染谷悟は殺害された?プチエンジェル事件を追ったフリーライター

プチエンジェル事件は少女4人が赤坂のマンションに監禁された事件で、追っていたフリーライターの染谷悟氏は、その後殺害されました。フリーライター染谷悟氏は消されたというのが噂ではありますが、真相は不明です。事件の犯人や加害者グループについて説明していきます。

染谷悟は殺害された?プチエンジェル事件を追ったフリーライターのイメージ

目次

  1. 1プチエンジェル事件を追っていた染谷悟
  2. 2フリーライター染谷悟の経歴
  3. 3デートクラブ「プチエンジェル」とは
  4. 4プチエンジェル事件の謎と染谷悟
  5. 5プチエンジェル事件の現場は陸山会のヤクザマンション?
  6. 6殺害される前の染谷悟の発言「中国人に命を狙われている」
  7. 7東京湾で死体で発見された染谷悟
  8. 8染谷悟を殺害したのは何者か?
  9. 9どうもすっきりしないプチエンジェル事件と染谷悟殺害事件でした

プチエンジェル事件を追っていた染谷悟

プチエンジェル事件は、事件での犯人の行動や周囲の状況、関係者の証言に不可解な点が多く、今でも真相は闇の中です。

また、「永田町と目と鼻の先の赤坂に拠点がある少女買春専門の高級デートクラブ」という特徴から顧客名簿に政治家・企業役員などの日本のを牛耳る人間が多数名前を連ねていたという噂がありました。

そのせいかどうかわかりませんが、この事件は警察も検察も途中で捜査をやめてしまいます。染谷悟氏はフリーライターとして単独で事件を追っていましたが、事件の2ヶ月後に殺害され、東京湾で死体となって浮かんでいました。

フリーライター染谷悟の経歴

それでは殺害されたフリーライター染谷悟氏の経歴を分かる範囲で追っていきます。

染谷悟の経歴

染谷悟氏はいわゆる裏モノ、アンダーグラウンド専門のフリーライターとして「柏原蔵書」のペンネームで活動していました。雑誌でいうと別冊ブブカや裏ブブカがメインの執筆媒体だったということです。今でもアングラ系の雑誌の中では有名な雑誌です。

柏原蔵書名義の著書としては2003年7月に発売された「歌舞伎町アンダーグラウンド」が最も有名な著書です。歌舞伎町の薬物や買春、ヤクザや中国マフィアの闇を描いたルポルタージュもので、高い評価を受けています。

ジャーナリストの宮台真司などと交流もあり、「歌舞伎町アンダーグラウンド」が出世作となりそうな状況ではありました。しかし、まさに出版された月にプチエンジェル事件が発生し、その2ヶ月後には染谷悟氏も殺害されてしまいました。

それ以前の染谷悟氏の経歴についてはほとんどわかっていません。柏原蔵書というペンネーム以外には裏BUBUKAで山口六平太という名前で連載していたようです。フリーライター柏原蔵書としての経歴は浅かったのかもしれません。

染谷悟はどのような人物だったか

染谷悟氏の人物像についても、あまり伝わってきているところはありません。しかし、アンダーグラウンド専門のフリーライターだったということなので、かなり危険なところへの取材も行なっていたようです。

実際に事件の前に「中国マフィアに殺される」と周囲に漏らしていたという話があり、本人も身の危険を感じていた様です。住宅への嫌がらせや窃盗も頻繁にありました。

また、染谷悟氏を殺害した犯人との間には、金銭や出版内容に関するトラブルも発生していたということで、穏便な取材をするタイプのフリーライターではなかった様です。

デートクラブ「プチエンジェル」とは

さてそれではプチエンジェル事件について述べていきます。できるだけ事実に基づいて描いていきますが、加害者についても、事件自体についても、真相が不明な部分が多いのが現状です。

