アレックギネスの若い頃から現在!スターウォーズなどの出演映画を紹介
今回は、名優アレックギネスさんの俳優人生と数々の作品について紹介します。現在のアレックギネスさんと言えば、映画「スターウォーズ」等の作品で、活躍した俳優と思われがちです。アレックギネスさんの若い頃から現在までの作品や私生活・エピソードを紹介します。
目次
アレック・ギネスとはどんな人?
アレックギネスさんとは、どんな人なのでしょうか?名優になるまでの道のりには、何があったのでしょうか?プロフィールから見て行きましょう。
アレック・ギネスのプロフィール
本名 | Alec Guinness de Cuffe (アレック・ギネス・ド・カッフィ) |
生年月日 | 1914年4月2日 |
現在の年齢(2018年現在) | 86歳没 |
出身地 | イングランド・ロンドン |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 俳優 |
所属グループ | |
所属事務所 |
アレックギネスさんの謎に包まれた出生
1914年4月2日アレックギネスさんは、ロンドンで誕生。母親は、アグネス・カフさん。父親の詳細は不明です。しかし、学費は銀行家アンドリュー・ゲディスさんが支払ったことになっています。この銀行家が父親では?という疑問もわきますが、不明だそうです。
若い頃のターニングポイント①:演劇の世界に魅了される
学校卒業後は、広告会社で働くも、演劇の世界に興味を持ち、演劇学校に入学します。演技の基礎をしっかり学んだことにより、自信もついたことでしょう。
若い頃のターニングポイント②:俳優ジョン・ギールグッドさんに認められる
俳優ジョン・ギールグッドさんに認められ、劇団に所属し、オールド・ヴィック・シアターの舞台に立ちました。
俳優ジョン・ギールグッドさんに認められるのは、並大抵ではないはずです。この時点で相当演技力があったのでしょう。
若い頃のターニングポイント③:デヴィッド・リーンさんとの出会い
映画監督デヴィッド・リーンさんは、ジョン・ギールグッドさんの劇団に所属していたそうです。デヴィッド・リーンさんとの出会いは、後に映画『大いなる遺産』、『戦場にかける橋』、『アラビアのローレンス』に繋がります。
また、アレックギネスさんを映画界へ誘ったのは、デヴィッド・リーンさんと言われています。さらに、『アラビアのローレンス』を見た、高校生のスピルバーグは後に、映画監督を目指すのです。
個々の人同士が、運命の連鎖によって繋がり、一つの作品を成し遂げることも運命づけられているのではないかと、思えてきますから不思議です。
アレック・ギネスは往年のイギリスのベテラン映画俳優!
アレックギネスさんは、第二次大戦中は海軍に入隊。アレックギネスさんの生い立ちが複雑な点と、戦争という動乱の中で多くの事を経験し、俳優としての表現力を体得したのかもしれません。
第二次世界大戦後に俳優として活躍
戦後、アレックギネスさんの俳優人生が再スタートします。若い頃は、演劇学校や劇団で舞台にも立っていましたが、映画デビューは少し遅かったようです。
数々の作品の中には、今の映画では観られない設定などがありました。アレックギネスさんの初期作品の中の2つを紹介します。
1946年:映画『大いなる遺産』監督デヴィッド・リーンによる初出演を果たす
映画『大いなる遺産』はイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズ原作作品を忠実に映画化した作品です。アレックギネスさんは、32歳で映画デビュー。
この時は主人公の親友の役ハーバートを演じています。この映画はアカデミー撮影賞と美術賞を受賞しています。監督デヴィッド・リーンさんは、アカデミー監督賞をノミネートしました。
その他、子役に美少年、美少女をキャスティングすることもあり、作品以外にも見所のある映画です。また、現代でも舞台、映画などでリメイクされ、愛される作品の一つです。
1949年:映画『カインド・ハート』一人8役で活躍
この作品は、英国ブラックコメディで、強欲な主人公が財産を独り占めするために、殺人企てるお話です。ウィットに富んだ作品で、好レビューする人が多い作品です。
この作品でアレックギネスさんは、殺される側の一族を一人8役を演じました。この時35歳くらいです。
若い頃に数々の賞を受賞した作品に出演した名俳優
1946年~1950年初頭にかけて、アレックギネスさんは数々の映画で活躍しました。若い頃の活躍では、一人8役の映画もさることながら、常に役と向き合った、洞察力や集中力には感嘆します。
