岸部四郎(シロー)の現在!妻は?死亡している噂の真相は?
俳優や司会業で一時代を築いた岸部四郎さん。しかしその裏では壮絶な人生を送られていました。波乱万丈の岸部四郎さんの生い立ちと現在の真相を、知られざる二人の妻との関係や、兄弟である俳優・岸部一徳さんの情報も交えてお伝えします。
目次
岸部四郎(シロー)とはどんな人?
みなさんは、岸部四郎さんをご存知でしょうか。バンドマンから俳優・タレントに転身し、お茶の間をにぎわせた、昭和から平成初期にかけての大スターです。
一方で、多額の借金と自己破産、2人の妻との結婚と別れ、闘病生活など、波乱万丈な実生活を送っていることでも知られています。特にここ十年ほどは、闘病とリハビリでメディアでの露出が激減したため、死亡説などの心無い噂も聞かれるようになってしまいました。
この記事では、そんな噂の真相も含め、岸部四郎さんの生い立ちと現在を探っていきます。
岸部四郎(シロー)のプロフィール
本名 | 岸部四郎(きしべ しろう) |
生年月日 | 1949年(昭和24年) 6月7日 |
現在の年齢 | 69歳(2018年10月現在) |
出身地 | 京都府京都市 |
血液型 | A型 |
活動内容 | タレント・俳優 グループサウンズバンド「ザ・タイガース」のメンバーとしてデビュー。テレビドラマ『西遊記』の沙悟浄役や、ワイドショー『ルックルックこんにちは』の司会を務めるなど、幅広く活躍。自己破産後は自虐キャラでバラエティに多数出演。 |
所属グループ | ザ・タイガース(1969年~1971年) |
所属事務所 | 渡辺プロダクション(~1998年) アン・ヌフ |
岸部四郎のお兄さん・岸部一徳
岸部四郎さんの兄弟である岸部一徳(きしべ いっとく)さんも、四郎さんと同じく俳優、ミュージシャンとして活躍されています。
現在も、映画『少年H』『アウトレイジ』に出演するなど、俳優として様々な映画、ドラマで活躍されています。
九人兄弟の大家族!岸部四郎の生い立ちとは?
岸部四郎さんは、1949年の6月7日に京都府京都市に生まれます。九人兄弟の四男(岸部一徳さんは三男)で、父親は元憲兵でした。中学校卒業後は印刷会社に就職します。
音楽に夢中だった少年時代
音楽通であった岸部四郎さんは、印刷会社を退職後、兄弟の岸部一徳さんが在籍していたバンド『ザ・タイガース』(1966年結成)のアドバイザーを務めるようになります。
1968年に、『ザ・タイガース』のメンバーと、当時の所属事務所であった渡辺プロダクションの援助で、雑誌『ミュージック・ライフ』の音楽特派員としてアメリカに渡ります。当時の音楽の最先端を行くアメリカで、四郎さんは大きな刺激を受けます。
岸部四郎といえばグループサウンズの伝説バンド!『タイガース』
岸部四郎さんは1969年に帰国し、『ザ・タイガース』の加橋かつみさん脱退後の新メンバーとして芸能界デビューしました。
1969年メンバー加橋かつみの脱退後タイガースへ!楽器はエアーで!
バンドには既に四郎さんの兄の岸部一徳さんが在籍しており、兄弟で同じバンドに所属することになりました。岸部一徳さんは、現在も個性派俳優として活躍されています。
岸部四郎さんはギター担当としてバンドに加入しましたが、実際はギターが弾けず、加入当初はエアギターで活動をこなしたそうです。その後、タンバリンやボーカルも担当するようになります。
岸部四郎の加入後はバンドのスタイルもアイドル路線から変化
岸部四郎さんの加入後は、日本のグループ・サウンズブームの沈静化もあり、バンドはこれまでのアイドル路線をやめ、フォークソングやハードロックを取り入れるなど、積極的にイメージチェンジを図るようになりました。
岸部四郎のメガネや司会業などは脱アイドル路線で好評
岸部四郎さん自身も、当時のアイドルではタブーとされていたメガネを着用したり、あえて積極的に近畿方言を話すなど、独特のキャラを発揮するようになります。
この既存のアイドル、バンドの常識を覆す個性的なキャラクターが人気を呼び、単独でのテレビ出演や、ステージの司会に抜擢されるようになりました。
兄の岸部一徳との兄弟ユニット『サリー&シロー』としても活躍
1970年には岸部一徳さんとの兄弟ユニット、『サリー&シロー』名義でアルバムデビューを果たします。ちなみにこの頃にはギターも弾きこなせるようになり、ライブでも実際にギターを演奏するようになりました。
『タイガース』の代表作と解散
『ザ・タイガース』は加橋かつみさんが在籍していた時期に、『花の首飾り』や、ミリオンセラーを達成した『君だけに愛を』、『モナリザの微笑み』など、ヒット作を次々とリリースします。
加橋かつみさん脱退後、ドラム担当メンバー瞳みのるさんと、他のメンバーとの間で、バンドの方向性の違いをめぐって溝が生まれます。岸部四郎さんが加入した1969年の秋頃には既に、バンドのメンバーは個々の活動に専念するようになっていました。
