信じる者は救われるの聖書での意味は?恋愛でも同じことが当てはまるのか
たとえキリスト教を深く知らなくても信じる者は救われるという言葉は聞いたことがあるでしょう。しかしこの言葉にどんな意味があるのか実際知らない人も多くいることでしょう。ただの迷信と思って信じない人も、しっかりと理解すれば日常生活や恋愛において役に立つ考え方が身につくかもしれません。ただあまり深刻に考えず、前向きに物事を捉える第一歩として「信じる者は救われる」という言葉の意味を考えていきましょう。
目次
信じる者は救われるはキリスト教の言葉から?
「信じる者は救われる」ときくと、その言葉の曖昧さから、迷信かなにかと勘違いする人もいるでしょう。しかし実際は沢山の意味合いが含まれた特別な言葉です。
「信じる者は救われる」。この言葉は聖書の文中と深く関りがあります。聖書とはキリスト教の聖典で、40人の著者が貢献し、約1500年に渡って書かれました。今でも沢山の人々に読まれている文書です。
街中でも聖書のサンプルを配る人が「信じる者は救われる」と書いた看板を持ち、布教活動をしているのを見かけます。「信じる者は救われる」という言葉はキリスト教を信仰している人たちにとって重要なフレーズなのです。
聖書に同一の言葉は載っていない
上記で聖書と深く関りがあると書きましたが、実際聖書のどこを見ても「信じる者は救われる」という言葉は書かれていません。一番近い表現とされているのは「マルコによる福音書」の中のモーセの言葉というところです。そこには「心で神がイエスを死者の中から復活されられたと信じるなら、あなたは救われるからです。」と書かれています。ここから「信じる者は救われる」という言葉は派生されたといえます。
また、聖書のなかにはこの他以外にも度々信じるということをイエスが説いている場面があります。そのことからキリスト教において信じるということはとても重要であることが分かります。
信じる対象は神様?イエス・キリスト?
では実際何を信じれば救われるというのでしょうか。新約聖書「使徒の働き」16章に「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」とあります。パウロというキリスト教の教徒が看守に言った言葉とされています。ここではイエスキリストを信じれば救われるとされているのです。
信じない者はどうなるの?
聖書では、人々がイエスが復活したことを話していたのに、イエスの弟子たちがそれを信じなかったことをイエス自身が咎めている場面があります。弟子たちは自分で見ていないものは信じなかったのです。イエスはそれを頑固で不信仰だと言っています。
また、聖書の中ではイエスがこう言ったと記されている箇所があります。
「全世界にいって、すべて造られたものに福音を宣(の)べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
これは何とも物騒な言葉に感じますが、信じないということはそれほど罪深いこととされているのです。
信じないということは人をかたくなにさせ、意固地にしてしまいます。聖書も人々が信じて言い伝えて残していたからこそ、今でも文書として形に残っています。そもそも人々が信じていなかったら聖書の中に書いてあることもただの迷信で、キリスト教もこれほどまで人々に信仰されていなかったかもしれません。
「信じる者は救われる」の意味とは?
「信じる者は救われる」という言葉は、良い意味にも悪い意味にも捉えることが出来ます。キリスト教を深く信仰する人にとってこの言葉はこの上ない心の拠り所です。
また、キリスト教を信仰しない人にとっても、気分や心の在り方を変える一つのきっかけになり得る言葉です。例え信じていたものが迷信だったとしてもそれで前向きになれるなら良いことだといえます。自分にとって前向きに感じる意味を是非考えていきましょう。
何を(誰を)信じるのか?誰が言ったのか?
聖書の中では誰も「信じる者は救われる」とそのまま言った人はいません。語り継がれていく中で、キリスト教を信仰している人たちが布教するため分かりやすく言葉を変え「信じる者は救われる」と伝えていったのでしょう。
キリスト教においては信じる対象は全知全能の神様、もしくは主イエスキリストです。圧倒的に力のある神様を信じることは、まだ科学や医学が発達していなかった時代、色々な迷信や感染病などの日々の不安を取り除く大きな支えとなったことでしょう。その中で「信じる者は救われる」というキャッチーな言葉が広まっていったのでしょう。
キリスト教を深く知らない人たちにとっては神様やイエスキリストをすぐ信じることは難しいですが、自分が見ていないものでも信じる、他人が教えてくれたことを素直に聞くということは、日常生活や恋愛においても簡単に取り入れることが出来ます。
言葉の受け手によって解釈が違う
「信じる者は救われる」という言葉の意味は、その多分な余白から様々な意味に捉えることが出来ます。勿論キリスト教を信仰する人と仏教を信仰する人とでは解釈の仕方が随分と変わってくるでしょう。また、それまでの人生経験、ないしは恋愛経験でも大きく左右されます。「信じる者は救われる」という言葉において、何が正解かということは無く、それぞれ一人一人が納得の出来る意味を考えることが大切です。
そして、信じる対象も自分に合ったもので構いません。それが恋人でも自分でも迷信でも、自分の中で腑に落ちるものが見つかれば、より良い心持ちで日常生活を送れることでしょう。
仏教を信じる者は救われる?
