心苦しいの意味や類語とは?大変心苦しいのですがなどの使い方を例文で
「心苦しい」という言葉は良く考えたら、大変あいまいな言葉です。その正式な意味とは何なのでしょうか。現代では、ビジネスシーンにおける敬語として多用されていますが、昔からそうだったわけではありません。時代によるその変遷(へんせん)にせまっていきたいと思います。
目次
「心苦しい」の使い方をマスターしよう!
心苦しいとは、日本人なら誰でも良く知っているようで、実はあまり良く知らない、そんな言葉の代表格ではないでしょうか。例えば最近の使い方としては、「弊社(へいしゃ)といたしましては大変心苦しいのですが~」と、こちらが大変恐縮(きょうしゅく)しているのを相手に理解してもらうために使います。
ただ恐縮しているだけではなく、こちらの要望も聞いて欲しいときにも使ったりします。このように、現在においては、自分の心が苦しいとき、相手の心が苦しいとき、また、それらを踏まえた上で自己主張するときにも使用します。多種多様な意味と使い方がされいます。
「心苦しい」の意味とは?
心苦しいとは、名詞の「心」と形容詞の「苦しい」が合わさった言葉です。心苦しいが登場したのは奈良時代ですが、率直に「心が痛む」とか「気持ちがつらい」等の、自分の感情を表していました。有名なところでは、枕草子や源氏物語、竹取の翁(おきな)などに記述がみられます。
後に意味が転化して、他者の気持ち、とくに家族など身内の者を察し、慮(おもんばか)るような使い方に変わっていきました。相手を気の毒に思うときや、ごきげんを窺(うかが)うときなどに使われました。時代が下れば下るほど他者性をおび、世間一般に対する配慮まで広がって行きました。
他者への配慮、自己を顧みること、遠慮がちな心、自身の帰属するグループに対する気後れ、等々。近年において「心苦しい」はビジネスの世界までおよび、便利なミュニケーションツールとして頻繁(ひんぱん)に耳にするようになりました。そこで、この「心苦しい」の正しい意味を知り、正しく使う必要がでてきたのです。
「心苦しい」の使い方
最近の使い方としては、他人や世間に対して申し訳なく思う気持ち、負い目、気が咎(とが)める感情の表出へと、使い方の主流が変化してきました。昔あった、自分の心の苦しさを率直に押し出す言い方は、あまり耳にしなくなりました。それをすると時代劇になってしまう恐れがあるからです。
さらにいえば、「心苦しい」は感情という枠を越え、感情表現となり、敬語となり、社会的慣例となり、そして仕事上のマナーと化していったのです。
「心苦しい」を使った例文
つぎに現代における「心苦しい」を使った例文をみていきたいと思います。ほとんどが社会を意識したものですが、自分の内面から出た物もあります。
心苦しいのですが
「心苦しいのですが」を使う場合は、断り、辞退する場面などが多いようです。
せっかくのお申し出ですが、私どもには荷が重すぎるようなのでご遠慮申し上げます。
断りつつも相手の様子を見て、次の機会につなげてゆく可能性保持の例。
我々としても大変心苦しいのですが、今回に限りご縁がなかったよえなまで、またの機会にお願いします。
心苦しい限り
「心苦しい限り」は、相手に許しを請(こ)う場合によく使われるようです。
お世話になりっぱなしでお役にも立てず、心苦しい限りです。
せっかくのご提案を、こうして断らなければならないのは、我々としても心苦しい限りでございます。
心苦しくなる
「心苦しくなる」は、これはまでの例とちがって、じゃっかんの話者の思い入れの要素が加わるように感じます。
今まであなたが傾けてきた情熱と時間を思えば心苦しくなりますが、それは出来ないと言わざるをえません。
"~ぼくがその手を自分の手ににぎるとき、ときとしてぼくには、この鳥をふたたび自分の手から抜け出させることが心苦しくなる。~"(ワイド版世界の大思想 第3期〈8〉キルケゴール)
「心苦しい」の類語
・つらい、苦しい 、 悲しい 、 切ない、痛い、悩まし気、心憂い ・心が痛い(む)、心痛、痛々しい、心がズキズキする ・やりきれない、胸をしめつけられるような、胸が苦しい、胸が痛む、無念やるかたない、可哀そうな、哀れな、身を切るような、悲痛な、辛い |
「心苦しい」の類語はたくさんありますが、どれも直接的な、上代のパターンが多いようです。
「心苦しい」の類語の使用例
以下は「心苦しい」の類語による3パターンです。その使用例と意味を個々にみていきましょう。
「つらい」精神的な痛みとしての類語
その学校で受けたのいじめは、息子のつらい記憶として一生残った。
とくに自分や身近な者の受けた直接的な災難が、意味として連想されます。
「心が痛む」痛ましさに遭遇した時の類語
歳を取ると、ニュースを見る度に心が痛むので、新聞もテレビもやめてしまったよ。
他人の災難であっても、心の痛みを引き受けた感じになります。
「やりきれない」精神的痛みによる動揺の類語
抑えた読み手の声がヨブの苦悩を伝え、こちらまで神に対しやりきれない気持ちになってくる。