1964年舞台『ディラン』でトニー賞を受賞
そもそもトニー賞とは、アメリカの演劇界で最も権威ある賞とみなされています。映画界では、アカデミー賞、また、音楽業界ではグラミー賞で、テレビ業界のエミー賞、文学・戯曲などは、ピューリッツァー賞というような存在です。
アレックギネスさんは、第18回 トニー賞の演劇主演男優賞を舞台『ディラン』で受賞しています。
1957年に映画『戦場にかける橋』でアカデミー主演男優賞
映画『戦場にかける橋』は、アレックギネスさんの主演する映画の中でも、超大作映画です。緊迫した第二次世界大戦の只中、日本の捕虜となったイギリス軍兵士と、日本人大佐との対立と交流を通じ、人間の尊厳と名誉に問う、戦争映画です。
アレックギネスさんの役どころ
この映画の中でアレックギネスさんは、ニコルソン大佐を演じます。英国軍人らしい上品さを持ち、捕虜となっても英国軍人としてのプライドを貫こうとします。
この美徳と言うべきプライドが、戦争がもたらす、ニコルソン大佐自身の狂気を食い止めますが、映画後半で戦争の無意味さと悲惨さを訴えるのです。
キャストからスタッフまで最高の活躍をした作品
作品賞 | ピエール・ブール |
監督賞 | デヴィッド・リーン |
脚色賞 | デヴィッド・リーン/ピエール・ブール(原作者) |
主演男優賞 | アレックギネス |
撮影賞 | ジャック・ヒルデヤード |
作曲賞 | マルコム・アーノルド |
編集賞 | ピーター・テイラー |
助演演男優賞(ノミネート) | 早川雪洲 |
マルコム・アーノルドさんの作曲した音楽は、この映画の代名詞でもある楽曲です。この音楽が流れた時、この映画を思い出すことでしょう。
映画『戦場にかける橋』は、確かに暗い映画です。しかし、第二次世界大戦直後の時代に国籍関係なく、熱い情熱を持って、踏ん張って生きた人たちが力を合わせ、制作した映画だからこそ、素晴らしいのです。
アカデミー賞主演男優賞受賞:アレックギネスさんの挨拶
日本人俳優の早川雪州さんも活躍していた作品
注目するトピックスは、日本の俳優の早川雪州さんが、助演男優賞をノミネートしていることです。上の画像は、デヴィッド・リーン監督、アレックギネスさん、早川雪州さんです。和やかな撮影風景を感じられます。
若い頃の早川雪州さん
彼は、「サイレント映画時代のセックス・シンボル」と呼ばれたそうです。映画「チート」で女性からの人気を得たようです。大変、端正な顔立ちで眼差しが素敵ですね。
1962年映画『アラビアのロレンス』
映画「アラビアのローレンス」では、アレックギネスさんは、アラブ人のハーシム家のファイサル王子を演じました。この役を演じるために、アラブなまりで話すように練習したそうです。動画はローレンスとのワンシーンです。
映画「アラビアのローレンス」のあらすじ
映画「アラビアのローレンス」は、監督デヴィッド・リーンの最高傑作で、アカデミー賞7部門受賞した作品。原作トマス・エドワード・ロレンス『智恵の七柱』の実話をモチーフにした作品です。
1914年第一次大戦中に激動するアラブ社会に、現れたイギリス陸軍将校のローレンス。彼こそが、物語の悲劇の主人公です。
登場人物の喜怒哀楽を、広大な砂漠をバックに描かれる光景に、観客は物語の世界に飲み込まれていく感覚を味わいます。
スチーブン・スピルバーグが、映画監督を目指すキッカケになった、この映画は現在もなお、色褪せていません。
スチーブン・スピルバーグが「アラビアのローレンス」について熱く語っています。当時の撮影風景も見られる貴重な動画です。
1965年映画『ドクトル・ジバゴ』
この映画は、一言でいうのなら、メロドラマになります。しかしそこは、デヴィッド・リーン監督の腕の見せ所です。時代背景と国の問題などがあり、ロシアで公開されたのは、1994年になるそうです。
この映画では、アレックギネスさんは、脇役で出演しています。映画時間は、何と194分という長編映画です。
アレックギネスさんの登場するシーン
アレック・ギネスは『スターウォーズ』のジェダイの騎士!
アレック・ギネスさんは、旧3部作でオビ=ワン・ケノービ役を演じています。現在のスターウォーズの興業成績も良く、俳優としてこの作品で出演することにメリットは感じていたはずです。しかし、当初は予算も少なくてキツイ状態での撮影だったそうです。
オビ=ワン・ケノビー役を演じたことは「俳優人生の失敗」
「俳優人生の失敗」と後悔しているアレックギネスさんの真意は、スターウォーズのどの部分が嫌いだったのでしょうか?
