レジェンド校長「高島雄平」の現在と伝説まとめ!
14歳から70歳までの女性1万人以上を売春したという伝説の校長先生「高島雄平」。校長先生でありながらそのような衝撃的な行為を行なった彼は、なぜレジェンドと呼ばれるようになったのでしょうか。レジェンド校長高島雄平の伝説についてまとめました。
目次
レジェンド校長「高島雄平」とは?
妻も子供もおり、校長先生という立場でありながら、数多くの女性に売春を働き、懲役2年の判決を受け、現在も生ける伝説として語られているレジェンド校長、高島雄平。
彼はどんな経歴を持つ人物なのか、教育者としての経歴・事件前の評判、家族構成や勤務中学校について簡単にまとめました。
レジェンド校長「高島雄平」の経歴
伝説の校長、高島雄平は1975年ごろに横浜市の教育委員会に中学校の教員として採用され、1988年に文科省の在外教育施設派遣試験に合格し、フィリピンのマニラにある日本人学校へ赴任しました。
3年後(1991年)にフィリピンのマニラから帰国し、横浜市内の中学校の校長を歴任後、2011年に教員を退職しています。
レジェンド校長「高島雄平」の印象
教員だった頃は、生徒たちからは厳格な印象を持たれていたものの、評判は上々だったようです。
また、厳格な印象を持たれていた一方、気さくな一面もあったようで、高島先生を略して「タカセン」とも呼ばれていたそうです。
レジェンド校長「高島雄平」の家族・勤務中学校の紹介
伝説の校長、高島雄平は本人、妻、長男、次男、長女の家族5人で暮らしており、現在彼の子供達は全員社会人になっているそうです。
フィリピンのマニラにある日本人学校から帰国後、横浜市の中学校に教諭として着任しますが、そのときに勤務していた中学校は、逮捕後にtwitterに投稿されたいくつかのツイートから横浜市港南区の芹が谷中学校であることが判明しています。
2008年に同中学校の校長に就任し、校長先生として朝礼や入学式、卒業式などで生徒らやその家族に語りかけることもありました。
さらに経歴を調べてみると、一度他の中学校に赴任したこともあったそうですが、ほとんどを芹が谷中学校で過ごしており、2011年に芹が谷中学校を退職し、3000万円の退職金を受け取って退職しました。
レジェンド校長「高島雄平」の現在
周りの人から厳格なイメージを持たれていた伝説の校長「高島雄平」は事件を起こした後、現在はどこでどのように暮らしているのでしょうか?
家族を持ち、子供達を教え導く教育者であり、中学校の校長先生を務めたという輝かしい経歴を持ちながら、売春という家族を裏切るような行為を行ない、深く傷ついたであろう彼の妻や子供たちとの現在の関係はどうなっているのでしょうか?
自宅に引きこもる日々
現在は横浜市金沢区の東京湾が望める高台にある自宅で、家族とともに暮らしており、有罪判決を受けた後はあまり外出もせず、家に引きこもる日々を送っているそうです。
自宅は、窓にステンドグラスがはめ込まれた洋風の大きな建物で、品の良い木製の机や椅子が並べられた手入れの行き届いた庭があり、車庫には高級車が停められています。
自らの行ないに対する罪悪感からか眠れなくなって、飲めない酒を飲むようになったそうです。
事件後の近しい人たちとの関係
事件後、家族とはほとんど話さなくなり、近所の人々とも現在はほとんど交流がないようです。
自分の子供くらいの年齢の女性と売春を繰り返し、「売春で捕まった容疑者の家族」として、末代まで残るような恥と汚点を背負わされることになったのだから、家族から嫌われることも当然といえば当然でしょう。
逮捕後、高島雄平の子供がテレビの取材に答えていましたが「厳格な父だったが自慢できる父親だった」とコメントしています。
レジェンド校長「高島雄平」の伝説
彼はなぜレジェンド=伝説と呼ばれるようになったのかというと、彼は教育者という立場であり、校長先生という経歴を持ちながら数多くの女性に売春を行なっていたのですが、その人数がとんでもない数であり、また、抱いてきた女性の年齢層がとても幅広い年代だったのです。
