鰐淵晴子の現在!死去している?人気女優の若い頃や今に迫る

50年代から60年代にかけて、天才美少女バイオリニストや美人女優として活躍した鰐淵晴子さん。そんな鰐淵晴子さんは最近メディアに出演しておらず、死去したという噂も流れています。そこで、今回は鰐淵晴子さんについて、噂の真相と共に取り上げていきましょう。

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目次

  1. 1鰐淵晴子の今を調べてみた!
  2. 2鰐淵晴子とは?
  3. 3鰐淵晴子の経歴
  4. 4鰐淵晴子の若い頃の画像を紹介
  5. 5鰐淵晴子の主な出演作品
  6. 6鰐淵晴子さんが演技に苦労した作品
  7. 7鰐淵晴子の夫は?
  8. 8鰐淵晴子の現在は死去している?
  9. 9現代の若者からも憧れられる才能豊かな美人女優鰐淵晴子さん

鰐淵晴子の今を調べてみた!

優秀なバイオリニストとしても、美しい女優としても有名な鰐淵晴子さん。60年代には映画会社「松竹」の看板女優として大活躍しています。そんな鰐淵晴子さんは、最近あまりメディアに出ることがなくなっているのです。

70歳を超えた今を、鰐淵晴子さんはどのように生きているのか、気になるファンは多くいるでしょう。そこで、今回は女優兼バイオリニストの鰐淵晴子さんの現在について、調査していきたいと思います。

鰐淵晴子とは?

鰐淵晴子さんはバイオリニストの父親による教育で、8歳にしてバイオリンの名手として活躍しています。55年からは美貌を活かして女優活動を開始し、60年代には松竹のスター女優として人気を集めました。

以下では、そんな鰐淵晴子さんのプロフィールを、詳しく見ていきましょう。

鰐淵晴子のプロフィール

本名 鰐淵晴子
生年月日 1945年4月22日
年齢(2019年現在) 74歳
出身地 東京都
血液型 非公開
活動内容 バイオリニスト・歌手・女優
所属グループ 無し
所属事務所 アートプロモーション
主な作品 映画「ノンちゃん雲に乗る」「悪魔が来りて笛を吹く」


鰐淵晴子さんは、オーストリア人の母親とバイオリン奏者である父親の間に生まれました。3歳頃から父親の手ほどきを受け、バイオリンの才能を開花させていきます。8歳の頃には天才子供バイオリニストとして世間から注目されるようになるのです。

ハーフ独特の彫の深い美しい容貌をしていた鰐淵晴子さんは、10歳にして映画で主役に抜擢され、人気を博します。その後、さらに美しく成長し、演技力も高めていった鰐淵晴子さんは、60年代を代表する名女優としても認知度を上げていきます。

その後2度の結婚と離婚、出産を経験した鰐淵晴子さんは、現在深みのある演技ができる女優として活動しています。

鰐淵晴子の経歴

バイオリニストや女優、歌手などとして活躍していた鰐淵晴子さんに、興味がある若者はたくさんいるでしょう。以下では、鰐淵晴子さんの華やかな経歴について、解説していきたいと思います。

鰐淵晴子さんに興味があるけれど、経歴をあまり知らないという人は、ぜひしっかり確認してみてください。

家柄はハプスブルク家の末裔

鰐淵晴子さんは、オーストリア人の母親と優秀なバイオリニスト鰐淵賢舟さんの長女として東京で生まれました。妹の朗子さんも含めた4人家族で暮らしていたそうです。

オーストリア人の母ベルダさんは歴史上でも有名なヨーロッパの名門、ハプスブルク家の血を引く人物とされています。

鰐淵晴子さんの上品な雰囲気や音楽の才能は、そのハプスブルク家の血にも関係しているのかもしれません。

天才バイオリニストとして騒がれる

鰐淵晴子さんは3歳の頃からバイオリン奏者の父親から、厳しいバイオリンのレッスンを受けていたそうです。生まれながらの才能もあった鰐淵晴子さんは、父親からの指導によってめきめきとバイオリンの腕を上げていきます。

6歳の頃には父と共に日比谷公会堂で堂々と演奏を披露したのです。8歳の頃には、父と一緒に日本全国を巡る演奏旅行を行い、天才子供バイオリン奏者として全国で知られるようになりました。

1952年に映画デビュー

オーストリア人と日本人のハーフである鰐淵晴子さんは、バイオリンの見事な演奏だけでなく、ゴージャスで美しい容貌でも注目を集めました。

映画関係者から熱心なスカウトを受けた鰐淵晴子さんは、1952年に映画「母子鶴」で女優若尾文子さんが演じていた映子の幼少期を演じます。当時7歳の鰐淵晴子さんは、子供とは思えない落ち着きのある演技を披露し、周囲の大人たちを驚かせたのです。

