あいわかったの意味や語源とは?使い方を例文を用いて解説

時代劇などで良く聞く「あいわかった」とは、実際どんな意味なのでしょう。現代人が使う場面はめったになくなりましたが、誰しも一度は耳にした憶えがあるはず。今までわかったような気がして聞き流していた、この「あいわかった」の意味を改めて考え直してみたいと思います。

あいわかったの意味や語源とは?使い方を例文を用いて解説のイメージ

目次

  1. 1時代劇でよく聞く「あいわかった」
  2. 2「あいわかった」の語源
  3. 3「あいわかった」の使い方
  4. 4「あいわかった」を使うのはどんな場面?
  5. 5その他「あい(相)」が付く表現
  6. 6「あいわかった」の言葉が使われている漫画3選
  7. 7黒田職隆の「あいわかった」
  8. 8「あいわかった」はブラックコーヒーの甘さ

時代劇でよく聞く「あいわかった」

時代劇で侍などの、わりと身分が高い人が言い放つ言葉に「あいわかった」があります。それは身分の高さから来る傲慢(ごうまん)というより、なにか重々しい厳(いか)めしさを感じさせます。

「あいわかった」の意味とは?

それでは「あいわかった」の本当のところの意味とは、なんなのでしょうか。この言葉は接頭語で「あい」と「わかった」の二つで構成されています。「わかった」は、とうぜん理解したという意味ですが、「あい」は後につづく動詞につき、その語勢を強め整えるためのものなのです。

「あいわかった」の漢字

「あいわかった」は漢字で書くと「相分かった」になります。相を「あい」と訓読みすれば「合い」もしくは「会い」と同じになります。「合い」は元来向かい合うという意味なので、状況でいえばお互い顔を合わせている場面ですね。

匿名性(とくめい)を消すことを主眼とした武士の言葉なので、重い責任感がつきまといます。「あいわかった」の堅苦しさは、本来そこから来ているのです。また、動詞の前につけることで「一緒に」という意味でも使われていました。

 
 

「あいわかった」はサムライ言葉?

侍言葉というのがあります。当時は各地方で話す言葉が大分ちがい、通訳を立てるほどでした。侍というのは要するにお役人ですから、それぞれが行政活動するのに意思の疎通(そつう)をはかる必要があります。

今でいう転勤みたいなもの、中央に出向いたり、参勤交代(さんきんこうたい)、領地替え、また書類による通達、通知など、お国言葉で済ますわけにはいきません。必然的に、そのための共通言語が必要となりました。

それは侍たちが日ごろ慣れ親しんでいる文化から取り入れられました。能、狂言、謡曲、手紙に用いる言い回しなどです。

 

手紙から来た候文

候文(そうろうぶん)の候は「さぶらふ」という動詞から来ています。「うかがう」や「お仕えする」という意味で、後にそれが謙譲語(けんじょうご)になりました。「あります」や「おります」の丁寧語である「ございます」という意味でも使われていました。

候文は鎌倉時代に確立された文語文の形式の一つです。文語部とは、平たく言えば話し言葉でなく、文書の書き言葉です。「相も」それに含まれていました。平安時代から鎌倉時代までは私的な手紙などで使われていましたが、侍が完全に実権を掌握した江戸時代になってから、公式なものとして使用されるようになりました。

使用にさいして特徴的なのは、文末に「~候。」とつけることです。よだんですが、明治時代の夏目漱石も手紙の中で「候」を多用しています。パリ万博で見たエッフェル塔の昇降機(エレベーター)の感想を、現代人がこっけいに思えるほどたくさん使って説明しています。

「あいわかった」と「わかり申した」の違い

「あい」と「申した」は候文に使われる侍言葉ですが、「わかった」はちがいます。ただ「わかり申した」の方が武家言葉らしいといえます。さらに堅苦しく「相わかり申した」とすれば、よりそれっぽくなるでしょう。ただし現代人のビジネスマンは使用しないでください。相手にバカにされたと勘違いされかねませんから。

「あいわかった」の語源

「あいわかった」の「あい」は残っている文章から見ても、奈良時代から使われていました。「一緒に」という意味で「相」が使われています。奈良時代の後期になると、万葉集の中で「相」を「会う」の意味で使っています。

鎌倉時代中期では、「あひはからひて」が残っています。この「あひ」はつづく「はからひて」の強調の意味で置かれています。現代での「あいわかった」と同じ用法ですね。

古事記での「あい(相)」

”御諸の その高城(タカキ)なる 大猪子(オオイコ)が原 大猪子が 腹にある 肝向(キモムカ)ふ 心をだにか 相思はずあらむ”

