2019年01月12日公開
2019年01月12日更新
世知辛いの意味や読み方とは?世知辛い世の中などの使い方も例文で
景気が悪くなると、よく「世知辛い世の中になったものだ」という声が聞こえてきます。何となくあまりいい意味の言葉ではないと想像はつきますが、「世知辛い」とは、どういった意味なのでしょうか。「世知辛い」の正しい意味や語源、使い方の例文をご紹介します。
目次
「世知辛い」を正しく使おう!
「世知辛い世の中だ」「世知辛いったらありゃしない」など、映画やドラマでもよく使われる表現ですから、「世知辛い」という言葉を使ったことはなくても、耳にしたことがある人多いのではないでしょうか。
もしこれから、「世知辛い」という言葉の正しい意味を理解し、使い方をマスターすれば、きっと「世知辛い」を使いたくなる場面に何度も出くわすことになるでしょう。褒め言葉や愉快な言葉ではありませんが、それほど今、「世知辛い」は、身近な言葉です。
大人になればなるほど耳にする機会も多くなる「世知辛い」という言葉の正しい意味を理解しておきましょう。
「世知辛い」の意味とは?
「あの人世知辛いよね」と話しかけられて、「そうだね」とうなずきながら、頭の中は「?」でいっぱい、なんて人もいるかもしれません。「世知」が「辛い」とは、どういう意味なのでしょうか。
「世知辛い」は、いい意味の言葉ではありません。「世知辛い」と言っている人は、十中八九眉を顰めているかうなだれているはずです。
「世知辛い」には、大きく分けて二通りの意味があります。一つは、「義理や人情より、打算や損得が先に立つ」という意味です。そしてもう一つは、「抜け目がなく、計算高い」という意味です。
「世知辛い」の読み方
「世知辛い」は、「せちがらい」と読みます。「せちつらい」とか「よちからい」ではありませんので、注意してください。
「世知辛い」を「節辛い」と勘違いしている人も意外と多いようです。「節」は季節の節目をあらわす言葉なので、何となく意味が通じそうな気もしますが、間違いです。
「世知辛い」の語源
「世知辛い」の「世知」とは、もともとは仏教用語で、「世智」と書きます。「世俗(この世)の智慧(知恵)」という意味です。そこから、「世知」とは、世の中でわが身を処する術や才能、世渡りの方法の知恵という意味になりました。
「世知辛い」の「辛い」とは、「点が辛い」とか、「評価が辛い」と言うときの「辛い」と同じ使い方です。この場合の「辛い」は、味覚に関する「辛い」という意味ではなく、「厳しい」や「容赦がない」などの意味で使われています。
ところで、「世渡り上手」は別に悪いことではありません。「世俗の知恵」=「世渡りの知恵」は、誰もが多かれ少なかれ使っているテクニックです。ところが、仏教の世界では、「世俗の知恵」は、悟りを妨げるとして歓迎されません。
そこで、「世知辛い」とは、「(世俗の)欲や得にまみれた考え」である「世渡りの知恵」に執着して、上手に世を渡る、ひいては、「世渡りのためなら何でもする」というような意味合いとして使われるようになりました。
「世知辛い」の対義語
「世知辛い」の意味が二通りに解釈されるように、対義語も二通り考えられます。まず、「義理や人情より、打算や損得が先に立つ」という意味での対義語は、「人情に厚い」「打算的でない」「慈悲深い」「温かい」「親切」などです。
もう一つの、「抜け目がなく、計算高い」という意味での対義語は、「鷹揚」「おおらか」「利他的」「のんびりしている」などがあります。
大見出し:「世知辛い」の類語
類語を知っておくと、その言葉に対する理解が深まります。「世知辛い」にはたくさんの類語がありますが、その一部を表にしてご紹介します。以下の文章では、それぞれの類語について、意味や使い方など、詳しくご説明します。
・暮らしにくい |
・非人情的な |
・けちな |
・計算高い |
・狡猾な |
暮らしにくい
「義理や人情より、打算や損得が先に立つ」というのは、ぎすぎすした人間関係をあらわしています。心より金といった考え方が蔓延しているのでは、「暮らしにくい」と感じるのも当然です。
非人情的な
「世渡りのためなら義理も人情も切り捨てる」のは、「非人情的」以外の何ものでもありません。「冷たい」「冷徹な」「非情な」「人情に薄い」と言い換えてもいいでしょう。