レジェンド校長「高島雄平」の起こした事件
高島雄平は2015年の4月8日(当時65歳)に、児童売春・児童ポルノ法違反の疑いで神奈川県警に逮捕されました。
そのときの逮捕容疑は2014年1月にフィリピンのマニラのホテルで13~14歳の少女3人と淫らな行為をし、その様子をデジタルカメラで撮影したというものでした。
教員という子供達を教え導く立場でありながら、数多くの女性を売春をしたというニュースは繰り返し全国区で報道されました。
顔写真や経歴などもSNSで拡散し、高島雄平の顔と所業はあっという間に広まっていきました。
妻と子供がいるために逃亡する恐れはなく、証拠隠滅できないほどの証拠もあるため、逮捕翌日の4月9日に釈放され、在宅での捜査に切り替えられました。
レジェンド校長「高島雄平」のストライクゾーン
調べに対し「仕事のプレッシャーが強く、倫理観のタガが外れたときの解放感を味わった」「女性は14歳から70歳くらいで、うち1割は18歳未満だったと思う」と供述し、1日に10人以上を相手にしたこともあったそうです。
下は10代の子供から、上は70代のお婆さんまで売春の対象だったという彼の守備範囲の広さには驚愕せざるをえません。
レジェンド校長「高島雄平」売春のあゆみ
高島雄平被告は1988年にフィリピンのマニラにある日本人学校に赴任しましたが、彼の伝説はこのときから始まりました。
1991年に日本人学校から戻ってきて、中学校で教壇に立つようになってからもフィリピンでの買春に対する欲望は収まらず、毎年春夏冬の3回、学校が長期休暇となるたびに1回あたり2週間ほどの日程で、フィリピンのマニラへ飛んで売春を行なっていました。
周囲には、「マングローブを植えるボランティアに行く」と理由をつけて、長期休暇を取り、フィリピンまで出かけていたこともあったそうです。
渡航回数は最後の2014年1月までに65回にも達しており、高島雄平被告がこれまで買春してきた女性の人数は家宅捜索時に押収された買春の撮影記録などから、およそ1,2660人にも上るとされています。
フィリピンのマニラにある日本人学校に赴任した1988年から、逮捕される前年の2014年までの26年間の間に、単純に計算しても年間で約480人以上の女性を相手にしていたということになります。
神奈川県警によると、高島被告の日本国内での児童買春は確認されておらず、高島被告は「フィリピンに行ってしまうと人格が変わってしまう」「気分がとても高揚して抑えきれなかった」と供述したそうです。
レジェンド校長「高島雄平」の驚くべき几帳面ぶり
神奈川県警は高島雄平被告の売春の証拠を掴むべく、2014年の2月13日に高島雄平被告の自宅に家宅捜索へ入りました。
そこで彼らが目にしたものは、これまで高島雄平被告が相手にしてきた女性たちの写真がびっしりと貼られた410冊のアルバムだったのです。
アルバムは1ページにつき写真が6枚貼られており、余白には女性ごとに1番から1,2660番までの番号が振り分けられていました。
伝説の校長に抱かれた女性たちの記録
撮影された女性の姿はさまざまでしたが、番号の脇に貼られていた1枚目の写真はきまって服を着た姿で正面から撮影されたものでした。
2枚目以降はその女性の裸の写真や、性交中の様子を撮影した写真、他の女性に撮影させたりした写真など、様々なシチュエーションの写真が貼られていたようです。
またハーレムのように大勢の女性たちに囲まれて、悦に入っている高島雄平被告の写真もありました。
それぞれの名前や年齢なども、事細かく綿密に記録されており、お気に入りの女性の場合は1人で二十数枚もの写真が何ページにもわたって貼りつける熱の入れようでした。
几帳面に積み重ねてきた歴史
家宅捜索で押収された写真の総枚数はなんと約15万枚にも達し、当時の捜査員たちは絶句するしかありませんでした。
撮影に使われたカメラも、1988年から2014年までの26年間という年月を経て、インスタントカメラからデジタルカメラへと変化していき、押収物の中にはデータ保存用のSDカードも含まれていました。
