元少年A酒鬼薔薇聖斗の今現在の居場所は?顔や本名・結婚して嫁がいる?
神戸連続児童殺傷事件の犯人として当時話題になった酒鬼薔薇聖斗。事件当時はまだ14歳だったので、今は元少年Aとも呼ばれています。そんな元少年Aこと酒鬼薔薇聖斗は、現在大人になっています。ここでは酒鬼薔薇聖斗の現在の居場所、本名、結婚相手などをまとめていきます。
目次
神戸連続児童殺傷事件とは?
そもそも神戸連続児童殺傷事件とはどのような事件だったのか、事件が起きてから月日が経っていることもあり、聞いた事はあるけど知らない人も多いのではないでしょうか。
まずは、神戸連続児童殺傷事件がどのような事件だったのかをまとめていきたいと思います。
1997年神戸市須磨区で起きた事件
酒鬼薔薇聖斗が犯人で、複数の被害者を出した「神戸連続児童殺傷事件」は、今からおよそ21年前(2018年現在)に起こった残酷な事件です。
神戸市須磨区周辺で幼い児童ばかり狙われる犯行が続き、のちに犯人がまだ14歳の少年Aだということが分かったのです。
犯人の若すぎる年齢や非常に残虐な行為などが、当時世間を驚かせました。
1997年2月女児2人が襲われ1人重傷
神戸連続児童殺傷事件は、のちの連続殺人事件として認識されることになりますが、まず最初に起こった事件がこれです。
1997年2月、神戸市須磨区の路上を歩いていた小学生の女児2人が、突然何者かにゴムのショックレス・ハンマーで殴られました。
2人とも命は無事でしたが、そのうち1人の女児はかなり重症だったようです。
1997年3月女児2人が襲われ1人死亡
さらに1カ月後の3月16日には小学3年生の女児を狙い、刃渡り13センチほどの小刃で腹部を刺しました。これにより、被害者の女児は全治2週間の怪我を負わされました。
そしてその後、同じ日の3月16日、2度目の犯行に及んだ酒鬼薔薇聖斗は、ついに殺人を犯してしまいます。当時、神戸市須磨区の竜が台の公園で遊んでいた小学4年生の女児の頭を金槌(かなづち)で殴り、脳腫瘍で死亡させました。
自分よりも幼くて弱い立場である女児ばかりを狙う、残虐で卑劣な犯行の姿が想像できます。
1997年5月男児が襲われ殺害される
これが、神戸連続児童殺傷事件で酒鬼薔薇聖斗が起こした最後の事件です。女児3人に重症を負わせ、1人を殺害してから2か月後の1997年5月、当時近所で顔見知りだった小学5年生の男児に「あっちに亀がいるよ」と嘘をついて人のいない場所に誘い出します。
そこで首を絞めて殺害し、さらにその後、被害者の首を切断するというショッキングな行動をとります。
日本中を震撼させた第三の事件
酒鬼薔薇聖斗は事件後に、様々な問題行動をとります。この行動こそが、神戸連続児童殺傷事件でもあり、酒鬼薔薇聖斗事件とも呼ばれる理由でもあります。
ここでは、その日本中を震撼させた第三の事件をまとめていきます。
被害者男児の首を校門前に置く
酒鬼薔薇聖斗は、1997年5月に殺害した小学5年生の男児の首を学校の校門前に置いたのです。その学校は犯人である酒鬼薔薇聖斗本人も通う、公立友が丘中学校でした。
たまたま被害者の首を登校中に見かけた生徒さん達は、かなり精神的にショックを受けたことでしょう。
そしてショックなのが、殺害されて首を切られた小学5年生の男児は、弟の同級生だったそうです。
「酒鬼薔薇聖斗」という殺人鬼からの挑戦状
酒鬼薔薇聖斗は校門前に被害者の首を置いたその後、神戸新聞社に「挑戦状」を書いたそうです。この挑戦状は「酒鬼薔薇聖斗という殺人鬼からの挑戦状」として世間を騒がせます。
挑戦状の字は、赤のインクで定規を使って書いたような角のある字で、「さあゲームの始まりだ」「ボクを止めてみたまえ」などといった内容が書かれていました。
酒鬼薔薇聖斗が犯人のマークとして考えたとされる文字やイラストは、黒のインクで書かれていたそうです。
見えない犯人に対する様々な憶測
神戸連続児童殺傷事件での犯人像は、これらの不可解な行動によって様々な憶測が飛びました。
