竜崎勝の死因は?高島彩アナの父親である俳優に迫る【画像】
端正な面差しと確かな演技力で活躍が期待されていた竜崎勝さん。若くしてこの世を去った名脇役は、フリーアナウンサーの高島彩さんの父親です。竜崎勝さんの死去から35年。今なお名優たちの記憶に残る竜崎勝さんとは、どのような俳優だったのでしょうか。
目次
竜崎勝とは?
「竜崎勝」と聞いて、ピンとくる人は、あまり多くないかもしれません。若い人ならなおさらでしょう。フリーアナウンサーの高島彩さんの父親と言われても、すぐに「竜崎勝」の顔が思い浮かぶ人は少ないでしょう。
それもそのはず、竜崎勝さん、本名高島史旭さんは、名バイブレーヤーとしていくつもの作品で優れた演技を披露し、将来を嘱望されていたにもかかわらず、若くして病に倒れ、この世を去りました。
俳優としての活動期間は23年ほどでしたが、数多くの映画やドラマに出演し、日本を代表する名優たちとも多く共演しました。竜崎勝さんと親交の深かった芸能人もたくさんいます。
惜しまれつつ逝った竜崎勝さんとは、どのような人だったのでしょうか。高島彩さんの父親と言う面だけがクローズアップされがちですが、俳優としての評価も高かった竜崎勝さん。
華々しい活躍こそありませんでしたが、着実にキャリアを重ね、重要な役をいくつも任されていた竜崎勝さんの軌跡を辿ってみましょう。
竜崎勝のプロフィール
本名 | 高島史旭(たかしまふみあき) |
生年月日 | 1940年3月25日 |
現在の年齢(2019年現在) | 1984年12月18日没(享年44歳) |
出身地 | 高知県 |
血液型 | |
活動内容 | 俳優 |
所属グループ | |
所属事務所 |
竜崎勝の経歴
竜崎勝さんは多くの作品に出演していますが、主役級の活躍は多くはありません。確かな演技力で、陰で作品を支え続けた竜崎勝さんとは、どのような人物だったのでしょうか。俳優としてのデビューのきっかけから、早すぎる死去まで、竜崎勝さんの経歴を辿ってみましょう。
大学在学中に日活ニューフェイスに合格
竜崎勝さんは、大学進学のために高知県から上京しますが、法政大学経済学部4年在籍中に、日活ニューフェイス5期に合格し、俳優の道を歩み始めます。日活ニューフェイスの同期には、元フジテレビアナウンサーの高橋真麻さんの父親で、人気俳優の高橋英樹さんがいます。
俳優座養成所から文学座に入団
竜崎勝さんは、日活ニューフェイスとしてデビューしたものの、間もなく日活を退社し、1963年に、俳優座養成所に入ります。その後文学座に入団しますが、劇団員にはならないまま退団しました。
竜崎勝さんが入所した年の俳優座養成所15期生は、後に「花の15期生」と呼ばれ、同期には、赤座美代子さん、秋野太作さん、栗原小巻さん、前田吟さん、村井国夫さんなど、そうそうたる面々が顔を揃えています。
「花の15期生」は、家事数の舞台や映画、ドラマで華々しく活躍する有名な役者を多数輩出しましたが、竜崎勝さん以外にも、太地喜和子さん、地井武男さん、夏八木勲さん、林隆三さん、原田芳雄さんなど、すでに鬼籍に入った方々も多いです。
1969年ドラマ「絢爛たる復讐」の主役に
文学座を退団した竜崎勝さんは、テレビの世界に活動の場を移し、1969年には、NETテレビ(現テレビ朝日)系列のテレビドラマ「絢爛たる復讐」の主役に抜擢されました。
その後もNHKの大河ドラマや時代劇などで魅力を発揮し、端正な二枚目から非道な悪人まで、幅広い役柄を演じました。人気時代劇の大江戸捜査網や子連れ狼にも出演しています。
1984年肝硬変で亡くなる
テレビを中心に精力的に活動していた竜崎勝さんですが、1984年12月、肝硬変により都内の病院で死去しました。享年44歳、まさにこれからというときの、若すぎる死でした。