仏教においては、何かをすることで自分が得をしたり何かを得ようと思うことはしません。全ての行動は人の為に、奉仕の気持ちで行うことが大切なのです。ですので救われるために信仰するということはありません。
「信じる者は救われる」という言葉は仏教の上では成り立たないといえるでしょう。それでも仏教を信じる者は救われない、ということになるわけではありません。
仏教は、世界ではキリスト教、イスラム教、ヒンズー教の次に信仰する人口が多い宗教です。また日本では最もポピュラーな宗教と言ってよいでしょう。では、仏教を信仰する人たちは何を心の支えに日々修行をしたり、生活しているのでしょうか。
キリスト教の神と仏教の仏
キリスト教においての神は、全知全能の創造主です。大地、生き物、勿論人間も神が作ったとされています。このように聞くと神様は遠い存在に思えることでしょう。まさしくキリスト教は私たち人間と神様を切り離した存在と考えます。
一方、仏教においての仏とは、この世界で生きる上での様々な迷いから覚め、悟りを開いた人間とされています。仏教では私たち人間誰もが仏になれると考えます。
実際仏教ではブッタは元々一つの国の王子として生まれましたが、この世の汚れや死ぬことに対しての恐怖に悩み、修行を重ねた果てに仏になったとされています。
仏教では誰かが救ってくれるのではない
仏教では救ってくれるから信仰するという考えはありません。そして信じないからといって誰かに何かされるということも「信じる者は救われる」ということもありません。しかし仏教では全ての事柄は原因と結果の縁から成り立つとされています。四字熟語の「因果応報」という言葉は仏教から生まれた言葉です。
良いことをすれば良いことで返ってきて、悪いことは悪いこととして自分の身に返ってくる。そのような経験は誰もが感じたことがあることでしょう。原因と結果はつながっているものと考えるので、「信じる者は救われる」というより、「信じている者は救われている」といったほうが仏教らしいでしょう。
信じる者は救われるを恋愛に当てはめると?
誰かを好きになると理由もなく不安になったり、落ち込んだりすることは沢山あります。そんなとき、「信じる者は救われる」という言葉を思い出してみましょう。他人は何を考えているのか本当の意味で知ることは出来ませんが、恋愛をしているとどうしても相手のことをなんでも知りたくなってしまうものです。
また恋愛の迷信やジンクスを信じて一喜一憂したり、不安を取り除こうとした経験は誰もあるはずでしょう。
今までは宗教においての解釈をご紹介しましたが、恋愛においても「信じる者は救われる」という言葉は生かされるのでしょうか。
本当に信じるものは救われるのか?
実際、恋愛経験の中で好きな人の言葉を信じ、後に裏切られたという経験を持つ人もいるでしょう。そういった人たちは中々また誰かを信じるというのは難しいです。「信じる者は救われる」という言葉は単なる迷信に思うかもしれません。信じるというのは、同時に大きなリスクを背負うことにもなります。
しかし、恋愛をしている最中、悩まなくてもよいことで悩んだり、後々思い返してみればどうしてあんなに辛かったんだろう、と思うことはありませんか。恋愛をしているとき特有のそのような邪念は、相手を信じることで逃れることが出来ます。そういった意味では、恋愛においても信じる者は救われると言ってよいでしょう。
好きな人を「信じる」ということ
一言に人を信じるといっても、今まで人を信じない、信じられない生き方をしてきた人にとっては恋愛においても大きなハードルに感じることでしょう。最初から相手を頭のてっぺんからつま先まで信じようというのは困難です。
相手を信じるということは、相手の人格を認めて受け入れることにもつながります。まずは相手の好きなところを心の底から大事にしてみましょう。そして沢山のコミュニケーションを通して、様々な一面を観察してみましょう。その時間が二人にとっての自信になります。それは根拠のない迷信などではなく、確実な信頼関係となって二人を繋いでくれるのです。
信じる者は救われるを仕事に当てはめると?