当時は、事件周辺現場で「不審なぽっちゃり体型の中年男性」の目撃情報が多かったことから、その人物が犯人だという噂も広まっていましたが、結局は全く関係のない人でした。
異常性が高いサイコパス、猟奇的殺人などと言われていましたが、中にはこれらの行動から気持ちを読み取ってまだ犯人は中学生なのでは?若いのでは?などと予想をする人もいたようです。
逮捕された「酒鬼薔薇聖斗」の正体に驚愕
やがて犯人が逮捕されたとき、当時ニュースで知ったほとんどの人はびっくりしたのではないでしょうか。なぜなら、犯行である酒鬼薔薇聖斗はまだ14歳の中学生だったからです。未成年ということもあり、当時顔は公開されませんでした。
この神戸連続児童殺傷事件によって、今まで刑事裁判に問える年齢が18歳だったのが14歳になり、少年法の改正になったと言われています。
ただ、酒鬼薔薇聖斗が逮捕された当時はまだ法律である少年法が改正される前だったので、少年院行きにしかなっていませんし、被害者に死亡者が2人いたのにも関わらず、死刑にはなりませんでした。
元少年A酒鬼薔薇聖斗の生い立ち
このような、残酷で常識的には考えられない事件を起こした犯人元少年Aは、一体どのような人生を歩んできたのか。
ここでは、元少年Aが犯人酒鬼薔薇聖斗になるまでの生い立ちをまとめていきたいと思います。
本名は東真一郎
酒鬼薔薇聖斗という名前は、いかにも殺人を侵すサイコパス犯人のような名前ですが、当然本名ではありません。当時まだ14歳だったこともあり、元少年Aの本名は法律で守られていました。
酒鬼薔薇聖斗の本名は「東真一郎」というようですが、今現在この本名は世間的にかなり漏れています。さすがに、東真一郎という名前だと生活が困難になることから、名前を改名している可能性が高いでしょう。
「酒鬼薔薇聖斗」という名前は、東真一郎だった彼本人が挑戦状を出す時に考えた犯人の名前のようです。
1982年3人兄弟の長男として誕生
1982年、やがて酒鬼薔薇聖斗となって事件を起こす「東真一郎」は、3人兄弟の長男として誕生しました。
兵庫県神戸市北区にある団地で生まれ、その後6歳で神戸連続児童殺傷事件を起こした当時住んでいた場所でもある、友が丘の家に引っ越したそうです。
家族構成は父・母・弟2人の5人家族で、東真一郎の名前の由来は「真実を見極めるように」という意味がありました。
元少年Aに厳しかった両親
東真一郎として生まれた彼が、酒鬼薔薇聖斗元少年Aになったのは両親の影響も大きかったのではないでしょうか。両親は、元少年Aである東真一郎をとても厳しく育てたそうです。
父親は仕事が多忙でほとんど家には帰らないが、真面目な性格で、元少年Aにもきちんとした子に育ってほしいという想いが強かったのか、しつけを厳しくしたり、元少年Aが長男であることから兄弟喧嘩した時にも弟達には叱らず、元少年Aだけに𠮟ったと言われています。
本当にそうだったのかは分かりませんが、もしそうだとしたら元少年Aの心の中には、父親に対しての悲しみや怒りなどの感情が込み上げてくるでしょう。
父親の仕事が多忙だったことで、元少年Aの子育てはほとんど母親がしていました。
母親は神経質な性格だったようで、少年Aを厳しく育てたとされています。例えば、集団生活で恥をかかないよう、トイレの仕方や食事の仕方・後片付けなどを教えたりなどしていましたが、結果的に元少年Aは過干渉によってノイローゼ状態になりました。
当時、東真一郎であった彼の描いた絵には、両親から言われたとされる数々の罵声のような言葉が書かれていたので、両親にかなり厳しく育てられた可能性が高いでしょう。
元少年Aを溺愛した祖母
厳しい両親に育てられた元少年Aを溺愛したのが祖母でした。祖母の愛情と優しさによって、元少年Aが厳しい両親によって負った心の傷は癒され、精神的にもなんとか安定していたのではないでしょうか。
辛い時、祖母が逃げ場でもあった元少年Aはかなりのおばあちゃんっ子だったと思われます。
