関東連合の柴田大輔(宮前愚連隊)の現在!工藤明男で本出版【顔画像】

数々の暴力事件で世間を震撼させた関東連合。現在は関東連合は解散していますが、柴田大輔を含め、消息がわからなくなっているメンバーもいます。半グレ集団関東連合の元幹部で、関東連合の内幕を暴いた本の出版もした柴田大輔は、現在どうしているのでしょうか。

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目次

  1. 1元関東連合の柴田大輔とは?
  2. 2柴田大輔の生い立ち・経歴
  3. 3柴田大輔の顔画像
  4. 4柴田大輔とはどんな男?
  5. 5柴田大輔が関わったとされる事件
  6. 6関東連合引退後の柴田大輔
  7. 7工藤明男(柴田大輔)の著書
  8. 8柴田大輔(工藤明男)の現在
  9. 9関東連合の元幹部たちの現在
  10. 10柴田大輔の現在は不明

元関東連合の柴田大輔とは?

関東連合は、世田谷区や杉並区の不良少年たちを中心に1973年ごろ結成された半グレ集団です。オートバイ好きが集まった日本最大の暴走族「ブラックエンペラー」や、他の走り屋グループも一緒になって、一大勢力となっていきました。

関東連合は、もともとは暴走行為、迷惑行為は繰り返すものの、表立って事件を起こすこともなく、どちらかと言えば非暴力的な組織でした。

しかし、徐々に暴行事件を引き起こすようになり、暴力団とつながりを持つなど凶悪化が目立ち、準指定暴力団として警察にマークされるようになりました。

柴田大輔は、関東連合の幹部として数々の事件に関与しましたが、その後は関東連合を離れ、芸能プロダクションを経営したり、IT企業を立ち上げたり、工藤明男の名で暴露本を出版したり、テレビに出演したりと、かなり羽振りのよい生活を送っていました。

関東連合は、市川海老蔵事件で世間の注目を浴びた後、凶悪事件を続発させ、主要メンバーのほとんどが逮捕されると、壊滅状態に陥りました。2014年には実質的に解散に追い込まれ、もはや関東連合は存在していません。

悪名高い関東連合の中核を成していた関東連合の元幹部、柴田大輔。一時はヒルズ族に名を連ねたこともある柴田大輔は、現在どうしているのでしょうか。

柴田大輔の生い立ち・経歴

徐々に凶悪化する関東連合において、中心的な役割を果たしていた柴田大輔とは、どのような人物なのでしょうか。中学生のころから素行の悪さで有名だった柴田大輔の幼少期は、あまり語られることはありません。

地元の不良少年から日本有数の暴力集団のトップへと上りつめ、世間を騒がせた柴田大輔の経歴を追ってみます。

在日韓国人2世の子として誕生

柴田大輔は、1979年、実業家の父と、在日韓国人2世の母との間に生まれました。小学校3年生のとき、調布市から杉並区に引っ越し、そのころから素行の悪さが目に付くようになります。

やがて、関東連合の一角である暴走族、宮前愚連隊に入り、関東連合の主要メンバーや、有名な不良グループとつながりを持つようになりました。

暴走族「宮前愚連隊」8代目総長へのし上がる

柴田大輔は、宮前愚連隊で頭角をあらわし、8代目の総長となりました。このころ、関東連合は、すでに凶悪化の一途を辿っており、宮前愚連隊も、敵対するグループと抗争を繰り返すなど、暴力行為が目立ちました。

柴田大輔は、身長こそ低いものの、度胸があって腕っぷしが強く、周囲の不良たちからは一目置かれる存在でした。10代の柴田大輔は、いくつかの傷害事件を起こしていますが、少年法に守られ、保護観察処分で済んでいます。

14歳で事件を起こし少年院に入る

柴田大輔の犯罪歴は、14歳のときに事件を起こし、8か月ほど少年院に入院したことに始まります。17歳のときには、敵対グループの自宅を襲撃して暴行及び器物破損で逮捕され、因縁をつけてきた暴力団員を暴行した罪でも逮捕されています。