なぜ性行為のたびに写真を撮影していたのかと聞かれた理由について高島雄平被告は、「自分の思い出作りのため、記録として残しておいた」と供述しました。
レジェンド校長「高島雄平」の判決
フィリピンで約1万2000人の女性を買春し、児童ポルノ製造法違反で逮捕されたの高島雄平被告。
家族を裏切り、教師の信頼を著しく失墜させた男への判決は、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決でした。
しかし、起訴されたのは、売春してきた1万人以上の女性のうちのたったの3人に対する行為だけでした。
罪になったのは3人の少女に対する行為だけ
多数の証拠品や報告があるにも関わらず、起訴できたのは1万人以上の女性のうちのたったの3人の少女に対する行為だけでした。
神奈川県警は家宅捜索後に1年以上の月日をかけて、押収した写真を調べました。
このうち、2014年の1月ごろに買春して撮影した1人の少女について調べたとこころ、小児科医から「13~14歳程度」との判定が得られたため、児童ポルノ製造の容疑で逮捕に踏み切りました。
しかし、その女性を特定することができなかったため、児童買春容疑での立件は断念せざるを得ず、児童ポルノ製造の時効は写真を製造の日から数えて3年間であるため、他の女性についての立件も難しかったそうです。
また売春婦を1万人以上抱いてきた高島雄平被告ですが、売春婦が嫌がることは一切しなかったため、警察の捜査が入ったときも、被害を口に出す人がなかなかおらず、そのせいで捜査が滞ったことも原因であると考えられます。
伝説の校長に言い渡された判決
検察側は再犯の恐れがあるとして、懲役2年を求刑しましたが、弁護側は写真を売買するつもりはなく個人で楽しむ目的だったとして、執行猶予付き判決を求めました。
そして児童買春・ポルノ禁止法違反罪などに問われた高島雄平被告の判決は12月25日に横浜地裁で言い渡されました。
大森直子裁判官は「児童らの経済的苦境に乗じて卑劣で悪質。児童への悪影響を一切顧みない身勝手な態度は強い非難を免れない」として懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡しました。
大森裁判官は日本でもフィリピンでも子供は守られるべき存在であり、教師だからそのことは分かっていたはずと厳しく批判し、「フィリピンの日本人や、教師に対する信頼を損ねたことを忘れないでほしい」と付け加えました。
ちなみにフィリピンで同様の犯罪を犯した場合には、終身刑が適用されるとのことです。
最終的に伝説の校長に下された判決は懲役2年、執行猶予4年となり、退職時に受け取った3000万円の返納が要求されました。
レジェンド校長「高島雄平」フィリピンでの評判
高島雄平が逮捕されたことについては、フィリピンで売春された人たちのほとんどが「逮捕されたことが信じられない」「無罪になるべき」というような意見だったとのことです。
彼は売春した女性の学費を援助していただけでなく、水揚げ(遊女が初めて客と寝所にて接すること)もしていたという話があり、フィリピンでは彼の支持者は現在でも多くいるようです。
事件後のフィリピンでの評判
フィリピンの女性被害者などからは、多くの怒りの声が聞こえてくるのかと思いきや、返ってきた反応は意外なものでした。
現地で高島雄平に売春婦を斡旋していた女性は「フィリピンに戻ってきてほしい」とコメントしています。
彼女が紹介した女性たちも「誰ひとりとして高島さんのことを悪いと言う人はいない」と発言し、「彼は刑務所に入るような人間じゃない」「無罪になってほしい!」というコメントさえ出ています。
フィリピンでは紳士だった
彼は女性に対してとても優しく、売春婦が「娘が同じ世界に入るときはせめて最初はあの人で」と新人売春婦の水揚げの相手をしており、業者の間でも「あの人なら問題ない」とかなり信頼されていたお客だったそうです。