祖母の死で崩れた心のバランス
辛い時の逃げ場でもあり、なによりも安心できる存在だった祖母は、元少年Aが小学5年生の時に亡くなってしまったようです。
これにより、元少年Aは心のバランスを保つことが難しくなり、両親がその悲しい気持ちに寄り添ってくれなかったことが追い打ちになり、精神状態がおかしくなっていったと言われています。
この時期から、元少年Aの野良猫やカエルなどの小動物虐殺が始まりました。小動物虐殺の現場は、度々近所の人に見られて両親が注意を受けたようですが、うちの子はそんなことしないですと言って聞かなかったみたいです。
逮捕後の元少年A酒鬼薔薇聖斗
元少年A酒鬼薔薇聖斗は当時14歳だったので少年法によって守られ、殺人を2回犯しましたが、裁判は行うことができず、死刑などにはなりませんでした。
ここでは、神戸連続児童殺傷事件のその後についてまとめていきたいと思います。
神戸家庭裁判所の判断により関東医療少年院に入る
元少年A酒鬼薔薇聖斗は、神戸家庭裁判所の判断で「関東医療少年院」に入ることのなりました。
そこでは、担当の精神科医3人と統括管理者によって、これから先社会復帰するために育て直しがされたそうです。
あれだけ残虐な事件を起こしたのに、なんとも腑に落ちないと思う人も多かったようですが、少年法という法律があったので仕方なかったようです。
関東医療少年院での異常行動
元少年A酒鬼薔薇聖斗は関東医療少年院に入ったその後、最適な治療法として「疑似家族」を構成されました。
精神科医がそれぞれ父親役・母親役となったのですが、元少年A酒鬼薔薇聖斗は、次第にこの母親役の女性に恋心のような感情を抱くようになったそうです。
そしてある日、同じ少年院にいる別の少年がこの女性の悪口を言った途端に豹変し、奇声を挙げながらその少年の目にボールペンを突き刺そうとしたという出来事が起こったと言います。
東北少年院での虐めと奇行
元少年A酒鬼薔薇聖斗は、やがて関東医療少年院から東北少年院へと移送されました。
そこではいじめを受けたようですが、ある日隠していた酒鬼薔薇聖斗という正体がばれてしまったことで、いじめはさらにひどくなり、精神的に追い詰められていきました。
最終的に、職業訓練中に奇声を挙げてカッターナイフを振り回し、動揺して自らの性器を切りつけたという出来事が起こったと言われています。
2005年僅か8年で社会復帰
元少年A酒鬼薔薇聖斗は、神戸連続児童殺傷事件を起こしてから7年後の成人した歳に仮退院、そしてその1年後には少年院の退院が決定してますので、8年後には社会復帰しています。
元少年A酒鬼薔薇聖斗が少年院を退院したという事実は、被害者の遺族にも伝えられたそうですが、賠償責任などについて納得いかない・必死に生きようとする姿が見えてこないなどと言われたようです。
当時は、関東医療少年院などに更生されていない犯人を野放しにするのか、などといった批判の声が多くありました。
社会復帰した元少年A酒鬼薔薇聖斗の行動
更生の進歩があったとされ、無事少年院を退院した元少年A酒鬼薔薇聖斗は、その後どのような生活を送ったのでしょうか。
名前を変え全国を転々とする
神戸連続児童殺傷事件から8年の月日が経ったとはいえ、元少年A酒鬼薔薇聖斗は猟奇的殺人として世間では大きく取り上げられていますし、東真一郎という本名まで噂が広まってしまったことから、普通の生活は当然できませんでした。
法律的には、名前によって生活が著しく困難な場合は改名ができることになっているので、元少年A酒鬼薔薇聖斗は改名をして職を転々としたようです。
あの人は酒鬼薔薇聖斗ではないかという噂が少しでも出たら、すぐに職を変え、日払いで日給6000円ほどの仕事をしてなんとか生活していました。
度々週刊誌に居場所を突き止められる
その後も度々週刊誌に追われる生活が続き、自宅前などで神戸連続児童殺傷事件の犯人ですよね?元少年A酒鬼薔薇聖斗ですよね?などと声を掛けられます。