このときは保護観察処分となっていますが、残念ながら更生の模様は見られず、その後の事件へとつながっていきます。

関東連合の中心人物となり活動

柴田大輔は、関東連合OBと密接な関係を持つ一方で、パーティ券を売ったり、女性を斡旋するデート商法などで大金を稼ぎ、芸能界やスポーツ界、経済界へも人脈を築いていきました。

関東連合は、こうして得た人脈と金脈を駆使し、杉並区、渋谷区界隈から六本木へと勢力を広げていきましたが、その中心となったのが、柴田大輔でした。

柴田大輔の顔画像

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柴田大輔とはどんな男?

柴田大輔の経歴からは、恵まれた家庭に生まれ育ちながら不良化し、持ち前の度胸と喧嘩の強さでのし上がった、暴力少年の面影が浮かび上がってきます。

金を生む才能にも長け、立ち回りが上手い柴田大輔は、関東連合と言う巨大組織の中で、強い存在感を示していましたが、柴田大輔の周囲の人たちからは、どのように見られていたのでしょうか。

瓜田純士から見た柴田大輔

関東連合の一員ではなかったものの、東京の不良として勇名を馳せていた瓜田純士は、同年代ということもあって早くから柴田大輔を意識していました。

瓜田純士から見た柴田大輔は、大物OBの真似をして芸能人やスポーツ選手など、有名人との人脈を見せびらかしたがる虚栄心に富んだ人物で、喧嘩っ早く信用できない一面を持っていました。

出会った当初から、先輩風を吹かしたがったり、ヤキを入れてくるなど、瓜田純士にとっては面白くない存在であったようです。このことは、後に作家となった瓜田純士の著書『遺書』に書かれています。

石元太一から見た柴田大輔

市川海老蔵事件で一躍有名になった関東連合の元幹部石元太一は、先輩である柴田大輔を、10代のころは尊敬していたと言いますが、徐々に自分勝手な性格や、会社を私物化して金を遣い込む様子に嫌気がさし、距離を置くようになっていきました。

関東連合の大物OBに媚びる柴田大輔を、石元太一はあまり尊敬してはおらず、仲間に対して不誠実で、正義感も強くなかったため、元の仲間に命を狙われる羽目になったのだと邂逅しています。

柴田大輔が関わったとされる事件

柴田大輔が関わったとされる事件はいくつもあります。明確な証拠がなく、逮捕、起訴に至らなかった事件もあります。柴田大輔自身が、著書の中で関与を認めていたり、実際に逮捕された事件について、簡単にご紹介します。

1997年バイクによる死亡事故の口裏合わせ

1997年、関東連合が開いた集会で暴走中に、メンバーの暴走バイクが一般人をはね、死亡させる事件が起こりましたが、柴田大輔は他の幹部とともにバイクを処分しました。

柴田大輔と幹部は逮捕されましたが、「関東連合は集会を開いていない」と口裏を合わせ、死亡事故についての罪は問われず、暴走行為に対する罰金刑のみが課されました。

1997年抗争の末の刺殺事件

同年、敵対グループとの抗争中に、相手の一人をナイフで刺し、死亡させました。慕っていた関東連合OBに匿ってもらい、3か月ほど逃亡生活を続けましたが、ヤキを入れた後輩が警察に密告したため逮捕され、特別少年院送致となりました。

ナイフを使っての死亡事件であったにもかかわらず、柴田大輔は、約2年半後の2000年3月に退院しました。そしてそのわずか2か月後には、暴行傷害事件を起こしています。

2000年トーヨーボール殺人事件

2000年5月、石元太一ら関東連合のメンバー複数人は、東京都大田区のボーリング場の駐車場で、少年グループを襲い、一人を拉致し暴行の末殺害しました。

事件は、暴行の激しさと残虐性、さらに加害者、被害者共に未成年であったことで注目を集めましたが、被害者がまったく無関係の一般人で、人違いで襲われたことが判明し、世間に更なる衝撃を与えました。

柴田大輔は、実行犯の一人と目されていますが、著書『聖域』の中で無関係と主張しており、8か月の勾留で釈放されています。

高橋祐也とは覚醒剤で繋がる?

