血は争えないの意味とは?使い方を例文を用いて解説!

「血は争えない」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ここでは、「血は争えない」という言葉の使い方、例文や類語表現、英語表現などについて見ていきます。「血は争えない」という言葉の正しい意味を理解し、正しく使用できるようになりましょう。

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目次

  1. 1血は争えないの意味や使い方を学ぼう!
  2. 2血は争えないの意味とは?
  3. 3血は争えないの使い方
  4. 4血は争えないの類語表現
  5. 5血は争えないと感じる瞬間あるある
  6. 6血は争えないほど親子が似てしまう理由とは?
  7. 7血は争えないの英語表現
  8. 8「血は争えない」と言うべきでない場合
  9. 9「血は争えない」という言葉の正しい意味・使い方をマスターしよう

血は争えないの意味や使い方を学ぼう!

「血は争えない」という言葉を聞いたことがあるという人は、少なくはないと思います。しかし、正しい意味を理解して正しく使用できていると自信を持って言えるでしょうか。

ここでは、「血は争えない」という言葉の意味、使い方や例文、類語表現や「血は争えないあるある」英語表現などについて見ていきます。

正しい日本語を正しく使うことは、その人の信頼感を高めることになります。「血は争えない」という言葉の正しい使い方をマスターして、自分の信頼感を高めましょう。

血は争えないの意味とは?

「血は争えない」という言葉の正確な意味は、「子供が親の気質や性向を受け継ぐことには逆らえない」「子供はその多くが親と同じ道を辿る」ということです。

この言葉における「血」とは、「血筋」のことで、同じ血筋を持っている親や祖父母、先祖の方向性には抗うことができないということです。

親子の仲が良くても悪くても、尊敬していてもいなくても、親子というものはよほど強く意識していない限り、よく似ているものです。

血は争えないの使い方

「血は争えない」の意味を確認したうえで、この言葉の使い方を考えてみましょう。「血は争えない」という言葉は、基本的に親と子どもの関係について述べるときに使います。親戚や兄弟の関係については用いません。

ただし、兄弟は同じ親から生まれていますので、「血は争えない」という言葉を使って兄弟の関係について言及しても、違和感はないでしょう。

また、「争う」という単語が含まれていますが、特に悪い意味に限った言葉ではなく、良い意味でも悪い意味でも使用することができますので、勘違いのないようにしましょう。

「血は争えない」を使った例文

以下に「血は争えない」という言葉を使った例文を示します。例文を参考にして、使い方を練習してみてください。

親子で同じ職業に就くとは、血は争えないものだ

子どもにとって一番身近な大人が親ですので、親の職業に興味をもって憧れるというのは、よく理解できる話です。一番近くで見ているので、その仕事の苦労や大変さもよく見ているはずですが、その仕事の偉大さややりがいも感じられるのでしょう。

また、まるで同じ職業でなくとも、近い分野の職に就くことも多いようです。やはり親の従事しているものごとに興味を持つのは当然のようです。

このような例文は、多くの場合は「血は争えない」という言葉を良い意味で用いられます。

血は争えないもので、彼はお父さんと同じ仕草をする

これも、多くは良い意味で用いられます。息子さんの仕草を見て、ふと彼のお父さんのことを思い出して微笑ましくなってしまうシチュエーションです。

例えば、困ったときに首の後ろをさわったり、考えごとをするときに口元に手を当てるなど、意味はなくても無意識についやってしまう仕草を見てしまったときなどに用いられます。

それを指摘された息子さんは、ちょっと気恥しくなり意識するのですが、またついやってしまって笑ってしまうような、そのような平和な光景が目に浮かびます。

すぐ手を出すなんて、血は争えない

こちらは上の二つとは違い、あまり良い意味では用いられていません。親の悪癖が似てしまっている場合です。

気に入らないこと、思い通りにいかないことがあると、ついイライラしてモノに当たるなど、暴力行為に出る人が稀にいます。子どものころに、そんな親の姿を見て「いやだ、怖い」などと思っていたはずなのに、いざ自分が大人になると同じ事をしてしまっていることが、残念ながらあるようです。