古事記の中で、第16代仁徳天皇が皇后である石之日売命(いわのひめのみこと)に送った歌です。現代語訳は、三輪山の高くある大猪子ヶ原。そこに棲む大きなイノシシの腹にある心だけでも、私を思ってくれないだろうか。(「肝向かふ」は心の枕詞)

「相思はずあらむ」の相は動詞の前につくので、「一緒に」という意味になります。私があなたを思うのと同じくらい、あなたも私を思って欲しいという意味になります。

万葉集での「あい(相)」

”夢之相者 苦有家里 覚而 掻探友 手二毛不所触者”
”夢の逢ひは 苦しかりけり 覚どろきて かき探れども 手にも触れねば”
現代語訳は「夢での逢瀬(おうせ)は苦しいものだ。おどろいて目が覚め手探りしても、あなたの手に触れることはできないのだから」という意味合いになります。

「夢之相者」での相は「会い」と等しいので、夢の中で会うことです。これは中国唐代に書かれた伝奇小説「遊仙窟」(ゆうせんくつ)から、大伴家持(おおとものやかもち)が想を得、詠(よ)んだものです。おそらく遣唐使が持ち返った万巻の経典、書籍にまぎれ込んでいたのでしょう。

古今著聞集での「あい(相)」

古今著聞集(ここんちょもんじゅう)は鎌倉時代に、伊賀守(いがのかみ)橘成季(たちばなのなりすえ)の手によって編纂された世俗説話集です。下にあるのは、鳥羽天皇が弓の名手「源むつる」に出した勅令(ちょくれい)です。

”此池に、みさごのつきて、おほくの魚をとる。射とゞむべし。但射ころさん事は無慙なり。鳥もころさず、魚もころさじと思食すなり。あひはからひて、つかうまつるべし”

現代語訳は「この池でみさごが多くの魚を獲って困るので射止めよ。ただし、射殺してしまうのは痛ましいので、鳥も殺さず魚も殺さないで欲しい。よく考えて奉仕せよ」になります。「あひはからひて」の相は、語尾の計らいの強調になります。

「あいわかった」の使い方

現代での「あいわかった」の「あい」は、理解度を示す「強調」の意味です。しかしその堅苦しさにもかかわらず、ビジネスや目上の人に使うのに適しているとはいえません。使いどころは、かなり限定されます。「あいわかった!」と語尾にエクスクラメーションマークがつくような、くだけた仲間内の会話くらいしか想定できません。

あいわかった、お任せあれ

「あいわかった、お任せあれ」とは、責任を持って仕事を全うするといった感じの、快い承諾(しょうだく)の意味ですね。

すまぬ、あいわかった

「すまぬ、あいわかった」とは相手に対する申し訳のない感情、引け目を感じつつ、相手の働きに感謝して、ねぎらう意味になります。

あいわかった、良きに計らえ

大時代(おおじだい)めいたこの言葉。ポリコレのうるさい昨今、現代社会では仲間内でしか使えないでしょう。冗談が通じる友達か同僚ぐらいにしか。

いう必要もないと思いますが、上の画像はトノサマバッタです。

「あいわかった」を使うのはどんな場面?

もはや現代において使われる場面は、気のおけない人同士の間でしかありません。昔の使われ方とはひっくり返って、気さくな関係で、気軽に使われる方が多いのではないでしょうか。

その他「あい(相)」が付く表現

もちろん「わかった」以外にも「あい」はつきます。主に動詞の前につけるパターンですが、その例をいくつかみていきましょう。

相変わらず

「相変わらず」とは、相手に親しみを込めて変わらないことを褒(ほ)める意味で使います。もっとも分かりやすいのは健康面でしょう。相と変わらずの間に「も」を入れ「相も変わらず」とすると、評価が逆転します。

相許す

「相許す」とは、心につまっていたものが落ちたという言い渡しです。あなたに対するわだかまりが解消した、といったところでしょうか。後につづく「許す」を強調していますから、表現というより表明といった感じになります。

相成る

「相成る」とは、ことの顛末(てんまつ)を認知する意味として使います。「成る」とは、新たにものが生じる、ある常態の変化、ことの移行、働きかけたものの完成、~の状態に達する、組み立てる、植物が実を結ぶ、などなど様々な意味があります。現象としての「こと」を任意に始点から終点へ切り取った視点にもとづいています。