「信じる者は救われる」という言葉は全ての人間関係に大きな意味をもたらします。それは職場においても例外ではありません。
どんな仕事をしている人でも共に仕事をこなす仲間がいることでしょう。そんな同僚たちと信頼関係を築くことは、仕事をスムーズに行う上で欠かせない条件です。しかし、中々上手くいかず苦い思いをする人たちもいます。「信じる者は救われる」という言葉を上手に生かすことが大事です。
また、自分の能力を信じるということも、責任を持って仕事をこなすためには重要です。自分を信じている人は力に溢れ、言葉にも説得力が帯びていきます。そのような態度は更に仕事でのチャンスを生むでしょう。
信じる者は救われるは引き寄せの法則に似ている?
人は意識しているものしか不思議と視界に入ってこなくなる生き物です。ポジティブな思考の人は自然とポジティブな事柄に目が行き、次第に物事がポジティブな方向に転がります。ネガティブな思考の人は残念ながらネガティブな事柄に目が行きがちで、物事もネガティブな歩行に転がっていきます。つまり、成功するイメージがある人は成功しやすく、失敗するイメージがある人は失敗しやすいのです。これを引き寄せの法則といいます。
では、これを「信じることは救われる」ことに置き換えて考えてみましょう。自分を信じて仕事を進めていく人は、信じない人よりも成功しやすいのです。そして、仕事仲間を信じている人は、信じない人よりもより深く信頼関係が得られ、仕事の成功につながります。
プラシーボ効果?認知バイアス?
人は思い込むことで大きな力を発揮することがあります。例え処方された薬が偽薬でも、患者がそれをよく効く薬だと信じて飲めば、病気も治ることがあります。これをプラシーボ効果といいます。これも「信じる者は救われる」の効果です。学術的に根拠のない迷信でも信じている人がいれば、その人にとっては真実なのです。
また、人は直感や先入観で正しく物事を選択できない時があります。身内や友人をひいきしてしまうことはありませんか。それは認知バイアスという効果です。自分の利害や希望に沿った方向に考えが寄っていくのはよくある現象です。
また迷信やジンクスを自分で作って信じることで心をリラックスさせる人もいます。スポーツ選手などの勝負師はよく行っていることです。
このように信じることで事実すらも変えることがあります。仕事においては盲目にならず、健全に自分や仕事仲間を信じることが重要です。偏った考えは時に間違いを生むことがあります。
信じる者は救われるの類似ことわざ・類語集
「信じる者は救われる」という言葉は聖書から派生した言葉ですが、類似した言葉は他にもあらゆる場面で沢山使われています。迷信やことわざ、偉人の格言など、それは多岐にわたります。それだけ人にとって何かを信じる、信じないということは昔から重要だったといえるでしょう。
七度尋ねて人を疑え
これはもし物がなくなったりしても、すぐに人を疑うことはするな、という意味のことわざです。人を信じないですぐ犯人探しするのは良くないですね。もし何かなくしても、まずは自分が失くしていないか、しっかり探すことから始めましょう。
信あれば徳あり
信じる心があれば、あらゆる疑いの心が晴れて清々しい気持ちになる、ということわざです。華厳経というお経の中では「仏と法を信じることは、仏道の基本であり、良い徳性生む母親になる」とされています。このお経が元になっているとされています。
If you can dream it,you can do it.(夢を見ることが出来れば、それは実現できる)
これはアニメーター、ウォルトディズニーによる格言です。夢を信じることはそれを実現する第一歩といえるでしょう。信じない人は夢すら見ることは出来ません。
人を信じて行動することが自身や全体の幸福に繋がる
「信じる者は救われる」という言葉は聖書から派生した言葉ですが、なにもキリスト教を信仰する人の物だけではありません。この世界でたった一人で生きている人は誰もいません。常に誰かと関わりあって生活しています。関わり合う人たちを信じないようにしたり、信じられなかったりすると、人間関係が悪化したり自分自身の精神もすり減ることでしょう。
誰か、または何かを手放しに信じることは、それを避けてきた人にとっては恐怖を感じることです。それでも自分を救ってあげる為に、変えていける範囲から信じてみましょう。「信じる者は救われる」とうのは決して迷信ではありません。やがて開放的な気分になり、物事も前向きに進んでいくでしょう。