未成年者とのデートをする風俗店

プチエンジェルは児童買春専門のデートクラブとして運営していました。

未成年の性風俗店での勤務は禁止されていますし(場所によっては18才以上から勤務可能のソープランドもあります)、ましてや未成年を集めた性風俗店の風俗営業の許可が下りるわけはありません。

ですので裏風俗という事になります。社長は吉里弘太郎氏。事件当時29才。プチエンジェル事件のただ一人の加害者であり犯人です。本人も過去に児童買春での逮捕歴があります。

少女を集める方法は主に渋谷センター街など繁華街でのスカウト。全国から家出少女が集まるという事で女の子は調達しやすかった様です。また、吉里弘太郎氏が直接声をかけると怪しまれるため、在籍する少女自身がスカウト活動を行う事で成功率を上げていました。

顧客は、のちに押収された名簿上に2000人もの記載がありました。ほとんど偽名の名簿との発表でしたが、真相は政治家や会社役員など日本のフィクサーとされる人物があまりに多すぎて、操作が打ち切られたとの噂です。

ちなみにデートクラブだからデートするだけなのか?というとそんなことはありません。

「デート中のセックスは自由恋愛でしょ?」という理屈で、結局は何らかの性行為を行なっていることがほとんどのはずです。ただ、性行為にお金を払うとなると買春行為となるのであくまでデートクラブと謳っているわけです。とは言っても真相はただの児童買春です。

プチエンジェル事件とは

さてここからはプチエンジェル事件を時系列で追っていきます。事件の報道では犯人である吉里弘太郎氏の不可解な動きに注目が集まりました。

少女の勧誘と犯行準備

吉里弘太郎氏は事件当月の2003年7月上旬、渋谷で被害者の少女一人と知り合い、会ってくれたお礼として金銭を渡しました。この時点で赤坂の事件を計画していたかどうかは不明ですが、それ以降も連絡を取り続けています。

7月11日に吉里弘太郎氏は自身が所有するフェラーリ2台を売却します。売却金額は不明ですが、1,000万円以上にはなるでしょう。この売却金額を何に使用するつもりだったのか真相は不明です。

また同日、吉里弘太郎氏とは別の人間「ヤマザキ」が事件現場となったインターナショナルプラザ赤坂No.1の1101号室を契約しています。代金は吉里弘太郎氏が支払いました。このヤマザキ氏が加害者として何らかの関わりがあるのか、真相は不明です。

翌12日、吉里弘太郎氏は都内の量販店で、鉄アレイやポリタンクを購入します。これは少女達を監禁拘束する際に使われました。また吉里弘太郎氏の自殺に使われた練炭や七輪もこの際に購入されています。

7月11日以降の動きを見ていると計画性が見られますが、それにしてもフェラーリ売却と自殺が辻褄が合わないように感じられます。加害者が自殺をそもそも考えていたのなら、フェラーリのお金は使い道がなさそうです。

少女達の監禁

7月13日、吉里弘太郎氏は「部屋を1万円で掃除してほしい」と少女4人を渋谷駅前に呼び出します。そして、犯行現場の赤坂のマンションに連れて行き、掃除を始めたところで少女達に手錠と目隠しをして監禁します。

少女達の供述によると犯人は「ここに来た意味わかるよね」といって態度が豹変したということです。拘束後は犯人が前日に購入したポリタンクや鉄アレイを使って動けないようにされ、逃げないようにスタンガンで脅されます。

13日当日の深夜に少女らの家族から捜索願が出され、15日にはマスコミによって事件が報道されます。

吉里弘太郎氏の自殺と少女の脱出

16日午前、警察は吉里弘太郎氏の逮捕状を請求します。罪状は2002年3月に中学2年の少女を買春したという内容でした。いわゆる別件の犯人として逮捕を狙ったわけです。

