可愛かずみは恋人の野球選手川崎憲次郎と破局して自殺?死因の真相は?
アイドル歌手、女優として幅広い分野で活躍していた可愛かずみさん。残念ながら自殺により亡くなっている可愛かずみさんですが、今もたくさんのファンの心にその存在を色濃く残しています。今回はそんな可愛かずみさん自身や、気になる死因について詳しく紹介していきます。
目次
可愛かずみとは?
ポルノ映画「セーラー服色情飼育」に出演したことで注目を集め、シブがき隊主演の映画「ヘッドフォン・ララバイ」で話題になった可愛かずみさんという方をご存知でしょうか。
ドラマに映画、バラエティ番組など様々なジャンルで幅広く活躍し、明石家さんま、志村けんさんなど男性芸能人にもファンがたくさんいるほどの人気だった可愛かずみさんですが、1997年に元恋人だった川崎憲次郎さんの自宅マンションから飛び降り亡くなっています。
今回はそんな可愛かずみさんの詳細プロフィール、出演作品、亡くなった原因についてなど幅広くたっぷり紹介していきます。
可愛かずみのプロフィール
本名 | 久我知子 |
生年月日 | 1964年7月9日 |
現在の年齢(2018年現在) | 54歳 |
出身地 | 東京都杉並区高円寺 |
血液型 | A型 |
活動内容 | 女優・歌手・グラビアアイドル |
所属グループ | ソロ活動のためグループ所属はなし |
所属事務所 | マーカス |
「可愛かずみ」という名前は芸名で、本名は「久我知子」と言います。亡くなっていなければ2018年時点で54歳を迎えていました可愛かずみさん。可愛かずみさんには両親の他に、3歳年上のお姉さんが1人いらっしゃいます。
可愛かずみの幼少期
芸能界では人気の高かった可愛かずみさんですが、芸能界での経歴について見ていく前に、まずは可愛かずみさんがどんな幼少期を過ごしていたのかチェックしていきましょう。
幼少期に両親が離婚
可愛かずみさんは、幼少の頃に両親が離婚しています。1年間は母親と共に過ごしていた可愛かずみさんでしたが、後に父親に引き取られ、父親の元で生活をするようになりました。
仕事の関係で転勤を繰り替えしていた
仕事の関係で転校を繰り替えしていた可愛かずみさん。転校先でもすぐに馴染める性格ではあったものの、友達と別れるのが辛かったと公言しています。寄せ書きを見て涙を流すことや、父親に「もう転校はしたくない」と伝えたこともありました。
幼い頃は大人しい性格だった可愛かずみさんでしたが、成長するにつれて元気で活発な性格へと変わっていきました。中学の頃にはバレーボール部に所属、高校は都内の女子校に進学しています。
可愛かずみの経歴
幼少期に両親の離婚、頻繁な転校など辛い思いをした経験をしてきた可愛かずみさん。そんな可愛かずみさんが芸能人としてどのような経歴を辿ってきたのか、詳しく見ていきましょう。
高校在学中にスカウトされモデルクラブに登録
高校時代にはレストランでアルバイトをしていた可愛かずみさん。もともと芸能界に興味があったわけではなく、将来は美容師になるつもりでした。そんな時、高校在学中にスカウトされ、モデルクラブに登録することになりました。
1982年日活ロマンポルノ映画でデビュー
可愛かずみさんに最初に舞い込んできたのが日活宣伝用ポスターの仕事でした。しかし、この宣伝用ポスターの仕事は脱がなければいけない仕事でした。脱ぐことを知らなかった可愛かずみさんはこの仕事を断ろうとしましたが、担当者が怒られている姿を見て同情してしまい、結局仕事を受けることになりました。
日活宣伝ポスターでの仕事が渡辺護監督の目に留まり、1982年には日活ロマンポルノ映画「セーラー服色情飼育」で映画デビューを果たします。この時、可愛かずみさんはグラビアアイドルとしての活動は快くは思っていませんでしたが、事務所から次の仕事のステップになると言われ出演を承諾しています。
1983年ポルノ女優脱却のため事務所を移動
日活ロマンポルノ映画「セーラー服色情飼育」に出演したこともあり、世間で「ポルノ女優」としてのイメージが強くなってしまった可愛かずみさん。可愛かずみさん本人もグラビアアイドルとしての活動は快く思っておらず、1983年に脱ぎ仕事から脱却するため事務所を移動することになりました。
1984年アイドル歌手としてもデビュー
可愛かずみさんは、所属事務所を移動した後、シングル「春感ムスメ」でアイドル歌手デビューを果たします。その後も「メディテーション」「天使のデザート」など次々に楽曲を発表してアイドル歌手としての地位を確立していきました。
