心深い人の特徴を持っています。
日本では無宗教の人が多いと言っても、いろんな占いを気にしたり、正月に初詣や法事では僧侶を呼んでお経を唱えてもらう、あるいはちょっとしたことで「ゲンを担ぐ」ようなこともある意味「信心深い」状態といえます。
信心深いの類語や反対語は?
信心深いという言葉には、類語に該当するものと反対語に該当するものがあります。では具体的にどういう言葉なのかを紹介します。
信心深いの類語
信心深いの類語に「敬虔(けいけん)」という言葉があります。これは「より信心深い」という意味とも言えます。よく「敬虔なクリスチャン」というような言葉で使われます。
仏教徒での類語なら「信仰深い」という呼び方がありますし、より神仏にすがるような言い方で帰依(きえ)するという類語もあり、様々な類語が存在します。
信心深いの反対語
信心深いの反対語は「不信心」もしくは「不動心」となります。不動心は、自分の力だけを信じて、他者にすがるような信心深い人に軽蔑の気持ちを持っている人です。
何かに執着をしなかったり、自分の心を強く信じるということです。そのため何か宗教を勧められた場合、心は微動だにならず前向きに生きることができる人が「不動心」であり、信心深いの反対語といえます。
余談ですが、この不動心、実は宗教の考えそのものの反対語ではないので注意が必要です。これは神道やキリスト教のように神という偉大な存在にすがるような教えとしては真逆的ですが、釈迦が開いたころの原始仏教の教えは、むしろ不動心に近い面があります。
信心深い人の特徴7選
それではここから、具体的に信心深い人の具体的な特徴を紹介します。
①綺麗に掃除する習慣を持っている
信心深い人の特徴の1つ目は、掃除する習慣があります。家の中をはじめとする日常生活を送っている環境を、常に綺麗に整えます。それは風通しが良くなり、神・仏様など神聖な存在が通りやすくなると考えているからです。
身の回りを掃除すれば、「あらゆるところで目を行き届く」意味もあります。日々の生活空間の風通しを良くすることを意識しながら、良い「氣」がうまく循環するように配慮します。そう考えれば反対語になる「掃除をしない」人より付き合い方が良さそうです。
②自分が犠牲になることをいとわずに人を助けようとする
信心深い人の特徴の2つ目は、自分が犠牲になる事をいとわず人を助けるような心があります。それは自らが信心深くなることで幸せになり、それを他の人に分かちあいたいという気持ちがあるからなのです。
そのため、困っている人をほっとけない性格で、類語では「世話焼き」といわれるほど、その人を助けようとします。「大きなお世話」と思ってしまう事もありますが、それでも信心深い人はそういう付き合い方を好みます。
③先祖への感謝の気持ちを毎日伝える習慣がある
信心深い人の特徴の3つ目は、自分の存在のきっかけである先祖に対しても深い感謝の気持ちの付き合い方をします。そのため毎日のようにその気持ちを先祖に伝えます。朝起きたら最初に先祖に挨拶と感謝の気持ちを伝えます。
反対語になる「見えないものは信用しない」ではなく、見たこともない太古の先祖への感謝の念を持ち通つ、先祖から受け継がれた自分のかけがえのない命を、大切にしていかなければならないとも考えています。
④悪口を言わず人に嫌な思いをさせない
信心深い人の特徴の4つ目は、基本的に悪口を言いません。類語になりますが、相手を非難するようなことを言わない人が多いのです。
一部の新興宗教の中では、その反対語のような姿勢で、平気で多宗教を攻撃するようなこともありますが、多くの場合は寛容の気持ちがありますので、考え方が違うという理由だけで悪口を言う事はありません。
悪口を言う人はストレス発散や自分への理解してほしいという気持ちもありますが、それがそのまま自分に戻ってくる場合も多いのです。信心深い人は「悪口を言う」人の心境を考え、より良い方向になるように考えます。
⑤自然に対して畏敬の念を持ち大切にする
信心深い人の5つ目の特徴は、自然に対して非常に畏怖の念を持ち、大切な付き合い方をしています。それは人間が太刀打ちできる相手ではなく非常に偉大な存在だからです。
つまり自然を神・仏と同じような存在と見ているのです。そういったこともあり、信心深い人は、自然に対してい敬意を表します。さらに心の中では自然に触れる時には感謝の気持ちで接しています。
その反対語になりますが、自然破壊などはありえません。できるだけ自然のものをそのままにしようという気持ちが高く、人間はこの大自然の恵みがあるから生きていけるという強い意識を持っています。
⑥子供・お年寄りや動物に優しく差別意識がない