四郎さんが個人でタレント業を展開できたのも、既にグループとしてのまとまりが弱まっていたバンドの背景があったのです。メディアでも解散報道が相次いでいました。そして翌年1970年の12月、タイガースは解散を宣言します。半ば仲間割れのような形での解散となりましたが、その後1982年と2013年に再結成を果たしています。
岸部四郎『タイガース』解散の1971年以後の活躍
『ザ・タイガース』は1971年に解散しますが、その後も岸部四郎さんはその気さくなキャラクターが買われ、当時所属していた事務所のステージの司会や、タレント・俳優として活躍するようになります。
1971年アメリカで知り合った女性と結婚!二児の父に
タイガースが解散して間もない頃、アメリカで知り合った1歳年上の女性と結婚し、二児のパパとして家庭を持ちます。
1978年テレビドラマ『西遊記』で俳優デビュー
1978年にテレビドラマ『西遊記』の沙悟浄役として俳優デビューを果たします。ドラマの平均視聴率は約19.5%、最高視聴率は27.4%と、大ヒットを記録。岸部四郎さんの俳優としての名も大きく知れ渡ることになります。
『西遊記』はイギリスやオーストラリア、香港などでも人気を集めます。後年、四郎さんが海外で仕事をしている最中にも、現地のファンから「サンディ(英語版の沙悟浄の名前)か?」と声をかけられたそうです。
兄の岸部一徳さんも1975年に俳優に転身。兄弟そろって俳優としての道を歩むこととなります。
1984年情報番組『ルックルックこんにちは』で司会に
『西遊記』の大ヒット以後、1981年『思えば遠くへ来たもんだ』、1982年『はじめまして・再婚』、1983年『ちびっ子かあちゃん』と、数多くのテレビドラマに出演した岸部四郎さん。
1984年の10月からは、沢田亜矢子さんの後任として、『突撃!隣の晩ごはん』などの人気コーナーでおなじみのワイドショー、『ルックルックこんにちは』の司会に大抜擢されます。
芸能人のスキャンダルが報じられても、決して批判コメントをせず、クセの強い共演者に対しても優しく微笑み、ただ淡々と司会をこなす四郎さんの姿は、多くの視聴者の好感を呼びました。
岸部四郎は行方不明?4億円の借金!
人気タレント・俳優として華々しい芸能生活を送る傍らで、岸部四郎さんの経済状況はどんどん圧迫されていくようになります。
浪費癖からの借金や連帯保証人などが原因で自己破産
もともと貯金が苦手なうえ、浪費癖や事業欲があったこと、人の好さによる連帯保証人の引き受けなどにより、借金が雪だるま式に膨らみました。日本のバブル経済に乗じて手を出した事業も相次いで失敗し、ついに1998年、自己破産します。
4月6日に、岸部四郎さんの代理人の弁護士が会見で破産を公表。会見では四郎さんの負債が3億6千万以上に上ること、そして負債者がヤミ金融を含めて69社(人)以上に及ぶことなども明かされました。
司会業を降板し事務所からも解雇
1998年4月、13年間司会を務めた『ルックルックこんにちは』を自主降板します。
その後当時の所属事務所からも解雇され、芸能活動自粛を余儀なくされます。岸部四郎さんはメディアから姿を消し、数週間にわたる音信不通状態に。世間では「自殺したのでは」という真相が定かでない噂も流れるようになりました。
当時の巷の四郎さんに対するイメージは、「気さくで温厚な人」というもので、「四郎さんは、多くの人に迷惑をかけた自分を責めたのだ」という説が有力視されていたのでした。
行方不明でないことがわかったのは「バイアグラくれ!」
破産後の岸部四郎さんの真相は、意外な形で発見されます。『ルックルックこんにちは』のスタッフに突然「バイアグラをタダでくれないか」との電話が入ったのです。
自らテレビ関係者に連絡をとったことで、再びメディアの注目を浴びることとなった四郎さん。しかしそのキャラは、破産前の気さくで温厚なキャラとは真逆のものでした。
「ダウンタウン」の番組などで自虐ネタがウケ芸能界復帰!
復帰後の岸部四郎さんは、自己破産という自虐的な出来事を売り物にし、「嫌味ばかり言う自虐キャラ」として再ブレークします。破産前とは真逆のキャラが話題となり、再び人気者に上り詰めます。
破産前の借金の実態や、破産後の生活の真相も、自ら書籍やバラエティ番組のネタにすることで明らかにしていきました。レギュラー番組を持つまでには至らなかったものの、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』や『めちゃ2イケてるッ!』など、バラエティ番組で引っ張りだこになります。
特に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』では、「俺をだれや思てんねん!元・金持ちやぞ!」という名言を発し、バラエティタレントとしての地位を確立します。
岸部四郎の死亡説の真相は?脳内出血に倒れたことか?