大人になり、東真一郎ではなくなった姿を写真に撮られ、週刊誌に載せられたことも話題になりました。
職を転々として居場所を変えても、週刊誌は居場所をまた突き止めてくるので、元少年A酒鬼薔薇聖斗と週刊誌のもはやイタチごっこ状態ですね。
2015年公式サイトを開設
2015年に元少年A酒鬼薔薇聖斗は、自らの公式サイトを開設しました。神戸連続児童殺傷事件の反省を全くしていない、被害者遺族の気持ちを考えてないなどの非難を多く浴びたことから、今現在は完全に凍結して見ることができません。
公式サイトの中には、元少年A酒鬼薔薇聖斗が描いた絵がいくつか記載されていて、奇妙な絵で気持ち悪いと話題になりました。
手記「絶歌」の出版で物議を醸す
公式サイトを開設したその後、2015年に酒鬼薔薇聖斗は「元少年A」という名前で「絶歌」という本を出版しました。
これがかなり話題になり、被害者遺族への嫌がらせだとも言われて本の出版を取りやめる抗議なども行われましたが、世間の注目を浴びてこの本は驚異的な売り上げを記録したそうです。
その分、作者である元少年A酒鬼薔薇聖斗にも印税収入が入ってくるということになりますので、この本の出版で物議を醸すことになりました。
そしてさらに驚いたのが、元少年A酒鬼薔薇聖斗の両親も本を出版していることです。
「少年A」この子を生んで…という本で、もちろん両親の顔などは一切公開されていませんが、元少年A酒鬼薔薇聖斗が犯行に及ぶまでや幼少期について綴った手記です。
もちろん、この本の印税も作者である両親に入ってくるので、これまた複雑な気持ちになりますね…。被害者がいる事件を材料にしてお金にするという行為自体、許せないと思う人も多いはずです。
2016年週刊誌が元少年Aの顔写真を掲載
2年前の2016年、週刊誌は元少年A酒鬼薔薇聖斗の今現在の顔写真を掲載しました。
神戸連続児童殺傷事件は1997年に起こり、酒鬼薔薇聖斗はその当時14歳だったので、現在33歳になった彼の顔を掲載したということになりますね。
顔が掲載されたということは居場所もばれてしまったので、こうなると今の家からはまたすぐに姿を消すのではないでしょうか。
元少年A酒鬼薔薇聖斗のその後
元少年A酒鬼薔薇聖斗は、本を出版し週刊誌に顔を掲載されたその後、どうしているのか。また、今現在の居場所はどこなのか気になる人も多いでしょう。
結婚して嫁がいる噂や居場所などをまとめていきたいと思います。
元少年Aの現在の名前は?
元少年A酒鬼薔薇聖斗の本名は「東真一郎」ですが、それはかなり前に改名されているようで、現在の本名は分かっていないようです。
実は、東真一郎という名前を改名して、その後さらに改名しているという噂もあるので2回名前が変わっているということですね。
マスコミも、さすがに名前まで公開してしまうと本人の生活の支障をきたしてしまうので、控えているのではないでしょうか。
結婚して嫁と子供がいるとの噂
元少年A酒鬼薔薇聖斗は今現在、結婚をして嫁と子供がいると言われています。
気になる嫁は、酒鬼薔薇聖斗の元ファンの女性で、少年院にもラブレターを送っていたなんて噂もありますがどうなのでしょうか。
元少年Aの酒鬼薔薇聖斗は母親から厳しいしつけを受けたことから、女性にかなりトラウマがあり、快楽殺人という歪んだ欲求をもったと言われています。しかし少年院で更生され、今現在はきちんとした家庭を築いているのかも知れません。
現在の居場所は東京以外?
気になるところですが、元少年A酒鬼薔薇聖斗の今現在の居場所は分かっていないようです。
2016年頃に週刊誌に顔写真を掲載され、東京という居場所もばれてしまってことから、今現在の居場所は「東京以外」ではないでしょうか。
顔と居場所がばれるとすぐに姿を消すということを続けてきたそうなので、もし結婚をしていて嫁や子供がいるのであれば、家族でどこかに引っ越したということになるでしょう。現在の居場所は四国の田舎だという噂もありますが、信憑性が低いのでなんとも言えません。
今は印税で生活か?
