元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親がおかしい!両親や家族の居場所やその後

酒鬼薔薇聖斗が犯した神戸連続児童殺傷事件をご存知でしょうか。あんな残酷な事件を犯したのは生い立ちに原因があり、彼の両親、特に母親がおかしいからだと言われています。そのおかしいと言われた母親の言動と、酒鬼薔薇聖斗ら家族の居場所やその後について調べてみました。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親がおかしい!両親や家族の居場所やその後のイメージ

目次

  1. 1元少年A酒鬼薔薇聖斗が犯した事件とは?
  2. 2元少年A酒鬼薔薇聖斗の生い立ち
  3. 3元少年A酒鬼薔薇聖斗の家族
  4. 4元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親もおかしい人なのか?
  5. 5逮捕後の元少年Aと家族
  6. 6釈放後の元少年Aの行動
  7. 7元少年A酒鬼薔薇聖斗の家族のその後
  8. 8元少年Aの末路

元少年A酒鬼薔薇聖斗が犯した事件とは?

少年犯罪史上最も残忍な事件の一つ、神戸連続児童殺傷事件、別名、酒鬼薔薇聖斗事件。犯人からの声明文と挑戦状には、自らの名を酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗っていたことから、酒鬼薔薇聖斗事件とも呼ばれるようになりました。

それでは、神戸連続児童殺傷事件の詳細を簡単に説明します。

1997年神戸連続児童殺傷事件

『さあゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ。ボクは殺しが愉快でたまらない。人の死が見たくて見たくてしょうがない。汚い野菜共には死の制裁を積年の大怨に流血の裁きを。SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇』(声明文)

1997年、神戸連続児童殺傷事件。兵庫県神戸市須磨区にて数ヶ月にわたり、死亡者2名、重軽傷3名の小学生が殺傷された事件です。

中でも当時小学5年生の少年の首を切り落とし、酒鬼薔薇聖斗が通っていた中学校の正門前に声明文と共に置くという猟奇的な犯行でした。

地元新聞社には、犯人から警察に対する挑戦状が郵送されました。神戸連続児童殺傷事件は、あまりに残虐かつ無慈悲な事件だったのでメディアもこぞって犯人探しを始めました。

当時14歳の犯人に日本中が震撼

神戸連続児童殺傷事件の犯人は「中年のがっちり体型の男」「高い教育を受けた人間」などとメディアは報じてましたが、捕まったのは若干14歳の中学生でした。

その残虐性から、神戸連続児童殺傷事件の犯人が未成年であると誰も予想すらしなかったのではないでしょうか。

動物虐待行為を行っていた情報や、被害者男児と顔見知りである点などから、警察は比較的早期に犯人を割り出していたようですが、対象者が中学生のため極めて慎重に捜査は進められたそうです。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の生い立ち

14歳の中学生が、どうして神戸連続児童殺傷事件というあんな残虐な事件を犯す犯人になってしまったのか。両親や生い立ちに原因があるのではないか。その答えは幼少期に隠されているかもしれません。まず、その生い立ちを調べてみました。

3人兄弟の長男として誕生

1983年、第一子の長男としてこの世に生まれます。父母共に健在の中流家庭。普通の生い立ちです。父親は仕事で2~3週間家を空けることが多く、それを母親が代わりに埋めていたようです。

後に弟が2人生まれますが、長男ということから一番厳しい躾を受けて育ちます。

弟がいたため母親の愛情少なく育つ

翌年、年子として弟が誕生します。両親の愛情は次男へと注がれ、長男である彼を突き放すようにして育てました。生後10か月で断乳が強行され、次男に授乳していると良く泣いていたそうです。自分の居場所が一つ、なくなった瞬間でした。

母親の愛情を受けられたのが1年程度と短かったことが、その後の母親に対する憎悪につながったと言われています。彼も母親の愛を十分に受けていると感じていなかったようです。

母親の愛情が少ない分祖母に溺愛される

母親に甘えられない分、同居している祖母に甘えていました。彼の居場所は祖母の元にあったのかもしれません。祖母の言うことには反抗せず従い、祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがっていたそうです。

