日生学園は日本一のスパルタ指導で有名!日生学園事件とは?

浜田雅功さんが卒業生である日生学園第二高等学校は日本一のスパルタ指導で事件になりました。現在は女子もしっかりいる共学なのですが、事件当初は偏差値も低くかったそうです。現在はどうなっているのでしょうか。姉妹校の日生学園第二高等学校についても調査してみました。

日生学園は日本一のスパルタ指導で有名!日生学園事件とは?のイメージ

目次

  1. 1日生学園とは?
  2. 2日本一のスパルタ指導の中身
  3. 3日生学園事件とは?
  4. 4日生学園の偏差値は?
  5. 5日生学園卒業の有名人
  6. 6日生学園の現在
  7. 7日生学園で得られるもの
  8. 8昭和の日生学園の先輩と後輩の関係
  9. 9昭和の日生学園の恋愛事情
  10. 10スパルタ指導を辞めた日生学園

日生学園とは?

学校

日生学園とは三重県にある日生学園第二高等学校(現在は青山高等学校)内に本部を持つ学校法人名です。有名な卒業生としてお笑い芸人の浜田雅功さんや今田耕司さんがいます。日生学園はスパルタ教育が度を超えており、現在では考えられない教育方針だったそうです。

その教育方針は刑務所と変わらないのではという声もあります。日生学園のスパルタ教育が度を超えていたことや、卒業生に人気お笑い芸人の浜田雅功さんがいることもあり、現在ではテレビや雑誌でも取り上げられることもしばしばあります。

男子生徒と女子生徒がいる全寮制の共学

男女

日生学園第二高校は徹底したスパルタ教育を行なっていましたが、それだけ聞くと男子校をイメージしがちです。しかし、日生学園第二高校は女子生徒も存在する共学です。さらに全寮制であるため全校生徒が毎日同じ建物で寝泊まりする環境になります。

ただし、日生学園第二高校は男女交際が禁止されており、男子生徒が女性生徒と交流できるのは授業の休み時間だけだそうです。さらに女子生徒と男子生徒が一緒にいるところを見つかっただけで退学になる可能性すらあったそうです。

日生学園の学長

先生

スパルタ教育が盛んだった頃の日生学園第二高等学校の学長は青田強氏です。青田強氏の教育方針は「一流の人間を育てる」というものでした。この教育方針について生徒の保護者から絶大の信頼を得ていたそうです。

しかし、生徒からすればこの教育方針が日本一のスパルタ指導だったわけです。全寮制であるが故に生徒は24時間自由な時間はなかったそうです。

そんな青田強氏ですが残念ながら既に他界されています。青田強氏が亡くなった現在、日生学園第二高等学校(現在の校名は青山高等学校)のグラウンドに青田強氏の銅像が立てられています。青田強氏のカリスマ性の高さが伺えます。

日本一のスパルタ指導の中身

スパルタ

日生学園のスパルタ指導は日本一と噂されています。スパルタ指導というと教師からの教育的指導としての暴力や叱咤激励が該当します。いづれも生徒が間違ったことや校則違反をした時などにあくまでも指導という形で行われるものです。

日生学園の場合はこのスパルタ指導が一つの習慣として用いられていました。生徒が悪いことをしているかどうかの有無に関わらず毎日スパルタ指導を受けるのです。

ここからは日生学園第二高等学校の変わった習慣を紹介します。

生徒へのスパルタ指導

学生

日生学園第二高校は全寮制の学校であるため、男子も女子も全員寮住まいです。寮で共同生活をしているため、当然ながら起床時間も定められています。そして日生学園第二高校の生徒の起床時間は朝4時だったそうです。朝4時と言えばまだ太陽も上っていないような時間帯です。

ただし、毎日というわけではなく水曜日と日曜日以外に限った話だそうです。

また、体調不良で40度の高熱が出ても病院には連れて行ってもらえないそうです。そしてどういうわけか雨が降っても傘の使用は禁止されており、雪の場合も振られっぱなしだそうです。

トイレ

さらに有名な話ですが、トレイ掃除の際は素手で便器を磨かないといけないそうです。どういう理由で素手で便器を磨かせるか意味が分かりませんが、これも日生学園第二高校の教育指導の一貫だったそうです。

さらに返事は基本、大声で返事しないといけないようで大抵の人は入学して3日後には声が枯れてしまうそうです。

これだけ見ると日生学園第二高校のスパルタ指導は常識からかなり逸脱した教育方針だったことが分かります。

スパルタ指導以外の変わった習慣

輸入

日生学園第二高校ではあまりにも行きすぎたスパルタ指導でした。ここからはスパルタ指導以外で変わった習慣を紹介して行きます。

まず生徒はお菓子や雑誌を寮に持ち込むことができません。高校生であれば何かと多感な時期ですので、どうにかして寮に持ち込みたいと考える人が多かったようです。

そのせいか親からの仕送り品(枕など)にお菓子や雑誌をしのばせてもらいそのまま密輸するという習慣が生徒の間で広まったそうです。見つかった時は当然厳しい体罰が待っていますから文字通り密輸と同じくらいのスリル満点な仕送りだったそうです。