「相成る」は、それが自他ともに認められる状態になったという再認識、再確認としての、いわば念押しですね。

「あいわかった」の言葉が使われている漫画3選

現在において「あいわかった」は仕事に使うのは憚(はばか)れ、日常の用途でも使用が限定されてしまいます。しかし格式張り、大時代がかったその大げさな表現は、むしろフィクションには向いています。とくに時代ものなどには便利な表現でしょうし、ごてごてとした様式美を必要とする、ゴシック的な作品にもおあつらえ向きといえます。

アシガール

「アシガール」の中のヒロインの唯の恋人、若君の言葉に「心得た」と「あいわかった」があります。「あいわかった」は他の者に言いますが、「心得た」は唯だけに使うようです。恋人同士なので重々しい形式ばった言葉は不要なのでしょう。

言質(後で証拠となる言葉)が必要になるのは、新家族を構成するためのお披露目(おひろめ)の儀式でしょう。二人称の親密な関係が終わり、三人称の他者との共存が始まるのですから。

キングダム

「キングダム」には「楊端和」(ようたんわ)なる山界の死王が登場します。王と言っても、山の民を率(ひき)いる色白の美女。統率力、武力を持ち合わせ、味方が危機におちいると、さっそうとあらわれます。

あるシーンで、楊端和が伝令に対して「相分かった」と言う場面がありました。それを受けた伝令は微笑しました。伝令ごときに、なぜ身分の高い彼女が言質(げんち)を与えたかは不明です。それとも伝令がしつこかったから、イヤミでしょうか。

ちなみに、歴史書の中ではこれらの活躍はなく、また楊端和は山の民でもなく、秦の将軍の一人だったようです。正史では楊端和が女性だったという記述はありません。

バガボンド

上の画像、植田良平は吉岡門弟の最強各、吉岡十剣の一人です。みなしごでしたが拳法に拾われ、吉岡門弟の一人である植田氏の養子となりました。強敵武蔵に勝つために後ろから切れと門弟たちに命令したり、恩のある吉岡のためなら打算も辞さない冷静な性格の持ち主です。しょっちゅう煙草(たばこ)をプカプカ吹かす姿が描かれています。

「バカボンド」第3巻の「吉岡騒然」で「あいわかった、お願いします」と言うシーンがありました。(漫画上の表記はちがいます)

武蔵にやられて死後、幽霊となり、なぜか武蔵の恋人(?)「おつう」の前にたびたび現れます。死してなお、ライバルと面と向き会えない「こだわりの心」が成仏できない理由でしょうか。

黒田職隆の「あいわかった」

大河ドラマ「軍師官兵衛」初回放送時において、黒田職隆(くろだもとたか)が息子の官兵衛に対して言った言葉に「あいわかった」があります。特にこれを取り上げたのは、それが劇中で生きた言葉だったからです。しかしそれを説明するためには、それへいたるまでの経緯をふまえる必要があります。

父親の黒田職隆は大変生真面目な性格だったようです。万吉(官兵衛の幼名)に対しても武家の子として厳しく躾(しつけ)ていました。ある日、万吉は母の病気に効く薬草を求め敵陣地へ入ってしまい、捕まってしまいました。人質として生涯を終えるかもしれないピンチに、父親が直接交渉に出向き、ことなきをえました。

軽率だった万吉に対しかけた言葉は「帰るぞ」だけでした。

それからしばらくたって、万吉が内通者を見つけ、父へ報告しに行ったときでした。当の謀反者がその場に居たのです。彼は告げ口をひかえ事を荒立てず、後に報告しました。

にわかには信じ難い職隆を説得する万吉。まるで軍師として冷静に話す息子に「あいわかった」と父が言ったのは、一人の武士としての承認なのかもしれません。

 
 

「あいわかった」はブラックコーヒーの甘さ

「武士は義に生きる者。損得勘定で動くのは商人(あきんど)」とは、大河ドラマ「軍師官兵衛」の黒田職隆の言葉です。おそらく厳密には史実ではないでしょうが、侍の立場が伝わってきます。

「あいわかった」とは、威張るためのものではなく、他者に言質(言葉の証拠)を与え、自らを縛るものです。小林よしのり氏が漫画のタイトルに「ゴーマニズム宣言」とつけたのは、そのような狙いがあったと思われます。自分の意見をはっきりと言うことは、自らの立場を明確にして、後から逃げられないようにするためです。

あいまいな言葉、お役所ことばはアリバイ(現場不在証明)になります。役人とちがって武士の失敗は切腹に繋がります。お役人も言葉に敏感ですが、その能動性がちがいます。意思ではなく意志。「あいわかった」とは「この私が責任を引き継いだ」と言うことで、相手を責任から解放する「やさしさ」でもあるのです。

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