自己破産後に死亡説がささやかれた岸部四郎さん。芸能界復帰後、一度は払拭された死亡説ですが、2003年以降、再び死亡説が流れるようになります。
2003年病に倒れ歩行困難・視野狭窄!車椅子生活に
2003年、脳出血で倒れ、緊急入院する事態に。何とか一命は取り留めたものの、歩行困難や視野狭窄などの後遺症に悩まされるようになり、車椅子生活を余儀なくされます。
事実上の芸能界復帰は難しかった
その後も俳優・タレント活動を続けますが、2009年に再び入院します。この年を境に、メディアでの露出は激減。死亡説などの真相が定かでない噂も再びささやかれるようになります。
岸部四郎の妻は病気の夫を介護し続けた!
やや遡ること1987年、岸部四郎さんはアメリカ人妻と離婚してしまいます。ちなみに、四郎さんの最初の借金は、元妻に対する慰謝料と養育費の支払いを銀行で借りたことが始まりだそうです。
岸部四郎は二度の結婚!長年支えたのは二人目の奥さん
1994年、岸部四郎さんは、行きつけのブティックの店員、小緒里(さおり)さんと、14歳差の再婚をします。そのわずか4年後に四郎さんは自己破産し、タレントも俳優も退いて不遇の生活を余儀なくされます。
また2003年に脳出血を発症後、要介護者となってしまいます。この波乱万丈の人生を送る四郎さんを献身的に支えたのが、二人目の妻、小緒里さんでした。妻の存在が、逆境の中にある四郎さんの心の支えになっていたのは、言うまでもありません。
小緒里さんは後に雑誌『婦人公論』のインタビューで「彼(四郎さん)を一人にさせるわけにはいかなかった。一人にしたら絶対どうにかなってしまうと思ったから。」と、その胸中を明かしています。
2007年奥さんが心臓発作で43歳で急死
しかし、そんな妻も2007年に43歳という若さで急死してしまいます。死亡原因は心臓発作でした。岸部四郎さんが朝起きて、階段を下りると、台所で倒れていたそうです。四郎さんが発見したときには既に、妻は息を引き取っていたといいます。
妻の死後、四郎さんはテレビ番組で、小緒里さんの生前の体調の異変について語っています。小緒里さんは自身の体の異変に気づきながらも、病院の検査を受けず、夫の心身のケアに努めたといいます。なんともいたたまれない話です。
奥さんの死亡が岸部四郎の死亡説につながったとも
妻を亡くした岸部四郎さんも2009年に再び病に倒れます。この時も死亡説が世間に流れましたが、これは四郎さんの妻の訃報が、形を変えて噂になったものだというのが真相でしょう。
岸部四郎の現在は?
死亡説など、不穏な噂が耐えない岸部四郎さんですが、たびたび報道される四郎さんの近況が、噂に拍車をかけているようです。
2009年に再び体調悪化!うつも併発?
2009年に再び体調が悪化し、救急車で運ばれて入院したことから、芸能関係の仕事が激減。死亡説や、その他真相が曖昧な噂も頻繁に流れるようになります。
また、妻の死別など、度重なる心労がきっかけで、うつやパニック障害も併発してしまいます。友人や近所の知り合いの献身的な助けにより、現在は心の病は克服されつつあるようです。
2012年から老人ホームで生活
2012年『情報ライブ ミヤネ屋』に出演し、同年の2月に右足の大たい骨を骨折し、老人ホームで暮らしているという真相を公にしました。現在のところ、テレビの出演はこれが最後となっています。
病に倒れても「音楽」への意欲はあったと兄が語る
2013年、「ザ・タイガース」の復活コンサートにサプライズゲストとして登場し、兄弟の岸部一徳さんが見守る中、ビートルズの『イエスタデイ』を歌いあげました。
2016年、岸部一徳さんが週刊誌のインタビューで、今でも時々老人ホームへ兄弟の四郎さんを見舞いに行っていることを明かしています。
またそのインタビューによれば、四郎さんは現在も音楽への意欲があるそうで、それがリハビリの大きなモチベーションになっているそうです。これが一番最近の岸部四郎さんの真相です。
岸部四郎は復活するの?
心無い噂や死亡説が流れる中、岸部四郎さんは現在も、兄弟の岸部一徳さんらが見守る中、音楽活動や俳優活動の復活を目標に闘病に励んでいます。
自己破産や二度の妻との別れなど、悲劇に度々見舞われる岸部四郎さんですが、そんな中でもまだまだご健在であるというのが真相です。再び元気な姿をテレビやステージで観られる時が来ることを心待ちにしたいものです。