先ごろ4度目の覚せい剤使用保持で逮捕され話題となった、女優の三田佳子さんの次男高橋祐也は、2000年のトーヨーボール事件のときも、関係者として名前があがっていた人物です。

被害者を拉致した車が三田佳子さん名義の高橋祐也所有の車であったため、当時から高橋祐也と関東連合の関係は噂されていました。

高橋祐也の覚せい剤の入手経路が柴田大輔であると考える向きは少なくありません。

関東連合引退後の柴田大輔

10代半ばから少年院を出たり入ったりしていた柴田大輔は、成人を機に関東連合を引退します。しかしその後も関東連合OBや、関係者との縁は切れず、いろいろな事件に関与のあとが伺えます。

暴行と監禁の罪で逮捕

2000年3月に特別少年院を退院したにもかかわらず、更生のあとは一切見られず、会社員への暴行、敵対するグループ拉致監禁、暴行で再び逮捕されます。

しかし、関東連合OBの尽力により、柴田大輔は、逮捕後約1か月で、執行猶予付きの有罪となり、世に放たれました。

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IT企業の立ち上げ

柴田大輔は、慕っていた関東連合OBの手法を真似て、次々と人脈を広げ、IT企業を立ち上げると、出会い系サイトや消費者金融の広告収入で会社を急成長させました。

メディアにも度々取り上げられ、柴田大輔の裏の顔を知らない一般の人たちからは、半グレからIT長者に華麗な転身を遂げた成功者としてもてはやされることもありました。

しかし、このころから関東連合による凶悪事件が相次ぎ、関東連合関係者である柴田大輔への世間の目も厳しくなっていきました。

見立真一に命を狙われる?

関東連合が壊滅するきっかけともなった凶悪事件が、2012年に起きた六本木クラブ襲撃事件です。六本木にあるクラブのVIPルームに、金属バットを持った一団が押し込み、男性一人を撲殺、一緒にいた2名も軽傷を負いました。

当時クラブでは音楽イベントが開催されており、500~600人の一般客がいましたが、大音響の中、VIPルームで行われた1分ほどの惨劇に気づく人はほとんどいませんでした。

この事件は、関東連合OBが中心となって、敵対グループへの報復として行ったものでしたが、殺害された男性は無関係の一般人で、犯人らも人違いであったことを認めています。

この事件の処置に際し、主犯である見立真一と、後輩から相談を受けた柴田大輔との意見が対立し、柴田大輔は逃亡した見立真一から裏切者として命を狙われることになります。

見立真一はハワイに逃亡し、国際指名手配を受けていますが、現在も捕まっていません。このことから、柴田大輔は警察の保護対象となっています。

工藤明男として執筆活動

関東連合と決別後、柴田大輔は「工藤明男」名義で執筆活動を開始します。

柴田大輔は、筆名の「工藤明男」は、ネットの世界で関東連合の架空のリーダーとされていた「工藤明夫」のパロディと語っていますが、ここにも、自らを関東連合のトップと位置付ける、柴田大輔のプライドの高さがうかがわれます。

工藤明男(柴田大輔)の著書

柴田大輔は、見立真一に命を狙われていたため、「工藤明男」名義で、数々の事件を引き起した関東連合の暴露本を出版しました。

一般人を巻き込んだ暴走事故、グループ同士の抗争での刺殺事件、トーヨーボール事件、市川海老蔵事件、朝青龍事件、六本木クラブ襲撃事件と、世間を騒がせた関東連合の元幹部の赤裸々な告発は、大いに注目を集めました。