元少年Aの酒鬼薔薇聖斗は、事件後に出版した「絶歌」という本がかなり売り上げを伸ばしたので、その印税で今現在は生計を立てているのではないでしょうか。
ちなみにこの本を出版する時、元少年A酒鬼薔薇聖斗は被害者遺族へ報告せず、被害者遺族は出版後にこの本の存在を知って「私達は2度殺された」と言ったそうです。
元少年Aの酒鬼薔薇聖斗は、職を転々として顔や居場所がばれるとすぐに姿を消すことを続けてきたので、かなり金銭面で生活が困難になり、外に顔や居場所がばれない「印税生活」を選んだのかも知れません。
被害者遺族への手紙をやめた元少年A
今現在、元少年A酒鬼薔薇聖斗から被害者遺族へ手紙は届いていないようです。
被害者遺族への手紙は、2004年から弁護士を通して毎年送っていたようですが、被害者遺族へ相談もなく突然本を出版したその後、被害者遺族は手紙の受け取りを拒否したそうです。
弁護士は被害者遺族が拒否したから書くのをやめたのでは?詳しいことは分かりません。とコメントしていていて、その後も弁護士に毎年届いていた手紙はなくなり、今現在も届いていないようです。
元少年A酒鬼薔薇聖斗が結婚して嫁・子供がいる噂は本当か?
あの異常性の高い殺人事件の犯人である元少年A酒鬼薔薇聖斗が、今現在は結婚していて嫁と子供がいるというのはびっくりした人も多いことでしょう。
普通であれば怖いと思われて避けられる人物なので、結婚した嫁のことも気になってしまうのではないでしょうか。
ここでは、元少年A酒鬼薔薇聖斗の結婚した嫁、子供についてまとめていきたいと思います。
結婚して嫁と子供がいる証拠があった!
なぜ元少年A酒鬼薔薇聖斗に、結婚していて嫁と子供がいるという噂がたったのか。それは、出版された「絶歌」の本に嫁がいる証拠となるような文章が書いてあったからです。
そこには「子供を自ら持つようになって、過去に自分が犯した過ちの重さに気づいた」という告白があったのです。
はっきりと結婚して嫁と子供がいるとは言っていませんが、元少年A酒鬼薔薇聖斗が親権をとってシングルファザーになるということは困難かと思うので、この文章を見る限りでは結婚して嫁と子供と住んでいるということで間違いないでしょう。
嫁・子供の今現在の苗字は?
結婚しているとすれば、一般的に考えると嫁・子供は元少年A酒鬼薔薇聖斗の苗字になりますね。
ただ、元少年A酒鬼薔薇聖斗は東真一郎から2回名前を改名しているそうですし、嫁の苗字をもらっている可能性も高いです。または、籍を入れずに嫁・子供と同棲をして事実婚状態の可能性もあります。
残念ながら、今現在の苗字は分かりませんが、東真一郎ではないことは確かです。
嫁・子供は神戸連続児童殺傷事件のことを知っているのか?
家族は、父である夫が元少年A酒鬼薔薇聖斗だということを知っているのか、疑問ですよね。
基本的に籍を入れて結婚をする時は婚姻届と「戸籍謄本」というものが必要で、東真一郎から改名されているのであれば、それは戸籍謄本に記載されているはずです。また、本の出版を家族に内緒でするということも難しいかと思います。
印税などで収入を得れば当然経済面の変化もあるので、嫁は必ず気付くことでしょう。
また、最近では週刊誌によって東真一郎でなくなった現在の顔がばれてしまいました。
もしも神戸連続児童殺傷事件のことを隠して結婚していたとしても、週刊誌によってバレたことでしょう。
このようなことを考えると、嫁は夫が「元少年A酒鬼薔薇聖斗」で元々は「東真一郎」という名前だったということも、すべて知った上で結婚したのではないでしょうか。
元少年A酒鬼薔薇聖斗の子供の情報は?