命日となった12月18日は、奇しくも遺作となった「転校少女Y」の放送日で、放送の最後に追悼のテロップが流されました。
竜崎勝の死因となった肝硬変とは
肝硬変は、慢性的な肝機能障害によって肝臓が線維化し、肝臓が固くなった状態です。進行すると肝がんになる危険性があります。
肝機能障害の原因は、肝炎ウイルスの感染やアルコールの過剰摂取、非アルコール性の肝炎なども考えられますが、肝臓は沈黙の臓器と呼ばれるほど初期には症状が出にくく、自覚症状が出るころには手遅れということもよくあるので注意が必要です。
肝硬変は、10年近く慢性的な肝機能障害を患った結果起こります。肝機能は徐々に低下するため、症状の変化に気付きにくいという難点があります。肝機能障害の発見には血液検査が効果的です。肝硬変になる前に手を打てれば、症状の進行を遅らせることができます。
竜崎勝の画像
竜崎勝の出演作品
竜崎勝さんは、主演作品こそ少ないですが、映画やテレビドラマにはなくてはならない名脇役でした。「あの作品にも出ていたんだ」と驚く人も多いかもしれません。竜崎勝さんが出演した作品の数々を振り返ってみましょう。
【映画】八甲田山
1977年に公開された映画「八甲田山」は、1902年に起こった、青森の連隊210人のうち199人が雪山で遭難して死亡するという悲惨な事件、八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした新田次郎さんの『八甲田山死の彷徨』が原作の映画です。
雪山での壮絶な遭難シーンが話題となり、1977年の興行成績第1位を獲得しました。主演は高倉健さんと北大路欣也さんで、北大路欣也さんのセリフ「天は我々を見放した」は流行語にもなりました。竜崎勝さんは、連隊の軍医を演じました。
【映画】白昼の死角
映画「白昼の死角」は、実際にあった東大生による闇金事件「光クラブ事件」を題材にした、高木彬光さんの小説『白昼の死角』が原作です。後にテレビドラマ化もされた人気作品です。
主演は、俳優座同期の夏八木勲さんでした。竜崎勝さんは、夏八木勲さんとともに、詐欺を働く学生グループの一員を演じました。
【ドラマ】風の中のあいつ
1973年にTBS系列で放送された「風の中のあいつ」は、従来は悪役として描かれることが多かった尊王攘夷派の幕末の志士、小池勝蔵を主役に据えた異色作です。原作は子母澤寛さんの『富嶽二景』で、主役の黒駒勝蔵を萩原健一さんが演じました。
殺陣の上手さと鋭いまなざしが特徴だった竜崎勝さんは、このころ時代劇で頭角をあらわしており、「風の中のあいつ」でも、華麗な殺陣を見せてくれています。
【ドラマ】転校少女Y
元「わらべ」のメンバーで、未成年でありながら週刊誌に喫煙写真が載り、謹慎していた高部知子さんの復帰作が「転校少女Y」です。竜崎勝さんは、高部知子さん演じる主人公の父親である天才眼科医を演じました。
竜崎勝さんが演じた主人公の父親は、作品の中で胃がんによって死去しますが、そのシーンの放送日の未明に竜崎勝さんが逝去され、悲しい運命の重なりを感じさせました。
【テレビ番組】くいしん坊!万才
竜崎勝さんは、レポーターが全国の郷土料理を紹介するご長寿番組「くいしん坊!万才」の2代目レポーターを務めました。番組開始当初は、各界の著名人が交代でレポーター役を務めていましたが、初代渡辺文雄さんから、レポーター役が固定されました。
「くいしん坊!万才」は、わずか5分間の番組ですが、根強いファンが多く、歴代レポーターも幅広い年代に人気がある著名な俳優が多く務めています。
現在は元テニスプレーヤーの松岡修造さんがレポーターを務め、週1回の放送になっていますが、竜崎勝さんがレポーター役を務めていた1977年から1978年は、週5回の放送だったので、竜崎勝さんの知名度はぐんと上がりました。
竜崎勝の家族は?