本人を前にこのようなことを言うと、火に油を注ぐことになりますので、たいていの場合は陰口のようにそっと言われることでしょう。

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血は争えないの類語表現

ここまで、「血は争えない」という言葉の意味や使い方、例文について考えてきました。ここからは、「血は争えない」という言葉の類語表現を見ていきます。

「血は争えない」の類語はたくさんありますが、例えば次の3つです。
 

・瓜二つ
・血は水よりも濃い
・蛙の子は蛙

以下に、これらそれぞれの意味や使い方について説明します。

瓜二つ

「瓜二つ」という言葉の意味は、親子や兄弟の顔や姿がよく似ていることです。主に外観について指して用いられることが多い言葉です。こちらは、兄弟についてもよく用いられます。

良い意味でも悪い意味でも用いることができますが、どちらかというと、ほのぼのとした場面で、良い意味で使われる方が多い言葉です。

「あの兄弟は、笑った顔が瓜二つだ」などというように用いられます。

血は水よりも濃い

「血は水よりも濃い」という言葉の意味は、「血の繋がった血縁者は、どれほど深い関係の他人よりも強い絆を持っている」ということです。

血を分けた血縁者は、離れていても、仲が悪くても、たとえ縁を切ったとしても、やはり最後まで見捨てられなかったりするものです。親子や兄弟間で何か恨みあってしまうようなことがあったとしても、やはり血は水よりも濃いものです。

「血は水よりも濃いとはよく言ったもので、疎遠になっていた父が助けてくれた」というように用いられます。

蛙の子は蛙

「蛙の子は蛙」とは、子供は親に似るという意味の言葉です。オタマジャクシと蛙はずいぶん異なる見た目ですが、オタマジャクシも大人になると親である蛙になる、ということから生まれた言葉です。

こちらは、上の二つとは違い、ちょっとからかうようなニュアンスが含まれることがあります。

「あの子もこんな絵を描くのか。蛙の子は蛙だね」といった場合は、たいてい「親子そろって絵心がないね」というニュアンスになります。

血は争えないと感じる瞬間あるある

ここまで、「血は争えない」という言葉の意味や使い方、例文や類語表現について見てきました。「血は争えない」という言葉の意味がよく理解できたところで、日常生活の中の、「血は争えないな!」と感じる瞬間を探してみましょう。

意外と、「血は争えないな」と感じる瞬間はよくあるものです。

子供が親の若い頃と似てきた時

親が自分の子どもの写真を見直して「子どもの頃の自分そっくり!」と驚くことはよくあります。逆に、親が子どもだった頃の写真を見つけた子どもが、「自分そっくり!」と驚くこともよくあります。

結婚式の準備などで、自分が子どもの頃の写真を探すことはよくありますが、その時一緒に写っているのが、今の自分と同世代の親であることが多く、「そっくり!」と笑ってしまいます。そのような写真はたいてい、パートナーや友達に見せても大うけです。

これは、主に外観についての「あるある」ですが、仕草などについてもよく見られます。そのようなエピソードは、祖父母が語ってくれることがよくあります。

子どもの趣味が親と同じだった時

子どものころは、自分の親は仕事や子育てに忙しく、自分の趣味に没頭している親の姿を見ることは少ないと思います。親の趣味を知らないという人も多いかもしれません。

何の気もなくカメラに興味を持ち写真を始めてみたり、ギターを手に取ってみたりすると親が驚くので、何かと思えば「自分も若いころにやっていた」と言ったりします。

そういえば家にたくさん写真が飾られていたり、音楽がずっと流れていたのに影響を受けていたのかもしれませんが、まさか親と同じ道を選んでいたとはと驚く瞬間があります。

電話口で親と(子と)間違えられる

自分たちで意外と気が付かないのが、親子で声がそっくりだということです。最近は携帯電話の普及であまりこのような間違いは起らないかもしれませんが、娘宛てに友達からかかってきた電話に母が応答し、友達は娘だと勘違いして話し始めてしまう、というのはよくある話です。

あるいは、妹が学校から「忘れものを届けて!」と母に電話し、母が勘違いして姉の学校に届けてしまった、なんていう笑い話も「あるある」です。

メールのやり取りだと間違えないのですが、電話だと、母親ですらすっかり姉妹を勘違いしてしまう、というのはよくある話です。

血は争えないほど親子が似てしまう理由とは?