祖母が亡くなり異常な行動が現れはじめる

彼が小学校5年生のとき祖母が亡くなります。それは同時に、自分の安心できる場所がなくなった瞬間でした。

かわいがっていた犬も中学に入る頃に死んでいます。その後からナメクジを殺すようになり、蛙を解剖し、何十匹の猫を殺め、頭部を切断するようになりました。

彼自身、自分のブラックな人格を酒鬼薔薇聖斗と名付けていました。とするならば、祖母の死をきっかけに酒鬼薔薇聖斗が誕生したのかもしれません。彼は自分の生い立ちをどう思っていたでしょう。

「祖母が死亡したのをきっかけに、死とは何かについて強い関心を抱くようになった」と本人がその後に語ったそうですが、生い立ちを見ると、もっと早い段階で暴力に目覚めていたという見解も否定できません。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の家族

少年犯罪には、生い立ちや幼少期に育った環境、いわば家族やその両親に関係があるとされています。日本中が震撼した犯人、酒鬼薔薇聖斗の場合はどうだったのでしょうか。生い立ちの次は、彼をとりまく家族について調べてみました。

子煩悩だが仕事熱心過ぎた父親

父親が当時勤めていたのは神戸にある有名企業。2~3週間家を空けることもあり、休日出勤も珍しくない程多忙だったようですが、たまの休みにもゴルフに出かけることが多く、父子の関係は薄かったようです。

子煩悩であるという反面、息子たちが兄弟喧嘩をしていると時には激高し、長男である酒鬼薔薇聖斗だけを叱りつけたり、暴力を禁じながらも父親が息子を叩いたりと理不尽な躾もありました。

一方で、酒鬼薔薇聖斗が所持していたとされるナイフや斧を見つける事があっても、家の軒下から猫の死骸を見つける事があっても、父親は注意する事が無かったとされています。

いつも苛ついていた母親

父親の不在を埋めていたのは母親です。三男が生まれてから母親の躾はさらに厳しくなりました。酒鬼薔薇聖斗は物心ついた時から母親に甘えさせてはもらえませんでした。小学校入学前の門限は5時。その時刻を過ぎると、家に入れてもらえないこともありました。

母親はいつも苛ついていて、生い立ちや境遇からして相当体罰を加えていたとされています。一方で、世話好きで教育熱心。地元の子供会や皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けたそうです。

両親以上に元少年Aを愛した祖母


母親からの愛情不足を埋めていたのは祖母です。両親以上に酒鬼薔薇聖斗の世話を焼き、愛情を注ぎました。

祖母は「長男に厳しすぎる」、母親は「子どもの育児に口出しするな」という喧嘩をよくしました。母親に叱られている酒鬼薔薇聖斗をかばっていたのは、父親ではなく祖母でした。

殺人鬼となった兄を大事だと言う弟

犯人になった兄ですが、弟たちは大事に思っていると漏らしていました。今まで通りに接し、面会に訪れていた際にも兄を励ましていたようです。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の母親もおかしい人なのか?


酒鬼薔薇聖斗が犯した神戸連続児童殺傷事件。おかしい人間ではないと、このような非人道的な事件は生まれないとされています。では、母親も頭がおかしい人間なのでしょうか。父親は多忙で留守がちを言い訳に出来るかもしれません。それでは母親は?

息子がナイフを所持していても、生き物を殺していても、それを側にいた母親も見過ごしていたそうです。そういった生い立ちがこの事件の要因になったと思われています。

おかしいことをおかしいと気付くことができない母親ら両親。そんな両親に育てられたからこそ、自分がおかしい人格にあることに酒鬼薔薇聖斗は気付けなかったのかもしれません。その母親のおかしい言動をまとめてみました。

小学3年生の元少年Aをノイローゼにする

元少年A酒鬼薔薇聖斗は、幼稚園の年長の頃3回ほど自家中毒(精神的な影響により肉体に影響が出る状態)にかかっていますが、小学3年生の頃は軽いノイローゼと診断されています。

3年生になって間もない頃、しかられた彼が激しく泣き、意味のわからないことを口走ったので病院を受診。ノイローゼとの診断が下り、母親の叱り過ぎを指摘されたそうです。

彼が母親について書いた作文にも「やさしいときはあまりない」「しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、ふとんたたきをもって百たたきがでる」「ぼくもお母さんがいなかったらな」との言葉が並んでいます。

