平安時代の美人女性の顔の特徴!平安美女の基準とは?
平安時代の美人女性とは、どんな特徴があるのでしょうか?平安時代の美女の特徴を見ていきます。今と比べてどこが違うのでしょうか?顔の特徴や恋愛事情を解説していきますので、平安時代の美人女性たちから学べることがたくさんあると思います。ぜひ参考にしてください。
目次
平安時代の美人は現代の美人と全く違う!
美人の基準は、時代と共に移り変わっていきます。当然、今と平安時代では美人の基準も随分違います。その時代に美女とされていた女性の特徴を知るには、やはり時代背景を知る必要があります。
平安時代の美人とされる女性の記録は身分の高い女性のみ
平安時代に美人と言われた女性の記録をたどってみると、庶民の物は残されておらず、ほとんどが貴族などの身分の高い女性だと言われています。
「今昔物語」「栄花物語」などの書物にさまざまな女性が記録されており、それらに描かれている女性から、美人と言われていた女性の特徴を見ることができます。
平安時代の身分が高い美女たちは、嫁ぐために高い教育を受けており、外見もそうですが知性の面でも磨かれていたと考えられます。
平安時代とはどんな時代?
平安時代とは、どんな時代でしょうか?平安時代の時代背景を少しおさらいしてみましょう。どんな時代だったか知ることで、美人の特徴も見えてきます。
「和歌が詠める」ことが大事だった
平安時代は、794年から1185年の360年間を示しており、貴族が権力を持った戦のない時代としても知られています。男女問わず「和歌を詠めること」が大事で、プロポーズの際には和歌を何度も送りあって気持ちを確かめあったと言います。
和歌が読めないと、知性がないとみなされ出会いもなかったそうです。そのため貴族は家庭教師を雇い、子供たちに知性を身に付けるように教育しました。
平安時代の平安美女の基準とは?
平安時代は、女性と対面で話すことはなくシルエットのみで確認されていたと言います。平安時代に美人とさいれていた女性には、どんな特徴があるのでしょうか?平安時代に美女と言われていた女性の特徴を見ていきましょう。
きめこまかい色白の肌
平安時代に美人と言われていた女性は、色白できめこまかい肌をしていたそうです。思わず触れたくなるようなきめこまかい肌質は、内から透明感を放ち男性陣を虜にしました。
ぽっちゃりふくよかな体型
平安時代に書かれていた書物に出てくる女性は、大体ふくよかで女性らしいぽっちゃりした体型が多いです。そのため、痩せた女性よりふくよかな女性が美人の特徴であったと考えられます。
平安時代は、今と比べると食べる物がたくさんあった時代ではありません。そのため、ふっくらした体型をしていると幸福感を感じられ、元気な子供を生んでくれそうと男性に思わせたようです。
長く黒い艶のあるきれいな髪
平安時代の絵画などを見てみると、美女は美しい黒髪で、長いヘアスタイルの女性が多いのが特徴的です。艶のある黒髪は月明かりに照らされると、独特の色気を放ち男性陣を虜にしたようです。
黒髪に反射するような白い肌が、普段見せない艶めかしい色気を演出し、女性ならではの美しさが浮き彫りになり、男性を魅了していました。
和歌を詠める教養
平安時代は、外見の美しさだけでなく、和歌を詠めるかどうかが美女の条件の1つだったと言います。容姿に関しては夜這いの際以外、直接見せることがなかったため、教養があるかどうかが重要でした。
もちろん教養の中には、字が書けることや楽器が弾けることも含まれていました。特に女性は琴を上手に弾けると美女とされ、男性陣を虜にしたと言います。
男性は笛を吹ける人が教養の持ち主とされており、楽器が演奏できる男女が集まると演奏を優雅に楽しんだそうです。
平安時代の美人女性の顔の特徴
平安時代の美人の条件を見てきました。ここからは、平安時代に美人といわれた女性の顔の特徴を見ていきましょう。どんな顔の女性が美女とされていたのでしょうか?