坊主頭

さらに生徒だけではなく、教師も厳しい決まりごとがあったようです。先ほど生徒は朝4時に起床するということを記載しましたが、教師は朝3時に起床するそうです。さらに生徒と同様に教師も坊主頭にしなければいけなかったようです。

また、日生学園第二高校は他の高校と違い修学旅行や学園祭、体育祭などの学校行事が一切なかったようです。

日生学園事件とは?

事件

日生学園第二高等学校についてインターネットで調べていくと日生学園事件またはスパルタ事件というなにやら物騒なキーワードが見受けられます。スパルタ指導が日本一だっただけに何が起きていたか気になるところです。

ここからは実際に事件として取り上げられた事柄について紹介していきます。

スパルタ事件の実態

事件

日生学園第二高等学校では1970年から1980年代にかけて学校内での暴力事件や脱走事件、自殺者や原因不明の死亡事故があったそうです。この内容について教師から内部告発があり週刊誌の報道で世間をにぎわせました。

また、上記の報道を受けて国会議員による国政調査が行われ、三重県からも日生学園に対して行政指導が行われたそうです。これが日生学園事件またはスパルタ事件の実態です。

脱走

教師からの執拗な暴力や刑務所さながらの指導方針が招いた事故と言えます。日生学園第二高等学校は学校行事で修学旅行などのお楽しみ要素が一切なく、厳しい指導だけを押しつけられる環境でした。

学校から逃げ出そうとする人が多かったのも頷けます。

現在の日生学園

太陽

日生学園第二高等学校の現在は上記の日生学園事件を受けて三重県から行政指導が入りました。現在も他の高校と比べるとかなり厳しいようですが、事件があった当初よりは緩やかになっているそうです。

それでも生活面の指導はかなり厳しいそうで、頭髪や服装や時間厳守は特に厳しいようです。ただし、それだけの厳しい指導があったおかげか、不登校だった生徒を大学や専門学校へ進学させている実績があるも事実です。

現在の日本では厳しい指導に対して冷たい目で見られがちですが、不登校だった生徒などを改心させるには必要なことなのかも知れません。

日生学園の偏差値は?

勉強

日生学園の偏差値はどのくらいだったのでしょうか。日生学園は主に不登校だった生徒や不良の生徒を積極的に受け入れる高校です。

不登校や素行の悪い生徒などの高校への進学が難しい生徒が主に入学する学校だったようです。

そういった高校は自ずと偏差値は低い傾向にあります。日生学園事件の前後での偏差値も気になるので合わせて調べてみました。

日生学園事件当時の偏差値

偏差値

日生学園事件当時の日生学園第二高校の偏差値は39だったそうです。いわゆる底辺と呼ばれる偏差値です。入学試験は名前が書ければ合格できたそうです。

日生学園は主に高校への進学が難しい生徒を取り扱っていたわけですから当然と言えば当然の偏差値なのかも知れません。

卒業生であるお笑い芸人の浜田雅功さんが入学した時期の偏差値も同様になります。

現在の偏差値

偏差値

現在の日生学園第二高等学校(現在の校名は青山高等学校)の偏差値はどのくらいなのでしょうか。

現在の青山高等学校の偏差値は38から42の間です。日生学園事件当時と大差ありません。三重県内の私立高校が30校ありますがその中で25位とかなり低い位置にあります。

現在でも不登校の生徒などを受け入れていますので、偏差値が低いのは仕方のないことでしょう。偏差値こそ低いですが、不登校の生徒などを積極的に受け入れて大学や専門学校へ進学させている実績もあります。

日生学園卒業の有名人

卒業

日生学園には有名な卒業生がいます。卒業生として有名なのはお笑い芸人のダウンタウン浜田雅功さんです。また、卒業生ではありませんが在学経験のある方でお笑い芸人の今田耕司さんがいます。

この二人はお笑い芸人ということもあり、テレビで日生学園時代の話をされることがあります。ここからかはそんな二人の日生学園でのエピソードを紹介していきます。

卒業生の浜田雅功さん

卒業

お笑い芸人の浜田雅功さんは日生学園の卒業生です。さらに在学当時は副学寮長をされていたそうです。スパルタ指導が激しかった時期に、他の生徒の見本となる副学寮長をされていたわけですからいかに凄いかが分かります。