竜崎勝さんは44歳で亡くなりましたが、結婚して家族もいました。元フジテレビアナウンサーの高島彩さんが娘であることはよく知られていますが、他にはどのような家族がいたのでしょうか。竜崎勝さんの家族構成を見てみましょう。
妻は一般人
竜崎勝さんの結婚相手は、一般人の女性です。名前は高島洋子さん。名前はわかっていますが、一般人なので、それ以上のことはわかりません。しかし、竜崎勝さん死去のあとも再婚はせず、2人の子どもを立派に育て上げました。
息子は高島郷
高島郷さんは、妹の高島彩さんの出身大学と同じく、成蹊大学に通っていましたが、俳優を志して大学を中退しました。
テレビや映画にも出演し、ハウス食品「ジャワカレー」のCMにも出演していましたが、2003年に芸能界を引退し、現在は大手眼鏡量販店「Zoff」の会社員で、一般女性と結婚しています。
本名 | 高島郷(たかしまごう) |
生年月日 | 1974年2月24日 |
現在の年齢(2019年現在) | 45歳 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | |
活動内容 | 元俳優 |
娘はフリーアナウンサーの高島彩
竜崎勝さんの娘である高島彩さんは、2001年にフジテレビに入社し、女子アナとして活躍しました。清楚で知的なたたずまいで話題をさらい、フジテレビの人気女子アナに付けられる「~ぱん」の愛称を引き継ぎ、「あやパン」と呼ばれました。
2010年12月にフジテレビを退社してフリーとなり、フリーアナウンサーとして数々のテレビ番組で活躍中です。2011年10月、かねてより交際を続けていた人気男性デュオ「ゆず」の北川悠仁さんと結婚、現在は2児の母です。
父親の竜崎勝さんが亡くなったとき、高島彩さんはわずか5歳で、父親のことはほとんど覚えていないと語っています。
本名 | 北川彩(きたがわあや) |
生年月日 | 1979年2月18日 |
現在の年齢(2019年現在) | 30歳 |
出身地 | 東京都 |
血液型 | B型 |
活動内容 | フリーアナウンサー |
所属グループ | |
所属事務所 | フォニックス |
日活ニューフェイスの同期には有名人がいっぱい
竜崎勝さんは、比較的短期間で日活を退社してしまいましたが、日活ニューフェイスの同期には有名人もいます。竜崎勝さんの俳優座養成所同期にも、人気俳優が揃っています。竜崎勝さんの周囲には、才能あふれる演劇人がたくさんいました。
それは、とりもなおさず竜崎勝さんが、優れた俳優であったことをあらわしています。
同期には高橋英樹も
日活ニューフェイスの同期で最も知名度が高いのは、高橋英樹さんです。竜崎勝さんの日活在籍期間が短かったため、2人に共演の機会はありませんでしたが、高橋英樹さんは、2017年の公式ブログで、竜崎勝さんの早すぎる死を悼んでいます。
高橋真麻は高島彩の後輩
高橋英樹さんの娘の高橋真麻さんは、元フジテレビアナウンサーで、竜崎勝さんの娘の高島彩さんの3年後輩にあたります。
父親同士が俳優として同期で、後に娘たちが同じ会社で先輩と後輩となるなど、若き日の竜崎勝さんも高橋英樹さんも、思いもしなかったのではないでしょうか。
竜崎勝はウルトラマンタロウにも出演
竜崎勝さんは、時代劇俳優としての顔がよく知られていますが、現代劇やサスペンス、特撮ヒーロー番組にも出演しています。竜崎勝さんは、子どもたちに大人気のウルトラマンタロウ出演に際しては、オーディションを制して役を勝ち取りました。
ウルトラ兄弟の長男「ゾフィー」
竜崎勝さんが出演したのは、1973年の「ウルトラマンタロウ」の33話「ウルトラの国大爆発5秒前!」と34話「ウルトラ6兄弟最後の日!」で、ウルトラ兄弟の一員であるゾフィーが体を借りる科学者、大谷博士を演じました。
ゾフィー役候補には小林旭の名前も
ゾフィー役はオーディションで決められましたが、候補には日活ニューフェイス3期の小林旭など、有名俳優の名前もあがっていました。
そんな激戦を勝ち抜いてゾフィー役を射止めた竜崎勝さんは、やはり高い演技力と、人を引き付ける魅力を持った、将来有望な俳優の一人であったはずです。
才能が花開こうとしていた男盛りにこの世を去らなくてはならなかった竜崎勝さんの、無念のほどがしのばれます。
竜崎勝は今も記憶に残る名脇役
「竜崎勝」という名前に聞き覚えはなくても、ドラマや映画を観れば覚えがある人も多いかもしれません。それほど、多くの人気作品に竜崎勝さんは出演していました。
高身長ときりっと整った容貌、高い演技力と、俳優としての資質に恵まれた竜崎勝さん。もし、今も健在であったなら、どれほどの素晴らしい演技を見せてくれてたことでしょう。竜崎勝さんの不在を嘆く声は強く残っています。
竜崎勝さんの俳優座養成所時代の同期の中には、アナウンサーになった高島彩さんを見て、深い感慨を覚えた人も多いそうです。竜崎勝さんが出演した作品の中にはDVDになっている物も多いですから、改めて見直してみるのもいいかもしれません。
竜崎勝の意志を受け継ぐ高島彩
父親である竜崎勝さんが亡くなったとき、高島彩さんはまだ幼く、父親の仕事のことは何もわかっていなかったかもしれませんが、華やかで厳しい芸能界の第一線で輝き続ける高島彩さんには、間違いなく竜崎勝さんの俳優としてのDNAが受け継がれています。
才能ある竜崎勝さんの早すぎる死は、本当に残念なことでしたが、娘である高島彩さんの活躍が、その穴を埋めてくれることが期待されます。