小さめのおちょぼ口
平安時代は、小さな声で和歌を詠むのが通常でした。そのため口を大きく開けて笑うことはありませんし、控えめな女性が美人とされていた時代です。
平安時代の絵画などを見てみても、唇全体に紅を引いてる女性はおらず、唇の中央に少し紅をのせる程度でおしとやかで奥ゆかしい女性が美女とされていました。
唇もちいさめでおちょぼ口が好まれ、そのような口に見せるようにメイクを施していたようです。
尖った小さな鼻
顔の中でも印象の強い鼻は、尖った小さめの鼻が美人の特徴でした。小さめでありながら、鼻先が尖っているのが特徴的で、女性ならではの気品を感じさせ平安時代の美女の条件とされていたようです。
しもぶくれの頬
平安時代に美女とされていた女性の特徴は、ふっくらとした顔です。特に頬の下の部分が膨らんだ「しもぶくれ」と言われる頬が平安時代の美女の条件で、経済的に豊かさを象徴していたようです。
現在からすればふくよかな顔は想像がつきませんが、平安時代は肉付きが良い方が、美女とされていたようです。
化粧は白粉(おしろい)
平安時代の美女はおしろい(白粉)を纏っていました。なぜなら、暗いところでも映えるようなメイクが好まれていたからです。おしろいと言われる極端に白く塗るのが美人の顔には欠かせませんでした。
当然現在のようにしっとりと保湿してくれる物はなかったので、時間が経つと乾いてきてひびが入ったり、剥がれてくる物しかありませんでした。
化粧が崩れても目立たないように、平安時代の美女たちは扇子や着物で顔を隠して、表情をあまり変えないようにしていたと言います。化粧道具が少ない中でも、自分をきれいに見せるために努力は欠かせませんでした。
引眉
平安時代の美人女性の特徴は、引眉と呼ばれるメイクを施していたことです。引眉とは、もともとあった眉を剃ったり抜いたりして無くして、元々の眉より少し上に横長の円の形をした眉を描くメイクのことです。
いわゆる「麻呂(マロ)」と呼ばれていたメイクで、平安時代の美女の顔には必ず引眉が施されているといいます。
細く小さな目
現在では、大きくぱっちりした目が美人の条件とされており、大きな目に見せるためメイクを頑張る女性が多いと思います。しかし平安時代は違います。西洋文化は恐ろしい物とされていた時代ですので、細く小さな目が日本人らしく美女の条件とされていました。
いわゆる典型的な日本人の顔が好まれていたのが平安時代です。江戸時代までは切れ長の細い小さな目が美人の条件でした。
平安時代の美人の条件は中身も重要視
平安時代の美人の条件は、顔や外見だけではなりません。中身も重要視されていました。対面で会話をすることがなかったため、シルエットでしか女性を判断することができませんでした。そのため和歌を詠める教養以外にも中身に注目されていました。
では、教養以外にどんな点から美女と判断されていたのでしょうか?
きれいな声
平安時代はすだれ越しに会話を楽しみ、そのシルエットしか見ることができませんでした。そのためきれいな声の女性は、美人と判断されていたようです。特に和歌を詠む声が美しいと、男性は魅了されたようです。
控えめな性格
平安時代の美人の条件には、控えめであることが絶対条件です。外見もそうですが、性格も控えめで奥ゆかしい女性が美人とされていました。自慢話などはせず、男性の言葉にも耳を傾け、あまり自己主張しない女性が美人の条件だったようです。
今でも控えめな女性は好かれる傾向にあるので、そのあたりは今も変わっていないと言えます。
平安時代の恋愛事情
平安時代の恋愛事情は、今と全く違うと言います。美女の条件を見てきましたので、ここからは男女の恋愛事情について見ていきましょう。
家柄が重要視されていた
平安時代は、互いの気持ちより家柄が重要視されていました。天皇家の血筋が入っていれば、男女ともモテていたようです。夜這いに誘っても、貴族等の高い役職に就いている者であれば成功率が高かったと言います。
女性においても、両親の地位が重要でした。両親が高い役職に就いていれば、方々から声がかかり、理想の男性に出会える確率が高かったようです。
有力者と結ばれるのが女性の幸せ
平安時代は男性社会だったので、貴族の間では若干自由恋愛もありました。ただ女性の幸せは、有力者と結ばれることで、それが女性に課せられた重要な任務だったと言えます。
そのために女性たちは教養を身に付け、両親は天皇の血筋を持つ男性と結ばれるように努力しました。
互いの顔は見ることができない
先ほどから何度か言っていますが、平安時代は互いの顔を見ることが出来ませんでした。そのため、家柄や内面が重要視されていた時代です。男性と話をする機会があっても常に簾越しで、気配やシルエットしか感じることができなかったと言います。
