2018年12月26日公開
2018年12月26日更新
口吸いの意味とは?江戸時代のキスやキスの歴史を解説
「口吸い」とは、何か知っていますか?この言葉は、日本で最古と呼ばれている「キス」の表現とされています。そんな口吸いについてを歴史にそって解説していきます。また、江戸時代の口吸いは、ほかの時代とは、一味違う口吸いの意味があるので、詳しく解説したいと思います!
目次
口吸いって何?
みなさんは、「口吸い」という言葉をご存じでしょうか?この「口吸い」とは、日本で確認されている中で、一番古い「キス」の表現なのです。読み方は「くちすい」と読みます。
今回は、そんな口吸いの意味とは何かや、口吸いの歴史についてなどを紹介します!
「口吸い」の意味とは?
先ほども言いましたが、「口吸い」とは、キス、接吻のことを言います。当時から「性行動の一種」として扱われています。
日本では、もう「キス」と言う表現が一番ポピュラーになっています。ですが、もともとキスとは英語なので、キスが浸透する前の表現と言うことになります。
口吸いとキスの違い
口吸いとは、キス、接吻の意味と紹介しましたが、口吸いとキスは、同じ意味のようですが少し違いがあるそうです。その口吸いとキス、接吻の違いについて、詳しく見ていきましょう。
口吸いと接吻の違いは?
まずキスは、みなさんがイメージする通り、唇が頬っぺたや、おでこ、目などの、いろいろな箇所に触れる行為をいいます。つまり、相手の唇以外に、触れても「キス」と言う表現をします。つまり、キスを日本語に訳した、「接吻」も同じです。
すこし余談ですが、キスという言葉が、日本にはいってきたのは、明治時代からと言われています。日本が開国をし、海外の色々な文化が日本に流れ込んできた時に、キスという言葉も入ってきたそうです。
そして、口吸いとは、口を吸うという漢字を使うだけあり、今で言う「ディープキス」のような行為なのです。
ディープキスは、ただのキスとは違い、相手の口を重ね、お互いの舌を絡め合う行為。愛し合う相手同士だけの甘美なもので、れっきとした性愛表現の一つでしょう。
なので、口吸いと接吻の違いは、接吻よりも濃厚な性愛表現と言えるでしょう。
キス・口吸いの歴史
キスという言葉は、明治時代に入ってきましたが、「キス・口吸い」の行為は、もっと古くからありました。
キスの行為は、エジプト考古学博物館に収蔵されている、古代エジプト第18王朝のアクエンアテン王が自身の娘に 「キス」をしているような石像が残っています。この石像は、約4000年前の石像と推定されており、この「キス」は、敬愛や、尊敬、従属などの表現なのではないかと言われています。
口吸いの行為は、古代よりあったと推測されているのですが、その発祥は残っていないそうです。それでは、日本の「キス・口吸い」の歴史は、いつからだったのでしょうか?詳しく見ていきましょう!
平安時代のキス・口吸い
日本での「キス・口吸い」が確認されているのは、平安時代初期の日記文学である『土佐日記』だそうです。
文献には、「ただ押鮎の口をのみぞ吸ふ。この吸ふ人々の口を押鮎もし思ふやうあらむや。」と書かれており。文献を翻訳すると「元旦の船の上で手元にある押鮎の口に、自らの唇を重ねている様子」だそうです。つまり、口と口を重ねる行為、キスのような行為があったようです。
さらに『今昔物語集』では、愛する女性へ口吸いをする行為が、しっかりと書かれており、平安時代にすでにキスや口吸いがあったようです。
室町時代のキス・口吸い
室町時代の口吸い・キスに関するものは、短編の物語の『御伽草子』があります。知っている方もいるかもしれませんが、『御伽草子』とは、有名な浦島太郎の話や、一寸法師などの話を土台にしている話が収録されている作品です。今で言う絵本のようなものです。
しかし、絵本のようなものと言いましたが、絵本のような子供らしさは一切なく、男女間の話がとても多く収録されています。
口吸い・キスを思わせる場面は、竜宮城と言ってる場所は、実は女性しかいない場所で、夜の伽をさせられていたという話があるそうです。このことから、女性が男性にカラダを売ることがあったことがわかります。
また、室町時代には、遊行女婦と呼ばれていた遊女たちがおり、カラダを売るだけではなく、芸などを披露し見世物をしている人たちもいたそうです。しかし、風紀が悪いという面から禁止され、のちの野郎歌舞伎と呼ばれる、男性だけの歌舞伎へと変化していったそうです。
戦国時代のキス・口吸い
戦国時代では、豊臣秀吉が息子に書き残したものに、口吸い・キスがあります。
戦国時代に名をあげていた豊臣秀吉は、たいそう女性好きで、織田信長の死後、色狂いが目立ち、側室をたくさんつくります。その中でも、有名な側室なのが、織田信長の妹である、お市の方が産んだ三姉妹の長女の茶々です。
豊臣秀吉は、中々子供ができなかったのですが、茶々との子供、秀頼が生まれ。心底、秀頼を可愛がったそうです。その時に、豊臣秀吉が秀頼に送った手紙に「今度そちらへ行って口を吸いましょう。母に口を吸われてはいけません」と書かれています。
江戸時代の口吸いは激しいディープキス
江戸時代に入ると、世の中が安寧してきます、そのなかで、口吸いという行為が、性技、つまり性的行為のテクニックへとして、広まっていきます。男女が交わっている最中に口吸い行為、ディープキスのような行為として、使われるようになります。
江戸時代のエロ雑誌・春画
江戸時代には、エロ雑誌はありませんが、浮世絵で風俗、男女の性行為を描いた春画というものに、数多くの口吸いの場面が描かれ、残されています。
口吸いの春画は、喜多川歌麿や、西川祐信などの有名な絵師も描いていました。また、葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通(きのえのこまつう)』では、「蛸と海女」2匹の蛸と女性が、口吸いをする春画もあります。
江戸時代に口吸いするのは性行為中だけ?