テレビでは家族や教員の信頼を裏切った最低の人物として報道されていた高島雄平ですが、フィリピンでは理想的なお客様として現地民から深く感謝されていたようです。
当時を知る現場の売春婦たちは、現在も彼が無罪であることや、フィリピンに帰ってきてくれることを信じている人も多いようです。
事件後の国内での評判
では日本国内での評判はというと、フィリピンとは違って、もちろん罵詈雑言の嵐で、日本の教育者としてのイメージを著しく傷つけたとして、特に教育現場からの彼に対する失望と非難は凄まじいもののようです。
彼の妻や子供達へはもちろん、芹が谷中学校の生徒や元生徒、その他関係者たちへも「家族がかわいそう」「学校の名や経歴に傷をつけた」「判決が軽い」など同情や擁護の声が多く上がっていました。
かつての教え子たちも「こんなことで逮捕されるなんて考えられない」「裏切られた」と怒りや失望のコメントを残しています。
ネット上での評判
一方、ネット上では60歳を越えてなお衰えない性欲を発揮していたことや、1万人以上というギネス級の人数の女性たちを抱いてきたとして「伝説の男」と、現在でも祭り上げられています。
レジェンド校長「高島雄平」の人物像
フィリピンでは理想的な太い客として感謝され、業者からも信頼され、売春婦たちからも深く愛されていた高島雄平ですが、彼は何故そこまで信頼されているのか、彼のフィリピンでの経歴についてまとめました。
モラルが欠如していることや、妻や子供など多くの人々の信頼を裏切ったことへの批判はあれど、数多くの売春婦を抱きながら、いろいろ援助をしたり、紳士的かつ律儀な態度をとっていたことが現在も多くの支持を得ています。
レジェンド校長「高島雄平」の女性に対する深い思いやり
彼に売春婦を斡旋していた女性からの話によると、高島雄平は女性に対してかなりの思いやりや優しさを持っていたとのことです。
きちんと料金を支払うことはもちろん、カメラでその売春行為の記録するため撮影をしてきましたが、撮影を拒否した人に対しては怒ることもなく撮影をしなかったといいます。
相手の女性の意思を尊重していたようで、乱暴に売春婦を抱いたり、暴行を加えたというような証言もありませんでした。
貧しい女性に対しては金銭の援助
しかも、彼の思いやりはそれだけで収まらず、売春を斡旋する人には内緒で、売春婦に通常料金の倍の額のチップを与えることもあったそうです。
それだけでなく、貧しい女性のために学費を援助したり、売春婦の娘が同じ世界に入らざるを得ない状況になって、そのことを後悔していた母親に対し「あなたのせいではない」と諭し、母と娘両方を抱いて、しっかり両方に料金を支払ったそうです。
教育者としての経歴に恥じない道徳的かつ紳士的な振る舞いと、それに同居した外道ぶりが入り混じった奇妙な人間性を持っていたようです。
性病に対する配慮
フィリピンでは性病が蔓延しており、性病患者を増やしてはいけないと思っていたのか、性病にかかっていた子供達の為に、数千錠も薬を持ってきては子供達に渡し、次に来た時は必ず薬を渡した女性を指名して、性病の薬を横流ししてないかチェックしていたそうです。
薬を横流ししていた場合は本気で叱りつけるなど、これまた教育者の経歴に恥じない道徳的な行為も行なっていたようで、こちらはこちらで別の意味で輝かしい経歴を残していたようです。
本当の意味で伝説に残るような行動
家族を始め、多くの人々の信頼を裏切り、1万人以上の女性に売春を働いて、懲役2年の判決を受けた伝説の校長高島雄平。
売春を働いたことは決して擁護できるものではありませんが、貧しい女性に対していろいろな援助を送り、女性の意思を尊重し思いやり、現地のフィリピンの人たちから現在も支持されるほどの紳士的ぶりは見習えるものがあります。
ぜひ皆さんは、彼のように世間から批判されるような行動をとることなく、他人の意思を尊重し思いやり、多くの人々から感謝されて、そういった意味で伝説に残るようなことをしてください。