「いびつな絆 関東連合の真実」

六本木クラブ襲撃事件の記憶も新しい2013年に出版された「いびつな絆 関東連合の真実」は、半グレ集団の狂暴化、政財界とのつながりに懸念を抱いていた世間に、強い関心をもって迎え入れられました。

闇に包まれた関東連合の内部を垣間見る資料としての要素もあり、また、現在進行形で捜査が進んでいる六本木クラブ襲撃事件の真実を暴くという意味でも話題性は十分でした。

累計27万部を売り上げるヒット商品となった「いびつな絆 関東連合の真実」は、「工藤明男」こと柴田大輔に都合の悪いことが割愛されているとはいえ、ほぼ真実に近い形で日本中を参観させた半グレ集団の実情が描かれていると評価する向きもありました。

「実録! 激変する日本の闇社会」

柴田大輔のの著書は、関東連合の暴力事件の暴露にとどまらず、関東連合がどのようにして芸能界や財界とパイプを作り、莫大な資金を調達してきたかについても明らかにしています。

「実録!激変する日本の闇社会」は、見立真一の脅威が薄れたからか、筆名の「工藤明男」ではなく、本名の柴田大輔で出版されました。

「聖域」

関東連合と芸能界、財界とのつながりを描いた『聖域』もまた、「工藤明男」名義ではなく、柴田大輔の名前で出版されました。関東連合と著名人の闇の関係を描いた『聖域』は、『Black Flower』という表題で漫画化もされました。

柴田大輔(工藤明男)の現在

柴田大輔が初めて少年院に入ったのが14歳のとき。現在は40歳になっているはずです。

不良少年から暴走族のリーダー、関東連合の幹部になり、いくつもの傷害事件、殺人事件に関与した柴田大輔。IT長者として幅をきかせた時期もありましたが、現在はどうしているのでしょうか。

2013年ブログを開設

柴田大輔は、「工藤明男」名義で著書を出版したころと時を同じくしてブログを開設し、「工藤明男」として読者からの質問に答えたり、自身の著書の宣伝をしたりしていました。

2016年には、「工藤明男と柴田大輔が同一人物であることは周知の事実」ということで、「工藤明男」ではなく、柴田大輔としての活動を続けています。

2018年7月から更新が途絶える

もともとそれほど頻繁ではなかった柴田大輔のブログの更新ですが、2018年7月を最後に更新が途絶えています。それまでも、日々の出来事を思い出したようにつぶやく程度の内容だったので、単に飽きたのか、面倒くさくなったのかもしれません。

しかし、柴田大輔を絶対に許さないと怒り狂っていた見立真一の行方は杳として知れないままですし、今まで起こしてきた数々の残虐事件を思えば、何があっても不思議ではありません。

関東連合の元幹部たちの現在

柴田大輔と同じ時代を生きた関東連合の主だった人物たちは、現在どうしているのでしょうか。トーヨーボール事件の実行犯、石元太一は、六本木クラブ襲撃事件でも懲役15年の有罪となり、現在は服役中です。

一般人を巻き込んだ死亡事故で柴田大輔と口裏を合わせ罪を免れた見立真一は、六本木クラブ襲撃事件の主犯で現在逃亡中です。柴田大輔が慕っていた関東連合OBは、2015年にタクシー強盗で逮捕されましたが、その後の消息は分かっていません。

関東連合と直接の関係はありませんが、不良仲間として交流のあった瓜田純士は、地下格闘家として活動後、作家となっています。

柴田大輔の現在は不明

我が物顔で夜の繁華街を闊歩していた関東連合ですが、凶悪集団化していく中で主要幹部が相次いで逮捕され、現在はその存在すら忘れ去られようとしています。

半グレと呼ばれた若者も、多くが40代にさしかかり、さまざまな人生を歩んでいます。凶暴性が消えないまま罪を重ねる者、過去の罪に怯えるようにひっそりと暮らす者。

柴田大輔の突然の沈黙は不穏な空気をまとっていますが、世間に迷惑をかけない生き方をしていてほしいというのが、多くの人の感想ではないでしょうか。

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