当時のSF映画の位置づけも関係があったかもしれません。SF映画ジャンルは、お子様向けの印象があり、かの三船敏郎もジョージルーカスからオファーがありましたが、断ったそうです。
この考え方は、当時の日本だけではなく、映画界そのものがSFを軽く見る傾向があったようです。そのことからも、アレックギネスさんは後悔していたと考えられます。
『スターウォーズ』をくだらないおとぎ話
アレック・ギネスさんは、映画『スターウォーズ』シリーズを「くだらないおとぎ話」と言っていたそうです。これまアレックギネスでさんは、戦争映画、コメディ映画など大人向けの作品に出演していたせいもあるかもしれません。
『スターウォーズ』の脚本が不満だった?
映画『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を撮影時に友人に宛てた手紙には、ファンには衝撃なことも書かれていたそうです。
「撮影を楽しんでいるとは決して言えない。ごみのような台詞(せりふ)が毎日、届く。もう耐えられない」などと書かれていたそうです。
スターウォーズに関わることは一切受け付けない?
俳優にとって、ファンレターは嬉しいものです。しかし、アレックギネスさんは、スターウォーズファンからの手紙は読まずに捨ててしまったそうです。
また、「スターウォーズの大ファンです」と言われると、「もう見ないでくれ」と言っていたそうです。これは、ファンにとってはショックでしょう。
アレック・ギネスと同じく自分の出演映画が嫌いな役者もいる!
アレックギネスさんの意外な一面を知って、スターウォーズファンは残念に思ったかもしれません。しかし、このように思っている俳優さんも、結構いるようです。
『ハリー・ポッターと謎のプリンス』のダニエル・ラドクリフ
ダニエル・ラドクリフさんが活躍した映画『ハリーポッター』シリーズは、人気映画です。しかし、ハリーポッターシリーズでもあまり好んでいない作品もあるようです。
映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』のダニエル・ラドクリフさんの演技が、「一本調子で独りよがりだった」自己評価しているのだそうです。
ハリーポッターシリーズはどれだけあったのか
シリーズ | 作品名 | 公開時期 |
1 | ハリー・ポッターと賢者の石 | 2001年 |
2 | ハリー・ポッターと秘密の部屋 | 2002年 |
3 | ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 | 2004年 |
4 | ハリー・ポッターと炎のゴブレット | 2005年 |
5 | ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 | 2007年 |
6 | ハリー・ポッターと謎のプリンス | 2009年 |
7 | ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1 ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2 |
2010年 2011年 |
上の表で改めて、ハリーポッターシリーズを見てみますと、ほぼ1、2年ペースで1本ハリーポッターが制作されていることがわかります。
あまりにも長い間同じ役を演じるというのは、マンネリしますし、ダニエル・ラドクリフさんが一本調子になってしまうのも仕方ないことなのかもしれません。
ダニエル・ラドクリフさんの現在は?
ダニエル・ラドクリフさんの現在は、様々なジャンルの映画に出演しています。例えば2013年の映画『キル・ユア・ダーリン』(日本未公開)は同性愛のシーンがあったりとハリーポッターファンにしてみれば、ビックリする内容です。
やはり、ハリーポッターシリーズからイメージを変えたい一心で、作品ジャンルも幅広い選択をされているようです。
映画・舞台で活躍するダニエル・ラドクリフさん
最近では、ブロードウェイの舞台ミュージカル The Lifespan of a Factで活躍しています。長く演じたハリーポッターのイメージが強いキャラを払拭しようと試みているのかもしれません。
ハリーポッターシリーズで活躍した子役:エマ・ワトソンさん
女優エマ・ワトソンさんも、ハリーポッターシリーズで活躍した女優さんで有名です。エマ・ワトソンさんは、ハリーポッター以降多数の作品で活躍をし、ハリーポッターシリーズのイメージをいち早く脱ぎ去ったイメージがあります。
最近の活躍ですと、2017年の美女と野獣が、話題になりました。女優以外の活躍として、2014年に国連組織 UNウィメンの親善大使に任命されています。
ハリーポッターシリーズで活躍した子役:ルパート・グリントさん
ハリーポッターシリーズで、ロン役に応募し、選ばれたルパート・グリントさんは、ハリーポッターシリーズ以降は、コメディ映画やラジオなど幅広く活躍していました。
しかし、ルパート・グリントさんは、「11、12歳ごろのときは、本当にうれしかったけど、それからのティーンエージャー時代はつらかった。たまに透明になりたいと思ったよ」と言っていたそうです。
また、ハリーポッターシリーズを鑑賞しても楽しめないと明かしたそうです。ハリーポッターシリーズが好きで応募したのに、これは残念な心境です。自信が取り戻せるような作品に出会えることを期待しましょう。
「レッドソニア』のアーノルド・シュワルツェネッガー
アーノルド・シュワルツェネッガーさんは、1985年に公開された映画『レッドソニア』が嫌いでそうです。「今まで出演した映画で最悪の作品!」と評価は低いです。
アレック・ギネスの私生活ははどうだったのか?
