2019年03月10日公開
2019年03月10日更新
あばたもえくぼの意味とは?漢字では痘痕も靨の使い方を例文で紹介
「あばたもえくぼ」とは聞いたことはあるけど、正確な意味はよく分からない、どういうときにどんな使い方をすればいいのか分からない、なんてことはありませんか?ここでは「あばたもえくぼ」の語源から例文、対義語、英語表現までまとめてご紹介します。
目次
「あばたもえくぼ」の使い方をマスターしよう!
「あばたもえくぼ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。聞いたことはあるけど使い方はよく分からない…といった方も多いのではないでしょうか。
このような少し聞きなれない言葉を正確に使えると、なんだか文化的な生活を送っているような気分になれるし、周りからも一目置かれるようになるかもしれません。
ここでは、「あばたもえくぼ」という言葉の意味や使い方、対義語などを紹介します。正しく理解して、言葉を正確に使えるようになりましょう。
「あばたもえくぼ」の意味とは?
「あばたもえくぼ」という言葉の意味は、「好きになった相手の短所も長所に見える」という意味です。
これは恋愛の醍醐味とも言える一方、ここまで恋愛に溺れてしまわないよう注意喚起したり、溺れてしまっている人を揶揄するときにも使用できます。
ちょっとした欠点なんて逆に魅力的に感じるくらい恋愛に没頭できるのは楽しいことですが、冷静に相手を見られないのは少し危険かもしれません。
「あばたもえくぼ」の語源
「あばたもえくぼ」とは、漢字では「痘痕も靨」と書きます。「痘」とは、もとは天然痘が治った後にできる皮膚のくぼみのことを指します。
天然痘とは、日本では明治時代から第二次世界大戦後ごろまで流行していた感染症で、感染力が強く死に至ることも多かった疫病です。完治した後にも、顔に痕が残ってしまう病でした。日本以外でも世界中で感染がありました。
WHOによると、天然痘はワクチンの接種などにより、1980年に全滅しました。天然痘自体は過去の病気ではありますが、現在では、ニキビ跡などを「あばた」と呼ぶこともあります。
あまり好印象でないはずの傷跡も、好きになった人のものであればえくぼのように愛しく見えてくる。ということから、「あばたもえくぼ」という言葉が生まれました。
天然痘は過去の病気ですが、恋愛に関する言葉だけが今なお使い続けられているということにロマンを感じます。
「あばたもえくぼ」の使い方
「あばたもえくぼ」という言葉は、恋愛に関することわざのひとつです。人を好きになったら、なんでもかわいく見えたり、短所であっても愛しく見えてしまう。そんな恋愛に夢中になっている場面で使用されます。
「あばたもえくぼ」を使った例文
「あばたもえくぼ」という言葉は、たとえば次のようにして使用します。
恋人や片思いの相手に夢中な自分をちょっと客観視してみたり、夢中になりすぎて冷静さを失っている友人を心配したり揶揄したり、そのようなシチュエーションで使用します。
文学の世界でもよく使われるフレーズです。
例文①恋愛するとあばたもえくぼになりやすい
恋愛すると、誰しも盲目的に相手を見てしまいがちです。自分は恋愛しても冷静だから大丈夫…と思っている人ほど、自分が「あばたもえくぼ」になっていることに気が付きにくいものです。
簡単に冷静になれる恋愛なんて楽しくない!というのも一理ありますが、「あばたもえくぼ」に注意しながら夢中なれたら、それが健全な恋愛かもしれません。
あるいは、どこからかこんな言葉が聞こえてきたら、少し自分を客観視するいいきっかけかもしれません。
例文②優柔不断なところもあばたもえくぼでかわいく見える
ショッピング中、どちらの服を買おうかずっと悩んでいる彼女。そんなに悩むなら両方買えばいいのに、予算もしっかり考えて、少しでもかわいく見えるのを選ぼうとしている。しっかりしているし、その姿勢がもうかわいいな。
こんなふうに考えてくれる彼氏だったら、時間をかけてしまうお買い物デートも一日楽しくいられそうです。また、彼氏が自分でも「あばたもえくぼ状態だな!」と思えているなら、平和なカップルが目に浮かびます。
例文③あばたもえくぼ状態で浪費癖も許してしまう
彼氏の浪費癖も、「お金遣いも男らしい」と逆に惚れ惚れしてしまっている友人。彼にお金も貸しているみたい。さらにはそんな彼と結婚も考えているらしい。このままで大丈夫かな。
こんな状態の友人は、傍から見ると少し心配になってしまいます。これは恋愛中には意外とよくあるシチュエーションかもしれませんが、「あばたもえくぼ」が度を超えていたら、少し周りのサポートも必要かもしれません。
