俳優の黒沢年雄は現在!がんで死亡している?

一時期テレビやCMでよく見かけた、俳優の黒沢年雄さんですが、現在どうしているか知っていますか?がんで死亡していると噂まで出た黒沢年雄さんの現在を調べてみました。また、バラエティーやCMだけでない過去の出演作品や、これまでの経歴もご紹介します。

俳優の黒沢年雄は現在!がんで死亡している?のイメージ

目次

  1. 1黒沢年雄とは?
  2. 2黒沢年雄の経歴
  3. 3黒沢年雄の出演作品
  4. 4黒沢年雄の死亡説の真相
  5. 5ガンの治療を通して黒沢年雄さんが伝えたいこと
  6. 6黒沢年雄が抱えた借金8億円
  7. 7黒沢年雄の家族
  8. 8黒沢年雄の現在の活躍
  9. 9黒沢年雄さんは現在でも活躍中

黒沢年雄とは?

黒沢年雄さんという俳優さんをご存知ですか?最近の若い人は、もしかすると知らないという人もいるかもしれません。

ニット帽がトレードマークになった、可愛らしいおじさんというイメージのある黒沢年雄さんですが、かつては第2の三船敏郎と言われた二枚目俳優でした。

そんな黒沢年雄さんですが、一時期は死亡説も流れたことがありました。実際には黒沢年雄さんの現在はどうなのかを調べてみました。

黒沢年雄のプロフィール

本名 黒沢年男
生年月日 1944年2月4日
現在の年齢(2019年現在) 75歳
出身地 神奈川県横浜市西区
血液型 AB型
活動内容 俳優・歌手
所属事務所 プロダクション・クロ

黒沢年雄の経歴

黒沢年雄は、芸能界デビューする前は、キャバレーのバンドマンやウェイター、また工場作業員や訪問販売セールスマン、陸送の運転手など、芸能とは関係のない仕事を、転々としてきたようです。

そんな中、「有名になってお金持ちになりたい」という思いから俳優を目指しはじめました。そして、1964年に第4期東宝ニューフェイスとして東宝に入社し、芸能界の世界に入ってきたのです。

デビューしてから、現在までの経歴を調べてみました。若い人は、バラエティー番組で活躍する姿の方が印象に残っているかもしれませんが、俳優さんとして活躍していた時代もありました。

1964年東宝入社

黒沢さんの芸能人生は、東宝映画第4期ニューフェイスに合格したところから始まります。かつては、映画会社である東宝に入社するという形で、俳優さんが芸能界入りしていました。黒沢さんは、何千人もの応募の中から、1枠の合格を勝ち取りました。

入社後は、岡本喜八さんや福田純さん、西村潔さん、松林宗恵さんなど、名監督と言われた人の作品に、数多く出演しました。しかし演じる役柄は、野性的で無口な青年や、一本気な青年といった、同じような役ばかりでした。

第2の三船敏郎としてデビューしたため、当時の若手俳優としての型にはまったような役ばかりで、役の幅は広がらなかったようです。それでも、「日本の一番長い日」や「白昼の襲撃」など、名作を数々残しています。

歌手としてヒット曲も出す

1966年には、「僕の恋人どこにいる」で歌手デビューも果たしました。その後も、映画主題歌やドラマの主題歌など、歌手としても精力的に活動しました。70年代80年代に、歌手として数々の曲をリリースしてきました。

現在もですが、俳優業と歌手業を同時にやる俳優さんは多いですが、当時は現在以上に俳優さんが歌手デビューすることが多かったようです。

住宅関係のCMが話題となる

黒沢年雄さんといえば、一躍注目されたのがこの「オウミ住宅」のCMではないでしょうか?おちゃめな人柄が、よく出ています。何パターンかありますが、基本的にこのCMソングで、おちゃめな印象のあるCMです。

黒沢年雄さんと聞くと、このCMが思い浮かぶという人も多いでしょう。CMはキャッチーなコピーが大事ですが、このCMは人々の記憶に残るCMになったと言えます。また、出演した黒沢年雄さんのイメージアップにも貢献したといえるでしょう。

バラエティ番組でも活躍

黒沢年雄さんは、バラエティー番組でもよく活躍するようになりました。明石家さんまさんの「踊るさんま御殿」では、天然キャラがさく裂し、人気になりました。黒沢年雄さんをバラエティー番組で知ったという人も多いのではないでしょうか?