同日午前9時頃、犯人は現場の赤坂のマンションでテント場にしたビニールの中に入り練炭自殺します。しかし、この犯人の自殺は不審な点が多いです。

練炭で熱せられた密閉された空気中の温度は1,000度にも達します。外から目張りをしているとはいえ、ビニールが熱に溶けないということは考えられないということです。

ビニールが熱に溶けたら当然酸素が入ってくるため、一酸化炭素中毒にはなりません。自殺は失敗する可能性が非常に高いのです。

とはいえ、吉里弘太郎氏は死亡し、翌日の17日物音が聞こえなくなったのを見計らい、少女の一人が手錠を外して脱出し、近くの花屋に助けを求めたことで事件が終息します。

プチエンジェル事件の謎と染谷悟

時系列に沿ってプチエンジェル事件を折って見ましたが、文中での述べた点以外にもおかしな点が多いのです。

まず、真相にたどり着きにくい要因の一つが、現場室内で起こったことは全て少女達の供述を信じるしかないと言うことです。少女達が嘘を言っているとは言いませんが、辻褄が合わないことがいくつかあります。

まず、少女達の供述によると、現場には少女4名と犯人の吉里弘太郎氏以外の出入りはなかっとことになっていますが、吉里弘太郎氏以外の男女1組の出入りが目撃証言されています。加害者グループかどうか真相は不明です。

また、4人の少女のうち1人は世話役として拘束されていませんでした。吉里弘太郎氏の現金を引き出しに何度かATMに行くのが目撃されています。「逃げたら他の少女を殺す」と脅されていたので言うことを聞いていたと言うことです。

しかし、これから自殺を考えている人間が現金を引き出す必要があるのでしょうか。

そして、自殺の件です。自殺現場はテント状に貼られたテント、それを目張りするビニールテープ、テント状に支えるための椅子、その下に置かれた練炭セットという構成でした。犯人が準備する際に多少物音は出るでしょうし、夏に練炭に火をつけていたら熱くもなるでしょう。

しかし、少女達は物音は何も聞こえなかった、加害者が自殺しているなんて気づかなかったと言っています。

少女達は手錠、目隠しで拘束されてはいましたが、現場のマンションの部屋は壁が非常に薄く、少しの物音でもはっきり聞こえたということが分かっています。

現場で何が起こったのか真相は不明です。少女達が何かを隠しているのか、それとも報道されている通りのことが起こっただけなのか。この事件では国会で政治家が「少女が加害者なのか被害者なのかわからん」と発言して問題になっています。

どちらだったとしても加害者の吉里弘太郎氏の行動自体意味不明です。フェラーリをなぜ売却したのか、ATMに何度も引き出しに行かせたのは何故か…。

そして、そもそも何故赤坂のこのマンションをわざわざ契約したのか。結局少女達は監禁されただけでスタンガンで軽傷を負った他は、加害者から性被害等には合っていません。

吉里弘太郎氏は結果4人を誘拐監禁しただけで、何も無いまま勝手に自殺した間抜けな犯人ということになってしまいます。

吉里弘太郎氏は自殺する前日、都内のある風俗店に電話をかけています。この風俗店は風営法の許可も得ている合法のお店です。

吉里弘太郎氏は電話に出た店長に、「女の子を赤坂のマンションに派遣してほしい、自分の姪の女の子がいるから、その子に本番行為をしているのを見せるプレイをしたい」と言います。

当然店長は断りますが、その後も1時間おきに電話がかかってきます。最終的には「店長とその彼女がプレイするでも構わないからとにかく来て欲しい。お金ならたっぷりある。今日でないとダメなんだ」と迫りますが、店長に断られます。

今日でないとダメなんだという発言が、明日には自殺をするつもりだからだったのか、それとも何か別の予定があったのか、真相は今となってはわかりません。

さて、ここまで柏原蔵書こと染谷悟氏は全く登場してきません。この事件の報道を見て、自身が持つアンダーグラウンドのネットワークを活用し取材をすることを決めたのです。柏原蔵書の次の出版物の目処を立てたということになります。

しかしながら柏原蔵書としてプチエンジェル事件のルポルタージュが出版されることはありませんでした。プチエンジェル事件から2ヶ月後、柏原蔵書こと染谷悟氏は殺害されるという形で筆を断たれる事になります。

プチエンジェル事件の現場は陸山会のヤクザマンション?