そんな可愛かずみさんですが、レコーディングの際にスタッフからアイドルらしい可愛らしい声で歌うことを強要され、不快な思いをしたこともありました。
可愛かずみさんのアイドル歌手としての実力は、和田アキ子さんから「アイドルのとしての歌唱力は充分、本格的にレッスンを受けたらプロの歌手としてやっていける」との評価をもらうほど、アイドル歌手として高い実力を持っていました。
ドラマ・映画・バラエティと幅広く活躍
ポルノ女優転身し、アイドル歌手として活躍し始めた可愛かずみさんは、その後バラエティー番組や歌番組のアシスタントもこなし、タレントとしての地位を確立するようになりました。
1984年には深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」に出演し、ポルノ女優としてではなく女優としても名を轟かせるようになりました。1992年には女優としての実力が認められ、日活80周年記念作品「女猫〜美しき復讐者〜」で主演を果たしています。
1997年元恋人の自宅マンションから飛び降り自殺
アイドル歌手として、そして女優として人気絶頂の可愛かずみさんでしたが、1996年12月頃から何度も自殺未遂行為を繰り替えしていました。1997年5月9日午前中にも手首を切り3度目の自殺を図りましたが、結果的に病院に搬送され自殺に至ることはありませんでした。同日18時30頃、留守番の女性に「咳が出るから病院に行く」と言い残し外出してしまいます。
その後、19時10分頃に恋人であったものの破局してしまった、元プロ野球選手の川崎憲次郎の自宅マンションの7階から飛び降りた可愛かずみさん。19時14分頃にマンションの前に人が倒れていると通報されたものの、救急車が到着した時には既に心肺停止の状態。東京医科大学病院に搬送されましたがそのまま帰らぬ人となりました。
可愛かずみの主な出演作品
アイドル歌手として女優として、そしてタレントとして幅広いジャンルで活躍しながらも、残念ながら亡くなってしまった可愛かずみさん。そんな可愛かずみさんの生前の作品について、ドラマ・映画・ビデオシネマそれぞれ紹介していきます。
可愛かずみ出演のドラマ
可愛かずみさんは、事務所を移動してから積極的にドラマに出演するようになりました。可愛かずみさんが出演したドラマ作品について詳しく見ていきましょう。
「アナウンサーぷっつん物語」
可愛かずみさんは1987年にフジテレビで放送された「アナウンサーぷっつん物語」に出演しています。この「アナウンサーぷっつん物語」はフジテレビの21時枠の番組としては6年半振りとなる連続ドラマだっただけに話題になりました。
この「アナウンサーぷっつん物語」では本物のフジテレビが舞台になっており、フジテレビアナウンサーたちが本人役で数多く出演しています。可愛かずみさんは主人公である岸本加世子さん演じる西沢由美の後輩アナ、庄野祐子役で出演しています。
「パパは保母さん」
可愛かずみさんは、1955年4月から6月にかけて放送された「パパは保母さん」というドラマに出演しています。「パパは保母さん」はタレントのルー大柴さんが初主演の作品として話題を集めました。可愛かずみさんはしずか役として出演しています。
可愛かずみ出演の映画
ポルノ女優として「セーラー服色情飼育」という映画作品に出演していた可愛かずみさん。可愛かずみさんがポルノ女優として映画出演した作品は1本のみでしたが、本格女優となった後に、他にどんな映画作品に出演していたのでしょうか、細かく見ていきましょう。
「ヘッドフォン・ララバイ」
1983年に東映株式会社から制作された「ヘッドフォン・ララバイ」に出演しています。この作品は高校駅伝をテーマで、1981年に発売された「ヘッドフォン・ララバイ~公園通りの青春」という小説が原作になっています。
可愛かずみさんはこの作品で、主人公である風間黎と共にアパートで過ごしていた理奈役として出演しています。
可愛かずみ出演のビデオシネマ
ビデオシネマとは「ビデオ」と「シネマ(映画)」から成る造語で、レンタルビデオ等での貸し出し専用のビデオ作品を表しています。ドラマ、映画と可愛かずみさんの出演作品を追ってきたところで、最後に出演していたビデオシネマについて見ていきましょう。
「女猫~美しき復讐者~」
可愛かずみさんが出演した「女猫~美しき復讐者~」は1983年12月に公開された早乙女愛さんが主演したポルノ映画のリメイク作品です。可愛かずみさんは主演として、病院に勤務する外科医である浅川麻衣を演じています。
可愛かずみと川崎憲次郎はいつ付き合ってたの?