バラエティー番組では、ドラマよりも人柄が出ます。黒沢年雄さんは、明るく人懐っこい性格や、天然ボケが可愛らしいと視聴者からも支持を集めました。

黒沢年雄の出演作品

ではここからは、黒沢年雄さんの出演作品をご紹介します。バラエティー番組での活躍もすごいですが、やはり本業は俳優さんです。現在も俳優さんとして活躍されており、様々な作品に出演しています。

黒沢年雄さんの出演作品から、4つ抜粋してご紹介します。気になる作品があれば、DVDなどをレンタルなどして見てみても良いでしょう。

【ドラマ】ザ・ハングマンシリーズ

ザ・ハングマンシリーズは、テレビ朝日系列で放送された、アクションドラマのシリーズです。当初は半年間の放送予定でしたが、予想以上に反響が良かったため、シリーズ化されました。

黒沢年雄さんは、第一シリーズと第二シリーズのレギュラーとして活躍しました。また、ゲストとして、第5シリーズ、第6シリーズにも出演しています。

アクションもののドラマが好きな人、昭和の雰囲気のドラマが好きな人におすすめです。

【ドラマ】もやしもん

もやしもんは、2010年に放送された、フジテレビ系列のドラマです。原作は、累計発行部数450万部を突破している石川雅之さんによる世界初の「菌マンガ」です。肉眼で菌が見えるという特殊な体質の主人公を中心に、様々な騒動が描かれています。

黒沢年雄さんは、発酵だけでなく農学全般に強い、主人公の通う農大の教授である、樹慶蔵役として出演しました。コメディやほのぼのとしたストーリーが好きな人や、漫画やアニメが好きな人にもおすすめのドラマです。

【映画】仁義なき戦い 頂上作戦

仁義なき戦い 頂上作戦は、1974年に公開された映画です。いわゆる、やくざものの映画です。現在のイメージの、かわいくておちゃめな黒沢年雄さんではなく、二枚目俳優として活躍する、かっこいい黒沢年雄さんを見ることができます。

この映画もシリーズものです。黒沢年雄さんの他にも、梅宮辰夫さんや松方弘樹さんなどの若いころも見ることが出来るので、興味のある方は、シリーズを順番に見ていくのも楽しいでしょう。

【映画】君のまなざし

映画・君のまなざしは、2017年に公開された映画です。大学生を主人公とした、ミステリー映画なのですが、作品の内容以上に、幸福の科学の大川隆法が製作総指揮を務めた映画として注目を集めました。

黒沢年雄さんは、羊禅役として出演しています。映画としてのレビュー評価は、イマイチですが、黒沢年雄さんの最近の出演映画を見てみたいという人におすすめです。

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黒沢年雄の死亡説の真相

黒沢年雄さんが、現在に至るまでに死亡説が流されてしまったのは、どうしてなのでしょうか?黒沢年雄さんの死亡説の真相について調べてみました。

1992年に大腸癌が発覚

黒沢年雄さんは、1992年に大腸癌が発覚してしまいました。大腸がんは、日本人に多いガンです。このときは、手術で完治しました。また、トレードマークの黒いニット帽をかぶり始めたのもこの時期です。

癌に関わる手術を8回

2008年には、膀胱癌が発覚し手術で切除、2013年には食道癌も見つかってしまい再び手術をすることになりました。しかし、半年後に再発してしまい再度手術をしています。さらにこの時に、胃癌も新たに見つかったため、食道と同時に胃の手術もしました。

また、悪性ポリープが胃に出来たため、胃の3分の1を切除する手術もしています。さらに食道癌にも3回目の再々手術が必要になってしまいました。ガンに関わる手術をこれだけ繰り返してきたのです。

病気に負けず元気に復帰

ガンにかかり、8回も手術をした黒沢年雄さんですが、そのたびに完治するまで治療し、復活してきました。ガンは気持ちの面でも落ち込んでしまったり、ふさぎこんでしまいがちですが、黒沢年雄さんはガンにも負けず戦ってきました。

ガンは気持ちを明るく持てるかどうかで、病気の進行が変わってきます。黒沢年雄さんの諦めない気持ちや、家族の支えもあり、がんを完治させることができたのでしょう。

帽子姿がトレードマークに

黒沢年雄さんといえば、黒のニット帽がトレードマークです。これは実は、がんの治療で髪が薄くなるのを不安に思い、思い切って短く刈り込んだことがきっかけでした。

短い髪ではなにか物足りないと感じたときに、妻が持っていたピエール・カルダンのニットの帽子を被ったところよく似合い、しっくりきたようです。

病気な治った後も、かぶり続け、この姿でCMやバラエティー番組に出演したことから、トレードマークとして認知されるようになりました。

ガンの治療を通して黒沢年雄さんが伝えたいこと

がんに侵され、8回もの手術を経験してきた黒沢年雄さん。黒沢年雄さん本人の要望で、がんにかんする講演会も行っています。同じくガンを患っている患者さんに、勇気を届けたいという気持ちからの行動でしょう。