その後も女優として活躍

バイオリンの才能だけでなく、演技の才能の開花させた鰐淵晴子さんは、1955年公開の映画「ノンちゃん雲に乗る」の主役に抜擢されます。

この映画以降大手映画会社松竹に所属し、本格的に女優業を開始した鰐淵晴子さんは、女優として華々しく活動していくのです。60年代には伝説的美人女優原節子に並ぶ女優と称賛されるようになります。

60年に公開された、オーストリア金メダリストであるトニー・ザイラーさん主演映画「銀嶺の王者」で、鰐淵晴子さんはヒロインに抜擢されるのです。この映画で鰐淵晴子さんは英語とドイツ語を巧みに使い、語学力の高さも披露しました。

95年に3つの映画に出演した鰐淵晴子さんは、それぞれの映画で個性的な役柄を見事に演じ、「毎日映画コンクール女優助演賞」に選ばれています。

鰐淵晴子の若い頃の画像を紹介

正統派美人女優として60年代に人気を集めていた鰐淵晴子さんの若い頃の姿に、興味がある人もいるでしょう。上記の画像は、1979年公開の映画「悪魔が来りて笛を吹く」に出演した際の、当時30代の鰐淵晴子さんの画像です。

目が合うと思わず動揺してしまうような、西洋人形のような大きな目と、色気のある雰囲気が印象的でしょう。日本人離れした美しい容貌の鰐淵晴子さんは、当時の若い女性たちにとっても憧れの的であったことが窺えます。

鰐淵晴子さんの西洋風のはっきりした顔立ちは、現代の若者たちの心も掴む妖しい美しさを放っているのです。

鰐淵晴子の主な出演作品

60年代の松竹の看板女優として、全国規模の人気を誇った鰐淵晴子さんは、多くの人気作品に出演しています。以下では、鰐淵晴子さんの演技力の高さが良く分かるドラマ作品や映画作品を、いくつか紹介していきましょう。

鰐淵晴子出演のドラマ

鰐淵晴子さんは55年に天才美少女子役として女優デビューして以来、現在まで数々のドラマに出演し続けています。以下では、鰐淵晴子さんの演技をしっかり確認できるドラマ作品を、いくつか取り上げていきましょう。

ゴーストフレンズ

2009年に放送されたドラマ「ゴーストフレンズ」は、ある日幽霊が見えるようになった女子高生と、現世に未練のある幽霊たちとの温かい交流を描いた作品です。鰐淵晴子さんは、人間と幽霊の世界の境界線を守る幽霊アンナとして出捐しています。

福田沙紀さん演じる主人公の明日香と、西島隆弘さんの演じるカイトは、同じ幽霊が見える能力から惹かれ合いますが、カイトは幽霊であることが発覚します。

事故で亡くなったカイトは恋人の美空の幽霊を天国に連れていくために幽霊になったと思い込んでいました。しかし、実は事故後に脳腫瘍で亡くなる運命だったことを、アンナから知らされます。

物語の根幹に関わる衝撃的な事実を告げる役であるアンナを、鰐淵晴子さんは優しく自然に演じているのです。鰐淵晴子さんの説得力のある演技で、ストーリー全体が引き締まっています。

華麗なる一族

2007年に放送されたドラマ「華麗なる一族」は、小説家山崎豊子さん原作の同名小説をドラマ化した作品です。当時アイドルだけでなく俳優としても注目されていた木村拓哉さんが、主役の万俵鉄平を演じています。

また、北大路欣也さんや鈴木京香さんなどの豪華俳優たちが多数出演したことでも、話題になりました。数多くの事業を成功させてきた万俵財閥の、複雑な家族模様を描いた作品です。

鰐淵晴子さんは相武紗季さん演じる万俵二子と、猪野学演じる帝国製鉄社員の佐藤和也の縁談を取り持つ小泉夫人を演じています。鰐淵晴子さんは、持ち前の優雅さと演技力の高さで、裕福な家の奥様という役柄を違和感なくこなしているのです。

鰐淵晴子出演の映画

鰐淵晴子さんは幼少期から映画に出演し、確かな演技の才能を周囲に知らしめ、大人になってからも美人女優として多くの映画に出演しています。以下では、鰐淵晴子さんの演技が際立っている映画を、2つ紹介していきましょう。

伊豆の踊子

1960年に公開された「伊豆の踊子」は、川端康成の同名小説を映像化した作品です。憂鬱な気分から逃れるために1人で伊豆に訪れた青年と、清純な踊り子との淡い恋愛模様を、切ない2人の別れと共に描いています。

鰐淵晴子さんは、ヒロインである踊り子の薫役を演じています。鰐淵晴子さんは当時15歳という若さでしたが、純粋無垢な言動で陰鬱な主人公の心を晴らす薫役を自然に演じているのです。