元少年Aが野良猫を撃つためのエアガンを購入

裏の菜園を荒らす野良猫を威嚇するため、母親はBB弾のピストルを買っています。理由は、この家族が飼っていた犬の餌を野良猫が食べたり、裏庭に入ってきて糞をして行くので、家の近所に住みついている野良猫が嫌いだから。

この頃から彼も、邪魔だという理由で猫の腹を蹴り上げて友人を驚かせています。猫の殺し方が残虐だったのは、単に死への興味だけでなく、家族が猫を憎んでいた事を身近で見ていた部分が深層心理にあると思われます。

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小動物を虐待する元少年Aへの忠告に逆切れ

事件発生前、あなたの息子が小動物殺しをしていると近所の住人が忠告しに行きます。ですが母親は聞く耳を持たず「うちの子はそんなことしない」と逆切れしたそうです。

事件当日被害者宅で留守番と称したまごっちで遊ぶ

被害者男児が祖父の家に行くと言ったきり行方不明となった事件当日。母親は留守番をやってあげると被害者家族の家にあがりこみ、当時流行っていた育成ゲーム「たまごっち」を3匹育てはじめたそうです。

「警察まだー?」と他人事で、ゲームをしながら息子の自慢話を始めました。たまりかねた親戚により、母親は追い出されたそうです。

通夜で列席した際にもおかしい行動は続きます。遺体が酷い状態だったため、被害者の母親はそれを直視することができませんでした。そんな彼女に酒鬼薔薇聖斗の母親は「難儀やな(困ったな)、顔ぐらい見たりいな」と声を掛けたそうです。

その後、自分の息子が犯人だと分かった後も、母親をはじめとする加害者家族から、被害者へ一言の謝罪もありませんでした。顔見知りだったにも関わらずです。

元少年A逮捕後は悔恨の手記を出版

被害者男児遺族との裁判が終わった翌月の1999年4月、酒鬼薔薇聖斗の両親は「少年A この子を生んで」という手記を出版しています。この手記は、息子との暮らしや事件前後の姿を両親が綴ったものです。

なぜ自分の子供が殺されねばならなかったのか、という遺族の疑問に答えるために手記を書いたという触れこみでしたが、出版前に酒鬼薔薇聖斗の両親から遺族への説明はありませんでした。

悔恨の手記の印税で他県に家を建てる

手記の印税は、全て被害者への方への償いとさせていただいた、と文庫版のあとがきに書かれているそうです。その額7000万円。その悔恨の手記の印税は、弟2人を進学させたいからとの理由で被害者には払わなかったと言われています。

実は、実際それも建前で、他県に豪邸を建てたというのが本当のところらしいのです。

被害者への億超えの賠償金を毎月2万ずつ払うと言う

医療少年院に送られたその後、殺害された2名の遺族は酒鬼薔薇聖斗と両親を相手に民事訴訟を起こしました。

1999年に女児の遺族とは示談が成立し、約8000万の示談金を支払うことになりました。男児の遺族との裁判では、1億4000万円の賠償を命じる判決が下されました。
 

裁判官が損害賠償を命じると「毎月2万円ずつ払います」とふざけた回答をして、母親はお叱りを受けています。裁判中もおかしい発言をして裁判官にたしなめられるというようなことがあったようです。

その後、1ヶ月に酒鬼薔薇聖斗から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道されています。

逮捕後の元少年Aと家族

神戸連続児童殺傷事件の犯人と判明し逮捕されたその後。彼にとっての居場所はどこにあったのでしょうか。彼自身も、その家族も大きく人生が変わっていきます。どんなやり取りがこの家族にあったのか、調べてみました。

面会に来た弟に謝罪

神戸連続児童殺傷事件をきっかけに兄が犯人となってしまった弟たち。自分の居場所が自宅だけになります。

警察の出入りは激しく、メディアは自宅に押し掛け、学校にも行けない、カーテンすら開けれない暗闇の日々が続きました。面会に来た弟たちに兄として謝罪をしています。

仮退院中に父親と二日間過ごす

仮退院中、初めて彼は父親に謝罪したそうです。実直で無骨な父親は今まで耐えていたのでしょう。その言葉を聞いた瞬間、父親は息子から目を逸らし、目頭を突き刺すように抑え、見ないでくれとでもいうように声を押し殺して泣き始めました。