美人の条件にも声や性格が入っており、教養があるかが重要だったようです。教養、声、シルエットなどで判断するのは相当難しいことかと思います。
しかし外見以上に、内面をしっかり見ることで、長く愛することができたのかもしれません。
男性は気になる女性の情報を集めることからはじまる
平安時代は、女性の顔を直接見ることができなかったので、シルエットで判断し、気になる女性がいればその人の情報を集めたようです。その人の家柄はもちろん、教養が自分の好みかどうかが重要なポイントでした。
教養が自分の望む物であり、家柄も申し分ないとなれば、そこから始めて夜這いの準備を始めていきました。まずは情報を収集した後、今度は夜這いに誘う準備をするので、アプローチまでにはそれなりに時間がかかったと考えられます。
もちろん情報を集めた段階で、自分の望む教養の持ち主でなければ、そこで諦めることになります。
今も変わらず内面は結婚を決める上で重要
平安時代の恋愛事情を簡単に説明しましたが、いかがでしたか?平安時代は直接お互いの顔を見ることができず、外見ではなく家柄や教養などで判断されていたようです。
内面重視で相手を見ると、やはり二人の関係は継続しやすいと言えます。それは今の時代も変わっておらず、外見も大事ですが、結婚するにはやはり「性格が大事」という人が今も昔も多いようです。
有名な平安時代の美人女性
平安時代の有名な美女たちを見ていきましょう。歴史上美人とされていた女性には、どんな人がいたのでしょうか?有名な美女を3人紹介していきます。
小野小町
平安時代の美女と言えば、小野小町ではないでしょうか?最も古い歴史上の美女とも言われる小野小町ですが、世界三大美女の1人とも言われています。
平安時代の有名な歌人であり、百人一首でも彼女の詠んだ歌が残っています。六歌仙、三十六歌仙の1人として、才能を認められた女流歌人であり、今もなお語り継がれる平安の有名美女でもあります。
小野小町に関する絵画は残っているものの死後に描かれた物ばかりで、本当の姿は知られていません。深い教養を持っていたことは確かなので、そこから美女と言われていた可能性が高いです。年齢も分かっておらず、ミステリアスな部分が多いのも魅力の1つです。
紫式部
平安時代の有名な美女、2人目は紫式部です。紫式部は「源氏物語」を書いていますが、作品の中で一切自分のことに触れておらず、その作風からも奥ゆかしさと控えめな性格が伝わってきます。
また、権力者だった藤原道長に大事にされていたことからも、教養があり美人であったと言われているようです。教養に奥ゆかしい性格の持ち主とあれば、まさに平安時代の美人の条件をクリアしてると言えるでしょう。
清少納言
清少納言は、「枕草子」を世に送り出し、作品は貴族の間で深く愛されました。現在でも古文の授業で耳にすることも多いと思います。
清少納言は外見的には、童顔で可愛らしい顔だったと言われています。「枕草子」から読み取ると、黒髪のロングヘアではなかったようで、百人一首でも自分の顔を隠すように横向きで描かれていることが多いです。
だったら美人じゃないのでは?という意見も出るかもしれませんが、清少納言には教養がありました。深い教養があるから「枕草子」のような作品を作ることができたのです。教養があるのは美人の条件だったので、美女と言われていたと考えられます。
教養がある女性が美人とされていた!
平安時代の有名な美人女性を見てきました。小野小町、紫式部は実際に彼女たちを描いた絵などから、美人であることを確認できると思います。
清少納言においては、外見は紫式部の真逆だったと考えられますが、教養があったため美女と言われていたと考えられます。平安時代は、外見よりも中身を重視されることが多く、特に教養があるかないかが、美人の条件だったようです。
今とは全く違う部分ではありますが、自分磨きを頑張っていた女性が多くそれが結果に結びついていたようです。
平安時代の美人女性を見習おう!
美に対する概念は、時代と共に変わっていきます。平安時代と今では美人の条件も随分違うと思います。今ほど食べる物に恵まれていなかったので、ふくよかな女性が美人とされており、性格は奥ゆかしさを求められていました。
平安時代の女性たちは化粧道具が少ない中で、自分をきれいに見せるために努力し、外見だけでなく心の美しさを心がけていたようです。外見を磨くことも大事ですが、内面の美しさは自然と外見に反映されるものです。
平安時代の美女たちを見習って、内側磨きもしてみませんか?内面が美しくなれば、きっと外見にもそれが滲み出てくるようになるはずです。ぜひ平安時代の美女たちを参考にしてみてください。