ここまで、「血は争えない」という言葉の意味や使い方、例文、類語表現や「血は争えないあるある」などについて見てきました。続いて、「血は争えない」と言われるほどに親子が似てしまう理由を考えてみましょう。

いい面も悪い面も、なぜそれほどまで親子は似てしまうのでしょうか。それには次の二つの理由が考えられます。

遺伝

まずは「遺伝」というものが考えられます。これは外観が分かりやすいですが、例えば目が二重であるとか、眉毛が太い、髪の毛がストレートヘアである、などが挙げられます。これは遺伝子によって決まる、生物としての特徴で、自分たちではどうにもならないことです。

子どもはひとつの受精卵から生まれますが、その受精卵は母の卵子、父の精子から成ります。ですので、子どもの先天的な特徴は母または父から受け継がれることになります。

もちろん「そっくり」具合にも個人差があり、一見してあまり似ていない親子もいますが、そんな親子ほど、ふとした時の表情が似ていたりすると、一層微笑ましく見えるものです。

親の影響

仕草や趣味、好みや人間性、理系・文系など物事の考え方、あるいは体型など、後天的な部分は親の影響が大きいといえます。

小さな子どものころに何をして遊んでどんな絵本を読んだか、どんな音楽を聴いてどんな映画を見たか、どんな家でどんな会話をしながらどんな食事をとったか、など、人間性を形成する要素は日常にたくさんあります。

親の影響は計り知れず、意図せず子どもを導いていることもあります。子どもの可能性と視野を広げられるよう、様々な経験をさせてあげたいものです。

血は争えないの英語表現

ここまで、「血は争えない」という言葉の意味や使い方、例文や類語表現、血は争えないあるあるやその理由について考えてきました。

「血は争えない」という現象そのものは日本に限らず世界中であるはずです。ここからは、「血は争えない」という言葉の英語表現について見ていきます。

Blood will tell.

まずは、「血は争えない」という言葉と同様の意味の慣用句です。これには、「Blood will tell.」というぴったりの表現があります。 この「tell」は、「伝える」とは少し違う意味で用いられており、ここでは自動詞で「物語る」という意味です。

「血は物語る」、つまり、「その似ている特徴は血縁関係が物語っている」というような意味合いになります。

親子関係がキーとなる洋画を注意深く見ていると、この表現が出てくるかもしれません。気を付けて見てみてください。

in the blood

こちらは、「(性格・能力が)親譲りで、先祖代々のもので」という意味で用いられます。例えばブロンドヘアで目が青い、などという身体的特徴は、親譲りであることも多く、この表現を使うことができます。

何か思いがけないことが起こってしまったときにパニックになってしまうような精神的特徴や、遺伝性の病気なども当てはまるかもしれません。

「血は争えない」と言うべきでない場合

親子でとてもよく似ていると、微笑ましく思ったりちょっとからかってみたくなったりするものですが、もちろんそれをよく思わない人もいます。

悲しいことですが、親子関係によっては「親に似ている」ということは喜ばしくない場合もありますので、その人の家庭環境をよく知りもしないのに、指摘したりからかったりすることは絶対にやめましょう。

反抗期

多くの人が思春期に通る道、反抗期には、「親と似ている」と言われて喜ぶ人はあまりいません。逆に「誰が似ているものか!」と、より反抗心を煽ることになりかねません。

親戚などが反抗期の息子を見ると、「いまの彼の態度は、反抗期だった頃の彼の親にそっくりだ」と思うとつい微笑ましく思ってしまいそうですが、そう思っても息子本人には声をかけず、せめて親に「あの頃の君にそっくり!」と伝えるにとどめましょう。

反面教師

あるいは、親の特徴、例えば怒りっぽくすぐ癇癪を起すなど、あまり褒められない特徴の場合、幼心に傷つき、「大人になってもそうはならない」と強く決意することもあります。「反面教師」といい、そのような人はより気を付けて「すぐ怒らないようにしよう」と心がけていることもあります。

そのような人は、つい怒ってしまったとしても、自身で強く反省することでしょう。「また怒った!」などと非難することなく、落ち着いたころにそっと指摘するにとどめた方が無難です。

「血は争えない」という言葉の正しい意味・使い方をマスターしよう

ここでは、「血は争えない」という言葉の意味や使い方、例文や類語表現、「血は争えないあるある」や英語表現について見てきました。

誰もが誰かから生まれてきていますので、この表現は意外と使うシチュエーションが多くあります。そんなときに恥をかかないよう、正しい意味と使い方をマスターすることは大切です。

言葉の正しい意味を理解し、正確に使うことで、正しい日本語を操る信頼感ある大人になりましょう。

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