一過性でない感情の重なり、出口のない塞がった圧迫感を感じます。※ヨブは旧約聖書「ヨブ記」の主人公。神に許しを得たサタンに数々の災厄(さいやく)を降りかけられるも、神への信仰を全うした信仰篤(あつ)き人です。
類例にみられるように、話し手などの心情を吐露(とろ)した言葉が多く、現代的とはいえません。今の我々の共感できる「心苦しい」は、もっと多様な意味や、連想される文脈を持っています。次からは類語だけでなく、その関連語もみていきましょう。
「心苦しい」と代用の利く言葉
現代用語で「心苦しい」と交換しても、胸が痛まない言葉は次の通り。「おそれいりますが」、「申し訳ありませんが」、「(大変)恐縮でございますが」、「(誠に)遺憾ながら」、などなど。もっと間口を広げれば、関連ワードは無限にありそうです。
気の毒に思う、遺憾に感じる、身が縮む思い、気が済まない、恥ずかしい、いたたまれない、居づらい、身の細る思い、気詰まりな、後悔している、うしろめたさ、恩義を感じる、良心の呵責に責められる、気が咎(とが)める、負い目引け目を感じる、肩身の狭い思いをする、身が縮こまる、世間体が悪い、恥ずかしい、羞恥心(しゅうちしん)、
気がひける、遠慮がちになる、気後れする、痛み入る、自責の念に囚われる、にがい気分、やましさ、気に病んでしまう、納得いかない、恐れ入る、躊躇(ちゅうちょ)を感じる、後ろめたい気分、罪悪感、罪障感、原罪意識、自責の念、借りをつくる、後味が悪い、忸怩(じくじ)たる思い、……。
心苦しくなるお祈りメール
お祈りメールは「心苦しい」の類語、関連語、連想される言葉の教科書です。
○○〇○○ 様 先日はお忙しい中、弊社の面接に足を運んで頂きまして、誠に有難う御座いました。 慎重に検討を重ねさせて頂きましたが、誠に遺憾ながら、今回はご期待に添いかねる結果となりました。 不本意な結果となってしまい大変恐縮しておりますが、何卒ご理解いただければと願う次第でございます。 末筆ながら、今後益々の貴殿のご発展とご活躍を、心よりお祈り申し上げます。 株式会社○○○○ 採用担当○○○○ |
これを見ている貴殿にも、このようなメールがお届きになりませぬよう、心よりお祈り申し上げます。
「心苦しい」の敬語表現とは?
敬語表現として「心苦しい」が使われる場合を考えると、とくに良く想定されるのはビジネスシーンがではないでしょうか。その場合主に、謝罪と要求の二種類の意味が考えられます。相手の要求に満足させられないときの謝意を表すときや、へりくだりってお伺(うかが)いを立てつつ、こちらから相手に要求するときなどに使われます。
誠に心苦しいのですが、今回の件は見送らさせていただきます。
勝手なことを言って心苦しいのですが、こちらの規格に合わせていただけませんでしょうか。
など、ビジネスシーンにおいて様々な敬語表現が考えられます。
「心苦しい」の英語表現
現代における「心苦しい」は敬語的使用例が多く、とても日本的な印象を受けがちです。しかし、心苦しいという言葉が神代の昔からあった言葉ではないことは、すでにふれました。つぎからは日本を離れ、広く海外、英語の類似表現を見ていきましょう。
おわびの英語表現
まず、「心苦しい」にも様々な意味があります。日本語でそれを決めなければなりません。やはりここは、現代において使用頻度(ひんど)のもっとも高い敬語的表現にしぼり、かつ何かを断る時の「おわびの気持ち」を挙げたいと思います。
I’m afraid I won’t be able to attend the Meeting. :申し訳ありませんが、そのミーティングには参加できそうにありません。
I am afraid~ 恐れてという意味の、afraidの形容詞が良く使われるようです。(残念ながら) 〜だと思う、せっかくですが〜、という意味合いになります。
いいづらいことを言う場合の英語表現
Although this is hard to say, the company announced that it will officially cancel the project.:これは言いづらいことですが、会社は正式にプロジェクトを中止すると発表しました。
hard to「~するのが難しい」、hate toは「~するのは嫌だ」など、話しにくい話を始める時に良く使うそうです。
「心苦しい」は現代におけるマナー
奈良時代ごろの上代では、自分がつらいと感ずる気持ちをストレートに表していましたが、平安時代に入るとは他人の身を慮(おもんばか)り、かつその気持ちを察する用法となりました。近世に入いると、他人や世間に対して申し訳なく思う気持ち、気が咎(とが)める感情の表出へと、使い方の主流が変化していきました。
現代においては、言葉の持つその生々しさの消失とともに、社会での使用頻度が上がりました。現在の「心苦しい」は、言葉の形骸化(けいがいか)と敬語としてのお行儀の良さをまとっていますが、はたして次なる時代には、どんな姿に変化するのでしょうか。