義理人情を鼻で嗤う向きもありますが、何でも損か得かで割りるのは、人間味に欠け、味気ない感じがします。「情けは人の為ならず」という言葉を胸に刻んでおきたいものです。
けちな
金銭や物などを、必要以上に出し惜しみをすることや、そういう人が、「けち」です。「しみったれ」「しぶちん」と軽蔑を込めて言うこともあります。
「世知辛い」には、物理的にも心理的にも損得勘定を働かせるというニュアンスがあるので、「困っている人がいても自分の得にならなければ無視を決め込む」という意味で、「けちな」は類語と言えます。
また、「けちな」には、「卑しい」という意味もあり、その点でも「世知辛い」に通じるものがあります。
計算高い
「抜け目がなく、計算高い」というのが、「世知辛い」のもう一つの意味ですので、そのものズバリ、「計算高い」も類語です。「計算高い」とは、自分にとっての利害を予測したうえで考えたり行動したりすることを指します。「打算的」も同義です。
しかし、「抜け目がない、計算高い」は、「世知辛い」の類語ではありますが、同義語ではありません。
「抜け目がない、計算高い」は、必ずしも悪い意味で使われるとは限らないからです。ビジネスにおいて抜け目のなさは強い武器になりますし、計算高くなくては熾烈な競争に打ち勝つことはできません。
狡猾な
「狡猾」とは、ずるがしこいという意味で、悪知恵が働き、自分だけが得をしようと、暗に策略を立て、行動することを指します。「上手く世の中を渡るためなら手段を選ばない」という意味で、「世知辛い」の類語です。
「狡猾」と聞いてキツネを思い浮かべる人は多いかもしれませんが、それは世界共通のようで、後ほど英語表現でもfoxという単語が出てきます。「キツネのようにずるがしこい」、それが「世知辛い」ということです。
「世知辛い」の使い方《例文紹介》
「世知辛い」の意味が、何となくでも理解できたでしょうか。ここでは、例文を挙げて、「世知辛い」の使い方を説明します。
例文①世知辛い世の中
もっとも頻繁に使われるのが、「世知辛い世」「世知辛い世の中」という言い回しです。「世知辛い」の意味に一つである、「義理や人情より、打算や損得が先に立つ」が、そのまま当てはまります。
つまり、「義理や人情より、打算や損得が先に立つ世の中」という意味です。
「長い付き合いなのに、もっと安い業者が見つかったからって、一方的に取引を打ち切るなんて、世知辛い世の中になったな」とか、「こんな世知辛い世の中じゃ、生きていても仕方がない」などという使い方をします。
例文②世知辛い奴
「世知辛い奴」「世知辛い人」と言う使い方も、よく耳にします。このように、人に対して「世知辛い」を使う場合は、「ずるがしこくて計算高い」という意味です。
もし、誰かに「世知辛い人」と言われたら、あまり好意的には思われていないと認識せざるを得ません。
先に述べた通り、「世渡り上手」は、悪いことではありませんが、「世知辛い」には、「自分の得になるなら人を裏切ったり傷つけたりしても気にしないで上手に世の中を渡っていく」という意味合いが含まれているので、決して褒め言葉ではありません。
ずるがしこく立ち回って、決して自分の損にならないようにすることを「狡い(こすい)」「こすっからい」と言いますが、「世知辛い奴」は、まさにこの「狡い奴」という意味です。
「世渡り上手ね」と言われても腹は立ちませんが、「世知辛い」と言われるとあまりいい気持ちがしないのは、このためです。
例文③この程度で怒るなんて世知辛いな
借金の返済が遅れたり、約束を破ったりして、相手に責められたときにこういう言い方をすることがあります。逆切れ、開き直りともとれる使い方なので、あまりおすすめはしません。
会話の例を挙げると、A「この前課した千円、まだ返してもらってないよ」B「そのうち返すよ」A[そんなこと言って前もなかなか返してくれなかったよね」B「何だよ、千円ぽっちで世知辛いな」といった具合です。
この場合は、「けち臭い」というニュアンスで「世知辛い」を使っています。言葉の使い方としては間違っていませんが、完全に言いがかりです。
「世知」を使ったその他の例文
「世智」は、仏教では煩悩のような扱いですが、現代での「世知」は、決して悪い意味ではありません。「世知に長けた人」という言い方がありますが、これは、「世渡りの知恵が豊富な人」という意味で、むしろ褒め言葉です。