また、そんな黒沢年雄さんが、がん治療で大切にしていることは、主治医を信じることと語っています。がんを治すためには、絶対に主治医を信じなければいけない。

今は情報に溢れていて、中には水で治るとか、祈とうで治るなどといった、医療ではない治療法がまことしやかに噂されています。しかし、そんな民間療法などは信用せず、主治医との信頼関係を築くことが、治療には第一だと力説しています。

黒沢年雄が抱えた借金8億円

黒沢年雄さんは、8億円もの借金を抱えていた時期がありました。芸能人には、多額の借金を抱えている人も少なくありません。黒沢年雄さんも、その一人でした。

ここからは、黒沢年雄さんが抱えてしまった8億円もの借金の理由や、完済したことについて、ご紹介します。芸能人の人は、お金の使い方も豪快ですが、出演で得られるギャラも多額です。それゆえ完済も可能なのでしょう。

借金の原因

黒沢年雄さんが8億円もの借金を抱えてしまった原因は、バブル時代にあります。バブルの時代に不動産に手を出してしまい、その後のバブル崩壊で不動産の価格が下がったことで、負債を抱えてしまったのです。

1980年代のバブル期に、俳優としてぐんぐん成長していた黒沢年雄さんは、当時1億5000万円とも言われていた豪邸である自宅の評価額が、約7億円に跳ね上がったことがきっかけで不動産投資に手を出してしました。

都内の一等地のビルや、ハワイのマンション、店舗物件などを、8億円を借りて購入し、経営を始めました。しかしバブル崩壊で、土地価格は下落してしまいます。その結果、借りた8億円がそのまま借金として残ってしまったのです。

CMやバラエティ出演で完済

黒沢年雄さんが8億円の借金を完済したのは、2015年のようです。年間約6000万円以上稼がないと、元金が減らないとまで言われた金額を完済したのです。

黒沢年雄さん本人は「バラエティー番組の出演オファーがきっかけで、次から次へと仕事が舞い込み、返済までこぎつけることができた」と語っています。

ちょうど多額の借金を抱えてしまったタイミングで、バラエティー番組やCMでの仕事でブレイクしたようです。

黒沢年雄の家族

芸能人は、その家族や子供も芸能界で活動する、いわゆる「芸能一家」であることが多いです。黒沢年雄さんの家族も、芸能一家と言えます。ではここからは、黒沢年雄さんの家族について、その芸能活動の内容を見ていきましょう。

黒沢年雄の妻

黒沢年雄さんは、1976年に32歳で、当時モデルとして活躍していた街田リーヌさん(本名・黒沢街子)と結婚しました。街田リーヌさんは、パリなどでもモデルショーをしていた、スーパーモデルでした。

街田リーヌさんががモデルとして活躍していた頃に黒沢年雄さんと出会いました。そして、黒沢年雄さんの方から猛アタックをして交際し、結婚に至りました。

街田リーヌさんは結婚後もモデル業を続けています。現在では70歳を超えましたが、そんな年齢とは思えないほど若々く、美しさを保っているモデルさんです。

黒沢年雄の娘

黒沢年雄さんの娘は、一時期二世タレントとして活躍していました。黒沢レイラという名前で、20歳のときから、タレントや女優として活動していました。2001年~2003年頃までは、レポーターの仕事や、ドラマでも見かけられたようです。

しかし黒沢レイラさんは、25歳の時に渡米しました。渡米後、現地の一般男性と結婚し、その後は敏腕不動産コンサルタントとして、アメリカで活動しているようです。また、女優業も全く辞めてしまったわけではないようです。

黒沢年雄の弟

黒沢年雄さんの弟は「ヒロシ&キーボー」のくろさわ博です。歌手として活動していました。代表作である「3年目の浮気」は、当時73万6000枚を売り上げた、大ヒット曲です。

「ヒロシ&キーボー」としての活動は、1984年に終わりましたが、ソロとしては、現在も歌手として活動されているようです。

黒沢年雄の現在の活躍

死亡説が流れたことまであった黒沢年雄さんですが、現在もドラマや映画で活躍中です。また、ご本人の要望から闘病生活に関する講演活動なども行っているようです。最近では声優やナレーター業も多いので、テレビで声を聞く機会も多いでしょう。

黒沢年雄さんは現在でも活躍中

一時期は死亡説まで流れた黒沢年雄さんですが、現在でもしっかりとご健在で、活躍されています。テレビで見かけることは少なくなりましたが、変わらず明るい笑顔で芸能活動を続けています。

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