信仰心が深い人の6番目の特徴は、人に対して優しくすることを重視します。類語でいうなら「愛する」という言葉も近いでしょう。子供に優しく、そして扱いがうまい人が多いです。同様にお年寄りに対しても優しく接しようとします。
人間だけではなく動物に対してもやさしい気持ちを持っているだけでなく、動物が好きなのも信心深い人に多いです。
そして、差別の意識はありません。見た目で人を軽蔑することもなく、苦手な相手でもうまく付き合えるのが信心深い人の特徴ですので、非常に付き合い方の困らない人でもあるのです。
⑦出会う人をとにかく大切にする
信心深い人の特徴の7番目は、「神聖な存在」だけでなく、「人」も大切にします。それは出会う人すべてに愛を注ぐように接するのです。それは相手の中に「神聖な何か」を持っていると信じているからです。
そのため、どのような相手の心も解きほぐせる能力を持っています。信心深い人はこうして誰が相手でも、穏やかでより良いい関係が築けます。
また自分の先祖に対しても、敬う気持ちを持っています。そして常に感謝の気持ちを持っていますので、信心深い人の心は感謝と愛で満たされているのです。
そのため信心深い人は、「粗末に扱う」事はしません。それは全ての存在を分け隔てなく心から愛せるという、大変素晴らしい人なのです。
信心深い人との付き合い方
では信心深い人との付き合い方を見ていきます。本来「信心深い人」は、神、仏様、先祖を敬う心の強い人で、純粋で清らかな人が多いのです。そして常に自分の心を見つめ直しながら、自分だけでなく相手にも幸せになってほしいと願うものです。
ところが、一部の悪しき宗教団体のせいで、日本人は「宗教」という二文字は非常に敏感になり、本来とは反対語のようにとらえてしまいます。知り合いや近い人が「宗教」等を信じていると知ると、自分が勧誘されて「洗脳」されるのではと恐れる人が多いのです。
確かに、一部の悪しきところは注意する必要がありますが、本来の宗教はそんなところではありませんし、信教の自由は憲法で保障されているので、嫌なら断ればいいだけなのです。ただ身近にいると「付き合い方」で悩むのは事実です。
そこで、信心深い人とはどういう付き合い方を行ったらいいのか、次から具体的に紹介します。
彼氏が信心深い場合
将来結婚も考えている彼氏が信仰深い人の場合、たいていは親の代から家族で信仰している事が多いです。もし、結婚を前提にしているならば、信仰している対象について深く知る事が大切です、結婚したら自らもその宗教を信仰する必要があるかも確認しましょう。
憲法20条に「信教の自由」があるので、だれが何を信仰しようと自由です。しかし多くの日本人は宗教に対しての偏見があります。もし彼氏が「信心深い」と理由だけで警戒するのでしたら、将来がうまくいくはずなどありえません。
宗教を信じていても、それを受けいれられる気持ちがあれば、お付き合いはできますし、将来結婚して末永くよい関係を気づけるでしょう。
彼女が信心深い場合
今度はお付き合っている彼女が「信心深い」場合の、彼氏の反応です。特に女性は雑誌などにある「占い」「風水」やちょっとしたスピリチャルのキーワードやその類語などを気にして信じます。もうこれが「信心深い人」といえる状態なのです。
多くの女性が「信じる理由は」幸せになりたいという気持ちなのです。祖将来幸せな家庭を築きたいという願望から彼女が信心深くなっている可能性もあるのです。
ですから、信心深いの有無ではなく、彼女の好きなところと嫌いなところを、一度考えてみましょう。信じることは決して悪いことではなく、清い心を持っている意味なのです。
親が信心深い場合
この場合は、物心がついた時に親が何らかの信仰をしていたという人が多いので、家族の生活の一部に溶け込んでいる場合で、これは何ら問題ないでしょう。本人が信じるかどうかは別としてです。
ところが、それまでそんなことがないのに、突然信仰を始めた場合、例えば「病気」「家庭不和」「金銭問題」が合って悩んだ末に、信心を始めたのでしょう。
ここで、親に対して偏見を持ってはいけません。自分自身を客観的に見つめ直してみましょう。子育てで悩みが多く、すがりたい気持ちから信心深くなったのかもしれません。「幸せになりたい」という気持ちで信心深くなったのなら受け入れる気持ちも必要です。
友達が信心深い場合
もし友達が信心深い場合も、基本的には上記のパターン同様偏見を持ってはいけません。何もなければそのまま付き合えば済むだけなのです。
ただその友達から宗教などの勧誘が会ったとき、ここで警戒心は持たないようにしましょう。その宗教が自分自身で必要かどうかを見極め、もし信じる対象でないとはっきり分かれば、断りましょう。