「世知辛い」も「世知に長けた」も、同じ「世渡り上手」を意味しているにもかかわらず、「世知辛い」だと否定的に、「世知に長けた」だと肯定的に受け止められるのは面白いです。
「世知辛い」には、「義理や人情を犠牲にして、ずるい手段を使っても」と言う意味合いがあり、「世知に長けた」には、「知恵を絞って工夫して」という意味が感じられるのが、受ける評価の差と言えるでしょう。
「世知辛い」と感じるのはこんな時
思わず「世知辛いな」とつぶやきたくなる瞬間が、おそらく誰にでもあります。どんなときに人は、「世知辛い」と感じるのでしょうか。
電車やバスで割り込みされた
仕事帰りにくたびれ果てて電車に乗っていて、目の前の席が空いたので座ろうと思ったら、押しのけるように割り込んできた人がサッと座ってしまった。こんな些細なことでも、「世知辛いな」と感じることもあります。
聞こえよがしに「若いんだから立って当然」というようなことを言われたら、なおさらです。自分本位で人に優しくできない人、周りの状況に気を配れない人に遭遇すると、「世知辛い」と感じることが多くなります。
助けを求めたのに断られた
断られないまでも、見返りを要求されると「世知辛いな」と感じざるを得ません。当然相応のお礼はするつもりだったのに、先に要求されるとうんざりします。
とくに、以前助けてあげたことがある相手に断られたり、条件を突き付けられたりすると、「世知辛い」と感じる人は多いはずです。
親しいと思っていた友達に、「ノート写させて」と頼んで、「幾らくれる?」とか、「成績を抜かれると嫌だからダメ」なんて会話になったら、「世知辛い奴」確定です。
借金の返済を迫られた
借金は当然返済するべきものですが、一刻の猶予もなく今すぐ返せと言われてもと、困惑する人もいるでしょう。
もちろん期日が定められており、きちんとした契約が結ばれているのなら、それに従うのは義務ですが、仮に、「無利子、無期限、無催促」の口約束をしていたとしたら、いきなりの督促をどう感じるでしょうか。
相手にも事情があるかもしれませんけれど、「世知辛い」と感じてしまう気持ちはいたし方ありません。人が「世知辛い」と感じるのは、お金にまつわることが多いです。景気が悪くなると「世知辛い」という言葉を頻繁に耳にするのは、そう言う訳です。
「世知辛い」の英語表現
「世知辛い」を英語に直訳するには無理があります。「世知辛い」を言い換えるなら「冷たい」「非情」あたりが適当かと思われます。
「世知辛い世の中」を英語で表現するなら、We are living in a ruthless world.になるでしょうか。「非情」という言葉が強すぎるようなら、「私たちは困難な時代を生きている」という意味で、We are living in difficult times.と表現するのもいいでしょう。
また、「抜け目がなく、計算高い」という意味では、astute,sly,cunning,crafty,willyなどが考えられますが、astuteは、「抜け目がない、賢明な、そつがない」という意味で、狡猾さや悪賢さという意味合いは含んでいません。
He is a sly dog.と言うと、「彼はずるい奴だ」という意味になります。He is cunninng as a fox.なら、「彼は非常に悪賢い」という意味です。cunninngは、clever(賢い)にずるさが加わった単語で、slyより知恵や実行力が勝っています。
cunninngより策略に富んでいるのがcraftyです。He is crafty as a fox.と言えば、「彼は非常にずるがしこい(狡猾だ)」という意味になります。
世知辛い世の中は生きにくい
「世知辛い」という言葉の意味をご理解いただけましたか?まとめると、「世知辛い」は、「優しさや思いやりに欠け、打算や損得が優先する」状態です。それが、「狡さ」や「冷たさ」になってあらわれます。
誰だって自分が可愛いですし、損をするより得をしたいと考えるのは当然です。でも、だからといって人を押しのけたり、ないがしろにしたりしていいわけではありません。
世知辛い世の中は殺伐としてしています。これ以上世の中が世知辛くならないことを祈るばかりです。誰もが、感謝と思いやりと、ほんの少しの自己犠牲の精神を忘れずにいれば、世の中はもっと住みよくなるはずです。