さて、現場となった「インターナショナルプラザ赤坂No.1」ですが、この土地および建物は当時、小沢一郎の政治団体「陸山会」の所有物でした。

色々きな臭い話が多かった物件で、入居者は男女問わず夜の世界の関係者、外国人などが多く、あまり一般人は関わりたくないような場所だったようです。アングラ物のフリーライター柏原蔵書が興味をそそられそうな物件ではあります。

現在はホテルマイステイズ赤坂になっており、当時の面影はありません。

プチエンジェルの顧客に政治家などのフィクサーが多かったと噂されることを考えると、赤坂という場所でしかも政治団体の所有マンションというのは非常に守られてる感じがします。

そして陸山会は中国との非常に太いパイプがあり、中国の政治家やマフィアのへ献金システムの一つだという説があります。日本の政治家の性的指向や弱みは陸山会を通して中国に流れており、日本の中国に対する弱腰外交の理由の一つであるとも言われています。

プチエンジェル事件で、4人の少女は最終的に中国に売り飛ばされる予定だったのではないかとも言われておりますが、真相は不明です。それか、吉里弘太郎氏が何かヘマをして、その埋め合わせで人身御供を捧げようとしていたのか…。

何を考えても、もはや真相は藪の中です。

殺害される前の染谷悟の発言「中国人に命を狙われている」

さて、この不審だらけのプチエンジェル事件に目をつけたのがフリーライター柏原蔵書こと染谷悟氏でした。ちょうど柏原蔵書名義で「歌舞伎町アンダーグラウンド」が出版されたタイミングです。まさに次の恰好のネタを見つけたというところでしょうか。

このプチエンジェル事件は事件自体の特殊性もさることながら、警察や検察の捜査がはたから見ると中途半端に、そして強引に終了された感があります。真相不明の児童買春事件、フリーライター柏原蔵書の次の作品はこれだ!となってもおかしくありません。

プチエンジェルの顧客名簿で噂される政治家や、背後の中国マフィアとの関わりに、アングラ専門のフリーライターとしての嗅覚が効いたのでしょう。染谷悟氏は真相を暴くべく個人での取材を続けますが、知人に「中国人に命を狙われている」と漏らすようになります。

東京湾で死体で発見された染谷悟

2017年9月12日に染谷悟氏の刺殺体が東京湾で浮かんでいるのが発見されます。遺体には浮かばないように潜水用の使い込まれた重りが結ばれていました。

9月16日、染谷悟氏の殺害容疑で鍵会社役員桜井景三(42)、元プロダイバー熊本恭丈(31)、無職藤井亮一(34)が逮捕されます。

しかしこの犯人達は、プチエンジェル事件とは無関係でした。柏原蔵書こと染谷悟氏はプチエンジェルの取材をしている中で、別件でタイミング悪く殺害されたような格好になっています。幾ら何でもタイミングが良すぎるような感じはあります。

染谷悟を殺害したのは何者か?

では、染谷悟氏殺害の犯人として逮捕された3名は一体何者なのでしょうか。

まず主犯格の加害者、桜井景三は、新宿に本社をおくアシベロックサービス の社長でした。今でも会社自体は営業しており、鍵業者としては割と大手というイメージがあります。

桜井景三は当時自分の技術と才覚でのし上がった鍵会社の社長として、よくテレビにも出ていました。ピッキング被害を伝える番組などで鍵開けの実演やピッキング対策などを語っていました。