そんな卒業生の浜田さんですが、終始学校の教えに従っていたかというとそうではないようです。どうやら何度か脱走を試みたそうです。

脱走

卒業生の浜田さんは在学当時、自由時間もなく外からの情報は学校行事の散髪時(丸坊主にする)に床に敷く新聞紙から情報を得ていたと発言されています。

雑誌などの持ち込みに厳しい学校でしたからそうした手段しかなかったそうです。さらにトイレ掃除は便器を素手で磨くなどの待遇が嫌になり脱走を試みたそうです。

友人であり現在の相方でもある松本人志さんに電車賃を持って迎えに来てもらい脱走したようです。その際、途中でお腹が減り立ち食いうどん屋でうどんを食べていたら浜田さんはひと啜りでうどんを全部食べてしまったそうです。

父親

卒業生の浜田さんは脱走は試みたものの最後は無事卒業したそうです。

そんな卒業生の浜田さんですが、なぜ日生学園に入学することになったのでしょうか。理由はどうやらお父様にあるようです。当時の浜田さんは勉強があまりできる方ではなかったそうです。

そんな中担任の先生から日生学園への進学を勧められ、浜田さんのお父様が日生学園の教育方針に感心して日生学園へ入学することになったそうです。

途中で退学してしまった今田耕司さん

退学

今田耕司さんも日生学園に在学経験のある有名人です。ただし、浜田さんと違い卒業はしておらず途中で退学しています。

今田耕司さんは退学するまでの間に2回ほど日生学園から脱走しています。今田さんいわく、当時は自由がなく、先輩からも厳しい指導(殴る蹴るの暴行)が多くて耐えきれずに脱走したようです。

脱獄

1度目の脱走は1年生の秋頃だったそうですが、失敗して連れ戻されてしまったそうです。

ちなみに脱走者が出ると学校中にアラームが響き渡り、脱走した生徒が見つかるまで1年生は正座させられるそうです。まさに刑務所さながらです。

そんな中、今田さんは2度目の脱走を試みます。

脱走

2度目の脱走は夏頃だったそうです。事前に下見を済ませた今田さんは消灯後に1階のトイレの窓を開け、脱走しました。

脱走しても先生が車で執拗に追いかけてくるため草むらに隠れ、山を2つ超えた先の駅まで逃げたそうです。最寄駅に逃げ込むと「脱走した生徒がいる」と近隣住民に通報されてしまうため、山を超えて隣の駅まで行ったそうです。

山を超えた後は野宿を挟みなんとか電車に乗って帰宅したそうです。

脱走した後の今田さん

先生

無事脱走することに成功した今田さんですが、学校側から「一度辞める手続きのために戻って来てほしい」と告げられ学校に戻りました。

学校へ行くと教師から「君が学校に戻るというまで僕は君を殴り続ける」と言われ、5〜6発殴られたところで「続けます」と答えたそうです。

しかし、それでも辛い生活に耐えきれずに冬休みの帰省をきっかけに退学したそうです。

日生学園の現在

学校

日生学園第二高等学校の現在はどうなっているのでしょうか。スパルタ指導で有名になり、暴力があとを絶えませんでしたが、三重県の指導もありかなりまともになったと思われます。

実際にどのような変化があったのか、女子とは交流できるようになったのかなど気になる点が多いので、ここから先は日生学園第二高等学校(現在の青山高等学校)がどのように変化したかを記載していきます。

進学校への転換

進学

日生学園第二高等学校は2000年以降、進学校へ転換すべく大学受験に向けた学習指導に力を入れています。

あのスパルタ指導で有名であり、暴力が絶えなかった日生学園第二高等学校からは想像できない進歩です。主に基礎からの学習指導や全寮制であることを利用し、通信制の学校では難しいリーダーシップの育成に取り組んでいるそうです。

昔の日生学園第二高等学校でも不登校の生徒や不良の生徒に対して男子と女子を分け隔てなく立派な社会人にするための教育を行って来ました。

教育

昔の日生学園第二高等学校での教育ノウハウがありますので、そこから暴力的な教育姿勢を排除すれば成立します。何も不思議な話ではないでしょう。

ただし、変わらない制度もいくつかあります。まず月曜から土曜までのマラソンです。さらに大声で返事や歌を歌うという教育方針はそのままです。また、男子と女子の交際は禁じられています。ただし男子と女子の交際が禁止されている高校は多いので目立つポイントではありません。