別れのシーンでは、深い悲しみが伝わってくる見事な涙の演技を披露しています。

らしゃめん

1977年に公開された映画「らしゃめん」で、鰐淵晴子さんは主役の神保雪役を好演しています。鰐淵晴子さんの同名レコード曲をイメージして作られた映画で、没落貴族の娘である雪の波乱万丈な一生を、ドラマチックに描いています。

戦後に没落した貴族の娘である雪は、日本に滞在していたアメリカ人の愛人になり、「らしゃめん」と名乗るようになります。心の支えであった、かつての恋人数馬が医師を志していることを知った雪は、密かに数馬に勉強のための資金を送るようになるのです。

悲嘆にくれる美しい没落貴族の娘を、鰐淵晴子さんはリアルに演じています。

鰐淵晴子さんが演技に苦労した作品

鰐淵晴子さんは、卓越した演技の才能の持ち主だったことから、どんな作品でもスムーズに演技していたと思われがちでしょう。しかし、演技の才能に恵まれた鰐淵晴子さんでも、演技に苦労したことがあるそうです。

その作品は1979年に公開された、金田一耕助シリーズの映画「悪魔が来りて笛を吹く」とされています。西田敏行さんが演じる主役の金田一耕介が、元子爵の名家椿家で起こる不思議な殺人事件を解き明かすというストーリーの映画です。

この映画で、鰐淵晴子さんは犯人役の美しい人妻秋子を演じています。この秋子は、実兄と肉体関係を持ち、兄の子供を産んでしまったという衝撃的な過去のある女性です。

さらに、この映画で鰐淵晴子さんは初めて本格的なベッドシーンに挑戦することになりました。そのため、鰐淵晴子さんは演技に相当苦労したそうで、監督からも怒られ、毎日泣くほど精神的に追い詰められたそうです。

しかし、鰐淵晴子さんは、そのおかげで深い闇を感じさせる恐ろしい美人人妻秋子を、リアルに演じることができたと語っています。

金田一シリーズの映画は数多くありますが、その映画の中でも特に鰐淵晴子さん演じる秋子は恐ろしい犯人と、ファンの間でも話題になっているのです。鰐淵晴子さんは、このことを知ってとても嬉しくなったと語っています。

鰐淵晴子の夫は?

鰐淵晴子さんは、1968年と1972年に2度の結婚を経験しています。しかし、86年には2人目の夫とも離婚し、現在は一人娘の理沙さんが唯一の家族のようです。以下では、鰐淵晴子さんの夫について、詳しく見ていきましょう。

1度目は一般人男性と結婚

鰐淵晴子さんは。1968年に現在の大手時計ブランドSEIKOの前身である、服部時計店のオーナーの服部歊さんと結婚しています。しかし、お互いの仕事の忙しさによってすれ違ってしまったのか、1年ほどで離婚しています。

2度目の夫はタッド若松

結婚と離婚を経験した鰐淵晴子さんは、渡米し演技力を鍛え上げます。その時にカメラマンのタッド若松さんと出会い、帰国し1972年に再婚するのです。

1970年に鰐淵晴子さんはヌード写真集を出版し、その芸術的価値の高さで国内外から高評価されています。このヌード写真のカメラマンはタッド若松さんなのです。

さらに、鰐淵晴子さんはタッド若松さんとの間には73年に一人娘の理沙さんを設けましたが、86年に離婚しています。

娘は鰐淵理沙

鰐淵晴子さんの娘は、声楽家として活動している鰐淵理沙さんです。晴子さんと同じく祖父からバイオリンの指導を受け、ドイツの音楽学校で声楽の修士課程を修めています。

大学卒業後はドイツでオペラのソリストとして活躍していた理沙さん。2014年に一般男性との結婚を機に帰国して以降は、タレント兼歌手としても活動しているのです。

鰐淵晴子の現在は死去している?

鰐淵晴子さんは、現在あまりメディアに登場しておらず、74歳という高齢です。そのため、死去しているのではという衝撃的な噂も流れています。しかし、現在もアートプロモーションに所属する女優として活動しており、死去したという噂は間違いでしょう。

2015年にもドラマに出演し、色っぽくゴージャスな演技を披露していた鰐淵晴子さん。74歳になった現在でも美しさや演技力は衰えていないので、これからも活躍し続けてくれるでしょう。

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現代の若者からも憧れられる才能豊かな美人女優鰐淵晴子さん

今回はバイオリニストや女優、歌手として活躍している鰐淵晴子さんの経歴や現在などについて、詳しく取り上げました。父親譲りのバイオリンの才能を持ち、ハプスブルク家の血を引く鰐淵晴子さん。

そんな鰐淵晴子さんは、子供の頃から天才美人バイオリニスト兼女優として大活躍しました。現在でも演技を磨き続ける鰐淵晴子さんは、現代の若者たちからも憧れられる存在でしょう。

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