なぜ染谷悟氏と加害者である桜井景三が知り合ったのか。それは2002年に発売された「鍵の聖書 鍵と鍵屋の選び方」というムック本の執筆を染谷悟氏が担当したところから始まっています。ムック本なので著者としては表に出ませんが、編集者として柏原蔵書の名前が記されています。

この記事が気に入った桜井景三は、次に執筆する本の資金を貸して欲しいという染谷悟氏に出版費用を貸します。しかし、なかなか出版が具体的にならないため、桜井景三からは度々金を返すように催促がされるようになります。

そして、ようやく「歌舞伎町アンダーグラウンド」の原稿が出来上がりますが、その中で染谷悟氏は、不法行為を行う登場人物が桜井景三と特定できるような書き方をしていたため、桜井景三は激怒。

「このまま載せられれたのでは鍵業界での自分は終わってしまう」として書き直しを求めますが、拒否。結局「歌舞伎町アンダーグラウンド」はそのまま発売されます。また、それ以前にも月刊誌に桜井景三と特定できるような名前のもじり方をした人物を登場させています。

では、加害者の桜井景三氏は実際裏社会の人間だったのか。答えはイエスです。桜井景三氏は在日朝鮮人で、大阪の暴力団に一年在籍しています。

逮捕歴も二回ありますが、2002年に日本に帰化しており、それ以降は桜井景三と名乗っています。それ以前は通称を木原、朝鮮名は伝わっていません。

鍵に関する犯罪はもちろん、チャカ関係も取り扱っていたようで、チャカ犯罪に関する雑誌記事で染谷悟氏が「原木(木原を逆さまにした)」という名前で桜井景三を登場させた時には、「あいつを刺す。人にやらせれば絶対にわからない」と言ったという話が伝わっています。

そもそも新宿のアシベロックサービスがあった辺りのマンションは、多くの組事務所や高級デリヘルの待機所がひしめき合う不良のエリアで、桜井景三も当然そのネットワークを活用して開業した事が考えられます。

とはいえ、表の世界で成功していたのにそれがまた壊されるということに強い危機感を抱いたのでしょう。金銭での恨みも重なり、桜井景三はフリーライター染谷悟氏の殺害を決意します。

その際に熊本恭丈と藤井亮一を共犯として誘います。

藤井亮一は以前染谷悟氏のアシスタントをしていた事があり、そのときの給料数十万円が未払いのままだったという事です。藤井亮一は身の危険を感じた染谷悟氏の転居先を追跡して特定するなど、加害者グループの中で重要な役割を担っています。

さて犯行当日9月6日、池袋のマンションから加害者グループは染谷悟氏を拉致、その後暴行します。暴行後東京湾に向かい、染谷悟氏を作業船に乗せ藤井亮一は岸壁で待機、他2名は海上で染谷悟氏を背中から刺し殺害、元プロダイバーの熊本恭丈が重石をつけて海に沈めます。

その後染谷悟氏の遺体が浮上し殺害が発覚するわけですが、加害者3人は東京を引き払ったり名前を変えるなどしてすでに逃亡していました。桜井景三は逃走資金として他の2名に金を渡していたそうです。

当然犯人3人は逮捕後実刑判決が出ています。

どうもすっきりしないプチエンジェル事件と染谷悟殺害事件でした

いかがでしたでしょうか。この事件はプチエンジェル事件と、それを追っていたフリーライター柏原蔵書こと染谷悟氏が直後に別件で殺害された事件でした。とはいえ、果たして本当に2つの事件に関連性がないのか、真相は藪の中です。

タイミングが良過ぎるのです。染谷悟氏の取材に危険を感じた政治家やヤクザ関係者や中国マフィアが、同じく恨みを抱いていた加害者桜井景三に、犯行を依頼したという方がありそうな話な気がします。

染谷悟氏について興味がある方は、柏原蔵書名義での著書「歌舞伎町アンダーグラウンド」を読んでみることをおすすめします。取材に対する姿勢や人となりが伝わってくることがあるかもしれません。

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