そこで友達関係がうまくいかなくなったのなら、それはもう友達ではないのかもしれません。
信心深くなる理由
信心深くなるには、それなりに「理由」があります。ここでは信心深くなる理由を紹介します。
不幸の連続ですがる思い
身内が次々病気になったり事故に遭ったとか、急に付き合っていた人と別れたとかし、借金が増えてしまったとか、不幸が連続すると不安になります。そうなると「すがりたい」ものが必要となり、神や仏に対して信心深くなります。
世界宗教の人たちは「信心深い」が常識
世界宗教といわれるキリスト教やイスラム教の国々では、日本以上に宗教が根付いていますので、信心深いというのは常識に近いくらいです。そういう国の人に「神を信じない」「無宗教」といえば、不思議な表情をされ「共産主義者なのか」といわれるでしょう。
21世紀の科学万能の時代で、海外の国の人たちも便利なのは知っています。それでも心のどこかに自らを信じる「神」の存在があり、常に尊敬の念を持って崇拝している人が意外に多いのです。
物事を深く考える人
意外かもしれませんが、物事を深く考える人は信心深い人が多いです。非科学的な事を信じているので一見、何も考えていないように見えますが、実は逆で「科学万能」と思っている人ほど何も考えておらず、一歩間違えると怪しい団体にあっさり洗脳されます。
本当に信心深い人は、いろいろと考えるうちに「真理」の様なものを見出したうえで、自らの意志で自分に最適な信仰心を持ちます。この場合は怪しい団体には引っかかりませんし、日々の生活の中で信仰を生かしていく人です。
成功者が信心深い理由
意外と思われるかもしれませんが、信心深い人には成功者や金持ちが多いのです。では、なぜ成功者は信心深いのか?ここでその理由を確認していきます。
成功者が信心深い理由①「成功したことを神様のおかげと思う」
成功者のイメージとしては「己の力を信じてのし上がった」という雰囲気がありますが、実は「神様のおかげで成功しました」という感謝の気持ちを持っている人が多いのです。そのため「成功したい」という気持ちを持ちながら、日々信仰を続けるのです。
成功者が信心深い理由②「感謝の気持ちを施設に還元する安堵感」
信心深い成功者の企業オフィスを見ると、神棚の様なものが置いている事が多くあります。そしてそれに手を合わせる会社経営者の人も多くいます。そしてその神棚やお札は成功者が信じる神を祀っている神社などの宗教施設で購入します。
また信じる神社や寺院に対して寄付をするので、境内に企業の名前や成功者の名前が書いてある事も多いのです。つまり「成功」して感謝したい気持ちを、崇拝する神社や寺院などに寄付することによって還元し、安堵感を得ているのです。
成功者が信心深い理由③「失敗が続くとさらに信心深くなる」
成功者が信心深い理由の最後は、「失敗」です。多くの成功者は必ず「失敗」を経験します。そういう事が続くと「信心深さが足りない」と焦り、今までの成功が続くように、より信心深く神・仏に手を合わせますのです。
もちろん成功者が成功するのは、信心ではなく当人の能力や努力のたまものである事は間違いありません。それでも信心深くなるのは、ある意味自らへの戒めの意味が高いのです。己の力を信じて暴走した結果、それまでの成功が台無しになります。
本当の成功者は信心深くなることで、そのような暴走をコントロールし、成功な状態を維持し続けるのです。
日本とは信心深い国だから信心深い人に偏見を持ってはいけない
多くの日本人は無宗教と言う認識を持っていますが、現実問題として正月の初詣でから葬儀、結婚式など、宗教を全く無縁には生きていません。
むしろ日本は太古の昔から天皇の先祖を高祖神としてあがめ、その神話を元にして建立された神社が全国に数多くあります。そういう意味では日本という国自体が「信心深い」国といえるでしょう。
あまりたとえは良くありませんが「神風」という言葉がすべてを物語っています。それは科学万能になった21世紀でも同じで、科学の場合は今の常識が未来の非常識になるような発見の可能性が、十分あり得る話なので万能ではありません。
だから人間は「未知」の分野に対して不安を強く持ちます。だからすがりたくなり、信心深くなるのです。最近はパワースポットに行くことも流行っていますが、もうこれは「信心深い」から行くわけであり、そうでない人はパワースポットそのものを信じません。
特に近年は海外から多くの人が日本に来ていることもあり、周りには信心深い人も多くなっています。そういう人に対して、「21世紀の時代に神などを信じている」と軽蔑するのではなく尊重することが大切です。