光

規律が若干厳しいですが、日生学園第二高等学校の時と比較するとまともな高校になったと言えます。

尚、修学旅行に関しては海外へ行けるようです。入学生も裕福な家庭の生徒も多くいるそうなので他の高校と遜色ない高校になったと言えます。

日生学園(現在の青山高等学校)の口コミ

口コミ

日生学園の現在の口コミを見てみると、かなり緩いという意見もあります。

具体的には授業中にゲームをしていたり、音楽を聴いている生徒がいるようです。また、男女交際も厳しいが隠れて女子と付き合っている男子も数多くいるようです。

ただし、いじめやトラブルが多いのは変わらないようです。先生と進路で揉めるといった場面もあるようです。総合的に見ると普通の高校と変わらないように思えます。

恋愛

風紀が乱れた印象がありますが、中には「先生も生徒も皆優しい」という意見や、「いい学校だ」という意見もありました。「いじめや体罰の話など聞いたことがない」という意見まであります。

かつてはスパルタ指導で有名でしたが、現在はまともな高校になったということでしょう。

日生学園で得られるもの

得られるもの

日生学園での過酷な学生生活を送ることで得られるものがあります。人は厳しい環境に身を置くと成長します。かつての学長も「一流の人間を育てる」ということを目標に指導を行って来ました。

しかし、現在では事件にまで発展してしまった過去を省みてまともな高校へと変化しましたが、本質は変わっていません。暴力での教育から熱心な教育へと変わっています。

そんな日生学園で得られるものについて調べて見ました。

寮生活で得られるもの

寮

日生学園では現在でも早朝にマラソンがあります。また、集団生活を行っているため、消灯時間が決まっていたり自由な時間が極端に少ないです。

男子と女子で寮は別れており、男子と女子が接触することは基本的に禁止されています。こういった生活サイクルはスパルタ事件の前後で変わりはありません。

ただし、そういった生活を乗り越えることで社会人に必要不可欠な「協調性」を得ることができます。

厳しい指導から得られるもの

厳しい指導

日生学園では過去に厳しいスパルタ指導がありました。現在では多少緩くなっているようです。

有名な卒業生としてお笑い芸人の浜田雅功さんがいます。卒業生の浜田さんと言えば知らない人はほとんどいないほどの有名人です。卒業生の浜田さんはかなり大きな声で「結果発表!」と仰っているイメージがあります。

あの大声はそれこそ日生学園で培ったものでしょう。その他にも厳しい指導の下育つということは「忍耐力」が着きます。これも日生学園の厳しい指導で得られるものと言えます。

昭和の日生学園の先輩と後輩の関係

昭和

昭和の日生学園の生徒間のやり取りはどうだったのでしょうか。実体験を調べて見ると、先輩後輩の上下関係が厳しかったようで、先輩からの指導で消灯後に何時間も暴力を振るわれることも多かったようです。

寮の部屋は全て相部屋で一部屋に30人ほどの生徒が居たそうです。30名の内訳は1年生から3年生までおり、部屋の中には必ず一番偉い「権力者」と呼ばれる人が居たそうです。

猿

一年生は「奴隷」と呼ばれていたそうで、挨拶がなかったなどの理由で「しばき」と呼ばれる暴力を振るわれていたそうです。

「しばき」にはコースが存在し、1時間コースから朝までコースまであったそうです。酷い場合は体に跡が残り、1ヶ月間消えないほどだったそうです。

当時の日生学園はかなり荒れていたようです。

昭和の日生学園の恋愛事情

女性

昭和の日生学園の恋愛事情はどうだったのでしょうか。

当時の日生学園の男子と女子の比率は8対2だったそうで、女子に関しては色気を感じないという生徒が多かったようです。それもそのはず当時の女子生徒は学校行事の心行を行う際、みんなと一緒に体を揺らしながら大声で「ワッショイ!」と言っていたそうです。

高校生ですから当然化粧はしていません。このように当時の女子生徒に女らしさを感じる生徒は少なかったようです。

スパルタ指導を辞めた日生学園

明るい

日生学園はスパルタ指導で有名でしたが、現在は普通の高校と変わりません。ただし、偏差値は相変わらず低いままです。偏差値は低いですが、修学旅行では海外に行けたり、熱心な教育をしてくれる先生がいたりと人によってはいい学習環境と言えます。

有名な卒業生にお笑い芸人の浜田さんがいますし、途中で退学してしまいましたが、今田耕司さんもかなりの有名人です。

ゴリラ

お笑い芸人という特殊な職業ではありますが、世間に顔と名前が知られるほどの有名人を排出している学校と考えれば実績が悪いとは言い切れません。

現在では昔のような厳しい指導はなくなったにせよ、現在の教育スタイルに合わせた進化をしたとも取れます。現在の日生学園の偏差値は平均よりもかなり下ですが、修学旅行に海外旅行を取り入れたり、進学校へと転向したりと学校側の努力が見て取れます。

光

スパルタ教育を辞め、生徒を正しい道へ導く熱心な学校と言えるでしょう。

過去に事件にまで発展しましたが、現在では改善が見て取れます。過去を省みて正しい方向へ進んでいます。偏見を持たず日生学園という選択肢があるということを覚えておいてください。

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