父親が泣くところを見たのは、これが生まれて初めてだったようです。

優しく接する母親を罵倒

鑑別所に初めて面会に行った母親に「帰れ豚野郎!」と彼は罵り、恨みを持って睨みつけました。彼が母親に愛されていないと感じており、厳しい躾や暴力は虐待であり、それらが自己肯定を欠落させる原因になったことは明白です。

母親は優しく接したようです。面会のたびに泣き崩れていたようです。時すでに遅すぎました。もっと早くに息子の居場所を確保してあげていればと悔やまれます。

釈放後の元少年Aの行動

釈放後も元少年Aのおかしい行動が続きます。沈静化していた神戸連続児童殺傷事件も再加熱することとなります。順を追ってそのおかしい行動を説明いたします。

手記を出版


32歳となった元少年Aが手記「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を太田出版から刊行します。初版10万部。手記の出版に対し被害者の遺族は何も知らされておらず、出版中止と回収を求めいましたが結局増刷されています。

被害者の父親も手記「淳」を出版されていますが、その中で彼の手記についても触れています。それによると元少年Aから手紙が届き、手記「絶歌」の印税の一部の約1000万円を慰謝料として差し出したい、というものでした。

加害者両親の弁護士も、順番が逆だとインタビューに応えています。手記を出版する際に遺族に了解をとり、その後の印税をとなるのが筋でした。ご遺族は慰謝料の受け取りを拒否しています。

ホームページの開設

元少年Aは週刊文春宛てに、ホームページ開設の告知が記された手紙を出します。その手紙はA4用紙20枚、2万字以上。

手記「絶歌」の出版経緯を中心とした自己主張と、出版をサポートしていた見城への怨恨が大部分で、被害者遺族への謝罪や事件に対する反省の記述はありません。

ホームページ内も元少年Aの異常性が溢れていて、何一つ変わっていませんでした。1年後、ホームページは閉鎖されています。

有料メルマガ配信

HPと同じ年に、月額800円のメルマガ配信を開始しましたが、わずか3日後に凍結されました。これに対し配信元のFC2は「規約上の違反及び多数のユーザーに迷惑をかける行為」と説明しています。

元少年A酒鬼薔薇聖斗の家族のその後

社会復帰を果たしている元少年A酒鬼薔薇聖斗。名前を変え、整形をし、この日本のどこかで暮らしているのは間違いないです。その後、この家族はどうなったのでしょうか。家族それぞれの居場所についてしらべてみました。

父親と母親は協議離婚

30年以上勤務した職場を追われて居場所をなくした父親は、元少年Aの2人の弟の通学問題を考えて妻と協議離婚しています。

次男は大学卒業後アニメの学校に通う

母親に引き取られた弟たちは人目を避ける生活を強いられ、学校も転校し、母親の姓を名乗り、四国や和歌山を転々としたそうです。次男は工学部の大学に進学し、その後アニメの学校に行っています。

三男は高校を中退し働く

三男は高校を中退し、働いています。大学資金に回すといった手記の印税は、この家族の私腹を満たすために使われたとされています。

家族も元少年Aも現在の居場所は不明

元少年Aは結婚をして子供も産まれ家族で暮らしているそうです。顔は整形したようですが、面影があると言われています。母親は近くのアパートで祖母を引き取り介護をしているとの事です。父親や兄弟の消息、そのほか現在の居場所は不明です。

元少年Aは自身の結婚式の招待状を遺族に送ったとされています。今現在父親となり、自分の犯した罪の重さを知ったとも言っていますが、この行動はいかがなものでしょうか。

元少年Aの末路

元少年A酒鬼薔薇聖斗が犯した神戸連続児童殺傷事件は、少年犯罪の中でも極めて残酷な事件でした。彼の生い立ちや育った環境、彼をとりまく家族が彼の成長過程に支障をきたした部分もあるでしょう。

ですが、それは人殺しをしていい理由にはなりません。今もなお被害者家族は苦しんでいるのです。その想いを胸に、彼は一生かけて償いの人生を歩んでほしいです。生きる意味と、祖母の胸ではない自分の居場所を探し求めながら。

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