可愛かずみさんといえば、恋人の元プロ野球選手の川崎憲次郎さんのことを頭に思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。最終的に破局してしまった2人ですが、川崎憲次郎さんはどういった方なのか、どうして破局することになってしまったのかなど、可愛かずみさんと元プロ野球選手の川崎憲次郎さんの恋人関係について詳しく紹介していきます。
1995年に交際を宣言
可愛かずみさんは1995年に、当時ヤクルトスワローズに所属していたプロ野球選手である川崎憲次郎さんとの交際を発表しました。可愛かずみさんと元プロ野球選手の川崎憲次郎さんとの恋人としての交際は順調で結婚間近とも言われていました。
元プロ野球選手・川崎憲次郎とは?
本名 | 川崎憲次郎 |
生年月日 | 1971年1月8日 |
現在の年齢(2018年現在) | 47歳 |
出身地 | 大分県佐伯市 |
血液型 | O型 |
所属球団 | 選手歴 1989~2000年 ヤクルトスワローズ 2001~2004年 中日ドラゴンズ コーチ歴 2013~2014年 千葉ロッテマリーンズ 2018年~ 香川オリーブガイナーズ |
川崎憲次郎さんは元プロ野球選手の投手として活躍していました。1988年にドラフト1位でプリ野球選手入りを、1989年5月には初出場を果たしています。
川崎憲次郎は可愛かずみのファンだった
1995年に熱愛が発覚した元プロ野球選手の川崎憲次郎さんですが、恋人関係になる前からの熱狂的な可愛かずみさんのファンだったことを公言しています。可愛かずみさんと元プロ野球選手の川崎憲次郎さんは6歳の年齢差がありましたが、恋人関係は順調と言われていました。
結婚間近のはずが破局
恋人として順調に関係を深めていった元プロ野球選手の川崎憲次郎さんと可愛かずみさん。結婚間近だと言われていた恋人2人でしたが、川崎憲次郎さんが「怪我の治療に専念したい」という理由から破局してしまいます。可愛かずみさんとの破局後、川崎憲次郎さんは別の女性と結婚しています。
可愛かずみは明石家さんまとも付き合ってた?
柳葉敏郎さん、志村けんさん、田代まさしさんなど数々の男性芸能人のファンがいた可愛かずみさん。そんな可愛かずみさんですが、過去に明石家さんまさんの恋人だったのではないかという噂がありました。可愛かずみさんと明石家さんまさんの恋人関係について詳しく追っていきましょう。
可愛かずみとさんまの噂
可愛かずみさんの恋人といえば元プロ野球選手の川崎憲次郎さんという印象が強いですが、実は可愛かずみさんの恋人なのではないかと噂されていた明石家さんまさん。実際に恋人だったことへの証拠はなく、真相は謎のままですが、過去に明石家さんまさんは可愛かずみさんのファンであったことを公言していたのは事実です。
可愛かずみの死因の真相は?
1997年に遺書を残した後に破局してしまった元プロ野球選手の川崎憲次郎さんの自宅マンションから飛び降りなくなった可愛かずみさんですが、死因は未だによく分かっていません。
しかし、その時の状況や遺書の内容からいくつか死因として考察されているものが存在します。ここからは、そんな可愛かずみさんの死因の真相について、そして可愛かずみさんが残した遺書について紹介していきます。
川崎憲次郎との破局で精神不安定になった?
可愛いかずみさんの死因の1つとしてあげられているのが元プロ野球選手の川崎憲次郎との破局です。可愛かずみさんは、元プロ野球選手の川崎憲次郎と交際していた時は精神的に落ち着いていたようですが、川崎憲次郎さんとの交際に至る前の時期から、仕事に対してかなりストレスを抱えており、精神的に不安定になっていました。
一時期は落ち着いていた可愛かずみさんでしたが、元プロ野球選手の川崎憲次郎さんとの破局で精神的な不安定がより大きくなってしまったのではないかと言われています。
写真週刊誌に撮られた志村けんとのツーショットが原因?