ここまで、アレックギネスさんの俳優人生を中心に、若い頃から作品を通して紹介しました。続いては、アレックギネスさんのプライベートについて紹介します。
1938年に劇作家のメルラー・サラマンと結婚
・メルーラ・サラマンさんのプロフィール
本名 | Merula Sylvia Guinness (Salaman) (メルーラ・シルヴィア・ギネス) |
生年月日 | 1914年10月16日 |
現在の年齢(2018年現在) | 2000年10月18日 86歳没 |
出身地 | Doverhay, Porlock, Somerset, England, United |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 女優・劇作家 |
作品 | The Kingdom of Heaven is Like(書籍) |
所属事務所 |
アレックギネスさんは、1938年に女優で劇作家のメルーラ・サラマンと結婚しています。とても情報が少なかったのですが、書籍はアマゾンでも販売があるようです。
1940年に息子マシュー・ギネスを授かる
・マシュー・ギネスさんのプロフィール
本名 | Matthew Guinness (マシュー・ギネス) |
生年月日 | 1940年6月6日 |
現在の年齢(2018年現在) | 78 |
出身地 | イギリス ロンドン |
血液型 | 非公開 |
活動内容 | 俳優 |
作品 | イワン・デニーソヴィチの一日(1974) Oppenheimer (1980) ・The Main Chance (1969) |
所属事務所 |
1940年に息子マシュー・ギネスを授っています。彼は俳優になりました。劇場公開日 1974年6月8日『イワン・デニーソヴィチの一日』出演。娘さんが二人いるようです。
同性愛者だったとも言われている
アレックギネスさんの若い頃、ジョン・ギールグッドさんに認められ、彼の劇団で演劇を本格的に始めますが、ジョン・ギールグッドさんは同性愛者だったそうです。同じく、ローレンス・オリヴィエさんはジョン・ギールグッドさんと恋人だったこともあるそうです。
不名誉な逮捕歴
死後2001年4月に発表されたアレックギネスさんの公式伝記本「Alec Guinness:The Unknown」では、1946年のリバプールの公衆トイレでゲーリー・オコナーという人物と同性愛行為を行ったとして逮捕され、10ギニーの罰金を受けたとあります。
伝記の執筆者の作家ピアーズ・ポール・リードさんは、逮捕自体は事実無根の不名誉逮捕としながらも、当時のイギリスでは性犯罪法が制定されるまで、同性愛者であること自体が犯罪でした。
また、発覚すれば社会的信用を失いかねこともありました。しかし、アレッックギネスさんの性的指向はバイセクシャルであったようです。
アレック・ギネスは2000年に惜しまれながら没
1959年に大英帝国勲章を受章し、同年ナイトなります。1994年にCHに舞台での長年の功績が称えられました。
アレックギネスさんは、2000年8月5日に肝臓癌で亡くなりました。また、妻、メルーラ・サラマンさんは、アレックギネスさんが亡くなって、2ヶ月過ぎた頃、2000年10月18日に亡くなっています。共に86歳でした。
アレック・ギネスという名優が惚れこんだ女優
若い頃から、演劇の魅力にどっぷり浸かり、劇団では、ローレンスオリビエ、など多くの才能にあふれる俳優たちを見ていた、アレック・ギネスさん。そんなアレック・ギネスさんは、ある映画をきっかけに魅力溢れる女優の卵と出会います。
女優オードリー・ヘプバーンさんとの出会い
1951年 映画「ラベンダー・ヒル・モブ」で端役にオードリー・ヘプバーンさんが出演していました。一瞬しか映らないシーンですが、妖精のような美しさで登場しています。
この時、オードリー・ヘプバーンさんは22歳。バレエで鍛えられたスレンダーなスタイルと美しい笑顔で撮影所も華やかです。
映画「ラベンダー・ヒル・モブ」での撮影の一コマ
アレックギネスさんが映画「クォ・ヴァディス」のオーディションを受けられるよう手配するも、落ちてしまいます。
しかし、オードリー・ヘプバーンさんは、1951年の映画「初恋」では、重要な役どころを演じました。これはもう、一度でも目が合ったら、見入ってしまう美しさです。
映画でのアレック・ギネスさんとのワンショット。心なしか放心状態ではないでしょうか?アレックギネスさんもウキウキしているように見えます。
名優アレック・ギネスさんの映画
アレックギネスの若い頃から現在!スターウォーズなどの出演映画を紹介を記事はいかがでしたでしょうか?多数の名作がありますので、ぜひ秋の夜長にアレックギネスさんの映画を鑑賞してみてはいかがでしょう。