子供がいる人であれば、もし自分の子供の同級生だったら…と考えてしまう人もいるのではないでしょうか。なにも問題ないとはいえ、気になりますよね。
しかし残念ながら、子供に関する情報は一切ありませんでした。
ただ、本人が出版した本で「子供を自ら持つようになって」という言葉を言っているので子供が今現在どこかにいることは確かです。30代という歳から考えると幼稚園や小学校に通っている可能性も高いですね。
元少年A酒鬼薔薇聖斗に対する社会の不安は続く
今現在、残虐な事件を起こしたあの元少年A酒鬼薔薇聖斗の居場所は分かりませんが、日本のどこかにはいますので、もし近くにいたら何かあるのでは…と良くないことを考えてしまう人も多いのではないでしょうか。
守られ過ぎている元少年A
元少年A酒鬼薔薇聖斗は今現在は大人ですが、当時日本の法律であった「少年法」によって今も強く守られています。被害者を多く出す事件を起こし、そのうち2人も殺害したのにも関わらず、14歳であるという理由で刑務所にも入っていませんし、裁判にすることもできませんでした。
子供だったとはいえ、2人殺害した犯人が野放しになることは世間一般的には怖いですし、もし大人であれば確実に有罪で、刑務所生活かほとんどは死刑になっていたことでしょう。
大人となった今現在、更生されていれば良いのですが、犯人の気持ちは誰にも理解できないので永遠に闇の中です。
異常な公式サイトの内容
元少年A酒鬼薔薇聖斗が、今現在も全然更生していない・反省していないと言われた理由は「公式サイト」の開設でしょう。
2015年に元少年A酒鬼薔薇聖斗という名前を使って公式サイトを開設。その後は出版した「絶歌」の宣伝のような内容や自身が描いた絵を掲載し、さらには有料メルマガまで始めたというから驚きです。
今現在は凍結していますが当時はかなり話題になったので、その後有料メルマガなどである程度は稼いだのではないでしょうか。神戸連続児童殺傷事件をお金にして稼いでいるようなものなので、被害者遺族のことを考えると心が痛みます。
週刊誌記者に見せた凶暴性
週刊誌が、元少年A酒鬼薔薇聖斗の今現在の居場所を特定し、家の前で神戸連続児童殺傷事件のことについて声をかけたのことです。
元少年A酒鬼薔薇聖斗は、しつこい週刊誌に怒り「命がけで来てるのか?」と言います。その後、週刊誌を1キロ近く追いかけてきたという話があったことから、当時と変わっていない異常性・凶暴性だと言われました。
ちなみにその時の走っている姿は、週刊誌に激写されています。
都内で頻発した動物虐殺事件との関係は?
最近、都内で謎の動物虐殺事件が頻発していたようです。元少年A酒鬼薔薇聖斗は、神戸連続児童殺傷事件を起こす前に、猫やカエルなどの小動物を虐殺して家の庭に埋めていたそうで、近所の人に当時注意されたこともありました。一般的に小動物を虐殺する犯人は、殺人も犯す傾向があるとされています。
都内で動物虐殺事件が頻発した時期に、元少年A酒鬼薔薇聖斗が都内に住んでいたということが週刊誌によってわかったので、なにか関係あるのでは?という噂がたちましたが、今だ真相は分かりません。
動物虐殺は、法律的には動物保護法に引っかかる行為ですが、動物虐待から始まり殺人を犯すパターンも多いことから、動物虐殺事件が頻発している地域では警戒しなければいけません。
元少年A酒鬼薔薇聖斗も殺人を犯す前、近所の動物を虐殺をしていましたが、それをもっと身近な人が早い段階で気付き、良くないことだと理解できていれば神戸連続児童殺傷事件も防げたかも知れません。
元少年A酒鬼薔薇聖斗の現在は闇の中
元少年A酒鬼薔薇聖斗の今現在の居場所や顔、本名、生い立ちなどをまとめてみましたがいかがでしたか?
今現在の居場所や名前を特定するということは、なかなか難しいものです。なぜなら、もし週刊誌にばれたり噂がたったりすると、元少年A酒鬼薔薇聖斗は姿を消してしまうからです。
居場所や名前は、知りたいようで知りたくないというような気持ちにもなりますよね。顔を知って、もし近所や職場にいたことをその顔がいることを知ったらゾッとします…。きちんと更生していて、今現在は社会性のある大人になっていることを祈るばかりです。