可愛かずみさんの死因としてあげられている2つ目が、写真週刊誌に志村けんさんとのツーショットを撮られたことです。
可愛かずみさんは「志村けんのだいじょぶだぁ」という番組に出演して以来志村けんさんと仲が良く、可愛かずみさんが当時仲が良かった川上麻衣子さんを含めた3人で、バラエティ番組の名コンビとも呼ばれていました。しかし、志村けんさんとのツーショット写真が死因に関係しているかは分かっていません。
大物女優から罵倒されたことで落ち込んでた?
大物女優から罵倒され落ち込んでいたことが死因なのではないかと言われています。
可愛かずみさんと仲が良かった川上麻衣子さん曰く、可愛かずみさんは1991年に出演したドラマで何度もNGを出したことがトラウマになり、精神不安定な状態に陥っていたそうです。また、そのドラマで大物女優に罵倒されたこともあったそう。真面目な性格である可愛かずみさんを追い込んでしまったのではと推測がされています。
可愛かずみは薬物依存症だった?
可愛かずみさんは薬物依存だったのではないかと言われており、それが死因の1つとして考察されています。ドラマでNGを連発したことがトラウマになり精神不安定な状態になっていた可愛かずみさん。そんな可愛かずみさんが服用していたのが抗うつ剤や精神安定剤でした。
可愛かずみさんと同じマンションで、隣の部屋に住んでいたこともあった川上麻衣子さんでしたが、徐々に状態が変わっていく可愛かずみさんの姿を見ていられず、最終的に引越しをしてしまったそうです。
可愛かずみは遺書を残していた?
実は亡くなる前に、可愛かずみさんは遺書を残していました。2014年に放送された「爆報THEフライデー」に可愛かずみさんの父親が出演し、可愛かずみさんの遺書を紹介しています。
可愛かずみさんの遺書には可愛かずみさんの父親に向けてのメッセージと、仲が良かった川上麻衣子さんに向けたメッセージが残されていました。番組に出演し、遺書の内容を知った川上麻衣子さんは号泣していました。
当時、可愛かずみさんは元婚約者であった川崎憲次郎に未練があったのではと推測されていましたが、遺書には川崎憲次郎さんについて何も触れられておらず、具体的な死因は未だ分からぬままの状態です。
可愛かずみには婚約者がいたってホント?
遺書には可愛かずみさんの父親に向けてと川上麻衣子さんに向けてのメッセージしかありませんでしたが、実は亡くなった時、可愛かずみさんには婚約者がいたと言われています。ここからは婚約者有無の真相と、婚約者の存在が可愛かずみさんの死因と何か関係があるのか紹介していきます。
所属していた事務所の社長が婚約者?
可愛かずみさんは、亡くなった翌日の5月10日に婚約予定だったことが分かっています。可愛かずみさんの婚約相手は所属事務所の社長ではないかではないかと噂されていた時もありましたが、実際に婚約予定だったのは自動車の販売会社を運営する実業家でした。
自殺の本当の原因は婚約者のクレーム?
自動車会社を経営する実業家と婚約する予定だった可愛かずみさん。しかし、婚約者の存在については遺書にひとことも書かれていませんでした。遺書に何も書かれていなかったことから、可愛かずみさんと婚約者の仲はあまりよくなかったのではないかと言われています。
また、遺書に何も書かれていなかったほどの関係であることを裏付けるかのように、可愛かずみさんと親しい関係者からは「かずみさんが何かひとつ決めるのにも、クレームを付けられて悩んでいた」という証言も出ています。しかし、婚約者との関係が可愛かずみさんの死因と直接的に関係があるかはわかっていません。
芸能界の波に翻弄されてしまった可愛かずみ
傷つきやすく、繊細な心をもっていた可愛かずみさん。不本意で出演したポルノドラマがきっかけでポルノ女優としてのレッテルを貼られたのち、人気女優として駆け上がったと思えば恋人と破局、仕事では度重なるNGのストレスで精神的に不安定になってしまった可愛かずみさんは、まさしく芸能界に翻弄され続けたとも言えるでしょう。
遺書を残した後にマンションから飛び降りなくなった可愛かずみさんですが、現在でも多くのファンの心に色濃く存在を残し続けています。32歳という若さで亡くなった可愛かずみさんのご冥福をお祈りいたします。