友人を少しからかったり戒めたりするときに、便利に使えるフレーズです。
「あばたもえくぼ」の対義語
恋愛に夢中な状態にピッタリな「あばたもえくぼ」の対義語には、例えば、次のようなものがあります。
・親が憎けりゃ子も憎い ・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い |
「あばたもえくぼ」とは、「好きになった相手なら、短所も長所に見える」という意味ですので、その対義語は「嫌いになった相手なら、その相手に関するものはなんでも嫌い」という言葉になります。
親が憎けりゃ子も憎い
親を憎めば、その子どもに何の罪もなかろうと憎く見えてしまう、という意味です。まさに「あばたもえくぼ」の反対の意味です。
「あそこの家の子だから好きになれないなんて、それは親が憎けりゃ子も憎いというものだよ。」
といった使い方をします。その家の大人が好きではないので、ついその家の子どももかわいく思えない…という人を戒めているシチュエーションです。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
こちらは、「相手を憎むあまり、それに関わる全てのものが憎い」という意味です。人を憎く感じたら、その人に関係するものすべて、身にまとっているものまで憎く感じてしまう、ということです。
「あの人が飼っているから、どうしてもあの犬が好きになれないなんて、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというものだね。」
といった使い方をします。「袈裟」とはいうものの、「身にまとうもの」と制限する言葉ではありません。
「あばたもえくぼ」の英語表現
「あばたもえくぼ」とよく似た意味の英語表現もあります。恋愛に夢中になって相手や周りのことを冷静に見られないのは、万国共通のようです。
気を付けて見ていると、恋愛映画でこのようなセリフに出会うかもしれません。
Love is blind
「Love is blind」とは、「恋は盲目」という意味の英語のことわざです。まさに「あばたもえくぼ」。好きになってしまうと、盲目的に何も見えなくなって、すべてその人の魅力にしか見えないという状態です。
I can't understand why May loves Jim!
It's "Love is blind".
恋愛状態は、文化的背景を超えて世界共通です。
Love sees no faults
「Love sees no faults」こちらは直訳すると、「愛は欠点を見ない」となります。愛することによって欠点が見えなくなってしまう状態を、無生物主語で表現しています。愛に溺れると、その愛は欠点もすべて隠してしまうものです。
日本人からすると、なんだか文学的でロマンチックな表現に聞こえます。
「あばたもえくぼ」状態はなぜ起こる?
そもそも人はなぜ恋愛に夢中になると「あばたもえくぼ」状態になるのでしょうか。時代や文化を超えて存在する「あばたもえくぼ」状態について、少し詳しく考えてみます。
「あばたもえくぼ」状態は、プロスペクト理論を用いて説明することができます。
プロスペクト理論とは
「プロスペクト理論」とは、よく経済界で用いられる心理学用語です。簡単に言うと、「人間は利益を得る喜びより損害を受けるダメージのほうが大きい」というものです。
人は「一度決定したことを覆したくない」のです。自分の選択を否定する損害を被るからです。
プロスペクト理論と「あばたもえくぼ」状態
「あばたもえくぼ」状態をプロスペクト理論で解説すると、好きになった相手の欠点を認めることは、好きになった自分の選択を否定することになり、それは恋人を失うという損害のリスクにもつながります。
よって、周りの人に「あの人は良くない」、「ほかの人にしたら」といくら言われても、なかなか好きな人の欠点を認めることができない、という状態になるのです。
「あばたもえくぼ」状態が心理学的に説明できる現象だとすると、時代や文化によらずに、この状態を表現する言葉が存在することも納得ができます。人間の脳が、そういうふうにできているのです。
「あばたもえくぼ」を使いこなそう
時代を問わず、文化を問わず、「あばたもえくぼ」で「Love is blind」です。恋愛に夢中になるのは楽しく素晴らしいことですが、度を超えてしまいそうなとき、この言葉を思い出して冷静さを取り戻したいものです。
新しい言葉を知ると、その言葉にピッタリな感情を理解できたり、自分の世界に広がりや深みが出ます。「あばたもえくぼ」とは、普段あまり耳にしない言葉かもしれませんが、正しく使用して新しい言葉で生活に新たな色を加えたいです。