江戸時代において口吸いは、前戯ではなかったそうです。先ほど紹介した春画に口吸いの場面は数多く存在するのですが、「男と女が前戯」として口吸いをしている春画はありません。江戸時代には、口吸いつまり、ディープキスだけをすることは、なかったのかもしれません。
江戸時代の性行為は、「まず指くじりなどで始まり、興奮が高まる、あるいは情交しながら口吸いをする」のが当たり前だったようです。
具体的に見ていくと、『図本婦美枕』(礫川亭永理)では、男と女がエッチをしながら口吸いをしていたり、『春色入船日記』(歌川国盛二代)では、男が女の陰部をいじくりながら口吸いをしています。
また、『つびの雛形』(葛飾北斎)では、挿入した状態で、男と女が口吸いをしている場面があります。その春画は、射精をこらえきれなくなった男性が、中休みに、口吸いをしようと持ちかけている姿を表しています。
江戸時代のキスの作法
江戸時代に発行されたエロのバイブル的な本である「好色旅枕」というものに、キスの作法や、男女の語らいの作法などが書かれており、その中に「吸口軒(ぎうこうけん)」という場面があります。
「寝室にいるときに、女に優しくまとわりつきながら、好色の心地よい物語をする。そして、ムードを高めてから口を吸うべし。その際に男の舌を女に吸わせてはいけない、女の舌を出させて、女性の舌を男の口の中に取り込み、歯が当たらないように、唇で女の舌を抜いて、しゃぶる。」そうすると、女もみだらな気分になるとかかれています。
また、口吸いは、切ないものありました。菱川師宣の春本「恋のむつごと四十八手」には、「明別(あけのわかれ)」というものがあります。
明別とは、「人目を忍んで女に会いにきた男性が、明け方になってきたので、その場から立ち去ろうとしたときに、離れることが寂しい女が引き留め、名残惜しく口吸いをする場面」が、描かれています。性行為の後に、男女が愛情を確かめる方法として、口吸いをすることもあったようです。
遊女の間での口吸いは「おさしみ」
遊郭吉原では、口吸い・キスのようなことを「おさしみ」と呼んでいました。
なぜ、「おさしみ」かというと、「鮮度のいいお刺身」に例えられ、遊女とキスする行為は、貴重だったそうです。この「おさしみ」は、客目線で言葉で、遊女たちは、「手付け」や「きまり」と呼んでいたそうです。
お客にとっては、遊女とのキスは、憧れですが、遊女の中には、本当に愛している男性としか、口吸いをしないという女性もいたそうで、遊女にとってはあくまでも仕事だったのかも知れません。
番外編!江戸時代の夜の言葉
「おさしみ」以外にも、江戸時代に使われていた、夜の営みの言葉があります。今ではほとんど使われていない言葉なので、知らない人も多くいるのではないでしょうか?
今回は、江戸時代の言葉を表にしましたので、良かったら使って見てはいかがでしょうか?
江戸時代の夜の営みの言葉 | 意味 |
つび | 女性の性器 |
えてきち | 男性の性器 |
ゆもじ | 女性の下着 |
とぼす | セックス |
口々・口口 | 2つの口がくっついている姿 |
口吸いはいまでも
現代では、口吸いとは言いませんが、キスやディープキスとして、口吸いが残っています。愛する相手と愛を感じあえるのは、今も昔も変わらないのでしょう。キスの歴史をたどることで、キスができる相手がいることは、幸せなことと感じられるかもしれません。